第3章 ②

 フレデリカがライラを止めようとしたのは、彼女のこれからを想ってが半分と、フランカの性格を想ってが半分だった。

 ここで一つ、疑問がある。ラズベリー家と縁を切り、魔術の才能のないフレデリカが、どうして機関に所属できているのか。結社も持たない彼女がどうして銃を握るのを許され、犯罪魔術師討伐の仕事を任せて貰えるのか。それは、誰かが口添えしたからに他ならない。

 それこそ、数多くの結社に顔が聞く、有名な者が。

 そして、フレデリカを大切に思っているような人が。

 フランカの代わり様を目の当たりにしたライラの頬に、一筋、汗が流れた。

 その汗の意味に、フレデリカは額に手を当てた。勘弁してくれ、と。

「あの、フレデリカ。私、なんか不味いこと言った? いや、確かに喧嘩を売るようなことを言ったけど、フランカさん、あれ? ねえ、なんであの人、顔を手で覆って泣いているの?」

 ピーマンを丸齧りしたような顔をしたフレデリカが、ライラにちょっと離れていてとジェスチャーする。少女は黙って従った。魔女はフランカの傍まで歩み寄り、スカートのポケットからティッシュを取り出した。

「鼻をかみなさい」

「……うん。ありがと」

 一流の魔術師が鼻をかんでいた。それも、他者の力を借りて。フレデリカは嘆息し、これまでに何百回と言った言葉を繰り返す。

「私、イギリスには、帰りません。私の家は、この街にあるのですわ」

 フランカの顔がこの世の全てに絶望したような表情になった。

「ど、どうしてよ! 家にいたら家事全部女中に任せてフレデリカは自由気ままに過ごすだけでいいのになんで」

「家事はマリオンが完璧に済ませてくれますわ。それに、私は仕事に生きる女なのです」

「あ、甘いケーキだって美味しい紅茶だってあるし!」

「それも、全部マリオンが作ってくれます」

「いやだいやだ! お姉ちゃんはフレデリカと一緒に過ごしたいの。せっかく日本支部に来たのに場所は離れているし、仕事は多いし、これだったらイギリスに帰った方がましよ! ねえ、一緒に帰りましょ?」

 駄々を捏ねるフランカへ、フレデリカは一言で切り捨てる。

「帰りません」

 周りの空気が全て毒に変わってしまったかのような、希望という希望が根こそぎこそげ落ちたような顔をしたフランカが、ぶんぶんと首を横に振った。

「あんたみたいな落ちこぼれは魔術の世界から足洗って人並みの幸せでも掴めばいいのよ!」

 ライラの目が点になった。フレデリカが頭痛を覚えて額に左手を当てた。なおもフランカの言葉は止まらず、一方的にまくし立てる。

「毎朝小鳥の囀りと共に起きて、どんな花よりも可愛らしくも美しくも愛らしい笑顔で私におはようって言って、一緒に美味しいご飯を食べて、私が仕事に行ってくる時は行ってらっしゃいのキスを頬にすれば良いのよ! あんたなんかうちの大きな屋敷を自由に使って人生を満喫すればいいんだわ。私のために美味しいお菓子を作ってお姉ちゃんが帰ってくるのを待っていればいいのよ。そしたら私は地球の裏側にいようがすぐに帰ってくるんだから」

 フランカは重度のシスコンだった。鼻息を荒くし、じりじりとフレデリカに詰め寄る。一歩近寄られる分、少女は一歩後退する。そうやって背中が滑り台の側面にぶつかるまで追い詰められた。

「ちょっと見ないうちに、はあ、随分と、はあ、魅力的になって、はあはあはあ……!」

「お姉様。生温かい吐息を私の前髪にかけないでください。くすぐったいです。くひゃあ!?」

 フランカがフレデリカを抱き締めた。幼い娘がクマのぬいぐるみに抱擁するように。あるいは、妹が大好き過ぎて興奮している姉(へんたい)のように。

「家にいったらマリオンしかいないんだもん。マリオン可愛いわすっごく可愛いマリオン。なのに、私の顔を見たらマリオンは悲鳴を上げたのよ。私はこんなにマリオンを愛しているのに」

 フレデリカは知らないだろう。地獄を体験したマリオンの最後を。フランカが幼女を強引に膝の上に乗せて頬ずりし、髪に顔を埋めて深呼吸。これでもかというほど頭を撫で、耳を甘噛みし、ベッドに押し倒して服を脱が――。

 とにかく、色々なことをした。それはもうマリオンという言葉がゲシュタルト崩壊するほど叫び、愛で、愛でまくった。今日の醤油ラーメンがしょっぱいのは少女の涙が落ちたからかもしれない。

「ねえ、フレデリカのお姉さんってあんたのこと嫌ってないんだ」

 何気なく言ったライラの言葉を、瞬時にフランカが拾った。

「嫌うわけないでしょ! フレデリカをこの世で一番愛しているのは私なの。だって、私はお姉ちゃんだもの。だからねえ戻ってきてよー。他の家族は私が説得するからー。これ以上フレデリカがいない生活なんて耐え切れないぃぃいいいい」

 姉がヒステリックを起こしかけても、妹は冷静だった。

「だから、嫌です。それに、今は、その、重要な仕事の真っただ中にいますの。帰る余裕なんてこれっぽっちも」

「……指輪の正体まだ知らないのね」

 軽い口調。フランカがしまったとばかりに口を手で押さえるも遅い。

「お姉様! 今、指輪って」

「え、なんのこと? フランカわからなーい」

 下手過ぎる口笛を吹くフランカへ、フレデリカは苛立ちをあらわにした。

「惚けないでください! 私達は今、指輪を狙うマリーベルという魔術師に追われていますの。それも、レイル副長まで一枚噛んでいる様子なんです。お願いしますからフランカお姉様が知っていることを教えてください」

「だってだって、教えたら絶対、私の事嫌いになるし、やっぱり教えるなんて」

 完全に黒だった、

 事は緊急を要する。フレデリカは最終手段に出た。

「……お姉様は私の事が嫌いなのですね。マリーベルに殺されても構わないというのですね」

 涙目(嘘)+震えた声(演技)のダブルコンボに、フランカが感情を爆発させた。

「話す! 全部話すからお姉ちゃんのこと嫌いにならないでぇぇえええええええええええ!! 昔みたいに、ちょっと舌ったらずな声で『おねえしゃまー』って呼んでよおおお。私はいつだってフレデリカのことが大好きなのにー」

 フランカの壊れっぷりにライラがドン引きしていた。

「私さ、フランカさんのこと尊敬してたんだけど、今日限りにする」

「できれば、誰にも言わないでください。こんな姿を他の人に見せるわけには――」

「残念。もう見ちゃったー」

 新たな声。公園の出入り口に誰かが立っている。三人の視線が、その人物に集まる。スーツを着た女性。見間違えるはずがない。レイルだった。フレデリカはさっき収めたばかりのUSPを引き抜き、スイッチを中段にして撃鉄を起こす。しかし、それよりも早く、少女のすぐ隣を迅雷が走った。矢のように鋭く細い一条の雷撃の基点はフランカの右手人差し指。呪文どころか術具も無しに魔術を発動させたのだ、この魔女は。皮膚が粟立つような戦慄を覚え、破裂音が一つ。

 レイルの突き出した右手に雷撃が弾かれ、四散する。こちらも呪文・術具なし。超一流の魔女の攻防に、フレデリカとライラは呆然とするだけだった。

 フランカがフレデリカを左手で抱きよせた。まるで、少女の背中に自分の乳房を押しつけるように。魔弾の銃口となった右手はレイルに向けられたままだった。

「よくも私の前にしゃりしゃり出てきたわね外道! 魔術の錆びにしてあげるからそこ動くな」

「お姉様、お姉様! レイル副長は機関の人間なのでこういうのは不味いですわ」

 いくらフランカが強く、偉くも、機関の人間を倒すのは不味過ぎる。

 だというのに、何をどう解釈したのか、フランカは鼻息を荒くして言った。

「大丈夫よ私のフレデリカ。お姉ちゃんが今、あいつをぶっ倒してあげる」

「ああ、もう! 聞いちゃいねえですわ!!」

 姉の目が濁っていた。濁り過ぎて逆に透明なんじゃね? と錯覚するぐらい濁っていた。主に盲目的な妹への愛で。レイルは両手を上げ、降参のポーズをとる。

「言わないつもりだったのに、貴女が出てきたら台無しじゃない。もう種明かしするしかないわね」

 溜め息一つこぼしてレイルが無駄にカッコつけて前髪を掻き上げた。フレデリカはもう、眉間にポッキーが乗るぐらい皺を寄せていた。

「やはり、なにか裏があったのですね……。いいでしょう、全て話してください」

「いいわよ。けど、場所を変えない? 人避けの魔術を起動させっぱなしだと、フランカもつらいでしょうから」

「私はフレデリカのためなら一日だろうが一週間だろうが頑張るんだから!!」

「そういうのいいですから!」

 フランカが暴走する前に早くここから立ち去らねばならない。フレデリカは携帯電話を耳に当て、少女へと連絡する。

「マリオンですか? あの、きょうの夕食を二人分増やして欲しいのですけど」

                

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