第2章 ⑪

「私もう、お嫁にいけない」

 住宅街の小さな公園のブランコに座ったライラが両手で顔を覆った。隣のブランコにはフレデリカが座っている。その脇にはジェラルミン製のアタッシュケースが地面に直接置かれてある。これが国広から買った商品だ。

「では、私が貰ってあげますから」

「本当に? 毎日私のために朝はカリカリのベーコンと半熟の目玉焼き作ってくれる?」

「はいはい。野菜たっぷりのコンソメスープも作りますわ」

 テキトーにライラを宥めつつ、フレデリカは今後の行動内容を整理する。武器は手に入れた。そうなると作動確認をしなければいけない。ライラの荷物が届くと言っていたから、一度家に変えるのが無難だろう。時刻は昼近くだろうか。そろそろお腹が減ってきた。

「一度、家に戻りますわよ。貴女の荷物も届く頃でしょうし」

「オーケー。ねえ、さっきのことは内緒だからね」

「わかってますから、そう何度も言わないでください。これで七度目ですわよ」

 ライラは相当さっきのことが恥ずかしかったようだ。いつもの覇気が削がれ、しおらしくなっている。

「ほら、立ちなさい。ここに座っていてもなにも始まりませんわ」

 フレデリカがライラの手を引っ張ると、ようやく少女は立ち上がった。やはり連れてくるべきではなかったと女は後悔する。もし、今ここで敵に襲撃されたら、たまったものではない。子供達が楽しく遊ぶ公園が戦場になるなんて冗談にもほどがある。幸いなのは、現在この場所にいるのは魔女二人だけだということだ。今どきの子供は家の中でゲームをしている方が楽しいのだろうか――ふと気がつく。

「……ライラ」

「うん。私、フレデリカがお嫁に来てくれたら嬉しい」

「違います! ほら、わからないのですか」

 女は緊迫した表情で太股のホルスターからUSPを引き抜いた。手動安全装置を解除、スライドを引き、いつでも撃てるようにする。ようやく事態を察知したライラが、辺りを警戒しつつ杖を構える。

 公園に他の人間がいない。たまにはそういうこともあるだろう。それが偶然ではなく、人為的なものだったら? 微弱な魔力が感じ取れるとしたら。

「人避けの魔術……あいつかな? やっぱり、レイルの言葉は信用できないよ」

「まったく、まだ調整もしていないというのに。とにかく、やりますわよ」

 九ミリ・パラベラム弾一発では剣に弾かれるだろうが、自動式の連射性を防ぎきるのは容易なことではないだろう。そして、ライラもいる。フレデリカの役目は彼女の魔術が完成するまでの壁役だ。《アーガリスト》の身体強化を合わせれば、ナイフ一本でも二分は持ちこたえられる自信がある。

 フレデリカは神経を鋭敏に研ぎ澄ませていく。五感を総動員させて、敵の位置を探る。特別な術具でも使わない限り、魔術の発動させる場所から術者は離れることはできない。つまり、この公園のどこかに隠れている可能性がある。

 公園の大きさは縦横に三十メートルもないだろう。おかしい、とフレデリカは訝しんだ。この程度の距離で隠れている敵が見付けられない。

人避けの魔術は魔術師には通用しない。

なぜなら、魔術自体から発せられる魔力を感知できるからだ。

 しかし、女の認識は甘かった。頭上に、険悪な魔力を感じ取る。はっとなって天を仰ぎ見たときには神罰の権限のような青白い稲光が大気を鳴動させたのだ。フレデリカは、硬直してしまったライラも纏めて守るために左腕を天にかかげる。《アーガリスト》の目盛り六つの内、二つ消費する。空気分子へ魔力を流し込み防御壁へと変質させる。

「コードD2。レイゼン!!」

 目も眩むほどの凄まじい雷撃が音だけで腹の底を叩く。空間に亀裂が生じたように歪んだ大気の壁が攻撃魔術に噛みつかれながらもフレデリカとライラを守る。だが、魔術はすぐに消えはしなかった。一度牙を立てたら放さない鰐のようにこちらの防御魔術を砕こうとする。女が術具の魔力を消費しようとして、先に友が動いた。

「――呼応せよ。風間の騎士よ。我と我が戦友を守る盾となれ!!」

 どれほどの鍛錬を積めば届く高みなのだろうか。あろうことか、ライラは消えかけたフレデリカの魔術を基点にして己の魔術を重ねて発動させた。一から魔術を組みたてるプロセスを無視し、高速で防御壁を編みあげる。

 堅固たる防御壁が雷撃を防ぎきった。頬に一筋冷や汗を掻いたフレデリカはUSPの引き金を二度絞った。音速の弾丸が十数メートル先、ブランコのある方向へ撃ちこまれる。すると、突如として緋色の炎が地面から逆巻くように出現した。銅被甲の弾丸を飲み込み、その向こう側から声が聞こえた。


「久しぶりねフレデリカ。少しはまともになったんじゃないかしら?」


 炎が消え、内から人が現れる。純白のドレスに身を包んだ女の歳は二十代前半だろうか。深い碧の瞳に、月の光を砕いて梳いたような金色の髪は癖一つなく真っ直ぐで、腰の中頃まで伸びている。そして、その顔はフレデリカとそっくりだった。あと、少女が五年も歳を重ねれば女と同じ容姿になっているだろう。

 ライラが顔をひきつらせた。フレデリカは苦渋に顔を歪める。

 言葉の発し方を忘れたかのように声なく口を動かす。

「……して」

 掠れる声はだんだんと大きくなる。

「どうして」

 まるで、彼女の感情の爆発を表すかのように。

「どうして!」

 フレデリカはUSPの銃口を下げた。しかし、言葉という弾丸は止まることを知らず、久しぶりに出会った女へとぶつけられる。そう、魔女は彼女が何者なのか知っている。だからこそ、困惑していたのだ。

「どうして、貴女が、ここに、いるのですか!」

 左拳を固く握り、フレデリカはついに叫ぶ。


「フランカ……お姉様!!」


 運命が交錯する。そして、それが優しい運命だけとは限らない。ラズベリー家の業が、フレデリカの胸を残酷にも掴む。


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