第4章 ③

 ライラ・アプリコットは公園を陣取っていた。中央に立つ彼女をとり囲むように十数人の魔術師がいる。その中の一人、ロベルトが一歩前に進んだ。

「指輪を渡して貰おうか? それとも、他の二人が持っているのか?」

「さあ、どうだろうねー?」

 少女は杖を翳し、早口に唱える。

「呼応せよ――」

「撃て。魔術を使わせるな!」

 男の怒声に呼応し、敵が一斉に術具を構える。呪文無し、あるいは極端に短い呪文。ここに集まったのは、対ライラ用の魔術師達だ。

 色鮮やかな魔弾が四方八方よりライラの命を消し去ろうとする。

 しかし、彼らはまだ、アプリコット家次期頭首の実力を読み違えていた。ライラがその場でくるりと回る。それだけで、純白の光が彼女を覆った。

「火炎の猛獣」

 それは二つの魔術を平行して作動させる高等技術。歌いながら数式を解くようものだ。一流の魔術師が極限の鍛錬の先に掴むことの許される力である。ロベルト達は驚愕するしかなかった。こちらの攻撃が防がれるというのに、ライラの杖先に灯る炎がどんどんと大きさと密度を上げていくのだから。

 そして、ついに攻撃が完成する。

「我が敵を焼き尽くす槌となれ!」

 ライラが杖を天にかかげると直径一メートルにも及ぶ特大の火炎球が鳳仙花のごとく弾けた。しかし、飛ぶのは綺麗な花を咲かせる種ではなく、神罰の代行者とも呼ぶべきか緋色の砲弾。全ての敵へ数発ずつ、猛追する。魔術の火は燃やすのではなく、純粋な質量となっていた。ロベルトが防御魔術を瞬時に発動できずに後方へ吹っ飛ぶ。まるで、二段に別けて広がる花火のように人間が少女を中心に外へ外へと放り出される。

「あれー。こんなもん? 随分とあっけないねー」

 あとはこっちのものだとばかりにライラが杖を指揮者のように振った。奏でる音楽は一方的な暴力、蹂躙の独奏曲(アリア)。属性別けされ、システム化されたアプリコットの魔術が真価を発揮する。

「呼応せよ四大の精霊よ。すなわち、我が兵となりて敵を討て。ラガセン・アリバの恩赦あれ。ルドス・タナトスの憎悪あれ。さあ、絢爛せよ! 狂乱せよ! 咆哮せよ! 主たる我、ライラ・D・アプリコットが告げる。存分に戦え!!」

 コンクリートの地面から、少女をとり囲むように四つの巨大な魔術陣が浮き上がる。遠くから魔神達の咆哮が届き、ついには現実世界へと干渉した。不可思議な記号を孕んだ円環の内から、水の竜が、風の怪鳥が、炎の猛獣が、土の巨人が顕現する。どれも身の丈が巨大な重機に匹敵する。まさに、神話の再現か。

疑似生命を与えられた四体の魔神達は敵へと殺到した。フレデリカが銃器、マリーベルが剣なら、彼女は正統派の魔術戦闘。個人にして千の兵を凌駕する。

かつて、魔女狩りの教会騎士団を凌駕した血と怨霊の歴史のように。

「く、固まれ。固まるんだ!! 残った奴らは一か所に集まれ!!」

 ロベルトが叫ぶも、もう遅い。先の炎弾で意識を留めている魔術師がいることさえ称賛に値する。だが、これ以上の奇蹟は望めない。火炎の猛獣が剛腕の一振りで紙切れのごとく人間を吹き飛ばし、土の巨人が散発的に飛んでくる魔弾からライラを守る。そして、逃げようとすれば空から風の怪鳥が、辺り一帯は水の竜が。逃げ場もなく、少女達の独壇場となる。

 そして、五分も経たずに決着がついた。ロベルト達はライラに掠り傷一つ負わせることなく全滅する。死人が出ていないのは、ひとえに彼女が手加減したからである。

「さあて、フレデリカを助けにいかないと」

 しかし、

「いいや、まだ終わりじゃないぜ」

 その声にライラは振り返り、首を傾げた。

 知らない男が立っていたからだ。

「あんた、誰?」

「六天咲和也。お前を殺したい男だよ」

 ライラは杖を強く握って身構える。先ほどの魔術師とは比べ物にならないほど、険悪な魔力を感じ取ったからだ。

「あんた、強いね」

「まあ、昔とった杵柄だけどな。これでも《応報求める黒牙》って呼ばれてたんだぜ?」

 ライラは昔の記憶を掘り起こし、戦慄した。聞いた覚えがある。極東の島国に凄腕の魔術師がいると。その戦闘スタイルから敵を必ず殺す黒い牙。《応報求める黒牙》と呼ばれていたと。

「そっか《グレペングドリア》の内戦で最も多くの敵魔術師を討ち倒した。それが」

 ライラが言い切らないうちに和也が駆ける。

「そう俺様だ!!」

 男が漆黒の剣を天に翳すと、夜闇が集約するように刃から影が染み出す。そして、和也の身体へと蛇のように纏わりついていく。瞬く間に、刃と同色の鎧とかしてしまった。

「変幻自在と謳われた影の魔術だ。ライラって言ったな。俺の技の冴え、見切れるか?」

 ――男の姿が消える。ライラが咄嗟に両腕を胸の前で交差させた。

 そして、号砲。女が大きく仰け反った。右腕に伝わる重い衝撃に顔をしかめる。

 和也は怪訝そうに刃を構え直す。

「その腕、なにが仕込まれている? 俺の一撃をくらって、腕だけでガードできるわけがねえ」

 少女が右腕に巻いていた布が男の一撃で千切れ、強く吹いた風に飛ばされてしまう。

 外気に晒されたのは生身の腕ではなかった。

 ライラの右腕には手甲が嵌められてあった。黒の布地に純銀と鋼で構成されている。肘まで覆う重厚な長手袋のようでもあった。精緻な細工が施され、芸術品としても一級品である。そして、腰のホルスターに戻した杖とは比べ物にならないぐらいの魔力を宿していた。

「これがアプリコット家秘蔵の術具だよ。名前は《煉業の神撫(デイス・ミルト)》」

 少女の自信に満ち溢れた声に、和也は影剣を中段に構えて応えた。

「おもしれえ。勝たせてもらうぜ、アプリコットの姫様よお!」

 鎧のように纏った影が和也の動きを補助する外骨格となる。砲弾と遜色ない速さで地面を滑り、男はライラの首を掻き切ろうとする。しかし、少女の首筋に触れようとした漆黒の刃を、魔神の腕が掴んだのだ。

「おいおい、魔力の刃を掴むなんて」

 和也が驚愕するのも無理はなかっただろう。影を掴むことのできる物質など本来なら存在しない。

 男の戦慄に、ライラは犬歯を見せるような笑みを返す。

「魔術師なら、これぐらいできて当然でしょ?」

 女が手甲へと魔力を注ぐ。そして、影剣へと干渉を始めた。それは、フレデリカの魔術に己の魔術を上乗せした技法の応用。今宵の場合は、協調ではなく、破壊。硝子の花瓶を地面に叩きつけたような音と共に、漆黒の刃が砕け散った。攻撃の手を失った和也へライラは迅雷の蹴りを放つ。

 男の腹部へ、ライラの左足がめり込んだ。くの字に折れた和也が後方へと吹っ飛ぶ。慣性を殺せず、そのままノーバウンドで十メートル以上宙を舞った。

「ぐ、舐めんじゃねえ!!」

 宙で体勢を整え、和也が着地した瞬間、すでにライラが距離をつめていた。

「舐めてなんかいない。完膚なきまでに叩きのめす!」

 ライラの拳、蹴りが的確に和也を狙う。当然、男だって反撃の機を狙おうと手を緩めない。まるで、ダンスをリードするかのように二人の速度が上がっていく。

 常人なら視認さえ許されない領域へ、二人は踏み込んだ。和也は漆黒の鎧が、ライラは《煉業の神撫(デイス・ミルト)》の身体強化魔術で。これこそ、手甲の本領発揮。設計のスタンスは自由になった両腕を用いた接近戦なのだ。遠距離から魔弾を撃つ古きの利点を活かしたまま、女は力技で和也へ拮抗する。

 ライラはフレデリカの戦い方を真似ている。かつての戦いで、距離を詰められ、攻撃できなかった苦い経験があるからだ。

「なあ、嬢ちゃん。あんたはこの事件の真相を聞いたんだよな。マリーベルに非が無いのは知っているんだよな! なら聞くぜ。それでも戦うっていうのか!? 冤罪で人を殺すって言うのか!」

「――うん。私は戦うよ。フレデリカを助けるために」

 マリーベルを助けられるものなら助けたい。しかし、機関が干渉する限り、ライラでは不可能だ。迷いがないのなら嘘になる。それでも、通さなければいけない。誓いがあるのだ。一緒に戦うと決めた。守ってみせると約束した。たった一人の親友だから。きっと、失えば自分の心さえ壊れてしまうから。それだけではない。彼女の笑顔が大好きだからだ。

「はっ。上等!!」

 地面を砕くほど和也が踏み込みから右拳を振り上げる。ライラは真っ向から右の拳で受け止めた。大気が鳴動し、破裂音が女の鼓膜を揺さぶる。

「強いな。こんなに胸が踊ったのは久しぶりだ!!」

「私も楽しいよ。あんたみたいな強敵を倒せると思うとね!!」

 刃と手甲が噛み合い、女性の悲鳴にも似た甲高い金属音。火花のように魔力が飛び散り、闇へ幻想的な蛍火を咲かせる。

「ぉおぉぉおおおおおおおおお!!」

 和也の咆哮が、

「はぁぁああああああああああ!!」

 ライラの絶叫が、己の意志を体現するかのようだった。黒き刃と炎獄の斧が互いを喰い合うように干渉し、ほぼ同時に消滅する。少女は距離をとって百の氷槍を撃とうとして、視界が揺れた。攻撃の手が一歩遅れ、逆に左肩を浅く裂かれる。肉を抉られる灼熱の痛みに、魔術を組み立てていた思考が乱れた。追撃される寸前で立てなおし、首へ届きかけた刃を手甲で打ち払う。間近で見た男が暗く笑う。

「そろそろ魔力切れか?」

 魔力を精製するのは精神力。人の心は無限の強さなど持ち合わせていない。ライラの戦いは明らかにオーバーペースだった。冷静さを失っているわけではない。だが、焦燥していた。速くフレデリカを助けにいかなければ、と。和也の登場はまるで予想外だったのだ。

「まさか。アプリコットの血、なめないでよね!」

 十重二十重と毒蛇の濁流となって迫る影の轟槍を、ライラは火炎の壁で防ぎ、和也の頭上へ眩い星の光を凝縮したかのような杭を十数本まとめて降らせる。男は瞬時に回避し、地面が蜂の巣の如く穴を開けた。その結果に、少女は苛立ちを隠せない。《煉業の神撫(デイス・ミルト)》は幾つかの術具を複合させた嘘偽りない銘具だが、魔術が大味になってしまう傾向がある。対集団ならそれでも十分だが、小賢しい敵一人には相性が悪い。かといって杖に替えれば殺意の万華鏡ともいうべき影の攻撃に対処しきれない。

「なめるかよ。お前を過小評価できるほど、俺は魔術を甘く見てねえ」

 和也が左右の手に影の短剣を生み出し、高速の連撃を紡ぐ。一撃を重視した攻撃ではなく、数の暴力に頼った――今のライラが最も嫌う戦法だ。少女は簡易の障壁を張り、距離をおこうとする。しかし、

「おおお!」

 男が短い呼気に重ねて、双剣を同時に叩きつける攻撃に水晶の如く透明な盾が砕ける。それは少女のミス。ライラは痛みで術式の制御を乱し、盾の強度を維持できなかったのだ。和也は好機とばかりに肉薄する。右腕の剣を解き、ボクサーのグローブのように形成し直す。そのまま腕を鋭く引き、打つ。

 ライラは咄嗟に《煉業の神撫(デイス・ミルト)》で防御しようとするも、肩を抉るように走った痛みに動きが遅れる。ろくに力が入らず、轟音と共に後方へ吹き飛んだ。ノーバウンドで十メートル以上も宙に浮き、地面に激突。何度も転がってようやく勢いがとまった。天地の感覚を失い、朦朧とした少女は口から血の塊を吐き出す。遅れて身体中に駆け抜ける激痛に悶え苦しんだ。意識が確実に一瞬とんでいた。疑問が一つ。どうして追撃がこない?

 敵の魔力を感じ取り、少女は己の身体に魔力を強引に流し、視界と意識をクリアにさせる。胃の中に詰まった物を全部吐き出したい感覚に耐え、見付けた。

「漆黒を司る闇の使徒よ。我が声を聞け」

 遠く離れた位置まで移動した和也が呪文を紡いでいた。身体全体を覆う鎧は消え、右手一本に禍々しい魔力が凝縮している。導き出される答えは、狙撃。

 ライラは左腕の手甲に魔力を通し、間に合わないと悟った。《煉業の神撫(デイス・ミルト)》の出力に足りるだけの魔力が、この短時間では絞り出せない。

 このままではライラは殺される。――嫌だ。生にしがみつこうとする人間の本能が、彼女の身体を勝手に動かした。やっと上半身を起こしたばかりの魔女の右手が腰のホルスターから杖を引き抜く。だが、呪文も、新しく魔力を注ぐ時間もない。

 ゆえに、その技に和也は瞠目した。あろうことか、ライラはバトンのように《煉業の神撫(デイス・ミルト)》の魔力を杖に伝達させた。普通の魔術師ならとうてい思いつかない、思いついたとしても絶対に行わないだろう。それほど、尋常ではない行為だ。落雷で携帯電話の充電するようなものである。質の違う魔力は下手をすれば杖から少女の体内に逆流し、神経を損壊させていただろう。

あの一瞬で制御できたのは、まさに奇蹟。

綿飴のように杖へ紫電の魔力が絡まる。

「走れ!!」

「されば槍とかして敵を撃て!」

 叫びはまったくの同時。魔女の雷槍と男の影槍が互いを喰らうように伸び――。

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