第3章 ⑦
自然に女は歩いていた。冷静に女は歩いていた。普通に女は歩いていた。
だから、その狭い裏道を歩いていたとき、目の前を遮るようにレイルが現れたことに胸の内で押し殺していた感情を静かに爆発させた。
「――退(ど)け」
言葉には魂が宿る。フランカの場合、それは憎悪であり憤怒。しかし、レイルは穏やかに聞き返したのだ。
「なにをするつもり?」
「マリーベルを殺す」
即答だった。レイルは呆れるように額に右手を当て、憐れむように言う。
「それでも、フレデリカの現状は変わらない」
フランカとレイルの丁度中間地点の宙で稲光が弾けた。大気中の酸素がオゾンに変化し、潮にも似た匂いを漂わせる。だが、それだけだった。壁のように建つ両側の建物にはなんら影響はない。その結果に憤るように今度は暴風が牙を剥いた。人間に直撃すれば二tトラックとの正面衝突に匹敵するエネルギーの塊。だが、それも穴の開いた風船のように萎んでしまう。紅蓮の火炎流は一秒と実体化できず、霧散してしまう。超高速発動された魔術を瞬時に崩す攻防は景色を瞬き毎に変化させ、闇夜を幻想的に染め上げる。惜しむらくは演じる二人以外に誰もいない点だろうか。認識阻害の魔術である。
凡才の魔術師なら生涯を魔術に費やしても届かない奇蹟を乱発しながら、フランカは聞きわけの悪い童子のように叫ぶ。
「退け。退けえええええぇええええぇえええええ!!」
魔力そのものが硬質化し、幾千の弾丸となって横殴りの雨となり、レイルを蜂の巣にしようとする。
「ふふ。だーめ」
レイルが指を弾く。それだけで弾丸が大気に溶けていく。ただ、全てを消去し切れなかった。一発の弾丸が女の太股を浅く裂いた。破れたスーツの間から鮮血が一筋飛び散る。焼けつくような痛みに女が顔をしかめると、フランカが奥歯を砕かんばかりに歯を食いしばっていた。
「……私が、私がフレデリカを守らないといけないのに! 私が、あの子の家族で、〝お姉ちゃん〟なのに! どうして、あんたは邪魔するのよ!! マリーベルを殺せないじゃない!」
自身の魂を縛り上げるような叫びだった。苦渋や後悔、憤り。あらゆる感情がごった煮になり、今にも泣きそうな表情だった。
「どうしてフレデリカが苦しまないといけないの!? どうして、戦おうとするの。なら、マリーベルを先に殺すしかない。あの子が戦おうとするモノを全部私が殺すしかない!!」
「そんなの、無理に決まってるでしょ。……っていうか、無理でしょ。人並みの幸せとか」
レイルは嘲るように、フランカの魔術を防ぎつつ彼女の訴えを論破する。
「魔術の力がほんの僅かでもあるのなら、その子は〝魔術師〟なの。なら、忘れることも諦めることもできない。だから、私達のような異業がこんな現代社会にまで脈々と続いてきたんじゃない。あの子はね、心構えなら一流の魔術師よ。そしてラズベリー家を継がないといけない貴女が干渉すれば、貴女に迷惑がかかることも知っている」
苛立ち気にレイルが人差し指で頬を掻き、
「あんたは、自分の妹を信じることができないの?」
魔術の暴力がぴたりと止んだ。呆けた顔をするフランカへ、レイルは溜め息混じりに言う。
「心配するのは結構。けどね、信じないのは酷いんじゃないの? シチュエーションにもよるけど、フレデリカはマリーベルと拮抗しているわ。だから、私は二人の戦いを了承した。それで、貴女はどうなの? 大好きで大好きで仕方のない妹が、負けるなんて本気で思ってるの?」
反論できないフランカは悔しそうに下唇を噛んだだけだった。仮に、彼女がマリーベルを殺せば、剣士が指輪を所持していたという偽の情報と罪を作り、ラズベリー家自らが潰したことにできる。大義名分は十分にある。しかし、フレデリカは納得しないだろう。姉のことを本当に嫌悪するかもしれない。
「……それでも、私は、フレデリカに生きて欲しいんだ」
フレデリカが生まれた日。ゆりかごですやすやと眠る妹にフランカは誓った。姉として、彼女をどんな障害からも守っていこうと。
祖母も、母も、父も、フレデリカに魔術の才がないとわかれば手の平を返した。しかし、フランカだけは彼女をずっと愛した。自分よりも幼い命が何よりも愛おしかった。彼女の笑顔が好きだった、春の陽だまりのような温かさに、心を救われた。
「嫌われたっていい。大嫌いって言われても構わない。私は、フレデリカを助けたいの!」
「誰も助けるなって言ってないけど?」
「はあ?」
フランカの目が点になった。イマ、コイツはナンテいった?
「あのねー。別に構わないのよフレデリカを助けても。けど、どっちかに勝敗が決したタイミングにしてちょうだい。それだったら、マリーベルを殺してもこっちとしてはオッケーだから。やーねー。そんな怖い顔しないでよ」
「……こんの、馬鹿女」
つまり、フレデリカには生きるか死ぬか二つの未来がある。しかし、マリーベルには最初から〝死〟しか残されていない。妹を傷付けた剣士を、フランカはけっして許さないからだ。それは細工の施されたコイントス。何度投げても、永久に投げても、剣士は負けなのだ。
敵だというのに同情してしまう。なんて憐れだと。
「貴女への配慮だけど?」
「それはどうも」
吐き捨てるように言ったフランカは踵を返し、元来た道を戻っていた。レイルの顔は見えない。それでも確信する。
あいつは嘲っていると。
「じゃあね、シスコンさん」
反応するのも馬鹿馬鹿しくなり、フランカは粛々とその場を去った。
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