第1章 ④
フレデリカが住む参開市は人口九万人を超え、地方都市ながらもここ十数年の大々的な開発で近代化が進み、活気づいている。市の中央に都市機能を集中させた街を置き、囲むように住宅地が配置されてある。歪なドーナッツのような形だ。南東の海辺は観光地として有名であり、この季節には多くの旅行客で賑わっている。
魔女が訪れたのは、繁華街の南西部。その一か所だけ、時代から取り残されたように開発の手がつけられていない場所。煉瓦造り二階立ての洋館が静かにフレデリカを見下ろしていた。建物をぐるりと囲む背の高い鉄柵は赤錆びが浮き、煉瓦には蔦が絡みついている。今すぐにでもホラー映画の舞台になりそうなほど、無気味であった。フレデリカは鍵のかかっていない門を抜け、両開きの扉を開ける。こちらにも鍵はかかっていない。通常の鍵は。
鉄柵の門にも両開きの扉にも機関の魔術師が起動させた《関係者以外には絶対に開けられない》魔術が施されている。たとえ十トン・トラックが衝突しても洋館には震度一弱の揺れしか起こらないだろう。フレデリカは長い廊下を誰とも擦れ違わずに歩き、その一室の扉をノックした。
「フレデリカ・ラズベリーです」
返ってきた声はややハスキーかかった女性の声だった。
「ええ、入って良いわよ」
――扉の向こうは馬鹿の部屋だった。
観葉植物に漫画本だけの本棚、よくわからない置物、ピンクのファンシーなカーテンと好き勝手にアレンジされていた。そして、高そうな黒塗りの机の前で意味もなく腰に手を当ててポーズを決めている女性が一人、こちらを出迎える。ブランド物の空色ワイシャツに黒の長いパンツスタイルで、外観だと二十代後半ぐらいだ。しかし、誰も彼女の年齢はわからない。背は高く、百八十センチ前後だろうか。セミショートの金髪で、銀に限りなく近い灰色の瞳である。
メタリックフレームの眼鏡をかけており、知的な雰囲気が……変なポーズとミスマッチしていた。ストレートに表現すると、ひどく阿呆臭い。
しかし、彼女こそ《ランドグリーズ魔術師連合(ウィザーズ・ユニオン)》の日本支部第四番区の副長を務めるレイル・アリルストである。
「どう? 四時間も費やした決めポーズの出来は?」
「ひどく馬鹿らしいから止めろですわ」
フレデリカに一蹴され、レイルは小馬鹿にするように肩をすくめて椅子に座った。机の上に両肘をつけて手を組み、顎を乗せる。ちょうど窓から差し込んだ日光が眼鏡に反射した。フレデリカは嘆息しながらも要件を伝える。
「昨夜の仕事は無事に完了しましたわ。蟲毒の瓶は破壊済みです」
「お疲れ~。フレデリカちゃんには簡単な仕事だったかしらねー」
「子供扱いはしないでほしいですわね。私は魔操銃士なのですから」
レイルは薄っぺらい微笑みを湛えたまま、腕組みを解かずに口を開く。
「それで、仕事の報告だけをしにきたんじゃないわよね。なにがあったの?」
部屋にはクーラーなどという文明の利器はない。しかし、妙に薄ら寒いのだ。洋館に張り巡らされた魔術がそうしているのか。それとも、レイルが纏う空気のせいか。フレデリカは指輪のことを伝えようとするも、
「新しい武器の使用許可状をいただけないでしょうか? 魔操銃士として支部に派遣されたのですから武器を管理すると言ったのは貴女達でしょう。まったく、面倒なルールを作ってくれたものですわ」
隠してしまった。レイルはフレデリカの内面を覗くかのようにじっと瞳を見る。そして、唇だけを歪めて微笑む。
「良いわよ。事務所で書類を書いてらっしゃい」
部屋を出たフレデリカは首を捻った。妙だった。胸に挟んだ指輪にレイルはなにも触れなかった。彼女もまた魔術師であり、術具の存在など気が付いていないわけないのに。では何故、無視されたのだろう? 支部内では許可された術具以外の所有を禁じている。女の指に嵌めている《アーガリスト》も書類を済ませるまで持ち込み禁止だった。
キナ臭い。なにかあると踏んでいいだろう。
「……あの女狐。なにを考えているんですの?」
泳がされているのだろうか。それとも。
(どちらにしろ。簡単に伝えるのも不本意ですわね。……いいでしょう。敢えて乗って差し上げますわ。この私をだしに使ったこと、後悔させてあげますわよ!)
得意げに胸を張り、フレデリカは事務所の扉を開ける。築百年は経過するだろう洋館の一室にスチール製の机が並び、スーツを着た大人がパソコンを打ったり、携帯電話で会話していたりする光景はひどく滑稽だった。しかし、忙しいのは昔からずっと変わらないだろう。過去、電子機器が生まれていなかった時代は、ローブを着た事務員が紙と羽ペンで書類整理に追われていたに違いない。
事務所はそれほど広くなく、働いているのは八人だ。魔女の登場に気が付いた数人が顔を上げ、こちらに近寄ってきた一人を抜かして己の仕事に戻る。
「こんにちはフレデリカ。なにか用事?」
話しかけてきたのは黒のスーツを着た二十歳ほどの女性だった。やや幼顔で、十代半ばにも見える。身長は百六十センチ程度だろうか。瞳はぱっちりと開き、ポニーテールが彼女の活発な性格を体現しているかのようだった。お人よしのお姉さん。そんな雰囲気である。名は咲崎真野。ここで働く普通の日本人である。
「ええ、新しい武器の使用許可状をいただけないでしょうか?」
そのとき、先ほどはフレデリカが来ても反応しなかった者まで全員が一瞬だけ指を止めた。魔女は『あー』と小さく言って頬を掻く。女は魔操銃士である。どんな強大な敵でも屈服させるのが彼女の仕事だ。そして、事務員の仕事はその後の処理である。昨夜の違法売買のように、買い手か売り手が魔術師ではない場合がある。そうなると、警察への対応にも追われるのだ。証拠の隠滅に情報操作。残業上等、休日免除の大忙しである。きっと、なにか大きな事件が発生した=今日も徹夜と悲しい計算式を弾きだしたのだろう。真野の顔から精気が抜け落ち『今日、合コンだったのに……』と絶望していた。
「あ、あの、本当に武器の使用許可状を貰いに来ただけで、大きな事件なんてありませんから」
慌ててフレデリカが弁解すると、事務所の空気がたちどころに和らいだ。真野の顔がぱっと輝く。
「そっかー! じゃあ、適当に書いちゃって。今すぐ紙持ってくるから」
イギリスに本部を置く《ランドグリーズ魔術師連合(ウィザーズ・ユニオン)》。極東の日本にある支部で働く事務員に払われる給料はけっして多くない。余計な仕事はしたくない。それは、社会人の真理だろう。フレデリカは空いていた机で書類を制作しながら『大人って正直ですわねー』としみじみ思った。
「じゃあ、申請完了ね。……それにしても、魔術師が拳銃ってなんだか不思議ね」
「魔力の効率的運用を考慮すれば、ベストな選択ですわ」
机の上には一丁の拳銃が鎮座していた。
GP‐100とは違う、自動式拳銃である。
格式と厳粛を重んじるドイツが誇る銃器メーカー、H&K社のUSP。
常に革新的技術を求めてきたこれまでのH&K社製拳銃と違い、既存技術の集大成と呼ばれる名銃だ。
銃身の底部にはレーザーサイト等のオプションが付けられるレールが施されており、操作性が高い。フレームはグロック17等と同じ、プラスチック製だ。そのお陰で、全長が百九十四ミリに対して重量はわずかに七百七十グラム。金属製には不可能な軽さを実現している。
気温の変化にも強く、耐久力も高い。軽量になればその分、射撃時の反動が強くなると嫌煙されが、その心配はまったくない。プラスチックと言うと陳腐に聞こえるが、最新科学の結晶である耐衝撃性樹脂であるポリマーフレームである。
金属製の拳銃となんら遜色ない命中精度を誇っている。
この銃器に特別な能力はない。フルオートで弾丸を放つことも不可能ならマグナム弾を撃つこともできない。それでもフレデリカがこの銃器を選んだのは、使い易さを求めた結果だ。気候の影響が少なく、弾薬はバランスのとれた九ミリ・パラベラム。まさに打ってつけである。
安全装置は、フレームの右側面上にある三段回の小さなレバーで、真ん中で撃てる状態に。上げると引き金が固定される。そして、下げるとデコッキング――起きていた撃鉄を下ろしてくれる。
「リボルバーだけでは弾の数が不安でしたので、自動式が一丁欲しかったのですの」
回転式拳銃と違い、自動式拳銃はグリップ内に弾薬を一列に並べた弾倉を装填する。そして、USPはダブルカアラム方式。これは弾薬をジグザグに、二列になるようにつめることで総弾数を多くしている。GP‐100の弾数を倍にしても届かないUSPの十五発がフレデリカをより剣呑にさせる。
USPを左の太股へ巻いたホルスターに戻し、フレデリカは椅子から立ち上がった。
「最近は物騒になってきたからねー。頑張ってねフレデリカ」
「ええ。この街の治安は私が守りますわ」
それから二つ三つ取り留めもない事を話し、フレデリカは事務所を出た。ポケットから取り出した携帯電話で時間を確認すると、午後の一時を回っていた。どうりでお腹が減るはずである。
「マリオンに頼みっきりだと負担をかけますし、たまには息抜きをさせてあげませんとね」
フレデリカは料理がまったくできない。しかし、やらないわけではない。ただ、いざマリオンに料理を教わろうとすると『私の料理では不満なのですか? 私はもういらない子なのですか』と泣かれてしまうのだ。家事を怠らない態度こそ立派であれ、このままでは少女の人生が専業主婦色に染まってしまう。読書か編み物、それとも園芸か、なにか趣味を持ってほしい。
「さ、私は適当に店でも探して」
「じゃ、私も同行しよっかなー」
真後ろから響いた冷たい声音にフレデリカは振り向き様に回し蹴りを放った。GP‐100が吊られた右足が外気に晒され、艶やかな曲線を描く。終点である革ブーツの踵を〝魔術師〟が片手で受け止めた。
「無愛想な挨拶ね。狼みたい」
魔風の一撃を防いだのは少女だった。フレデリカとそう歳は違わないようだ。背はわずかに低いだろうか。ふんわりと焼かれた菓子を連想させるような、緩いウェーブのかかった髪は腰の中頃辺りで切り揃えている。瞳は濃い墨を溶かしたかのような漆黒である。いや、鋭い殺気を秘めた黒曜石の刃か。着ているのはゴシックロリータと呼ばれる黒を基調にして、フリルを大量にあしらったものだ。スカートは短く、太股がばっちり見えている。
「……まさか、ここに貴女がいるなんて思いもしませんでしたわ。ライラ・D・アプリコット」
「久しぶり、フレデリカ」
ライラはフレデリカの足を押し退ける。その表情は獲物を発見したことを喜ぶ獅子か。上品な雰囲気は魔操銃士と変わらないが、その実、中身は撃鉄の起こされた銃器である。アプリコット家はラズベリー家とライバル関係にある。結社の縄張りから個人の実力まで争いは絶えない。
それが当たり前であるように二人は戦う。――ようなことはしなかった。
「会いたかったよー!」
「……お久しぶりです。我が友よ」
二人が熱く抱擁を交わす。感涙で瞳を潤ませたライラを、フレデリカが聖母の微笑みで迎える。家が犬猿の仲でも彼女達は親友だ。そこに魔術師の利害関係などない。本来の意味で、親しい友なのだ。
「鍛錬は怠ってないみたいね。受け止めた手がじんじんする」
「本来なら側頭部を打つはずだったのです。貴女こそ、素晴らしい反応速度ですわ」
お互いに褒め合いながら洋館を出る。その背中を眺める者が一人。
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