第2章 ①

 リビングにて、マリオンは簡潔に結果を告げる。

「それで、命からがら逃げてきたというわけですか」

「いいえ。仕切り直しただけです。敵は必ず倒しますわ」

 マリオンから麦茶の入ったコップを受け取ったフレデリカは、一気に飲み干した。浮かんでいた氷までがりがりと噛み砕いて胃に下す。幾分か身体にたまっていた熱が薄まり、気分が落ち着いてくる。

あの後、街中を走りつつ、探索魔術を誤認させる自分達のダミーを各所に施してビルまで辿りついた。少しでも敵がこちらを掴む証拠を消そうと、身体強化の魔術を抜きで走り続けたのだ。当然、身体には疲労がたまり、心臓の鼓動が五月蠅い。女はまだましだ。対し、ライラといえばソファーをベッド代わりにしてぶっ倒れている。

「死ぬー。こんなに、走ったの、はじめてえぇ……」

 心身鍛えてこそ立派な魔術師。だが、魔術前提で身体強化や魔弾を使うライラと、極力魔力を消費せずに戦う魔操銃士のフレデリカとは鍛錬の質が違うのだ。マリオンから麦茶を渡されると、女は喉を鳴らして飲み干す。

「マリオン、ごめんねー。マカロン置いてきちゃったー。今頃、あいつが全部食べちゃってるよー」

 地面に落ちていた菓子箱を開けてマカロンを食べるマリーベルを想像し、フレデリカは失笑した。そんな意地汚い性格の敵では困る。戦うこっちの身にもなってほしい。

「食べたばっかりだから胃が痛い」

「では、今日の夕食は軽い物にしましょう」

「ううん。がっつり食べる。肉が良い」

「この馬鹿。どれだけ食い意地をはっているのですか」

 呆れ、マリオンとフレデリカは溜め息を吐いた。

「では、夕食の支度をしてきますので。お風呂もじきに沸きますのでどうぞ。ライラ様のお着替えもご用意しています」

 マリオンが空になったコップ二つをお盆に乗せてキッチンへと去って行った。フレデリカは壁に背をつけて立ち、小さく息を吐く。

「どうしますか?」

「牛肉か豚肉か? ……オーケー。そんな気難しい顔をしないでください」

 ライラが上半身を起こし、両手を顔の高さまで上げた。

「で、マリーベルだっけ? どうするもなにも、決まってんでしょうが。売られた喧嘩は買う。そうでしょう? それとも、尻尾巻いて逃げるとか? まさか、天下のフレデリカ様がそんなチキンプレイするわけないよね?」

「当然です。お返しはきっちりしないと」

 お互い、顔を見合わせて微笑みあう。しかし、フレデリカの表情に暗い影が差した。

「巻き込んでしまい、すいません。貴女には結社を背負う義務があるのに」

 極論を言えば、フレデリカが死のうが誰も困らない。せいぜい、マリオンが泣き、この街に新しい魔操銃士が派遣されるだけだ。しかし、ライラは違う。《琥珀蝶の調》に所属する何千人という魔術師を支える首領である彼女が死ねば、結社は混乱に包まれるだろう。アプリコット家の信用にも大きく関わる。

「貴女はここで降りなさい。今からチケットをとれば夜には間に合うでしょう」

「……それ、本気で言ってんの?」

 ライラがソファーから弾かれるように跳び起き、こちらを眇めた漆黒で睨みつけた。

「えっ?」

 ライラがわずかな怒りを滲ませてフレデリカに詰め寄った。

「私はね、迷惑だなんてこれぽっちも思ってない。友達は困ってんなら助ける。逆の立場なら、あんただって私を助けてくれるでしょうか。それが友達ってもんでしょ。……もっと頼ってよ。私はフレデリカの力になりたい」

「ライラ……」

 フレデリカの涙腺が自然と緩む。それでも、涙を流さなかったのは友の前で弱い所を見せたくないと思った女のプライドだった。今日ほどに友を頼もしいと思った日があっただろうか。隣に立つ戦友がいる。彼女は一人じゃない。どんな闇でも、苦境でも、傍に彼女がいるのなら乗り越えられる。

 だから、フレデリカがライラに伝える言葉は決まっている。

「ありがとう」

 すると、ライラの顔が急速に紅潮していく。まるで、恋する乙女のように。短いスカートの奥に隠された太股がきゅっと内側に閉まる。フレデリカが友の変化に訝しむと、ゴスロリの女がこちらへと歩み寄り、

「……ねえ、気持ち良いことしない?」

 フレデリカがなにか反応を示すよりも早く、ライラが動いた。壁から引き剥がすように女の背中に両腕を回し、固く抱擁する。ドレスの内に実っていた果実が、その弾力を存分に語るようにひしゃげる。開いた胸元に荒い息が落ち、くすぐったい。何故だろう。腰と腰が強く、それは強く密着している。

「ら、ライラ。これはいったいどういうひゃん!? あ、ちょっと、やめなさい……」

 ライラの片手がドレスの上からフレデリカの尻を撫でていた。丹念に、優しく、慈しむように。指の一本一本が別の生物のように動き、ほどよく肉の乗った感触を楽しんでいる。まったく意味がわからなかった。外国で流行っているスキンシップだのだろうか。それにしたって説明ぐらいほしい。と、女が思い、

「私さ。ご褒美が欲しいなー」

「ほ、報酬ならきちんと御出し、あ、あう」

 ライラがフレデリカの首筋を甘噛みする。ぴくんと女の身体が反応する。白く張りのある肌を真珠のように美しい歯が優しく押し、舌を這わされる。くすぐったい。だから声が漏れてしまう。本当にそれだけか? 女の思考がアルコールを摂取したかのように酩酊する。悪い気はしない。少なくとも、友を突き飛ばし、激昂しようという気持ちにはなれない。

 むしろ、なにかを期待している?

「汗をかいたからかな。ちょっと、しょっぱい」

「これ、以上、ん、あ。駄目、です。私の身体、は、汚れて。せめて、お風呂に、は、ふ」

 拒絶しようとするも、それは逆にライラの嗜虐心をくすぐることとなった。

「ええ、こういうのが逆にそそるけど」

 そうして、ライラが首筋から口を離す。余韻を引くように唾液が一筋。そして、可憐な唇がフレデリカの唇へ近寄る。その距離十センチ、七センチ、五センチ、三センチ、一センチ――。

「お嬢様ーライラ様―。今日の夕飯は唐揚げと豚カツのどちらに……」

 キッチンから戻ってきたマリオンが表情ごと身体を硬直させた。その瞳は完全完璧にフレデリカとライラの痴態を凝視していた。魔操銃士の心臓が凍りつく。どんな言い訳も浮かばない。逃れようのない変態行為に、顔は赤を通り越して蒼白になる。一方、友の方は首を全力で後ろに曲げているので顔は見えないが、うなじには冷や汗が浮かんでいた。

「マリオン、あの、これは……」

 なにか言おうとするフレデリカだったが、マリオンが先に頭を深々と下げた。旋毛をこちらへと向けたまま、淡々と告げる。

「私はなにも見ていないし、聞いていません。お二人の秘事を邪魔してしまい大変すいませんでした。私は部屋でじっと閉じこもっているので、どうか続けてください。お気の済むまで堪能してくださいませ。……では、これで」

「あの、マリオン、マリオン!? だから、これは違うのです!」

「はい、存じています。ですから、ごゆっくりどうぞ!」

 残像を生む速さでマリオンが部屋を出た。それは優秀な従者の完成系であり、フレデリカは抗弁一つ許されなかった。我に返ったライラが離れ、無言のままこちらに訴える。ねえ、これからどうしよう? と。女は黙ったままドレスの乱れを直し、マリオンの部屋へと全速力で駆けた。

 その後、一時間にも及ぶ弁解が続く。

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