梓さんよく食べます。ある日の追憶

浦字みーる

梓さんよく食べます。ある日の追憶

 先生こと私の旦那様は時々、酔っぱらって帰ってくる。

 お酒臭いと苦情を言うと、なんでも商店街の方々に誘われて断れなくて飲んでしまうそうだ。

 いわゆるノミュニケーションというヤツ。病院と言えども同じ商店街で店を開く仲間として、御近所付き合いは大切だ。

 戦国時代からの日本の風習だね。


 私が程々にしてねと言うと、先生はほろ酔い気分で、

「梓も一緒に来ればいいんだよ」

 なんて決まっていうのだが、私はこういう場では絶対飲まないことにしてる。

 もちろん先生とのお酒は楽しい。

 正直言うとお酒は好き。土日は結構先生と飲みに行っちゃうんだけど、実は宴会は苦手なんだよね。

 それは今でも思い出したくない苦い思い出のせい。先生にも言ってない暗黒神話があるからなのだ。



 地元の高校を卒業した私たちは、卒業祝いの打ち上げをしようということで居酒屋に飲み行ったことがある。

 18歳だから本当は飲んじゃいけないけど、そこは居酒屋でバイトしてる同じクラスの男子が店長を説き伏せて、まんまとお店を借りちゃったのだ。

 学校がある駅前のちょっと小路に入ったところにある隠れ家的な居酒屋は、結構料理がおいしいと評判だった。

 美味しい料理と言われたら黙っちゃいられない。


 それに、私は卒業したのが本当にうれしかった。

 先生に近づくことを一年、一年首を長くして待っている私にとって、高校卒業は大きな節目だったからだ。

 それでつい羽目を外してしまった……。


 集まったのは、私を入れて女子5人、男子5人。みんな良く遊んだ仲良しだ。

「みんな飲み物どうする?」

 リーダー格の長谷くんが、声を張り上げてみんなのオーダーをまとめる。

 私服の長谷くんは、ちょっとたれ目の甘い顔つきに良く似合ったチェックのベストを着ている。

 制服よりも似合ってる。

 よく見ると大人っぽくてちょっとかっこいい。まぁ先生ほどじゃないけどね。


「俺ビール」「生!」「カシスオレンジ~」と皆がぽんぽんお酒のオーダーを出す。


 おっと長谷くんを見てる場合じゃない。オーダーオーダー、どうしよう……。

 みんな意外に慣れてるなぁ。もしかしてお酒、飲み慣れてる?

 私も行っちゃおうっかな?

 でもメニューを見ても、どれがおいしいのか正直分からないので、横に座るけいちゃんに聞いてみよう。

「けいちゃん、どれがおいしいの?」

「えー、わたしも分かんないよ。ビールでいいじゃない」

「なんか、皆さらさらオーダーするから、飲み慣れてるかと思ってさ」

「家族で来ることあるじゃん。もちろん親の前で飲まないけどねー」

 そうか、そういえばウチって家族で居酒屋に来たことなかったなぁ。

 ファミレスばっかだったけどなんでだろう。もしかして私がガンガン食べるからお金が掛からないようにってことかも。


「おい、御子柴! ビールでいいか?」

「え、う、うん」

 考えているうちにビールになってしまった。もっと女の子らしいカラフルなのにしたかったのに。

 でもまぁいいや、こういうところ来たらまずビールが相場なんでしょ。


 頼んだ飲み物は、ちょっとも待たずに運ばれてきた。ビール、ライムサワー、グラスワイン、ピーチフィズ、カシス、コーラ?これはひなちゃんだな。ひなちゃんは物静かだけど何故か無類の炭酸マニアなのだ。イメージはお抹茶を立ててそうなんだけどね。


「じゃ、俺達の卒業を祝って……かんぱ~い」

「かんぱーい! いえーー」

 ビールのジョッキに口をつけて、パパが飲むみたいにゴクッっといく。

 初めて飲むお酒。


 あぅ! 思ったよか苦っ。けど後味が……これは美味しいかもっ。


 私は一口でお酒が好きになった。

 だがこれがイケなかった。今思うと。

 飲んだことがないから、飲んだら自分がどうなるのか、自分がどのくらい飲めるのかなんて全然知らなかったのだ。

 そもそもウチは両親ともそんなに飲む家じゃないから、お酒で大変な事になる姿を見たことがなかったし。


「だれか、食べ物頼んでよ」

「御子柴、おまえ旨いモノ知ってそうだから、お前が決めてどんどん頼めよ」

「ちょっと、なにそれ! なんか私、食いしん坊みたいなんだけど」

「いや実際、食ってるだろ」

「梓ーよろしくー」

 浜崎くんが失礼なこと言う。このハマケンめ! 女の子を捕まえて失礼じゃない。

 だいたい私はこの三年間、極力大食いを封じて生きてきたのだ。少なくとも友達の前では。

 その努力にもかかわらず、学校中に「あいつは信じられないくらい食う」という噂が知れ渡っているのはなぜ?

 ……うわさじゃないけど。

 だれが吹聴したのか、とっ捕まえて毎日10本ずつ前髪を抜く刑に処したい。


「わかったわよ。えーと」

「じゃ、チョレギサラダ10個と、チジミ10個と……」

「ちょっとたんま! たんま! おまえ人数みろよ!」

「え?」

 全員がアワアワしてる。

「頼み過ぎだって」

「ん?」

「梓、一人1皿ずつ食べるって計算してるでしょ]

「やっぱ御子柴だわ。おまえズレてるって食う量の感覚が」

 え、えー、えー!!

 こういう店に来たことないから、料理の大きさが分からなかっただけなのに。

 量が分からなかっただけなのに。

 大食いキャラにさせられている。

 ひどい!!

 ……大食いは合ってるけど。

 でもひどい!!

「ち、ちがうよ! 量が、一皿の量が分からなかっただけだよ!」

「いいって、べつに言い訳しなくても」

「うん、みんな梓の事、知ってるからさ」

 なーーー!! ちかちゃん! 誤解だよ! 言い訳じゃないよ! ちがうんだよ! わたしを信じてよ!

 まってくれー! みんなの顔には「御子柴だからしょうがない」って書いてるよ。明らかに。

「御子柴さん、ウチの4人で一皿くらいの量だから、それに合わせればいいよ」

 ここでバイトしてる遠山くんが親切に教えてくれる。

 地獄に仏。遠山くんは私を信じてくれるのね。

「ありがとう」

 信頼がこれほど感動を呼ぶなんて。涙でメニューが見れませんよう。


「じゃ気をとりなおして、チョレギサラダ2つと、チジミ2つと、肉豆腐3つと、あ、お刺身おいしいかもね。この盛り合わせ2つと、焼き鳥の盛り合わせ3つと、揚げ物はねー、カツがあるよ。カツを3つね。それと揚げ豆腐とアジフライも3つ、でもお豆腐が被っちゃうかな。てんぷらも3つね。それとご飯も食べちゃう? その前に焼きうどんだ! それとフライドポテトと3つずつでいい? あ、オクラだよ。オクラも頼もうよ。焼き魚もあるよ。ホッケ3つね。それとサイコロ」

「梓ー、すとーっぷ」

 ことねの声に、メニューから顔を上げると、みんな私を注目している。

 うん?

「御子柴さん、ちょっと多いと思うよ」

 またも遠山くんが、困った顔で私を見ている。

 イヤな汗が出てきた。また間違った私。多かった?

「梓、いま何品頼んだか覚えてる?」

 ちかちゃんが両手で頬杖を付きながら悪戯な笑顔で私をみてる。

「え、10品くらいじゃない……かな」

「そう、もう10品だよ」

「……多かった?」

「十分」

 全員が大きくうなずいている。

 ダメだ。認めざるを得ない。おっしゃる通り、私の食べる量の感覚は完全にズレてる。

 私はみなさんとは違う生き物なんだ。きっと。

 大人しく敗北を認めよう。


「すみません。じゃここでストップで」

 情けない声で敗北宣言をすると、「梓は面白いよなぁ」とけいちゃんが、心底そう思うと言わんばかりに皆に投げかける。

 人を面白い扱いするな。こっちは何時だって大真面目だ。

「まじめで抜けてるのがいいよね。狙ってるヤツってウザイけど。梓はリアル天然だからさ。食べ物のときだけ」

 リアル天然? 食べ物の時だけ? みんな今までそう思ってたの?

 私は山岡士郎じゃない。

 ついでも父は海原雄山じゃない!

 でも品物が来ると、10品多いと言いいいながら、みんな結構食べるではないか。

 ほらごらんなさい。楽しいときは一杯たべちゃうんだよ。

 私は食べ物には常に真剣なのだ。それを見抜いて10品目を頼んだことを是非ほめて欲しい。


 なんて事も普段は言わない私だがお酒が入ったせいか、つい饒舌になりネタにしちゃう。みんなも普段以上にハイテンションでどんどん暴露話で盛り上がっちゃった。

 実は、ことねがハラショーこと原田翔太のことが好きだったとか。

 長谷くんが、『狩野は実は俺に惚れてたんだぜ』なんて今さら中二発言とか。

 渋ちん先生は、加齢臭がするのにキャラ弁を持ってくることとか。


 時間のたつのも忘れるほど楽しくて大笑い。ついついお酒が進んでしまった。

 そこで気づけばよかった。今なら医学の知識があるからわかるけど、私はアルコールを分解するのが遅い体質らしい。

 飲むと記憶がなくなっちゃうタイプだったんだ。

 店に入ったのが6時だったんだけど、私が覚えているのは7時過ぎまで。

 その次の記憶は、自分の部屋の天井の模様。


 この間に何があったのか・・・。


 ココから先のことは、ことねやけいちゃんや遠山くんに聞いた驚愕の事実。

「話してもいいけど、ショックを受けても僕は知らないからね」といった遠山くんの躊躇う顔が今でも目に焼き付いている。


 ・・・・


「ビールもう一杯!」

「おい御子柴、飲みすぎじゃねーの」

「らいじょうぶ! 全然まだ食べれるよ」

「いや、食い物の話じゃねーし」

「なんにもひんぱいはいりません!」

「梓って、飲むとこうなるんだね」

「初めて飲んだらしいから」

 店に入って1時間後には、もう呂律が回らなくなっていたようだが、私はすっかり気持ちが大きくなってしまい日頃我慢していた大食いのタガが外れてしまったらしいのだ。


「おーらーはいりまーす。えーっとね、メニューを頭から全部!」

「ちょっと待てよ! 御子柴!」

「店長! いまのオーダーは取消で、この子随分酔っぱらってるみたいで」

「酔ってらい! それは私が食べるんなの!」

「食わねーだろ!」

「お腹すいてるの!」

 お腹が空いてると駄々をこねて怒りまくっていたとのこと。なぜ怒る私。


「もう結構くったろ」

「足りないの!!」

「もう手が付けられないわね」

「割り勘はヤダかんな」

「私が払う!! れんぶ払います」

 もうしょうがないということで、途中オーダー取消ありというバイト青年、遠山くんの特権で私に食わせることになったそうだ。

 すみません。


 料理がじゃんじゃか出てくる。

 どうやら私はそれを、脇目も振らず食べたらしい。

 その集中力に皆さん目が点になっていたそうだ。恥ずかしい。

 その姿をことねが写真に納めてたが、拝み倒して消してもらった。

 写真に映っていた私は、まるで血肉を喰らうグールか、仕留めた獲物を貪り食うサバンナのハイエナかとおぼしき姿だったので。


「あいつ、なんか大きくなってね」

 正面に座る日野くんが指摘して全員が私に注目しても、それにもめげず食べ続けていたそうだ。なんて神経の図太いことで。

「なんか背中が大きくなった気がするよね」

 一度この景色を見たことのある、ことねとけいちゃんが、「梓はこんなもんじゃないよ」と、ちかちゃん達を煽ったそうだ。

 それに私が反応したらしく、みんなも食えと強制しだしたそうで。

 なに? アルハラじゃなくて、食ハラ? ご飯の無理強いってほとんど拷問じゃない。

「みんらも食べなよ」

「いや見てるだけで満腹だ」

「んだよ、長谷! 食え!」

「うわ、絡んできた」

 もう手が付けられない。

「やめろ開いてない口にスプーンを押し付けるな!」

「長谷くん、食べてあげなよ。じゃないと服が汚れちゃうよ」

「あーもう、しゃーねーな!」

 かわいそうに長谷くんは、いやいや私の差し出すご飯を食べたそうだ。

 でも、そのスプーンは私が使ってたものだから、松倉くんとは間接キス。しかも食べさせた後にまた自分が使って食べるという……。

 何やってるんですか! 私! 先生というものがありながら。愕然。


 周りが間接キスだと囃し立てても、お構いなしでまた長谷くんに食べさせる。

 長谷くん、無限拷問に突き合わせてごめんなさい。

 さらに嫌がる男子連中にも飯を食わせ続け、それに飽きたかと思うと、いきなり「店長、イベリコ豚ひとつ」と注文したそうだ。


「まだ食う気かよ」

「でも、一つでよかったね」

 と安心する周囲を尻目に、やってきた一皿をペロリと食べると、また「店長、イベリコ豚!」と注文。

「え、また」

「こいつ、どんだけイベリコ好きなんだよ!」

 それを延々と繰り返したそうだ。

 遠山くんが後日見せてくれたレシートには「イベリコ」の片仮名が8個も並んでた。もうはずかしくて見てられなかった。


 でもそれより、9人もこれには参ったという恥ずかしいことがあったらしい。

 それは服のこと。

 というのも、制服で居酒屋はマズイだろうってことで、みんな一度帰って着替えてたのだが、私だけ遠くから通学してたから制服の上着だけ脱いで、かわりにカーデを着てごまかしてたのだ。

 だが、さすがにそれだけ食べると、お腹も凄まじかったらしく……。


 その形跡が翌日に残ってた。

 朝起きたらシャツのお腹のボタンがない。2個もない。どこに行ったんだろうと思ってたら、お腹の大きさに耐えられずボタンが飛んだらしいのだ。

 その瞬間を想像するだけで死にたくなる。

 私の事だ、きっとボタンが飛んだのを見て大笑いしたに違いない。ぎゃーーー!


 ということは、私はオールオブ店のお客さんに自分の膨らむにいいだけ膨らんだパンパンの腹を見せながら、大食いしてたということになる。

 確かにこれは9人も参ったと言うだろう。

 それをけいちゃんに聞かされた時は、立ってらないほどの眩暈を覚えた。


「御子柴さん、覚えてる?」

 遠山くんの聖人のような声がする。

「全く、全然」

「そう、それはよかった」

 さらさらヘアーを揺らしてにっこりほほ笑む遠山くん。

 よくない! 全然よくない! いいわけない!!

「言っていいか分からないけど、スカートが苦しいっていって、チャック全開に開けててお腹出しながら食べたよ」

 ことねが耳元でささやく。

「パンツ見えてた」

 うそ……ありえない。

 もう醜態を通り越して伝説級だ。


 さらに醜態は続く。

 散々食べた挙句、食べ過ぎて動けないと言い始めたそうで、そしてここに泊まると。

 我が事ながら絶句だ。

 ことね、けいちゃん、そんな哀れな人をみる目をしないで! お願いだから。

 流石にここに至り、ことねが見かねて私のママに迎えに来てくれるよう電話をしてくれたらしい。

 ママは車で迎えにきてくれたけど、私は酔っぱらってるうえ、食べ過ぎて立てないので、みんなが肩を抱えて私を立たせて車にのせてくれたそうだ。

 その間、ひなちゃんが私のスカートを手で押さえてくれて、やっと店から出ることができた。

 最後に捨て台詞にように、「みんらワリカンでっ」とまで言ったらしい。

 全員、ドン引きしたという。

 お代はママが払ったそうだ。カードで10万円以上も。

 そりゃ、高校生に払える訳ないよね。

 11時過ぎに店を出た時には、全員へとへとだったそうだ。

 男子は食べ過ぎて気持ち悪いと。

 ずっと食べさせてごめん。


 いったいどんだけ飲んだらそうなるのかと思うだろうけど、飲んだのはビールジョッキで3、4杯くらいだったと思う。

 そう、私はお酒に弱かったのだ。


 ・・・・


 目覚めると、ここはおウチ。あれお店に行って……それからどうしたんだろう。

 ベッドに寝てるが着ているのは制服だ。

 なんで?

 起き上がろうとすると、「うっお腹が重い」

 どれだけ食べたか記憶にないが、気持ちが大きくなってたから随分食べたに違いない。洋梨みたいに膨らんだお腹。

 なんか後頭部がズキズキ痛い、眩暈もしてクラクラする。そして自分の息がお酒臭い。


 その頭をさすりながら居間の扉を開けるとママがお台所に立っていた。

「梓、起きた」

「うん」

「はぁー」

 なにその溜息。ちょっと何があったの? そして私のこのお腹の意味はなに!?

「覚えてる? 昨日の事」

「……ごめんなさい。卒業打ち上げで皆でお酒飲んじゃった。未成年なのに」

「それはいいのよ。その後よ」

 えっ、いいのか。それすらいいって、その後、一体どんな事が。

「……覚えてない」

「友達に聞いておきなさい。ちゃんと謝るのよ。私が知ってるのは、シャツが破れるほど大食いしたあなたをお友達が介抱してたところよ」

 そういって、わたしのお腹を指さす。

 服が破れるほど……

 『やってしまった。やっちまったのか!』

 脇から冷たいものが流れ落ちた。


 その後、友達に聞いたのが大食いに留まらない黒歴史の数々だった。


「ところでママ、後頭部が痛いんだけど、これが二日酔いってヤツ?」

「それは、私があんたの頭をスリッパで引っぱたいたからよっ!」

 ……それは、さぞかしいい音がしたでしょう。

 私のアタマは。

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