4-2
任期を終え日本に戻った長谷さんから『次いくわ~』とボクシンググローブを突き上げたキャラのスタンプ付きでLINEがきた。元気になったらしい。
長谷さんと入れ替わりになったのは同い年の
「あわよくば一流企業のエリートゲットですよ! こっちのキャリアなんてもううんざり。数が少ない今がチャンス!」
なにを聞いてきたんだ。
まあこんなノリでももちろんここに派遣されたからには優秀さは保証済だ。あたしもそつなくこなせるタイプだからここにいるんだろう。専門職じゃない代わりにマルチタスクを処理する能力が求められる。なあのことはあんなにうまくやれなかったのに、脳の使う場所が違うんだろうか。
1年半ぶりの新しい女の子にお誘いは多い。民間エリート! と叫んでいた割には同業合コンにもがっつり出向いている。うん。
「実里さんも来ればいいのに」
「合コンはいいや。懇親会系は出るから声かけて」
「そんなに違いないじゃん?」
「目的が明らかな会と秘められた会なら建前が違うじゃん。それか聞かれたら、彼氏いるみたいですよって言っておいて」
「いるの?」
「……いない」
怪訝な顔の曙さんに苦笑する。
「飛ばしすぎて、軽く見られないようにね。なんだかんだ言ってもどっちもプライド高いから、遊び要員にされないように」
「わかってまぁす。行ってくるねー」
明るくて機転が利いてかわいらしい。がんばれ曙さん。
コンベンションの案内で海沿いのホテルにバスをつける。入場手続きを手伝い、会が始まるまではバタバタと裏方で走り回って、やっと休憩に入ったのは昼もとっくに過ぎた午後半ばだ。
買っておいたサンドウィッチの袋を掴んで浜辺に出ると、今日もなにか撮影していた。
首相はメディアに強い。積極的に映画やドラマ撮影、雑誌のグラビアを誘致している。治国は準独裁国家と揶揄されながらも、開けた外交はこの国の強みだ。八方美人とも言われてるけど、国土を考えれば外貨を稼ぐ努力は当然だろう。
「あっ、まお!」
聞き覚えのある声に反射的に振り向くと、顔を確認するより早く華奢な腕に包まれた。竦み上がる。ひやっとした汗が吹き出た。
「なあ?」
掠れ気味に問いかけると、なあは腕を緩め、かがやいて「まおがいる」と呟いた。
「ここがシンガポールだったのか。まおがいて、驚いた」
撮影があるからと慌ただしく戻っていったなあだったけど、あたしの業務終わりをホテルのロビーで待ち構えていた。
「本当に、久しぶりだね」
「そうだね……」
なあは拍子抜けするくらい笑顔で、日本を発つ時の悲壮さは一切無かった。むしろあたしが居心地悪い。あたしもいっぱいいっぱいだったとはいえ、むっつも下の酷い生い立ちの男の子を置き去りにしたのだ。恨まれていたっておかしくない。なんでこの子はこんなに朗らかなんだろう。莫迦だから?
「このコーヒー美味しいねえ。シンガポールってごはんおいしいの?」
「えーと、ここはどっちかっていうと海外向けのイギリステイストだと思う。でもおいしいよ。あたしのごはんは
「屋台? へえー」
「ていうかね、日本食食べたくても作れないんだよ、食材高くて。じゃあこっちのごはん手作りするかーっていうと、あんまりそういう気分にはならないし。外食が充実してるの。安くておいしいならそれでいいじゃない?」
「そうかー。じゃあ今日はまおのごはんは食べられないのか。久々だから食べたかったな」
んん?
「今日、まおの部屋へ行っていい?」
「な、んで」
噛んだ。
「ホテルはあるけど1人部屋だし、どうせどっか行かなきゃいけないなら寝れるまおんち行かせて」
顔が強張るのがわかる。なあにも見えてるのだろう、今まで見たことのない表情でなあが続ける。
「俺さ、まお以外はさ、もともとセックスしたい欲別にないよ。だけど1人で寝るの、まだダメなんだ。まお、一緒にいて欲しい。絶対なにもしないから。俺がまおに何をしたのか、もうわかってる」
わかってるんだね。否定したあの言葉を、行為を、なんと定義するかわかってて言うんだね。
なあの表情は理解の色だ。その瞳に浮かぶのは悔いなのか、憐憫なのか、どうしてあたしが憐れまれなきゃならないの。
―――だめだ。怒りより先に、震える。こわい。
「だって、じゃあ、今はどうしてるの。ぜんぜん寝ないでいられる人間なんていないでしょ」
「まおがいなくなったばっかりの頃は、事務所で昼間寝てた。だけど半月過ぎたら遂に社長が肌に悪いからちゃんと寝ろって怒って。新婚なのに、上杉さんが寝床を提供してくれたんだ」
くすりと、笑み零す。
「そのあとすぐ、子供が生まれて、最初は夜泣きで困った上杉さんが俺の部屋に来てたんだけど、奥さんがキレちゃって。『あたしもゆっくり寝たい!』って。それからはたまに、上杉さんが子供見て奥さんがうちに来て昼寝するようになって、ついでに俺も寝てる」
くすくすと語るなあが信じられない。
「子育て中の女の人って、大変だなあって。母さんも時々ぐったりしてたなあって思い出した。うちはばあちゃんが春菜やふうを見てくれたし、誰かが必ず家にいたもんね。たったひとりで子供と向き合うのって、しんどいんだな」
なんて普通なことを言ってるんだろう。状況を想像するととてもおかしな光景なのに、なあを心配してかわいがってくれて奥さんとふたりきりになっても心配しない先輩と、なあを信じてる奥さん。あたたかくて和やかな交流。
あたしとなあが失った、家族の風景。
―――ずるい。
あたしは今でもこんななのに。なあだけ先に進んで。
ああ、理不尽だな。なあが努力したことだ。羨ましいなんて、そんな。
なあが克服しようとしてることは、あたしが無視した話だ。諦めたものだ。
なあががんばってるといいなって願っていたはずなのに、それを目の当たりにしたあたしの惨めさが心をささくれさせる。
―――こんななあの睡眠のために、どうしてあたしがつきあわなきゃならないの―――
それでも、いまのなあは置き去りにしたなあとは違ってた。あたしの目を見て、あたしの話を聞いている。なんだか落ち着いて、しっかりとあたしを見ていた。
―――ダメだ。あたしはこのこをもう置いていけない。僻んで憎んでしまいたいのに―――
なあの成長を信じたい。
信じたいと思うあたしがとことんバカなんだろう。
部屋に入れてしまえば、なあが豹変したって止められない。2年前のことを詰られてまた同じ目に遭ったって、自業自得だ。
即答できずに、目を伏せる。なおの視線が注がれてるのを感じる。
「いいよ」
―――あたしはバカだ。
いないといいなと思った曙さんは在宅してて、なあをつれてきたあたしにものすごい顔をした。キッチンの奥にひっぱられる。
「なに、実はホントに彼氏いたんじゃん!? え、年下、年下なの!? いや、めでたいんだけどここ一応男子禁制だよね、イヤ、あたしが黙ってればいいんだけどさ、やっばい、すごい言いふらしたい、え、こっちの人? ローカルの顔でもないけど」
なんでそんなにわくわくしてるの……。
「曙さん落ち着いて、あれ甥っ子。たまたまこっちで鉢合わせただけなんだよ」
「甥っ子? 日本人なの?」
「そう、クォーターだからあんな色だけど」
「たまたまって、観光で?」
「仕事みたい。えーと、とにかくそういうんじゃないんで曙さん直接話す? モデルの端っこに」
「ねえ君、名前なんて? 私は実里さんの同僚で曙
曙さん早い。玄関で放り出されたなあの腕を取ってダイニングテーブルへ誘う。
「あ、俺、僕は
……はあ。
なあのまともな挨拶にビックリする。こんなそつのない応対ができるなんて知らなかった。あ、でも一応店ではも少し砕けてるけど接客してたか。
「いーえー、こちらこそ、実里さんにはいつも助けられてますから。それにしてもこんなステキな甥子さんがいるなんて教えてくれなかったんですけど。モデルされてるんですか?」
「はい。こちらには撮影できたのですが、たまたまビーチで舞生とばったり会って驚きました」
にこにことテーブルで会話する2人に菊花茶を出す。お酒を出すのは迷った。曙さんが出してきたらちょっとつき合おう。
「夏生くんは実里さんのこと名前で呼ぶのね。同じ実里さんだもんね。いくつ離れてるの」
「むっつですね。8歳のとき、母が父と結婚して父の生家に入って、舞生はまだ14歳でした。お互いまだ子供だったので甥というより姉弟みたいに育ちました」
胃が痛い。内臓が重い。
―――その言葉がなあから出たことに動揺する。
姉弟。
本当に、そうだったらよかったのにと何度も心で叫んだ。お兄ちゃんとあたしみたいに。
「そうなの、じゃあ実里さんぜんぜん日本に戻らないから久しぶりなんじゃない?」
「はい、本当に久しぶりなので、ホテルはとってあるんですけど舞生の家に押し掛けてきました。ご迷惑じゃないといいんですけど」
「そういうことなら、ホントは禁止なんだけど、泊まってくといいよ。ここは共有エリアね。あっちは私の部屋。私はちょっと出ちゃうんだけど入らないでね。実里さん、簡易ベット倉庫に置きっぱだったよね、確か。実里さん。実里さん?」
「は?」
「実里さん? どうしたの? 夏生くん用のベッド、倉庫から出してこようかって話。あったよね?」
「え? あ、うん、あるはず」
「ちょっと顔色悪い?」
「え、ん、別に大丈夫。ちょっと疲れたかも? 昼が遅くて」
「あー、まったくこっちは小間使いじゃないのに。じゃああたしちょっと出してくるわ」
「あ、ありがとう」
曙さんが自分の部屋に戻る背中をぼんやり見ていた。
「楽しいひとだね」
なあが笑いを含んでささやく。
「なあ、あんまりへんなこと言わないで」
「本当のことなら言っていいの」
「ああ……駄目だ」
「だよね」
なにが楽しいのか、くすくすと肩を揺らす。
「まおがいる世界だね。同僚の人がいて、忙しくてごはんが食べられなかったりするんだ」
「そうだよ」
「曙さん? もっといろいろ聞きたいな。帰ったらじいちゃんたちに教えてあげなくちゃ」
「なんかすごいビミョーだからやめて……」
先程までの重い緊張はほんの少し解けた。こんな会話をなあとする日がくるとは。こんなに早く。
ベッドが見つかった曙さんに呼ばれてキャスター付きのそれをあたしの部屋に運び込む。「じゃあ帰り遅いけど、いつものように気にしないで。夏生くんゆっくりしてってね」と言い残して出かけていった彼女をふたりで見送った。
あたしの部屋のシャワールームになあを案内して、ベッドメイクに勤しむ。人が来る前提がなかったのでシーツと上掛けはともかく枕がない。しかたなくクッションを用意する。普段は広いベッドルームだが、さすがに狭く感じる。サイドボードを挟んだベッドに胸が苦しい。リビングに戻るとちょうどなあも戻ってきたところだった。交代でシャワーを浴びたあたしが見たのは、隙間のなくなったふたつのベッドだった。
「……なにこれ」
「手がつなぎたい」
「はあ」
「俺が先に寝ちゃったら、離していいから。まおを見てたいんだ」
「なんにもしないって」
「こんなんなんかするに入らないだろ」
「はあ」
時差のせいか眠そうななあはそのままベッドに腰掛けて、あたしも隣に入るよう急かした。
「そうだ、明日何時なの」
「ああ、けっこう早い……。目覚ましかけてるから、まおより早かったらごめんね」
時間を聞いたのになんだこの返事。もう一度確認しようとして、なあに引っ張られた。
「ごめん、もう眠い……手、つないで」
「…………」
右手を掴まれたまま、どうにか左手だけで上掛けを身体の下から掛け直す。ぼんやりした顔でこちらを眺めていたなあがあたしの右手を頬に当てる。そのまま寝てしまった。早。けっこうしっかり掴まれた手は簡単には外れず、しばらくそのまま寝顔を眺めていた。相変わらずきれいな顔だ。昔から女顔ではなかったけど、細面に伏せたまつげが影を落として、暗い部屋ではモノトーンだけれど本来は濃い茶色をしているはずだ。その奥の灰色の瞳は年齢を重ねて20代に入った頃には色が濃くなり、虹彩がコントラストを際だたせていた。
こんなきれいなこに好かれて。
でも、それでも。
結果。
本当に一晩、なあは手出ししてこなかった。警戒して眠りの浅かったあたしは欠伸が止まらないけれど、なあはスッキリした顔で穏やかに朝のあいさつをしてきた。
「社長がいいって言ったら、帰るまでここに泊まりたいな。いい?」
「それ、何泊?」
「あと3日だったような……」
「スケジュールくらい自分で把握してなさい。まあ曙さんも大丈夫だと思うけどね……」
「うん」
怒られたのになぜかなあは嬉しそうだ。
バスの乗り方を教えてホテルに戻るなあを見送ってから、いつものようにホーカーでランチを仕入れて仕事に向かった。眠い。
社長の許可がおりたと言う。正しくはあと2泊だった。しかも最終夜は打ち上げがあるのであたしの家には昨日と今日だけの話だった。安堵する。
曙さんも今日は夜を空けないようで、軽いアルコールでなあと話を弾ませていた。曙さんからは職場のあたしの話、なあからは広告モデルの業界話。それでも明日も早いなあの為に早々に切り上げてもらう。というか、曙さんのネタがいたたまれないので。
あたしの部屋に引っ込んだなあは、シャワーの勧めを断ってソファーに掛け、訊ねてきた。
「まお、日本にはいつ戻るの」
「あと半年はこっち。その先は上次第」
任期は3年だ。できれば延長を願い出るつもりだった。折衝仕事は結構楽しい。でも戻らされる確率はほぼ確定。公務員は癒着防止のために定住しないのだ。
「帰ってきたら、俺と暮らさない?」
「…………はあ?」
「他に暮らす人、いないよね? ひとりなら、俺といてよ。部屋が別でいいから。家事とか別々でいいから。シェアみたいなのでさ」
「はあ」
驚き過ぎて、相槌しかでてこない。
なあは本当に突拍子ない。
「なあはそんなに寂しいの?」
虚を突かれたって、こんな顔だろうか。一瞬で表情が抜け落ちて、緩やかに笑みが戻ってくる。
「寂しいのかな、俺」
「どうだろう……?」
「まおと暮らしたいのは違うよ。でもそうだな、うん、寂しいな。まおが欲しかったら、俺は我慢するべきだったんだ。大学を卒業して戻ってくるまおを待って、地元で結婚してちょこちょこ実家に顔出すまおを迎えればよかったんだ。―――こんな、距離を置かれて、笑わないまおにしちゃって。俺、わからなかったんだ。自分のなにがおかしいのか。だって、かわいそうだろ。『あの頃』自分がかわいそうだなんて、知らなかったんだ」
みんなを魅了する、天使のような微笑みで、なあは述懐する。
「今更母さんを弾劾できないしさ。そんな母親の過去、春菜たちがかわいそうだ。でも俺は? 春菜を見てたら、俺と違うって、わかるよ。愛されるって、祝福されるってああいうことだろ? まおはさ、春菜じゃなくて俺のことを優先してくれたろ。俺がかわいそうな子供じゃないために、辻褄合わせて済ませるために、まおは俺のものでなくちゃいけなかった。まおの一番。そうでなきゃ、世の中が、おかしいよな」
きっとそう感じてたんだろな、無意識に。消え入りそうな言葉がなあの口から零れる。
「俺を抱き枕替わりにした店の人や人形遊びしたお客さんは、今頃どうしてるんだろう。俺はあんな目にあって、それでもひとりじゃいやなんだ。『ひとりじゃ寂しくて寂しくてつらくて誰かと一緒に眠りたい人』の道具になって、《寂しい病》を
まおは、俺としたくないんでしょ。ちょうどいいんだ。まおさえ嫌じゃなければ」
「……なあさあ、ふざけたこと言ってるってわかってるよね」
「うん。まおに償いたいなら、こうじゃないよね」
「うわ、ホントにわかってるんだ……わかってて言ってんのね」
「そうだよ。俺は今でも、まおが欲しい。一緒にいたいんだ」
「…………」
だめだ、不憫過ぎる。この思考回路の捻れもその身に降りかかった現象も。なあが可哀想だったら赦せるか? 赦せるかバカ。
赦せない、絶対。
あたしは、あたしの痛みは。
―――ああ。
「結花さんにぶちまけたい……」
のうのうとしあわせにひたるあのひとに、あたし達の苦悩を移したい。床にへたり込んで膝を抱えると制止が入った。
「駄目だ。春菜と風紅が傷つく」
「同じこと思って、諦めたよ……」
結花さんがあたしのところへ来たことをなあは知らないだろう。なあはむしろ、あたしとなあの味方だと思ってる筈だ。
「春菜は特にもういろいろ気づいてるんだ。―――あのさ、まおは知らないだろうけど、
「……え、はあっ!? 結花さんが!?」
「そう。家族を置いて突然消えて。ばあちゃん達はオロオロしてたけど、父さんはうすうす感づいてたみたい。1週間後に『迎えに行く』って車で出かけて、明け方帰ってきた。母さんさ、笑ってたよ。『やっぱり家が一番かな』なんて言ってさ。あんまりじいちゃんが真っ赤になっちゃって倒れるかと思った。俺も3日目には知らされてとにかく下2人のために戻ってくれって頼まれて。ふうはよくわからないのかわかりたくないのか、ただ母さんがいないことに不安で泣いてたけど、春菜は何が起きたかわかってた。あいつももう中学生だもんな。俺と違って利発な子だし。俺は系統違うけど、春菜もふうも母さん似で『美人さんになるわね』ってお客さんから褒められて満更でもなかったのに、自分の顔に悩んじゃってるんだ」
「春菜が……」
「あんな母さんの血を引いてるんだってこと、あらためて認識したみたい」
「やめて。春菜も風紅もウチの子だよ。お兄ちゃんの血を引いてるんだから、そんなことならない」
「だといいな。父さんは、いいひとだよ。俺も父さんの子に生まれたかった」
―――違う。
「違う! 違うよ、なあは、あたしが育てたんだから! あたしが一緒にご飯して、一緒に勉強して、一緒に寝たんだから!!」
なんだろう、
溢れた。
だめだ、このこが好きだ。大好きで、大事。
大事な、―――家族。
「なんで泣いちゃうかな。俺、すごく嬉しいよ。まおはね、俺の、初めて『引き換えじゃないセックス』した人なんだ。寝場所のため、お金のためじゃなくて、したくてした。俺ね、俺のこと好きで、なんにも交換じゃなく一緒に寝てくれる人、初めてだったんだ。そんなん、好きになるだろ」
嗚咽が止められないまま、あたしは唇を噛む。耳に届く、なあの声。そんなの、だからって、赦せない。なのに。
―――ひとりで眠れなくて、たまたまもう寝ていたまおの布団に潜り込んだ。順番は逆になったけれど、眠りの代わりにいつもの奉仕をしようとしたら、くすぐったいと笑われて封じられてくすぐり返されて笑いこけて、それだけ。学校だよと追い出された。
「結局他の人にはさ、俺が引換券を出してたんだよね。まおにだって。でもまおは知らなかったから受け取らなかったろ。それにびっくりした」
注意深く見ていると、新しい家族はみな自分になにも求めなかった。すごく楽だった。手を伸ばすとそこに誰かいて、でも何もされない。安心して眠れた。母さんも笑ってた。春菜はかわいいけどちょっと妬ましくて、でもまおは一番だと言ってくれた。
まおは離しちゃいけない。
なんにもしなくても一緒に寝てくれるひと。ぜんぶ安心なひと。
だけど、まおが他の人と眠る姿を想像した時に、怒りに似た嫌悪感が走った。
義務じゃないセックスは気持ちがよくて、普段は見られないまおの表情にぞくぞくして。
まおといれば大丈夫。勉強は面倒だけれど、まおに従っていればどうにかなる。
「それが丸投げだって気づかなかった―――。やっぱりごめん。俺バカだから、むっつしか離れてないって事がよくわかってなかったんだ。まおだってまだ大人じゃなかったのにな」
聞いていられない。でも耳はふさげなかった。膝を抱えるあたしのそばへなあが寄ってくるのが気配でわかる。大きな手が俯くあたしの髪に触れる。
「抱き締めていい?」
「ビーチでもうされたよ」
「そういやそうだ。いい?」
「―――うん」
ビーチでは華奢だと思ったけれど、しっかりと巻き付く腕はずっと力強くて、掌は大きく開いて存在あたしを確かめるように動き、満足げな溜め息が耳許に落ちた。
そういえば、あたしもこんな人肌、久しぶりだ。
軽いハグはあれど、恋愛前提でなければ誰かと抱き合うなんて普通はしない。なあの背中を軽く撫でると、うれしそうな空気が漂った。
このこ、なんであんな目に遭って、まだあたしのことが好きなのか。
あたしはなんで、泣き続けてるのか。
捨てられない、置いていけない。このこだけは。このこの一番欲しいものはあげられないのに。理屈で恋ができるなら、薬剤であたしの心が染まるなら、なあはあたしを全部手に入れられるのに。でもそんな風に変えられるなんて許せない。
親愛と拒絶。
あたしには恋愛機能がない。
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