第3章 ③

 マリオン中華料理店、本日のお客は四人だった。全員分の醤油ラーメンと炒飯、餃子を用意した少女は、ダイニングの壁脇に立ち、その光景に頬をひきつらせていた。

 長方形型のテーブルの長い辺にフレデリカとライラが、対面してフランカとレイルが座っている。

(この面子は異様過ぎます。フレデリカお嬢様は裏の世界に名を轟かせた魔操銃士。ライラ様は次の世代を担う若手随一の魔術師。レイル様は機関の支部副長にして高名な魔術師。フランカ様は一騎当千最強の魔術師。なんだか、私がひどく場違いなような気がします)

 マリオンは沈黙し、室内にはラーメンを啜る音だけが響く。これほどにまで重い昼食風景があっただろうか。いっそのこと自分は部屋に閉じこもっていようかと思っていた矢先に、フランカが静寂を破る。

「うーん、やっぱりマリオンの料理は美味しいわ。コシのある麺にスープがよく絡んで最高」

 すると、レイルが麺を持ち上げた繁々と観察しだした。

「わざわざ空炒りした小麦を使っているのね。すっごく風味が良い。ねえ、お給料だすから私のところで働かないかしら」

「マリオンの場所はここですの。勧誘などしないでもらいたいですわね」

 フレデリカが鋭い瞳でレイルを睨む。炒飯を掻きこんでいたライラが呆れたように全員を見回した。

「あのさ、いいかげんに話そうよ。このままだとただの昼食会だよ」

 もっともは意見だった。誰もが腹の探り合いしているのである。すると、フランカがスープの最後の一滴まで飲み干して器をテーブルに置いた。

「どこから話しましょうか。指輪の中身か、それともマリーベルの正体か」

「あら、二つの問いに答えは一つでしょ。話しなさいよフランカ」

 レイルが隣のフランカへ意地悪そうな笑みを向ける。

「ラズベリー家の業。古き罪の真実を」

 言い淀むフランカだったが、フレデリカとライラを交互に見詰め、観念したように深い溜め息を一つこぼし、説明し始める。

「今でこそ隆盛を極めているラズベリー家だけど、数十年前に《スカーレット・サークル》で内乱があったの。勢力拡大を目論む攻勢派と、現状維持を主張する穏健派にね。あの時は大きな戦があって、強引に《スカーレット・サークル》の傘下にした結社もあったから、組織事態が一枚岩じゃなかったの。首領である、ミーリエ御婆様も手を焼いていたそうよ」

 ミーリエはフレデリカの祖母に該当する。そして、マリオンを創った本人だ。

「それで、攻勢派がね、御婆様の目を盗んで違法魔術の研究をしていたの。超々遠距離対軍魔術兵器の研究をね。フレデリカとライラは《華天の大鏡》って術具を知っているかしら?」

 若い二人の魔術師は訝しむだけだったが、マリオンは違った。その身を戦慄かせている。

「中国の魔術思想〝陰陽の欠落と補完〟を逆手にとった攻勢魔術。文献通りなら、街一つを壊滅させられる危険な代物です。そんな、機関の条約ではそれは研究するのさえ、禁止されているはず」

 魔術のない世界、つまりは表世界の戦争でも使用してはいけない兵器がある。矛盾するような言い方であるが『あまりにも人を傷付けるから』である。そして《華天の大鏡》とは禁止魔術の中でも凶悪として名が高い。中国の魔術思想では、世界の全ては火金木土水の五行により成り立っているという考えの他に、森羅万象とは陰・マイナスエネルギーと陽・プラスエネルギーのバランスで成り立っているというものがある。

 たとえば、風邪を引くというのは〝健康を損ねたマイナスの状態〟である。治すには身体を温めることで体内の細菌を駆除する細胞の活性化〝プラスの状態〟を維持するのが望ましい。また、熱とは〝プラスエネルギー〟が集中している状態であり、度が過ぎると火傷を負ってしまう。そんな場合は氷などの冷たい〝マイナスエネルギー〟を与えるのが良い。

 生物だけを食べれば身体を冷やし、焦げた食べ物を食べれば悪質な細胞分裂〝プラスエネルギーの暴走〟である癌になりやすい。生きる上で必要なのは陰陽のバランスである。という考えだ。

 魔術の系統も陰陽で大別させることができる。人を癒す魔術は陽、人を呪う魔術は陰。

 そして、《華天の大鏡》は目標地点に陰ベクトルの魔力を直接ぶつけるのだ。

それは〝死〟という概念そのものを与えるのと同義。結果、人々の身体はバランスを保つために陽のエネルギーつまりは〝生命力〟そのものを術式に喰らわれる。水の溜まった桶の底に穴を開けられるようなものだ。よほど力のある魔術師、フランカでも瀕死に追い込まれるだろう。そして、影響は人間だけでない植物や動物にまで。

「直撃すれば生命の陰陽バランスを強制的に崩す、五百年は雑草一本育たない、その場に近寄るだけで衰弱死するような地獄と化すだろうね」

「そん、な。いくらなんでも、そんな危険な術式をどうして」

 ライラの甘さに、フランカは冷たい声音で返す。

「それだけ、上の連中は汚いってこと。ともかく、この術式は完成しなかった。御婆様に見付かって、それを研究していた結社ごと壊滅させられたんだからね。これで《華天の大鏡》は永遠に葬られるはずだった。……けど、研究資料が残っていたのよ」

「それが、この指輪だと?」

 フレデリカがテーブルに指輪を置く。フランカが頷き、レイルが餃子を頬張る。

「熱っ。で、《レイジング・ハート》の一代前の首領、ジグレント・バンデンスが《華天の大鏡》の術式理論を封印した指輪狂和の鈴を隠し持っていたってわけ。まあ、それも機関にバレたけど。……で、ここからが問題。機関がラズベリー家を強請ったのよ」

 マリオンには主の気持ちが全てわかった。フレデリカは今、動揺を必死に押しとどめようとしている。しかし、その表情はあまりにも痛々しい。

 平気で食事をしているのはレイルぐらいなものだった。餃子をもう一つ摘まみ、口に放り込む。たいして、フランカは辛そうに顔を伏せていた。

「ラズベリー家は現在、ようやく攻勢派を抑え込み、一時的な均衡を保っている。だからこそ、今になって違法魔術を研究していた証拠を掴まれればラズベリー家の沽券に関わるの。一枚岩じゃないのは機関も同じ。こっちの勢力を縮小させようとしている。だから、だから……」

 フランカが歯を食いしばり、机の下で拳を固く握る。その顔は苦渋一色に染まっていた。

 その理由に、マリオンは足元が底なし沼に変わってしまったような感覚に襲われた。彼女の胸の内を代弁するようにフレデリカが残酷な現実を告げる。

「スケープゴートが、欲しかった。つまり、私に罪を被せるつもりなのですね」

 トカゲの尻尾切り。過去に終わった事件をむしかえせば待っているのはラズベリースカーレット・サークルの内部分裂だ。ゆえに、捨てても構わない人物が選ばれた。マリオンが怒りよりも先に喪失感を覚えた。こころのどこかで、フレデリカはまだ、ラズベリー家と繋がっていると思っていた。いつか、実力が認められてまた屋敷で暮らせると。しかし、彼女は実の肉親に捨てられた。

 テーブルが大きく揺れた。椅子が倒れた。立ち上がったライラが、怒りに身を震わせている。フレデリカの唯一そして最高の親友である彼女が、黙っていられるはずもなかった。

「冤罪じゃんそれ! だって、フレデリカは〝A〟を捨てて、もうラズベリー家と関係ない。そ、それに、フレデリカ個人でそんな大それた術式の研究ができるはずない。矛盾だらけだよ」

 そして、現実はあまりにも無慈悲だった。レイルの言葉に、マリオンは耳を塞がなかったことを後悔する。

「あなたがいるじゃない。アプリコットの次期頭首様。ラズベリー家のシナリオはこうよ。フレデリカがアプリコット家と裏で結託して禁忌の術式を復活させようとしていた。それを潰すことでラズベリー家は過去と同じく体裁を保てる。しかも、邪魔なアプリコット家の信用もガタ落ちになる。一石二鳥じゃない?」

 フレデリカの呼吸が荒くなる。まるで、胸の内で荒れ狂う感情を宥めるように。

「あの御老人も、取引も全部、罠だったのですね」

 レイルにはわかっていたのだろう。フレデリカが指輪を拾うことも、泳がせればライラに頼ることも。彼女の行動パターンを見越し、シナリオを創った。

「ふざけないで! そんなこと通るわけない!! ってか、じゃあ、マリーベルはどうして私達を襲ったの? おかしいことだらけじゃん!」

 彼女の言葉はもっともだった。マリーベルを活かしておくメリットなどない。フレデリカが指輪を保持した時点で機関がとり押さえれば済む。マリオンが指輪の解読をしたせいで、指輪には魔力が残留し、無理矢理証拠として糾弾できる。

「言ったでしょ。機関だって一枚岩じゃない。ラズベリー家には高い地位にいて欲しい連中もいるの。この私みたいに。だから、罪を被せる対象を変えてみたの。現にしてレイジング・ハートの頭首様、マリーベルにね。つまり、負けた方に全部の罪を擦りつけるってこと」

 とうとう、マリオンは堪え切れなくなった。

「こんな戦い、なんの意味もないじゃないですか! なのに、どうして」

 どちらも冤罪なのに。このままでは、不幸な死が一つ増えるだけではないか。レイルは喉の奥を鳴らすように静かに笑い、心底楽しそうに唇を歪める。それは、傷ついた人間を虐めて喜ぶ悪魔の声だ。

「私が提案したの。だって、見てみたいじゃない。ミーリエ様は承諾したわ」

 そして、レイルは立ち上がり、踵を返す。

「魔術剣士と魔操銃士。すっごい組み合わせだと思わない?」

 廊下の奥へ消えていったレイルは二度と戻ってこなかった。

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