3
3
ゴブリン、オーク、ケンタウロス、ミノタウロス、スケルトンナイト――――。
あらゆる種類の魔物が出て来た。この世界の魔物は全てここから生まれているのではないかと錯覚する程の数に、何度嫌気が差した事か。
「――――ルカさん」
ミサに肩を叩かれ、俺はランタンの蓋を閉じた。きぃ、と僅かな軋みを残して灯りが消える。その数秒後、がしゃっがしゃっ、と鎧同士がぶつかる音を響かせながらスケルトンナイトが現れた。スケルトンナイトは
魔物は光、音、臭い、熱のどれか、または複数でこちらを認知する。しかしこの迷宮は血の臭いで溢れ、臭いで居場所がばれる事は無い。熱でこちらを察知する魔物とは未だエンカウントしておらず、十層からここ――三十七層――まで殆ど戦闘を行っていない。
仮に魔物に見付かったとしてもミサが秒殺していた。この場に於いて、一発撃つ毎に尋常じゃない音を響かせる俺はいらない子扱いだ。
「…………行ったみたい、だな」
闇に隠れている俺たちを見付ける事が出来なかったスケルトンナイトは、廊下の向こう側へと消えていった。
俺はランタンの蓋を開け、灯りを点す。その灯りにかざすように地図を開くと、現在地からの正しい道を探す。
三十層からはだだっ広い一つの空間では無く、一層から五層のような通路が幾重にも絡み合って出来た正しく迷宮みたいな造りとなっている。ここまで来ると滅多に生きている人間と出会う事は無く、地図も曖昧になってくる。この地図を作った人間も余裕が無くなってきたのか、殆ど入口から次の層までの一本道しか描かれていない。もちろん小道も描いてはいるが、たまたま道を間違ったのだろう。そういった場合は必ず行き止まりとなっている。
俺たちは地図通りに道を歩く。本当はランタンなど使わない方がいいのだが、魔物は暗闇でもこちらを察知して来るため使わざるを得ない。それに足下に何があるのか分かるか分からないかでは、かなり精神的な負担が変わる。
エンチャント系の魔法が得意な人間には、対象に闇を見通す力を付与する魔法が使えたりする。俺が使えないのは当たり前として、ミサが使えないのは痛手だ。そこら辺をしっかり考えていれば、少なくとも今頃は四十五層くらいは踏破していそうだ。そもそも二人でこんな所に来たのが間違いだった。仮にアサルトライフルを持っていたとしても、このダンジョンは攻略出来ない。ミサの並外れた近距離スペックが無ければ、三十七層なんて上までこれなかった。いや、十層のフロアボス戦で死んでいた。
「…………階段か」
ようやく次の階段に到達した。迷宮といえばトレポーター的な物があって、更新すればいつでもその階層に来る事が出来る――――なんて思っていた。何だよこの絶望空間は。ここまで来るのに何度もリアルラックを費やしたため、下手に引き返す事も出来ない。
歩くだけで良かった層が懐かしい。ゴブリンなんか敵じゃないし、前を見たら人が居るなんて天国。フロアボス毎に人の数はどんどん減っていき、三十層を出た時から殆ど生きている人間を見ていない。フロアボスに苦戦していただけで、俺たちの少し後ろには大量の人が居ると思いたい。
「階段も気を付けないと、ですね」
ミサの言う通り階段も危険だ。階段を使うのは俺たち人間だけじゃない。稀ではあるが魔物が使う場合もあるし、罠がしかけてある可能性もある。ここでは仲間以外の全てを疑うつもりじゃないと生きていけない。
俺たちは慎重に階段を降りていく。持っているのがランタンでは無く懐中電灯であればどんなに良かったか。ランタンの僅かな光だと精々数メートル先しか見えず、目を凝らしてようやく「十数メートル先に何かがあるな」、程度の認識。こんなホラーゲームがあれば途中で断念しそうだ。……最も、俺はそれを現実に体験しているわけで、ほっとけばいつでも狂えそうだ。隣を歩くミサが居なければ、即座に短刀を創造して喉を掻き切るレベルだ。
無事に三十八層に到達。だが、その達成感より『一体何層まで続くのか?』という絶望の方が濃い。人工である以上終わりはあるはずで、人間が作るのだからキリのいい数字で終わっているはず。…………いや、楽観視はよくないな。そうしたやつらが死んだのは何度も見たし、今生きているのは慎重に動いたおかげだ。
仮に………そう、仮の話だ。ここがダンジョンを造る目的の元に生まれた場合、この奇妙な造りは納得がいく。今この階層こそ一般的な人工のダンジョンといった風だが、六層から二十九層までは自然に生まれたダンジョンのようだった。あくまで『そのよう』であり、人工物である事に変わりはないが、少なくともこんなに要り組んだ施設は不要だろう。物には限度というものがある。
「…………ん?」
地図に従って廃墟のような通路を進んでいると、進行方向とは違う方向で微かな音が聞こえた。今までエンカウントした魔物が発する音とは違う。くちゃり、くちゃりと聞こえるそれは――――咀嚼音?
もしかしたら冒険者が食事中なのかも知れないと手元の地図を見るが、先は行き止まりでは無く『記されていない』。…………怖気が走ったが、念のためにランタンで確認する。
「…………ルカさん、先を急ぎましょう」
ミサが俺の袖を引く。しかし普通に考えて、ここに魔物が食べるような物があるか? 開けた場所ならまだしも、ここは通路だ。魔物が生活する事を前提に作られていないし、先程からエンカウントするのは人形の魔物――――つまり、スケルトンナイトばかりだ。少なくとも聞こえてくる音は、鎧をがちゃがちゃと鳴らすやつらのものでは無い。
「大丈夫だって。ちょっと確認するだけだし」
ランタンを、音が聞こえてくる方向に突き出した。
「…………ん?」
最初に見えたのは白と赤に近いピンク色で、それは複数居る。予想通り食事中のパーティーなのだろう。俺は一歩近付いた。
「――――ッ!?」
何かが一斉にこちらを向いた。一番近いのは人体模型か。ただし眼球は無く、人間から目を奪って皮を全て剥ぎ取ったような姿だ。爪は鋭く、鍵爪のようになっている。くちゃくちゃと…………恐らく人間を喰らっているが、歯はあまり変わりが無い。ただ顎の力は半端無いようで、時折ごりごりと骨を噛み砕く音が聞こえる。
剣を抜く。だがそいつらはこちらを一瞥すると、何事も無かったかのように食事を開始する。俺たちは多分、不要な養分として見向きされなかったのだろう。もしもやつらが腹を空かせていたら…………そう考えると鳥肌が立つ。
俺は化け物共の食事シーンから目を逸らさず後退りすると、角を曲がった所で全力で走った。
「
「…………流石にあんなのとは戦いたくないです」
息を切らし、その場にへたり込む。がむしゃらに走った先は行き止まりで、運良く地図にも描いてある場所だった。ここならすぐに正しい道に戻れるし、迂回ルートもある。流石に喰屍鬼の近くは通りたくない。
ちなみに喰屍鬼とは、人間を軽く止めた動きを見せる超・強化版ゾンビと思えばいい。先程俺たちを見逃したのをみれば分かるが、知能が滅茶苦茶高い。ただし目は退化しているし、この場では嗅覚も使いものにならない。耳も良く無いが…………熱に反応する。暗闇では出会いたく無い魔物トップ三に入る。
「あいつらの気が変わる前に行くか」
歩き出す。――――そんな俺の袖を、ミサは引いた。
喰屍鬼が居た時と同じ反応に、反射的に毛が逆立つ。短く息を吐き、ミサを見ると…………何かを警戒するのでは無く、俯いていた。
「あ、あの、安心したら……その、尿意が…………」
…………。
俺は無言で銃を構え、通路の先を警戒した。
離れるわけにはいかない。何せ用を足すのだ。人間が無防備になる瞬間で、何かあった時に離れていてはどうしようも無いし、叫んで危険を報せるわけにもいかない。
ミサは俺の袖を強く握り締めたままごそごそと下着を脱ぐと、その場でしゃがみ込んだ。脚がガクガクと震えているが、しかしそれ以上の変化は無い。……まぁ、いくら尿意がやって来ても、男の隣ではそう出せるものでは無いだろう。
俺は変わらず前を向いているが、その意識をミサの方に向いている。美少女が隣で…………いや、考えるのは止めよう。特殊な性癖に目覚めそうだ。
「ぅ……ぁ、出ます」
何故か報告してくるミサ。そして宣言通り、僅かな水音が聞こえる。
初めは川のせせらぎだったが、途中からはダムが決壊したかのような勢いで飛び出す。僅かに漂うアンモニア臭が、これが現実であると俺に教えてくれた。
「…………先を急ぐぞ」
なるべく先程の事には触れないようにして、俺たちは先へと進んだ。
三十九層では喰屍鬼に出会う事も、尿意に襲われる事も無かった。一度も地図上の一本道から外れる事無く、目出度くフロアボス直前まで辿り着いた。
俺たちが地図を買った時四十層は最高到達階層であったが、四十層をクリアしたわけじゃない。マッピングしていた二十人の大パーティーのうち先行した十二名が戻らなかったため、残った八名は引き返したのだ。…………俺の記憶が正しければ、この地図を売っていたパーティーは三名しかいなかったが。
取り敢えず言えるのは、この先が未知の世界であるという事だ。三十九層までをマッピングしたパーティーですら倒せなかったフロアボスが、この先に居る。
――――勝てるのか?
そう思うが、勝つしか無い。ここで引き返せば全てが無駄になる。もう一度やり直すとして、あの緊張を味わうなんてごめんだ。仮に過去に戻れるとしたら俺はここには来ない。
「…………」
ミサを伴い、フロア内へと腕を突き入れる。――――途端に訪れる既視感。
俺はその感じた事のある初めての感覚に戸惑いを覚える。明らかな矛盾。だがそれについて考えを巡らせる前に、俺の身体は四十層へと躍り出ていた。
目を凝らす。フロアボスが居る階層はどこも同じで、淡い炎が辺りを仄暗く照らしている。その闇を見通そうと正面を睨めつけ…………フロアボスの姿に、思わず一歩下がる。
頭には一対の触角と口器。幾重にも連なる体節には触角同様一対の肢が生えている。肢は……目測で百対を越えているだろう。喰屍鬼と出会った時とは別種の怖気が走る。
「――――私、虫は苦手です」
隣でミサが呟いた。大丈夫、俺も得意じゃない。
だが、ここは俺の出番だ。遠距離から狙撃すれば精神的ダメージが少ない。少なくともやつ――百足――を輪切りにするよりかは楽だ。
種子島を抜き、狙いを付けずに引き金を絞る。直視はしたくなかった。山で遊んだりしていたわけだから虫は苦手ではないが、それはその見かけた虫が小さいからだ。あんなでかくて醜悪な存在を俺は肯定出来ない。
しかし、放たれた弾丸はキンッ、と甲高い音を立てるとそのまま地に転がった。
「――――またこのパターンかよッ!」
フロアボスは総じて硬い。唯一十層の『ケンタウロス』は柔らかかったが、斧に阻まれてどうしようもなかった。
俺は諦めて詠唱に入る。俺の創造魔法が特別なものと知ってから、あまり他人の前で使った事は無い。特にマスケット銃ならまだしも、
だが俺に選択肢は無い。流石に何の活躍もせず、虫の相手すら女に任せるのは無い。断言する。マジで格好悪い。だから俺のエゴのため、百足には死んで貰う。
「喰らいやがれ……ッ!!」
左手でボルトを操作し、内部に弾丸を入れる。そして、引き金を引く!
――――だが、生憎な事にそれは巨大な音と光を生み出しただけだった。
命中はした。完全に弾丸は胴体に吸い込まれ、先程種子島の弾丸を弾いた硬い体節をいとも簡単に貫いた。…………が、それだけ。百足は元気良く胴体をくねらせ暴れている。
そりゃそうだ。俺は仮にも虫である百足の生命力を舐めていた。体長は下手すると二十メートル近くあるため、弾丸のダメージなんて些細なものだろう。
俺は再び
「うぉ!?」
直撃した弾により百足の頭は爆ぜるが、即死ではなかったのか派手に暴れだす。身体を振り回しながら近付く百足に、前世でトラックに轢かれた光景が蘇った。
意識した事はなかったが死の体験は俺のトラウマであるらしく、あの時のように足がすくむ。逃げられない……が、俺が百足に轢かれる事は無かった。
「ていっ!」
可愛らしい叫び声と共に巨大な剣が黄金の軌跡を残す。ミサの放った縦斬りは容易に百足の頭を両断し、謎の液体を撒き散らす。それを諸に被った美少女はカタカタと身体を震わせながらこちらを見ると、正に絶望といった表情を浮かべながらリバースした。
頭を失いながらびちびちと跳ね回る百足、全身を液体に汚されながら吐瀉物を撒き散らすシスター。この世の終わりがそこにあった。
まずはミサを助けてやるべきなのだろうが俺としては近寄りたくない。助けて貰った恩はある。だがそれとこれは別だ。
俺はなるべく離れた場所から水袋を投げる。全身の汚れを落とせるような量では無いが、無いよりかはましだろう。
ミサは水袋を掴むと頭から被った。ある程度正気さえ戻れば、あとは自分でどうにかするだろう。生憎俺の魔力量では焼け石に雫だ。
それよりも俺にはする事がある。百足の息の根を止める事だ。確か父親が、百足は腹部にも何かがあると言っていた。家に巨大百足(三十センチ)が出た時に言った事であまり詳しくは覚えていないが、恐らくそこに急所があるのだろう。のたうち回る百足に狙いを付けて撃つ。一発じゃ死ななかったため、再度撃つ。装填。撃つ。
魔力が無くなればマジック・ポーションで回復し、撃つ。ひたすらにそれを繰り返す。
そして結局、百足の急所はいまいち分からなかった。だが撃たれまくって木っ端になった百足は死亡しており、次の階層の入口となる半透明の壁が生まれていた。ただし百足の肢は未だにぴくぴくと動いており、俺の人生の選択肢から農民という言葉は消えた。……なるべく虫には近付きたくない、というのが九十割を占めている。念のためいうが、もちろん間違いでは無い。
「…………こんな現実、私は認めません」
水を滴らせながらそういうミサは全裸だった。だがここ一ヶ月でミサの裸なんて何度も見たし、一々欲情していたらキリがない。長期間旅に出る以上、パーティー内で裸がどうとか言うやつはルーキーか童貞野郎くらいだ。
そのどちらでも無い俺が取り乱すはずも無く、平常心を保ったままミサに着替えを渡す。
「諦めろ。現実は覆らん」
「…………そうですねっ」
僅かな間を残しミサは笑いながら答える。その若干影のある笑みに後ろ髪を引かれつつも、先を歩くミサの跡を追う。それだけ精神的ダメージが酷かったのだろう。俺もあんなのの液体なんて触りたく無いし、全身に被るなんてもっての他だ。
壁を抜け、四十一層に踏み入れる。背後には普通の螺旋階段があり、上に昇れば三十九層に戻れる。もちろん、今更戻る意味も無い俺たちは先を目指す。――――ここから先は、地図が無い。
「…………六層から二十九層までと同じ、か?」
だだっ広い空間。強いて違いを挙げるなら、この層は水が流れているようだ。しかも音からしてかなりの量で、下手すると並みの川より深さがあるかも知れない。
取り敢えずランタンの蓋を開け、道を確認し――――
「――――止めておけ」
ランタンの蓋を開けようとした俺の手を、突然現れた何者かが掴んだ。
「…………ッ!!」
反射的に腰へと手を伸ばすが、その手も封じられる。
「気持ちが分からないわけでも無いが、俺は人間だ」
その言葉に動きを止める。確かにそうだ。少なくとも流暢に言葉を操る魔物なんて見た事が無い。
となるとお仲間か。ここまで生きている人間と会わないと、いざ出会った所でそうとは思わない。よくよく考えると最高到達階層は俺たちが居た時点の話であり、あれから何時間も経っている以上その先に人間が居たとしてもおかしくない。
俺は突然現れた味方に肩の力を抜き…………すぐさま早計だと力を入れ直した。目の前の人間が生きているからといって味方だという事にはなり得ないし、ここまで来れる実力者であるのならば過剰な程警戒してお釣りが来る。何せミサは美少女なのだ。俺だけなら殺す利点が無いが、ミサが居るなら別だ。
「…………ふっ、案ずる事は無い。女なら間に合っている――――彼らにもかけてやれ」
「はい」
男の声に応えるようにして女が現れる。もちろん姿は見えないため、気配と声で判断しただけだ。…………しかし、何故男はこちらの思考が読めた? 単純に雰囲気を察してか、それとも……いや、この状態で考える事など皆同じという事か?
俺が色々と考えているうちに女はぼそぼそと詠唱を始める。声が小さいのは元々の性格か、それとも魔物を警戒してか。
答えが出る前に女の詠唱は終わった。
「――――おお!」
その魔法の効果に、俺は驚きながらミサと目を合わせた。向こうも驚いているようで、キョロキョロと辺りを見回している。
「結構はっきりと見えますね」
ミサの言う通り、今の俺たちは周りが見えている。当然日の光が当たっている時のようでは無く、赤外線カメラで暗闇を覗いた時のようだ。若干緑っぽく見える。
赤外線カメラと言っても、光が無い以上赤外線も無いはずなので光を増幅する魔法ではなさそうだ。いきなり炎やら何やらで目が……なんて間抜けな事にはならなくてすみそうだ。
「あんたらは何故ここに?」
魔法の礼もそこそこに、俺は気になっていた事を聞く。不意を突く以外で闇に隠れて人を待つ意味は、果たしてあるのか。
「…………新しい仲間を探していた。最初は四人だったが、喰屍鬼と百足にやられてな」
なるほど、と頷く。俺らが言うのもなんだが、二人で先を行くのは無謀過ぎる。丁度俺たちは二人だし、合わせればパーティーの人数は適正人数となる。
地図の無いこの先をどうするかはぶっちゃけ悩み所でもあったため、正に地獄に仏ってやつだ。しかもエンチャント系が得意な魔法使いが居るようだし、ミサと組ませれば敵無しだろう。
「じゃあ一緒に…………ん?」
ちらちらと、何かが揺れた。もしかするとランタンの炎だろうか。俺は男に目配せした。
「見てこよう」
男は剣を抜くと光が見えた場所へ歩いて行く。
見えるようになって分かった事だが、先を両断するように川が流れている。あまり鮮明には見えないが、光が見えた場所は川の近くでは無く、どちらかというと中心だったような気がする。…………嫌な予感しかし無い。
「……お、おい、あんまり川に近付き過ぎない方が――――」
ぱくり、と。そんな可愛らしい擬音が聞こえて来そうな軽いノリで、男の上半身が喰われた。男は膝から崩れ落ち、断面図から内蔵を溢す。思ったよりも血は出なかったが、代わりに余計なものを出していた。
「う、嘘でしょ……?」
唯一生き残った仲間が…………いや、男の言葉から推測するに二人は恋人なのだろう。その恋人を失った女は僅かに後退る。
俺はそんな女から視線を外し、先程の敵について考えた。…………いや、答えは既に出ている。恐らく提灯鮟鱇みたいな魔物なのだろう。俺たちはまんまとあの光に誘き寄せられたわけだ。
「いやああああ!!」
「おい、待て!」
慌てて肩を掴もうとするが女の方が早かった。女は俺の制止の声を聞かずに走り去る。…………前では無く、後ろに。
恋人の死を嘆くのでは無く自分の死を恐れるとは…………まぁ、人として間違ってはいない。問題があるとすれば、大声を上げながら『三十九層』に逃げた事か。
「あ、いや、寄らないで――――ぎゃあああああ!!」
断末魔が聞こえる。やはり喰屍鬼に襲われたか…………と他人事のように状況判断をしていると、喰いっぱぐれた喰屍鬼と目があった……ような気がした。
一歩下がる。上の階層から新たな喰屍鬼が現れた。
もう一歩下がる。やつらは餌が人間一体分しか無いと理解すると、何かを求めるようにこちらを見た。
「走るぞッ!」
全力でダッシュする! 後ろでは四足歩行の化け物が迫って来ている。もちろん鈍いわけが無く、距離はどんどん近付いていく。
目の前には川。幅は二十メートル程だが、こんなのを渡っていたら余裕で追い付かれる。それに提灯鮟鱇擬きに襲われる可能性もある。
打開策を見付けるために振り返るが喰屍鬼は二十体くらい居る。仮にミサが大剣を振り回して五体倒しても、残りの十五体が群がる。俺が一体一体狙撃しても、精々三体を屠ったところでゲームオーバーだ。
なす術無しか? そう思った俺の身体をミサが抱き上げた。俗に言うお姫様抱っこだ。
「しっかり掴まってて下さいっ!」
俺を抱き上げた時点で分かった事だが、ミサは何らかの強化系の魔法を行使しているのだろう。川岸まで来ると数瞬溜め、己のバネを爆発させるように跳躍した。
「うぉ!?」
凄い勢いで景色が背後に流れ、ミサは見事対岸に着地する。
何匹かの喰屍鬼は俺たちを追って川に飛び込むが、それを待っていましたとばかりに提灯鮟鱇が喰らいつく。お零れを貰うかのようにびちびちと欠片に集うのはピラニアだろうか。どちらにせよ、あんな川を渡らなくて済んだのは幸いだ。プライドなんて命あっての物種だからな。
しかし安心したのも束の間で、喰屍鬼たちは回れ右をするのでは無く川を迂回しはじめた。確かにやつらなら壁を渡ってでも来れるだろう。
「逃げてばかりだな畜生!」
吐き捨てると、俺とミサは全力で走った。幸いエンチャントのおかげで視界は良好で、地図が無くとも次の階層への階段が見える。これが開けた空間では無く迷宮であれば、俺たちは迷った挙句袋小路に追い詰められ、抵抗虚しく喰屍鬼の栄養となっただろう。
テメエらの餌になんかなるかよ、と叫びながら階段を降りると、四十二層――――そこは、要り組んだ迷宮だった。
だが止まる事はしない。喰屍鬼が迫って来るのが分かっていたし、リアルラックが奇跡を起こしてくれるかも知れない。それに隣にはシスターが居るんだ。神様も何とかしてくれると信じたい。無論、俺は無宗教だが。
「分かれ道か!?」
左か右。迷ったら右に行くべきだ。迷宮攻略に右手法と呼ばれるものもあるし、ここはそれに従うべきだろう。もちろん右手法とは、迷ったら右に曲がりなさいとかいう教えでは無い。
俺は右に行くと決意を定め、まるで呼吸をするかのように左へと向かった。
「――――え?」
間の抜けた声が響く。俺の身体は何の疑問も抱かず、ただ日々の反復を行うかの如く自然と左へと曲がった。それは完全に俺の意思とは反するもので、俺の脳内は疑問符で満たされる。だがそうしている間にも身体は動き、答えを知っているかのように要り組んだ迷宮を走る。そこに迷いは無い。
ミサはそんな俺の葛藤には気付かず、懸命に隣を走る。魔法を使えば楽々と逃げられるだろうに、それをしないミサは天使に見えた。
「行き止まりです!」
「いや、扉があるはずだ!」
扉があるはず。
その言葉に何ら間違いは無く。
俺たちの前には、分厚い扉があった。
「中に入るんだ!」
中が危険なんて考えなかった。俺はそこが安全であると識しっていた。だから何の躊躇いも無く飛び込んだ。
かちゃり、と鍵をかける。遅れて数秒後、喰屍鬼が扉に体当たりをする音が聞こえた。地が僅かに揺れるような衝撃。天井からはぱらぱらと埃が降って来る。だが、鉄のような物質で出来ている分厚い扉は、その程度じゃびくともしない。
俺は一息吐いて飛び込んだ部屋を見渡した。古びたベッドと本棚。それに簡素な机。
俺はその簡単な造りの机に置いてあった、ぼろぼろの紙切れを取った。表を見るが何も書いていない。裏を見ると、そこには『日本語』で――――
『たすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけて――――』
「…………ッ!?」
紙を叩き付けるように戻す。それを見たミサは気になってのか紙を手に取り、俺と同じように叩き付けた。
「…………俺の国の言葉だった。少なくとも、ここにあるのはおかしい」
何故日本語で書いてある? しかもこんな……嫌がらせとしか思えない。
だがミサは、逆に俺の言葉で安心したようだ。
「通りで…………この文字はどうやら、見た者の母国語で表示されるみたいです」
なるほど、だから日本語なのか。よくよく考えると、日本語で書いてあるとしたらミサの反応がおかしい事になる。勝手に母国語に変換されたため、ミサも読む事が出来たのだろう。
俺は喰屍鬼の衝突音をBGMにベッドに座った。きしり、とスプリングが鳴くが壊れそうには無い。
「攻略、出来るのでしょうか」
「さあな」
出来そうには無い。しかし引き返す事も出来ない。…………だったら進むしか道は無い。
当面の問題としては、その唯一の道すら阻まれている事か。喰屍鬼は未だに諦めていないらしく、引っ切り無しに部屋が揺れる。
「やり残した事があれば、今のうちにやっておくべきだな」
「…………そうですねっ」
ミサは微笑む。
そしてどちらからともなく、俺たちは唇を重ねた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます