第1章 ⑦

「で、これが朝の電話で言っていた指輪ってわけかー」

 ライラが太陽に指輪をかざし、片目で凝視する。フレデリカは無駄ですわ、と首を横に振った。女の左手には白いビニールの袋が提げられている。中身は真後ろにある大型スーパーの菓子売り場で買った五個入り千円のカラフルなマカロン二箱だ。マリオンへのお土産である。

 休日ともあって都心は人で溢れている。ファミレスと同じく、家族連れがと若者が多いようだ。コンクリートと鉄骨で造られた建物に囲まれながら、魔女たちは異能を語り合う。誰かに聞かれても支障はない。通常に人間は魔術など信じていないからだ。

「マリオンでも解除できませんでしたの。なにか心当たりはありませんか?」

「うーん。最近はどこも殺気だっているからなー。《琥珀蝶の調(うち)》にも喧嘩吹っ掛けるとこもあるんだよー。ほら、仕事の取り合いに、縄張り争い。アプリコットの名前がないと、五回は潰されているかも」

 結社の主な活動は研究から犯罪魔術師の取り締まりに、結界の張り直しや、封印が外れた魔物の討伐まで枚挙にいとまがない。ライラの結社はアプリコット家からの大量の投資金で、研究をするのが主流になっている。全員が彼女のように戦えるわけではない。

「大きな事件って言ったら、《リングバーグの緋竜》と《応王央連回商団》の派遣争いかなー。あっちてさ、元は中世のイクドラの乱戦で袂を別けたのよ。つまり、同じ穴の貉? 持っている魔術書の奪い合いとか醜いよねー。おっと、ごめんごめん。あとは、フランスの機関支部で政権交代かな。こんな極東の島国にまで飛び火するような事件はないんじゃない?」

「そうですか。こうなると八方ふさがりですわね。下手に解除するのも危険がありそうですわ」

「支部に頼れないの? そりゃあ、あんたがレイルに苦手意識持っているのは知っているけどさ。このままだと取り返しのつかないことになっちゃうかもよ」

 ライラからの提案に、フレデリカは苦い顔をした。確かに、ただの好き嫌いを理由にして手掛かりを潰すのは不利益しか生まない。しかし、この指輪を無視した女の態度が気に入らない。遠回しに、副長は〝黙ってそれを持っていろ〟と告げているのではないのだろうか。

 それなら、それで構わない。

「あいつを頼りたくないから、あなたを呼んだのです」

 意固地になったフレデリカを見て、ライラはやれやれとばかりに肩を竦めた。

「それじゃあ、今日から一週間お世話になりまーす。マリオンちゃんのご飯ってすっごく美味しいから楽しみー」

 ホテルに泊まれと無粋なことは言わない。フレデリカは〝食べ過ぎないように〟と釘を刺す。

「さっき食べたばかりですのに。貴女は本当に食べ――」

 二人の表情が凍りつき、緊迫で張り詰めていく。世界の外側にある法則を、魔力を鋭敏に感じ取れる魔女であるからこそ、異変を察知した。人混みで視界は悪い。それでも、見える。前方遥か先で誰かが魔術を発動させたのを。

「ライラ」

「おっけー!」

 ライラとフレデリカが同時に駆ける。前者は身体強化魔術を発動させ、後者は純粋な身体の冴えで。一陣の風となり、人混みを縫うように一度もぶつからずに走り抜ける。どんどん頬にひりつく魔力の濃さが強くなってきた。前方二十五メートル先の路地裏から、発せられているようだ。それはまるで、二人を誘っているかのように。

 言葉なく、ただ一瞬だけ見合わせる。それで十分だった。フレデリカとライラが減速せずに路地裏に入り、カビ臭く湿った一本道を抜け、再び表に出る。すると、誂えたように二人を出迎えたのは、無音の世界。駅前の大通りから比べれば古き街並みが残る寂しい場所ではあるが、休日の、それも明るい時間に誰もいないのはおかしい。

 そう、誰もいないのだ。周囲には人の影が一つもない。

「人の意識に干渉し、ここから遠ざける《人避け》の魔術ですわね」

「準備がいいみたいだね」

 ライラがぺろっと下唇を舐めたそのとき、物陰から男が飛び出した。

「吹き荒べ。煉獄の業火よ!!」

爆音。視界を緋色の炎が埋め尽くす。だが、魔術による攻撃に対し、魔女達はひるまない。

「呼応せよ。水辺の乙女。我が身を守る盾となれ!!」

 どんな早技か。日本刀の居合のように、ライラが右手に三十センチはあろうか杖を握っていた。装飾は一切なく、細長く真っ直ぐに削られているだけだった。しかし、これが彼女の意志を魔術にまで昇華させる。炎の濁流が彼女達を包み込むよりも先に、杖の先端から水が溢れた。透明な竜が牙を剥き、災厄を飲み込んでいく。敵の攻撃は二人の髪の毛一本も焦がせずに消えていく。彼女は一流の魔術師だ。見かけだけを膨らました三流の魔術に負けるはずがない。

ライラは攻撃に転じなかった。それは友の役目だったからだ。フレデリカが流れるような動作でスカートの奥からUSPを抜いていた。スイッチを中立にし、スライドを引き、初弾が薬室に装填されるのに連動して撃鉄が起きる。

 その碧眼は鋭さを増し、獲物を捉えていた。三十メートル先に術具であろう銀のナイフを握った男がいる。フレデリカの瞳は、男の頬に冷や汗が流れるのさえ視認していた。これだけ距離をとっていれば当たらないと思っているのだろうか。逃げようとはしない。

「それは勇気ではなく、驕りですわよ」

 フレデリカは銃のグリップを両手で保持し、足を肩幅まで開いた。極限の集中力が無駄な情報を脳から追い出し、世界が水飴のように粘度を増した。引き金が絞られ、撃鉄が落ちるのが遅く感じられた。乾いた発砲音で体感速度が元に戻る。三五七マグナムよりも小さく柔らかいマズルフラッシュを咲かせ、九ミリ・パラベラム弾が虚空を劈く。

 銅被甲された円頭の弾先が銀の刃を正確に弾き、男の手からすっぽ抜かせる。着弾の衝撃のせいか、男が右手を左手で押さえて呻いた。その隙を狙い、フレデリカは男へ肉薄する。淀みない動きに、仲間であるはずのライラまで呆気にとられた。

「フリーズ!!」

 男の額へ銃口を突き付け、フレデリカは動くなと命じた。動けば殺すぞと言外に告げるように引き金に人差し指はそえられたままだった。

「貴方はいったい、何者ですか? どうして私達を襲ったのです」

 簡潔かつ明瞭な問いに、男は苦渋で顔を歪ませる。フレデリカは改めて男を見る。歳は二十代後半か、三十代前半か。日本人だろう。どこにでもいそうなサラリーマンのようにくたびれたスーツを着ている。しかし、地面に落ちているのは銀のナイフ。銀は魔力を通し易い金属の筆頭だ。炎の攻撃を形作った魔力の痕跡がはっきりとこびりついている。

「ゆ、ゆびわ、指輪を寄越せ」

 声は小さく、されど絶対の意志が込められた言葉に、フレデリカは眉を潜める。この男は指輪の正体を知っている? しかし、どうして。どこかの結社に所属しているのだろうか。馬鹿正直に、はいあげますわ、とは言えるわけがない。女が考えあぐねていると、また緋色の殺意。

 フレデリカは咄嗟に右横へと飛んだ。羽虫の飛翔を百倍にしたような耳障りな音。そして、熱を孕んだ魔力。頭の半面に影が差す。さっきまでいた地点に流星の如くサッカーボール大の炎球が着弾した。質量はなくとも凄まじい熱量だ。コンクリートの地面が赤く熱せられている。その一部だけ溶岩になったように。男の攻撃ではない。術具はどこにも持っていないではないか。つまり、複数の敵がいる。

「――ライラ。防御魔術は要りませんわよ」

 また、炎弾が魔女へと撃ちこまれる。前方から地面に平行して。真上から鉄槌のように。右斜め後ろと左斜め後ろから挟みこむように。数が一つ、二つ、三つと増加していく。昼間に現れた鬼火。人を惑わし、傷付ける魔術に囲まれ、フレデリカは狩人の笑みを湛えたのだ。

 すわなち、不敵。《アーガリスト》はいらない。魔術はいらない。信じるのは己の身体のみ。

 世界が再び粘度を増す。炎弾がスローモーションに、魔女の動きが緩慢になる。フレデリカはまず、前方からの炎弾を首だけを振って回避した。滑るような歩法で下がり、頭に落ちるはずだった攻撃を避け、交差した殺意も纏めて無に帰す。どれだけ魔弾が放たれようとも、女は軽やかなステップを刻んで回避する。研ぎ澄まされた感覚は目だけではなく、皮膚にさえ第二の視力を与える。どんな方向からくる攻撃をフレデリカには〝視える〟。それは、戦士が羨望する到達点の一つ。

「では、今度はこちらから参りましょうか」

 魔術の攻撃を当てるには術者が己で見て、魔力の動きをある程度誘導しなければいけない。つまり、相手が攻撃を仕掛ける瞬間は、姿が露見される。そして、フレデリカは敵の居場所をとうに見抜いている。USPを持った右手が起き、引き金が絞られる。弾丸の重さは十グラムにも満たないが、威力とは質量と速度の計算式で成り立つ。

 九ミリ・パラベラム弾に音速が与えられたとき、小粒の使者は悪鬼と化す。弾丸は吸いこまれるように右斜め前、二十五、六メートル先の空間を撃った。そして、絶叫。

「あ、ひゃああああああああああああああああああああああああ!!??」

 虚空に赤い花が咲く。奇蹟が剥がされ、術者の姿があらわになる。右肩を抉られた男が発動させていた、光を操作し、景色を歪める術式が破綻したのだ。人間は脆い。激痛で思考が保てなくなり、簡単に無力と化す。フレデリカは、男がなにか別のアクションをとるよりも先に、もう一発撃った。足元へ牽制の意味を込めた一発を。

「ライラ。術式の逆算は済みましたか?」

 後ろにいるだろうライラから頼もしい声が返ってくる。

「当然! ――呼応せよ。風間の騎士よ。我が敵を戒める鎖となれ!」

 ライラの杖を基点にして風が吠える。フレデリカの髪までが千切れんばかりに遊ばれる。風が絨毯でも広げるかのように地面を舐める波濤となり、隠れている術者へ噛みついた。強制的に視認操作の魔術を破壊され、敵の姿が丸見えとなった。先に倒れた二人を抜かし、数は九人。似たような背格好でスーツの男共だ。そして、杖やナイフなど術具を握っている。

 男達の間に動揺が走る。フレデリカはちらりとライラに視線で合図を送った。友は頷き、敵へと大きく宣言する。

「私の名はライラ・D・アプリコット。魔術結社琥珀蝶の調の首領であり、《ランドグリーズ魔術師連合(ウィザーズ・ユニオン)》を創立した《偉大なる二十四の血筋》に数えられるアプリコット家の次期頭首です。この名を聞き、なおも戦場に立つと言うのなら、容赦はしない。この私に敗れることを、光栄に思うといい!」

 高らかな宣言を聞いたフレデリカは、気難しい顔をした。違う。誰が戦闘の合図をしろと言った。これでは交渉もできないではないか。魔女の危惧は予想通り当たり、男達が雄叫びを上げた。

「指輪を寄越せえええええ!!」「仲間の仇討ちだああああああ!!」「名誉ある死。本望!!」

 フレデリカが嘆息すると、ライラが先に攻撃を仕掛けた。

 男達の攻撃魔術は《エネルギー》の《生成》と《操作》を組み合わせた魔術だ。

 ライラはそれを、真っ向から同じ系統魔術でねじ伏せる。

「呼応せよ。水辺の乙女。我が敵を撃つ強弓となれ!!」

 ライラの魔力が疑似的な水となり、女を囲むように待機する百条の矢となった。フレデリカはひっと息を飲んだ。それは、友が本気を出した時の十八番、水の矢による一斉射撃。一人で多をあっとうする機関銃の如き一掃。あれ、射線上に私が入ってない? 女が血相を変えて伏せると、頭上を太陽光煌めかせる軍勢が通り過ぎた。空気を裂く音が繋がり、まるで竜の吐息。

 阿鼻叫喚とはまさしく、目の前の光景だろうとフレデリカは思った。熱くなったコンクリートの地面に我慢しながら視た光景は地獄絵図。個人でもそこそこの実力を持っていただろう男達が次々と身体を穿たれていく。右手を、左の太股を、脇腹を、肩、二の腕、腰、肘、膝。急所を避けつつも、瞬く間に男達を無力化する。その間、実に三秒。

 隣へ滅茶苦茶爽快な笑顔で近寄ってきた友に、フレデリカは言った。

「やりすぎです」

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