断章 ①


 フレデリカとライラが再会を果たす数週間前、マリーベルは死の危機に瀕していた。暗く、冷たい石の牢獄に捕えられ、四肢を鋼鉄の鎖で縛られた女は芋虫のように地面に横たわっていた。顔は土埃に塗れ、髪からは輝きが失われていた。ダークスーツはボロ布同然に切り裂かれ、あるいは焼け、千切れている。露出した肌には見るのも躊躇ってしまうほどの深い傷跡があった。血は流れていないものの、こんな場所できちんとした衛生管理がされているはずがない。感染症を起こし、女は高熱に意識を朦朧させていた。

 いつもの凛々しさを孕んだ瞳は焦点が合っておらず、虚無。どこも見ていない。諦観も絶望もしていない。ただひたすら空っぽだった。

 食事を最後にとったのはいつだっただろう。水も満足に飲ませてもらえず、抗議の声を出すこともできない。武器も術具も失った自分はなんと無力なのだろうと己を呪った。

「あらあら。《レイジング・ハート》の首領様が、なんと無様なこと。《月光の刃(アルテミス・ブレイド)》と謳われる魔術剣士様が無様に這い蹲っているなんて。ねえ、私の声が聞こえているかしら?」

 檻の向こう側に、人の気配がした。知らない女が立っていた。嘲弄に歪んだ瞳がこちらを見下ろしていた。

「一応自己紹介しておくわ。私は《ランドグリーズ魔術師連合(ウィザーズ・ユニオン)》の日本支部第四番区の副長を務めるレイル・アリルストよ。あなたの結社を壊滅させたのは、ぜーんぶ、私の命令」

 マリーベルの瞳に光が戻る。それは憎悪の、煉獄の炎を滾らせた怒りだった。

「お前が、お前が私の仲間を!」

 焼けた洋館。次々と現れる強敵の魔術師達。成す術もなく倒れていく仲間達。女の心を、どす黒い感情が覆い尽くす。

「殺す。お前だけは、殺してやる、   あっ!?」

 マリーベルの前髪を檻から手を伸ばしたレイルが掴んだ。屈んだ体勢で、剣士の頭を強制的に自分の視線の高さと合わせる。

「そういうこと言っていいの? ここわね、罪を犯した魔術師を拘束しておく場所なんだけど、数年前に老朽化とかで使用を禁止されているの。つまり、あなたはここに〝いない〟ことになっているの。ねえ、拷問とかされたい? それとも、何十人の男からレイプされたい? 口癖が『殺してくださいレイル様』ってなるまで私が直々に虐めてあげましょうか?」

 強靭な精神力も長い幽閉で薄紙同然になっていた。マリーベルは虚勢さえ張れず、なにも言い返せない。

「けど、一度だけチャンスあげる」

 レイルが手を放す。当然、重力に従ってマリーベルの頭は額から石畳に落ちた。鼻はぶつけなかったものの、額が浅く切れ、血が滲む。女の声が後頭部へ落ちていく。

「ここフランスから遠く離れた日本っていう国に、フレデリカっていう若い女がいるの。そいつと殺し合ってくれないかしら? 勝ったら、他に捕えているあなたの仲間も全員解放してあげる。新しい結社を立ちあげる資金だって出してあげるわよ」

「な、なぜ、そんな、ことを……」

 マリーベルの問いに、レイルが淡々と答える。

 全て聞いたマリーベルは、今にも泣き出しそうな声で自嘲するように言った。

「そう、か。ラズベリー家の業か。《レイジング・ハート》の先代は汚いことをしていたと聞いていたが、そのツケを私が支払わないといけないのか」

「そうね。で、やるの? やらないの?」

 マリーベルは一度だけ目蓋を閉じた。これは剣士の流儀から反している。

 それでも、己のプライドよりも守らなければいけないことがある。

 だから、言う言葉は決まっていた。

「ああ、戦おう。私の剣はまだ砕けていない」

「ふふ。交渉成立ね」

 そうして、マリーベルは再び剣を握った。

 あるいは、ソレしか選択肢がなかったのかもしれない。女は気がついていない。レイルの顔が喜悦に歪んでいたことなど。

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