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 長い旅だった……と言っても、安全な道を安全な時間帯に通っただけだ。確かに約一ヶ月の道のりは長かったものの、野宿をして魔物に怯える事もなければ、そもそも道中魔物とエンカウントする事も無かった。教科書通りの模範的な旅だ。


 もちろんただ馬に乗り、宿駅で泊まっただけでは無い。自身の魔法の限界や、『神の座』についての情報も精力的に集めた。俺は傭兵であり冒険者では無いため、これからダンジョンに向かうのに何の知識も無いのは死活問題…………と考えての事だが、色々と気になる噂を耳にした。


 例えば、南の国が我が国を攻め入ったのは全て『神の座』が原因である、などなど。確かに目的は分からないままだし、時期的にもそう考えられない事も無い。だが、一国の王が一万の民を犠牲にしてまで得ようとする価値は果たしてあるのか。


 あとは……冒険者として基本的な知識も習得した。正確に言うとお喋りな人間に酒を奢ってテキトーによいしょしただけだが。


 ……しかし自分で言うのもなんだが、そもそもダンジョンの種類すら知らない状態で『神の座』に挑もうなんて馬鹿じゃないのかと。っていうか、ダンジョンに種類なんてあったんだなというのが本音。


 ちなみにダンジョンは大きく分けて四つあるらしい。


 一つ目が黒のダンジョンと呼ばれるもので、溶岩の流れで生まれたもの。三次元的に入り組んでいるためマッピング技術が必要となる。


 二つ目は白のダンジョンで、これは俗に言う鍾乳洞だ。石灰岩地層に地下水が流れて生まれるため、基本的に下へと道が続く。基本的に一本道だが、水が流れて出来るダンジョンであるため水の対策が必要となる。


 三つ目は蒼のダンジョンで、近場ではまず見つからない。そもそも海岸際の崖に出来るダンジョンであるため、内陸部では見られない。潮の満ち引きで最悪水没するため、ダンジョンの中では難易度が高い部類に入る。


 四つ目がその他のダンジョンで、主に人工のものと魔物が作るものがある。この二つは天然のダンジョンとは違い、高確率で罠がある。それも警報が鳴り響くものから、即死級のものまで。その代わりに宝もかなり価値があるものだったりするそうだ。


 こうやってダンジョンについて勉強して思ったが、中々に奥が深い。冒険者は傭兵より死亡率は高い上、全体の平均収入はかなり低い。しかしその分リターンもかなりなもので、なるほどその人気の高さも分かる。


 男なら冒険とかダンジョンとかの単語を聞くと、それだけでわくわくする。…………まぁ、俺は名誉も要らないし、堅実に金が入る傭兵家業で十分だ。傭兵だったらソロでもやっていけるし…………って言うと、何故か悲しいやつみたいだ。


「ミサ、着いたぜ」


 身体を預けて眠るミサを揺り起こす。流石に毎日同じような景色を眺め続けるのは苦痛だったのか、ミサは意外と早い段階で覚醒を放棄していた。馴れない乗馬は体力を酷く消耗するのか、移動中は大抵寝ている。


 前世での運転する父親の気持ちが少し分かった気がする。もしも戻れるのなら、俺は眠くても起きていようと思う。


 美少女とはいえ、退屈な移動時間をひたすら馬の制御に宛てる俺を嘲笑うかのような姿は、軽く殺意さえ抱く。寝られるなら俺も寝たい。


 ちなみにミサは、俺に自らの身体を預けるのを厭う事は無いようだ。どうやらフィーの一見でホモと認定されているらしい。このアマ、一度犯してやろうかと何度も思ったがギリギリで自重している。


「…………んー」


 ミサは低血圧なのか単純に朝が苦手なのか、寝起きは悪い。現在も唸るような返事はしているものの目を開ける事はなく、声もフェードアウトしていっている。また寝る気だ。


 一応着いたと言っても『神の座』に到着したわけではないため、まだ寝ていても問題は無い。


 正確には『神の座』を中心に生まれた村に着いた、が正しい。人が集まれば色々な需要が生まれるため、それに応える形であらゆる商人がやって来た結果、街とは言わないまでもかなり大規模な村にはなっている。一帯は簡易ながらも柵で覆われ、内部は多くのテント群が散見される。近いうちに宿屋も出来そうだ。


 そういえば西だか東の国に、大規模ダンジョンを中心に生まれた城郭都市があった気がする。その都市も最初はただダンジョンがあるだけで、徐々にこんな感じで人が集まって出来たと聞く。ここもそこまで大きくなる可能性を秘めている。


「マッピング出来ます! 日給あたり銀貨七枚で!」


「二十二層までの地図あります。一層につき銀貨一枚。十層までは銅貨五枚で」


「空きテントあるよ! 荷物の預り金込みで一ヶ月金貨一枚から!!」

 入口付近はかなりうるさ……活気がある。荷物持ちとしてお零れに与ろうとするやつや、マッピング済みの地図を売るやつなど様々だ。


 地図は後で買うとして、取り敢えず馬を預けられる場所は――――ん?


 視界の端に、何かが写り込んだ。それは俗に言う銃というもので、南の国で試験的に使われる武器だ。かくいう俺も種子島と名をつけた銃を腰に差しており、最先端の武器ではあるものの珍しくは無い。…………それが火縄の付いているものであるならば。




「某国で開発されたフリントロック式のマスケット! 鎧もぶち抜くこいつの威力を、城郭で試したいって輩はいねェのか!?」




「なん……だと?」


 フリントロック式っていうのがどういった構造なのかも、そもそもどんなものかも分からない。しかし、火縄に着火するタイプじゃないのは一目で分かる。魔法で弾丸を飛ばす俺には火縄が有ろうと無かろうと変わりはないが、しかし最新式であろうその姿に心が揺さぶられる。


 ちらっと値段を見る。値段を見ただけで買う気なんて更々無い。欠片も無いが、あまりにも安かったら懐が緩むかも知れない。やはり、この場で売られているのはフリントロック式だし、悪目立ちしないためにも購入する必要があるかも知れない。




 値段:金貨七千枚。




「高えよッ!?」


 諦める。いや、そもそも買う気など無かったのだからそれは正しくないか。……っていうか馬鹿じゃねえの? 何だよ金貨七千枚って。国家予算かよ。


「あれ、…………着いた、のですか?」


 眠気眼を擦りながらミサが目を覚ます。流石のミサでも、渾身のツッコミを耳元で叫ばれては寝ていられなかったらしい。


 覚醒したミサは馬上から周囲を見渡すと、瞳をキラキラと輝かせながら露店を見る。如何にもファンタジーな露店は購買意欲を誘う。前世と現世の記憶が入り混じった俺でも、色々な武器やら防具が並ぶ様は感動を覚える。異世界に転生ではなく迷い込んだとしたら、きっと発狂しながら露店に突っ込んだだろう。


 ミサは純異世界人であるから、そこまで珍しがる事もないだろ……と思うが、人一倍好奇心が強いのだろう。何せ九つ命がある猫をも殺すのだ。常識人たる俺には理解出来ない領域にあるのだろう。


「あれ欲しいですっ!」


 突然興奮しながら指を差すミサを抑え、その差された指先を見る。――――そこには、鉄の処女アイアン・メイデンが置いてあった。名札的な物にはアイゼルネ・ユングフラウと書いてあるが、どう見ても処刑道具である。商品の説明で拷問器具だ、なんて言葉が聞こえるが、どう見ても処刑道具である。


 何でこの場に処刑道具があるんだよと思うが、確かにそこらの武器より殺傷能力は高そうだ。ドラゴンと素手で闘うか、アイアン・メイデンに入るかの二択しかなければ、俺は果敢にも素手でドラゴンに挑む。


「取り敢えず言わせて貰うが…………シスターが欲しがる物じゃねえよッ!」


 血塗れのシスターとか、誰得だよ。意外に需要はあるかも知れないが。


「そんな! マリア様を想起させる、慈愛に道溢れた武器だというのにっ!」


「慈愛の欠片もねえよ! っていうか武器じゃなくて処刑道具だし!」


 聖母マリアを侮辱し過ぎだろ! こいつは本当にシスターなのか!?


 …………いかん、冷静になるんだ。自分の目的を思い出せ。俺は『神の座』を攻略しに来たのであり、間違えても銀髪のシスターと漫才をしに来たのではない。


 数度深呼吸し冷静さを取り戻した俺は、未だ瞳を輝かせるミサの視界を左の手の平で塞ぎ厩舎を探した。


 大抵馬は隣の宿駅までしか乗れず、どうしても同じ馬に乗りたい場合は買うか期日までに戻って来るしかない。今回、特段馬に愛着の無い俺は駅毎に馬を借りているため、面倒な手続きもせずに済む。ここの厩舎の人間に馬を渡せば、後の心配はせずにダンジョンを攻略出来る。


「あぁ、エリザベス九号…………」


 唯一ミサは馬に名前を付ける程可愛がっていたためか、別れる際は非常に辛そうだった。…………まぁ、本当に可愛がっていたのか微妙な名前ではあるが。


「一応突っ込むが、あれは十一号だ」


 …………何気に俺の方が可愛がっていた、なんてオチは多分無い。








「準備は万端……な、はず」


 手元の荷物を確認する。ポーション類はある。五日分の着替えはある。乾パン、クッキー、干肉オッケー。種子島も予備の弾もオッケー。マップも、現在最大到達階である四十階まで購入した。不備は無いはず。


 着替えは現地で洗濯して着回し、水は魔法で生み出す。食料に不安があるものの、エンカウントするモンスターは食べられるとの情報を得ている。


 ちなみに何よりも重要な情報だが、このダンジョンは十階毎に強力な、俗に言う『フロアボス』が存在するらしい。最初のボスはケンタウロスであるようで、苦戦する理由は無い。


 あとは不思議な事に、パーティーの人数でフロアボスの強さが変わるとの報告が多数上がっているらしい。しかもパーティー毎にフロアボスは出現し、一度討伐済みのパーティーで該当するフロアの最奥に行っても、フロアボスは出てこなかったとの事。これにより、『神の座』の推奨パーティー人数は前衛二人後衛二人の四人。また、四十階への到達推奨レベルは七十五であるようだ。もちろんレベル制度は冒険者ギルドのもので、傭兵の俺にはよく分からん。


「行きましょう。神の奇跡を照覧するためにも」


 キリッとした顔で言っているものの、右手には屋台で買った串が握られている。腰にも大量の串が装備されており、中でも串カツ擬きはお気に入りなのか、既に全てが串だけとなっている。


 ミサの緊張感の無さは約一ヶ月の旅で嫌という程知ったため、今更何か言う事は無い。それにダンジョンの内部に入るとはいえ、何も俺たちだけで探索するわけでは無い。マップは三十層まではかなり緻密に描かれているし、周りには『神の座』を攻略しようとする輩で溢れている。


 『神の座』は地下へと続く迷宮となっているため、今もその唯一の入口である階段を降りる順番待ちだ。階段は二列で辛うじて降りられる程度の広さしか無く、また傾斜が急だ。変に急ぐと将棋倒し状態になり、ダンジョンに入る前に全滅……なんて事になり兼ねない。


 傭兵と違い冒険者はそこら辺はしっかりとしているのか、押しや割り込みが無く進んでいる。まぁ、ゼロでは無いのだが。


「転けるなよ?」


 ミサならやらかし兼ねないので、一段先に降りて支える。その姿は端から見ると、どこかのご令嬢をエスコートする騎士にしか見えない。…………俺単体で見るとやさぐれた青年にしか見えないが、癪ではあるがミサ自体麗しい容姿の持ち主であるためそう見える。


 何が問題か、といえばやはり下卑た視線か。


 名誉と冒険を求める生粋の冒険者ならまだしも、そうじゃない輩は無遠慮な視線を俺たちに投げる。『神の座』で一攫千金を目論むよりも、貴族の娘を拐った方が得だと考えるやつも居るだろうし、それこそミサを抱きたいだけのやつも居るだろう。


 今のところは人数の多さもあり、誰も手を出して来ないが…………下層に行き、人目が少なくなればどうなるかは分からない。油断は禁物だ。


 …………最も、狙われている本人はその視線に気が付いていない。正確に言えば『自分が狙われている』と思っていない。きっとこの腐った女は、ホモが沢山居る程度の認識しか無いだろう。末恐ろしい女だ。


 階段は螺旋状になっており、中心のぶっとい柱を囲むような形で下へ下へと降りていく。気になるのが壁や柱の材質で、コンクリートに似た物質で出来ている。完全なオーバーテクノロジーだが、魔法が確かな文明として発達すれば不可能では無いだろう。


 永久に続くかと錯覚を抱きそうになる螺旋階段を、鎧で固めた人間がほぼ無言で歩く姿は中々に息苦しい。金属がぶつかる音と、時折聞こえるぼそぼそとした話し声がその息苦しさを増長させる。


 下から流れる空気が不気味な鳴き声を上げ、ばちばちと松明が燃焼音を響かせる。


「長い、ですね」


 暗雲を断ち切るような鈴とした声。それだけで仄暗い空間に清涼な風が吹き込んだかのような感情を抱かせる。


 ミサも精神的な疲れからか、どうも歯切れが悪い。それでもその声が摩耗した精神を回復させてくれたのだから、やはりシスターというのは侮れ無い。単純にミサにはそういう素質がある、というだけかも知れないが。


「そろそろ一時間か。情報によるともう少しで一層目に到着するはずだ」


 話を聞いていたのか、周囲の人間の表情が若干和らぐ。やはり冒険者としても、ひたすら景色の変わらない階段を降り続けるのは苦痛なのだろう。俺も何度ゲシュタルト崩壊を起こしそうになった事か。


 俺は口を開いた分余計に消費した体力を取り戻すため、腰にぶら提げている水袋を取り出した。水筒が存在しないわけでも無いが、やはり仕舞う場所を考えると革袋に水を入れた方が良い。


 渇いた喉を潤すと隣を歩くミサに差し出す。ミサは短く礼を言い、口を付けてあおった。


 長い間一緒に居ると間接キスなんて事は気にしなくなる。俺は受け取った水袋を腰に戻し、再び階段を降りる事だけに意識を費やす。


 そうして無言で降りる事十分。ようやく出口が見えて来た。正確に言えばここは入口であるのだが、長かった入口の終わりという点では間違えなく出口だった。ひたすらに続く、一本道の迷宮をようやく踏破した面々はにわかに活気付き、互いに労いの声を掛け合う。


 そんな人々を嘲笑うかのように、血の臭いを漂わせる風が吹き込む。


 流石に血の臭い程度で吐き気を催すような輩は居ないが、それでも上がったテンションを下げるのには十分だったようで、後ろで騒ぐ連中も次々に口を噤んでいく。


 隣を見やるが、ミサは出口が近い事を喜んでいるようだ。道中魔物と出会す事が無かったため判断は出来なかったが、やはりミサは血の臭いに慣れている様子。


「ようやく出口ですねっ」


 笑いかけるミサは何よりも美しく、だからこそ何よりも不気味だった。俺はそれから意図的に視線を背け、一層の入口である出口を見た。


 ぞろぞろと並ぶ列が呑み込まれていく。その例に漏れず、俺とミサも一層へと足を踏み入れた。


「これが…………」


 隣でミサがぼそりと呟く。


 一層は広かった。しかしそれは先程までと比較しての話であり、想像にあるような広大な迷宮では無かった。


 高さは三メートル程だろうか。低くは無いが、決して高くは無い。横幅は五メートルも無く、闇雲に武器を振り回したら隣の味方を斬ってしまいそうだ。あまり激しい動きは出来なさそうで、軽業師のようなタイプには厳しい地形だ。逆にガチガチの鎧で全身を固めている人間の方が戦い易いだろう。…………最も、ここに魔物は出現しないが。


 地図を広げる。一層から五層までは一本道で、枝分かれする道は一つも無い。


 周りを見渡すと地図を広げていない人間がちらほら居る。五層までは一本道だと知った人間が節約のために買わなかったのだろう。もちろん俺もその考えに至った。いや、例え一本道じゃないとしても、今この場で地図を持っていない大半の人間は地図を買わなかっただろう。正しい道を知りたければ、大勢居る地図を持った人間に付いて行けばいい。――――そんな甘え考え方では、この先は生きていられない。


「ミサ」


 腰を抱き、歩くミサを止める。


 後ろから付いて来ていた『地図を持たない人間』は、いきなり止まった俺たちを怪訝な表情で一瞥し、しかし先を急ぐために何の警戒心も抱かぬまま隣を通った。


 そしてカチャリと作動音。先程隣を通った男は、側面から頭を矢で貫かれ、即死した。


「――――なっ!?」


 『地図を持たない人間』が総じて驚愕する。しかしそれ以外の人間は予定調和だというかのように、何の反応も見せずに先を急ぐ。地図を持たない者はその周囲とのズレに、より一層の混乱をきたす。


 俺は再び地図を見ながら歩き出す。そして地図に書いてあるトラップの位置に、身を曝さないよう気を付けながら歩く。辺りでは、トラップに引っかかったが即死出来なかった人間の苦悶の声や、断末魔が響き渡っている。


 一層から十層までの地図は安い所だと銀貨三枚で売っているのだから、こいつらは自分自身で自分の価値を銀貨三枚以下に落とした間抜けだ。まぁ、俺も金が有り余ってなければ同じ事をしていたため人の事は笑えないが。


「階段です」


 ミサの言う通り、一層は既に終わりを見せていた。大体長さとしては百メートルくらいか。本気で走れば十数秒の距離で、何十もの人間死んだのだから恐ろしい。流石はダンジョン……いや、迷宮? …………どちらも大して変わらないか。


 前の人間に続いて階段を降りるが、今回はすぐ二層に到着した。時間にして一分も経っていない。これで二層まで一時間とかかかるのだったら、完全に心が折れていた。


 二層に足を踏み入れて真っ先に目についたのは、整然と並ぶ松明の炎だ。


 一層ではトラップの存在を知らなかった輩が複数居たためか、至る所で松明の炎が踊っていた。しかし二層では地図を持たない者も、何も考えずに歩く危険を理解したのだろう。必然的に、地図を持っている人間が通る後ろを付いて行くため、炎が一本の線のように動いている。そして、やはり百メートル程先でそれは途切れている。無理に列から外れる利点も無いため、俺とミサは前の人間の背中を追った。


 その行為も光景も五層までは全く同じで、一層での危機感が薄れてきた頃、俺たちは六層へと進入した。


 六層からは大幅に変化を見せた。まず、圧倒的に広い。地図では全く分からなかったが、横幅も高さも半端無い。光が届かないため、最奥が見えない程度の広さはある。


 一応三十層までは緻密に描かれているため、無限に広がっているわけでは無いのだろう。しかしわざわざ端まで行こうという考えは抱かない。他の人間もそうなのか、五層までと同じように列を作って最短距離を移動している。


 六層から魔物が出るようだが、それは害の無い蝙蝠やスライムだけのようで目立った戦闘音は聞こえない。やはり俺たちは五層までと変わらず、ひたすら前の人間の背を追う作業に没頭した。








 八層からはゴブリンが出て来た。こんな場所までやって来る人間がゴブリンに遅れを取るはずが無いが、ゴブリンはその体躯の小ささから発見が僅かに遅れる事がある。不意打ちで数人が死んだ。しかし前にも後ろにも長蛇の列があり、誰も危機感は抱かなかった。道を塞ぐ死体に何人かが舌打ちをした程度だった。


 九層も大した変化は無かった。地図上では変化を見せるものの、どうせ最短距離を突き進むだけだ。強いて変化を挙げるなら、九層では俺自身がゴブリンとエンカウントした事か。近距離は不得意な俺も、ゴブリン一匹には負けない。リーチの差を活かし、先手さえ取ればやられる心配は無い。


――――そして遂に、十層手前まで来た。


 一層から九層までとは違い、そこには階段では無く半透明の壁があり、青白く光る『0と1』の数字が上から下へと流れている。ファンタジーかSFかいまいち分からない光景だ。


「…………行きましょう」


 前の人間が壁の奥へと消える。俺はミサの言葉に頷くと、ゆっくりと右手を差し込んだ。右手が入った場所は僅かに揺らぐだけで感触に違いは無い。…………意を決し、ミサと内部に飛び込む。


 飛び込んだ先は、九層と比べると随分狭かった。身の丈以上はある松明が等間隔で配置されており、広さは体育館ほどか。高さは分からないが、それほど広くは無い印象を受ける。




 そして、その空間の中心ではフロアボスである巨大な『ケンタウロス』が佇んでいた。




「…………マジかよ」


 思わず声を漏らす。フロアボスである『ケンタウロス』は、通常固体の三倍は優に超える巨体を持っていた。


 しかしどれだけでかかろうと脳天をぶち抜けば一発だ。俺は腰に差してある種子島を抜くと右膝を立てて狙いを付けた。仮に俺の異常なまでの狙撃能力が無かったとしても、この距離であの巨体を外す自信は無い。


 ゆっくりと引き金を引いた。放たれた弾丸は寸分の狂いも無く敵の頭を目掛けて飛んでいき――――ケンタウロスが持つ重厚な斧の腹にぶち当たり、僅かな衝突音だけを残して地面に落ちた。


「しまっ――――」


 慌てて詠唱を始めるが遅い。敵はその巨体から生まれる爆発的な瞬発力を活かし、数秒で俺の目前まで迫った。そしてその勢いが死ぬ前に、滅茶苦茶な狙いで斧を振りかざした。無論、巨大ケンタウロスに見合うサイズの斧から逃れられるようなスペースは無い。


「――――初めに、神は天地を創造されたIn principio creavit Deus caelum et terram


 響き渡る詠唱。それと同時に飛来した何かがケンタウロスの眼球に突き刺さった。無論そんな状況で振り上げた得物を振り下ろせるわけも無く、ケンタウロスは苦悶の声を上げながら斧を取り落とした。それにより舞う粉塵が頬を叩く。


地は混沌であって、Terra autem erat inanis et vacua闇が深淵の面にあり、 et tenebrae super faciem abyss神の霊が水の面を動いていた et spiritus Dei ferebatur super aquas


 だがその程度で終わるならフロアボスなんてやってないだろうし、そもそも種子島の弾丸を弾けなかったはずだ。


 ケンタウロスは再び斧を両手に装備すると雄叫びを上げる。こちらを憎らしげに見つめる眼球には、どこかで見た記憶のある串が刺さっていた。


神は言われた。「剣よあれ」dixitque Deus fiat gladiusこうして、剣があった et facta est gladius


 隣から放たれる眩い光に思わず瞼を閉じる。ミサが何か詠唱をしているのは分かったが、耳慣れない言葉であったため内容を把握する事は出来なかった。


 フロア全体を照らす程の強い光が治まり、恐る恐る目を開くとそこには――――ケンタウロス同様、身の丈を越す大剣を構えるミサが居た。


「え……?」


 黄金を基調色とし、蒼色の線が銀色の線と絡み合い複雑な紋様を描いている。聖剣と言われたところで違和感は無く、シスターであるミサが持つ事で神々しささえも感じられる。


 だが、そのビジュアルを単体で見たとしたら違和は感じられないが、しかし『ミサが大剣を持っている』という視覚情報が圧倒的な違和感を俺に覚えさせている。


 何だよ、それは。


 その言葉を発する事さえ出来ない。ただ口がぱくぱくと開閉を繰り返すのみで、そこから漏れるのは意味の持たない空気だけだ。


「終わらせます」


 断定。宣告の如く発せられたそれを実行するかのように、ミサは大剣を下段に構える。ケンタウロスは蛇に睨まれた蛙のように動かない。…………いや、動けないが正しいのだろう。


 ミサは憐れみの表情すら見せず淡々と、まるでまな板の肉を捌く時のように力を溜めると、跳躍のようなダッシュを見せる。それは移動と言うより、瞬間移動に等しかった。


Amenエイメン


 華麗で苛烈な姿をした天使は、肉を捌くかのように、罪人を裁くかのように…………一片の慈悲も無く大剣を横凪ぎに振るった。


 ケンタウロスはそれだけで両断され、血飛沫を撒き散らす。




『はいっ、それはもちろんです。――――遠距離型で足を引っ張らない、私が望んだ以上の逸材です!』




 俺はふと、ミサのそんな言葉を思い出した。


 なんて事は無い。最初からその言葉に、嘘偽りなどなかったのだ。

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