第1章 ⑩

「……逃げたか。まあ、いい。どうせ、この街からは逃げられないのだからな」

 独り言を呟いたマリーベルは、血糊がべっとりと張り付いたサーベルを肩に担ぎ、辺りを見回す。当然、フレデリカとライラの姿はどこにもない。あるのは、刃向ってきた男共の死体だけだった。首を断つか、心臓を貫くか。皆一撃で殺されている。

 さて、これからどうしようか。とマリーベルが形の良い顎に手を当てていると、ズボンのポケットから振動が一つ。携帯電話であった。魔術師といえども、文明の利器は利用する。遠くの人間と話をするだけで魔力を消費するのは戦闘を主とする女に好ましくないからだ。

 携帯電話を耳に当て、唇が微笑みの形をつくった。

「あなたか。ああ、ぶつかったよ。アプリコット家の次期頭首様の実力は上々だな。いささか本当の戦場の空気を知らぬようだが、私に会っていなかったら良い魔術師になれただろうに。残念だよ。若い芽を潰すのはさすがに気がひける。それでも、殺すのは容赦しないがな。可憐な花が相手でも、私は剣鬼となろう」

 どこか自嘲気味な口調から一転し、マリーベルの瞳が険しくなる。

「もう片方の女。あれは素晴らしい。銃器を扱うのはともかく、纏う空気が私と一緒だ。己の理念の為なら人殺しを躊躇しない。あれは、そういう目だ。私が最初の一撃を放とうとしたとき、あいつは既に銃口をこちらへと向けていた。アプリコットの娘が割って入らずとも、私の攻撃は防がれていただろう。そして、敵の情報がすくないとわかれば即撤退する判断力。ラズベリー家は、あの娘を落ち零れだと評したがとんでもない。近い将来、あれは化ける」

 言葉を重ねる度に、マリーベルの声が荒くなり、恍惚とした表情にかわる。

「それを、私が壊す。これほど甘美なことがこの世にあるか?」

 魔女であり剣士である女は喜悦に歪んだ顔で呟く。携帯電話を切り、女は空を見上げた。

「あれは、私の獲物だ」

 サーベルを左腰の鞘に戻し、マリーベルは振り返らずに口を開く。

「謀反を起こした商品を殺してしまったが、構わないだろう?」

「――もちろん」

 物陰から、一人の男が現れた。ジーパンに白いTシャツを着た二十歳前半の男である。背は百八十センチを超え、細身ながらもしっかりと筋肉がついている。高そうな装飾のネックレスや指輪、腕輪、ピアスをごてごてに装備しており、いささか品が無いような印象を受ける。髪は腰まで届く黒髪を頭の後ろで縛り、一本に纏めていた。彼の名は六天咲和也。この場に人避けの魔術を展開している魔術師である。そして、とある仕事をマリーベルから引き受けている。

「駒がなくなったとあれば、新しい駒を見繕うか? それが俺の仕事だからよ。上流魔術師をすぐにダース単位で集めろって注文以外はなんでも聞くぜ? さっきの奴らレベルなら後、二百以上のストックがある。それとも結社そのものをぶつけるか? 俺と契約している《GHレゼクラ》や《破交なき道程の狭間》ていどなら。数日で呼べるぜ。どうだい? 一人で戦うよりはましだろう?」

 和也が犬歯を見せるように笑みを湛えると、マリーベルが感心と呆れを半々にした表情になる。

「さすがだな調達屋。それとも汝の通り名である《応報求める黒牙(ブラッド・ファング)》と呼んだ方がいいであるか? いやはや、金さえ払えばどんな注文でも届けるというのは本当らしい。この剣も上々だ。我が振って壊れないとは見所がある」

 和也は結社に所属しておらず、フリーの魔術師だ。そして、調達屋――依頼者が望めば武器だろうが人材だろうが取り寄せる商人である。マリーベルはフレデリカ達の実力を調査するために男へ〝手頃な魔術師〟を依頼したのだ。

「ところで、これらは何者だったのだ? 確かに手頃な駒を用意しろと言ったのは私だったが、威勢が良い割に脆弱で驚いたぞ」

「こいつらか? なーに、経営不振で存続不可能になった小規模結社の奴らにビジネスの話をしただけだよ。報酬通りの働きをすれば、上の結社に取り繕ってやろうって。あいつらは喜んで武器を掴んだよ。嘘は言ってねえぜ。標的が名家二人とは一言も伝えなかっただけだ。よっぽど切羽詰まってたんだろうな。聞く余裕もなかったらしい。お硬い頭の騎士さんも覚えておけよ。聞かれなかったら、リスクは言わなくて良い」

 胸に留めておこう、とマリーベルは頷いた。和也は満足そうに頷く。

「三流魔術師で構わん。……五十人だ。結社も戦闘の系統も問わない。金額は日本円にして二億。月賦なし、即決払いだ」

 和也が口笛を吹き、胸の前で手を叩いた。一人頭、四百万。雑魚にしては破格の値段である。

「オーケーオーケー。二日もあれば、集められる。どうやら、全力で潰すらしいな。俺は詳しい事情なんて聞いていないけど、そんなに指輪が必要なのか。なんなら、一つやるぜ?」

 冗談めかしに和也が人差し指と中指に二つずつ指輪を嵌めた右手を振ると、マリーベルは肩を竦めて微苦笑した。

「それでは駄目なんだ。あの指輪でないとな」

 それが、契約だった。女が無頼に身を落としてもなお、果たさなければいけない、結社の首領としての誓いだった。

「お前からの仕事で儲かっている手前、複雑なんだけどよ。災難だったな。歩が悪い勝負だろう? ガキ二人っていってもアプリコットの神童に、ラズベリー家の銃士、か。出会いが違えば、酒でも酌み交わしたかった相手だろうに」

 和也の皮肉に、マリーベルはほんのわずかに頬を緩めた。

「今更、なにを言っても仕方がない。剣は既に抜かれたのだからな」

「なら、とやかくは言わねえよ。そろそろここ等に張った魔術を切る。人目がつく前に去るんだな。死体はこっちで処理しておくよ。アフターサービスまで出来るのがプロの商売人なんでね」

「ああ、恙無く頼む」

 マリーベルはわずかに頭を下げ、和也の元を去った。歩きながら、二億は痛かったな、と頬を掻く。けっして無視できない出費だ。《レイジング・ハート》が所有する資財の幾つかを売り捌かないといけない。その後の経営を想うと、気が滅入った。

 そして、自嘲気味に微笑む。

「経営が続けられる、か。そうか、まだ道はあるのか」

 叶えたい理想。叶えなければいけない目的がある。

 女は粛々と歩を進めた。

「見知りおけ女狐。私の刃は決して砕けん」

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