第3章 ⑨

 安いビジネスホテルの一室でマリーベルは服装を整えていた。ダークスーツではなく、剣士の礼装へと。袖の長い黒のアンダーウェアの上から、白銀の眩しい鎧を次々と身に付けていく。一個の鉄塊となるような無骨な形式ではなく、動き易さを重視し、急所の防御も最低限だ。右の肩当てには《レイジング・ハート》の紋章である交差した剣が彫られてある。女はまだ鉄鋼を付けていない左手でそれを撫で、目を細めた。

「ケイト、イレーネ、ルシファン……命果てた我が生涯の宝達よ。汝らが復讐。我が果そう」

 その瞳に宿るのは憎悪と覚悟。

 先代の罪を勝手に押しつけられ、ラズベリーの独尊で仲間の大半を殺され、機関の見世物になることでしか残りの仲間を救えない。それも、相手は〝A〟を剥奪され、こちらとはなんら関係のない少女・フレデリカ。

「私はこれまで、数え切れないほどの敵を殺してきた。そのほとんどが違法魔術師だった。しかし、フレデリカにアプリコットの姫君。汝らは罪人ではない。倒すのは惜しい。とても惜しい。それでも、私は決めたのだ。だから――すまない」

 それは誇り高き剣士になら、本来有り得る筈のない、敵への謝罪。

 一方的な契約を胸に、マリーベルは腰に剣帯を巻きつける。剣は既に磨き、鞘の中で出番を今か今かと待っている。女が軽く膝を屈伸すると、扉が開く音と人の気配がした。この位置からでは姿は見えないが、足音で誰かはすぐにわかる。

「夜這か?」

「御冗談を。鎧を装備した女を抱く趣味はありません」

 飄々と六天咲和也が言う。前と変わらぬ服装で、その表情には若干の疲れが見て取れた。マリーベルが何も言わないでいると、男は勝手にベッドを椅子代わりにした。安物のせいか、ぎしりとスプリングの軋み音がやけに大きい。

「揃えたぜ。数はちょうど五十人。傭兵紛いの連中だ。気性は荒いが、腕は確かだ。もっとも、あいつらが束になったところでお前には敵わないだろうがな。さあて、お前さんの準備も出来たようだし、いくか?」

 マリーベルは重々しく頷き、窓の外を眺める。深夜、それも午前〇時となると人工的な明りはほとんどない。空に浮かぶ星の群れと月のがようやく安心するかのような静寂の世界だ。

「レイルとの契約では、私が本気を出すのを許されるのはフレデリカ達と出会ってから二日後だ。つまり、日付が変われば夜中だろうが襲っても違反ではない、か。和也よ。お前の悪知恵には心底呆れたぞ」

「はっはー。屁理屈上等。じゃあ、お昼の一時から戦いましょう。場所はメールに配布しています。っぽくしろってか? おいおい、剣士のプライドなんか捨てちまえ。あいつら相手に正攻法でいってどうすんだ? 不意討ちするのが戦いの基本だろ」

 和也が右手の親指だけを立て、自分の首を切るアクションをする。マリーベルは反論する気はない。あるのなら、この時間に鎧を装備してなどいない。

「まあ、一理あるである。そして、私には形振り構っている余裕がないのも事実」

 自分へ言い聞かせるようにマリーベルが呟き、その表情がわずかに険しくなる。

「和也よ。お前はレイナと繋がっているな」

 男は隠したつもりだっただろうが。わずかに息を飲む音を、マリーベルは確かに聞いた。女は微苦笑し、肩を竦める。

「別に、非難するつもりはないのである。予想はしていたよ。このタイミングでお前と出会うのは、あまりにも出来過ぎていると」

「つまり?」

「お前はレイナの差し金だな」

 和也はがりがりと頭を掻き、深く溜め息を吐いた。

「言い訳させて貰えるなら、集める魔術師を三流じゃなくて、二流レベルは揃えたよ。それに、言っただろ。腕は確かだって。あーあ。命令違反してるってバレれば、俺もどうなることやら」

「あの女にとってはフレデリカがお気に入りらしいな」

 困ったようにマリーベルは眉根を寄せる。だが、その口元は微かに笑っていた。

「和也よ。助力を感謝する。さあ、街を離れるといい。ここはすぐに戦場とかす」

 マリーベルは和也へ怒りを抱いていない。だからこそ、ここが引き際だと告げる。フレデリカ達に男が自分の仲間だと誤認させるわけにはいかないからだ。だというのに、男はベッドに座ったままだった。怪訝そうにする女へ、調達屋は堂々と言う。

「見届けさせてもらうぜ剣士様よ。それまで、俺は逃げない。調達屋には調達屋の矜持がある。俺の商品を使って負けたとあれば、宣伝にならないからな。……だから、まあ。勝てよ」

 ぶっきらぼうな物言いに、マリーベルは目を点にした。すると、男は顔を背け、部屋を出て行ってしまった。その耳が赤く染まっているように見えたのは気のせいだろうか?

「勝て、か。なるほど、私を応援してくれるか。なら、勝たないといけないな」

 予感はしている。フレデリカに勝っても、現状は変わらないのではないかと。あの女狐が大人しく自分を助けてくれるとなんて思っていない。

 きっと、この戦いが終わった時、自分は××でいる。

「それでも……勝たないといけない」

 マリーベルの呟きを聞いた者は誰もいない。

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