第2章 ⑥
マリオンの部屋は隣にあるフレデリカの部屋と同じくらいの大きさだ。間取りもそれほど差はない。相違点といえば、料理やお菓子に関連した本が詰まった棚がある点だろうか。
小柄な少女はベッドの上でタオルケットを被って丸まっていた。まるで、子猫のように。
タオルケットを強く強く握り、マリオンは耐える。目は閉じていない。目蓋の裏に悪夢が潜んでいるからだ。だから、目は大きく開き、瞬きにさえ怯えていた。だが、少女は大きく息を吸って、固く目を閉じた。
甦る悪夢。違う。ここに悪夢はない。
ありったけの楽しい思い出を胸に掻き集めていく。
「お嬢様、カッコ良かったなー。素敵だったなー」
悪夢はない。マリオンの傍には彼女がいるからだ。
悪夢はない。マリオンに彼女は誓ってくれたからだ。
悪夢はない。マリオンが彼女の隣にいたいと決めたからだ。
寒さも震えもない。胸に留まるのは悲しい思い出ではなく、楽しい思い出だ。マリオンはベッドから下り、頭をぷるぷると振った。壁にかけてあった時計を確認すると時刻は夜の一時。照明をつけっぱなしにしていたせいか、それとも眠くないせいかあまり実感がわかず、まだ夢心地だった。
「……お嬢様達はまだ、部屋にこもっているのでしょうか」
部屋から出たマリオンは三階へ向かい、魔術書室の扉を開ける。すると、小さく規則正しい呼吸が聞こえてきた。
机に突っ伏すようにフレデリカが眠っていた。呼吸と共に肩がわずかに上下している。いつもの凛とした表情からは信じられないほど穏やかな寝顔だった。
「あら、あらあらあら」
マリオンが口元に手を当てて淡く微笑んだ。まるで、自分の呼吸でさえ彼女の眠りを邪魔しないように。
「さっきまで頑張ってたんだけどねー。もう限界みたい」
本棚の裏から現れたライラが肩を竦めて微苦笑した。こちらも眠たげな表情をしている。
「フレデリカ様は《アーガリスト》で精神力を削られますから、疲労が溜まったのでしょう」
「こいつも苦労人だねー。この術具つけてたら十分な休息なんてとれたもんじゃないでしょう」
フレデリカの精神力は常時削られている。眠っている間でもそれはかわらない。ゆえに、少女の肉体は少しでも回復の効率を上げようと睡眠を深くする。どうしても無防備になるのだ。おそらく、このまま肩を揺すっても少女は起きないだろう。
「それでも、この道を歩くにはどうしても捨てられないのです」
マリオンの言葉に、ライラはぽかんと首を傾げた。
「どうして? 敵を倒すだけだったら、銃で十分じゃないの?」
ライラの問いは、フレデリカにとって、残酷なものだった。
マリオンは首を横に振り、静かに語り始める。
「銃器は万能ではございません。撃つためはホルスターから銃を抜き、銃口を相手に向け、引き金を絞らなければいけません。ゆえに、発砲のタイミングは掴めますし、前方に防御魔術を展開していれば容易に防げます。確かに、相手の呪文よりも早く撃てば済みますが、当てるには相当な修練を積んでも、極度の集中力を消費します。まるで、魂を削るかのように」
一発一発ごとに、精神は擦り減る。銃弾の反動は腕を疲労させ、身体を蝕む。
それも点でしか狙えない。リスクを吟味すれば、魔法以上だ。
「そして、お嬢様が銃器だけで勝ったことは一度もない。さり気なく仕事の内容を聞くのですが、接近戦ではナイフや身体強化を。相手の攻撃魔術にしても、回避よりも防御魔術を発動させる数の方が多い。公園でも戦闘はどうでしたか? 銃器は魔術師を蹂躙しましたか?」
ライラが形の良い顎に手を当て、言いにくそうにしながらも口を開いた。
「……そういえば、最初の攻撃魔術を防いだのは私だったし、沢山魔術師を倒したのも私だった。けどざ、フレデリカは身体能力だけで攻撃を避けたよ。それってすごいことでしょ」
「ええ。ですが、それも全てはライラ様がいたから。お嬢様一人では全員を倒すことはできなかったでしょう」
そもそも、フレデリカと相対した敵は等しく慢心する。銃を使う魔術師? それはつまり、己の魔術に自信のない、あるいは頼ることのできない三流以下の四流だろうと。前面に防御魔術を発動させ、持久戦に持ち込めば負けるのは彼女だというのに。
銃器では防御が出来ない。魔術だけでは火力が低すぎる。ナイフや格闘術で補っても、二流以下の相手に勝つのが精一杯。
もし、慢心せず、銃器への対応を知る一流の魔術師が現れれば、少女は負けるだろう。
「ですから」
マリオンはライラへ深々と頭を下げた。
「どうかフレデリカお嬢様を支えてください」
「……うん。私が運んでおくからマリオンちゃんはもう休んでいいよ」
頼って、これほど安心できるのは、マリオンにとってフレデリカを抜かせばライラだけだった。
「では、御言葉に甘えて。私ではお嬢様を私室まで運べませんですから」
マリオンがライラへと頭を下げる。少女は杖を片手に詠唱無しの身体強化を発動させ、フレデリカをひょいと持ち上げる。それでも、眠り姫は起きない。
「ねえ、マリオンちゃん。あいつの言うことなんか気にしちゃ駄目だよ」
「ええ、心配をかけてしまい、すいませんでした」
フレデリカを抱き抱えてまま、ライラが表情を固くする。
「ごめんね、あいつをぶん殴れなくて」
「そんな、とんでもありませんわ。どうかお気になさらず。それに、仕方ないことです」
「仕方なくなんてない! だって、マリオンちゃんはマリオンちゃんでしょ。私、マリオンちゃんが作ったご飯すっごく好きだし、絶対に嫌いになんてならない。そりゃあ、私はラズベリー家の人間じゃないし、出しゃばった言い方なんて出来ないけど、それでも、私」
「ありがとうございます。では、お休みなさいませ」
無理に会話を切り、マリオンは言外にライラを部屋から出るように促した。
「うん。おやすみ」
ぱたんと、ドアが閉められ、マリオンは一人になった。少女は、しんと静まりかえった部屋に暫くの間佇んでいた。
「失敗作、か」
否定するつもりはない。
しかし、もしもである。
マリオンの存在が、自分の呪いが愛しいお嬢様を害するようなことがあれば、
「この魂を賭けて、敵を討ちとりましょう」
街中を地獄に変えても構わない。
たとえ、どんな相手が敵であろうとも。
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