第1章 ③

 ビルの三階は魔術の研究をする工房を兼ねている。壁をぶち抜き、大きな部屋が三つ形成されている。一つ目は、魔術書を保管し、読むことができる部屋。二つ目は術具を保管し、研究する部屋。そして、三つ目の部屋がマリオンのいる、武器開発の部屋である。

 実験の都合上、室内の床も壁も剥きだしのコンクリートである。所々煤だらけで、大きく抉られた跡まであった。機材は豊富で、作業台を筆頭に、簡易の溶鉱炉に金属を叩く柄の長いハンマー。水を溜める小型の風呂みたいな物まで。中世の鍛造場を彷彿させる内装になっていた。マリオンは窓際から離れた位置に置いた机の上で新しい図面を鉛筆で書いている。煤に汚れた魔術書となにか複雑な記号と数式が書かれた紙の山がすぐ近くの床に形成されていた。

 朝食の片付け、洗濯や掃除を済ませた午前の十一時。マリオンは工房で新作術具の制作に勤しんでいた。フレデリカに命令されたわけではないが、彼女のための武器を開発しようとしているのだ。

 マリオンの主、フレデリカの魔力量は少ない。よって、現在制作しているのは魔術を使わない武器だ。

「これで、お嬢様が戦いやすくなれば幸いなのですが……」

 一通り図面を書き終え、マリオンは机の端に置いていた指輪に視線を落とした。昨夜に色々と調べてみたのだが、半分も解析できなかった。わかったことといえば、これが記録用の術具という点だけだった。現代ではテープレコーダーやカメラ等、音や光景を記録する道具は溢れている。しかし、数百年前は違う。この指輪は、魔術師が重要な術式や会話を後世に伝えるために制作した道具のようだった。

「……何重もの強力な封印が施されている。これは至難ですね」

 指輪を右手の人差指と親指で掴み、立ち上がって場所移動。鋼鉄の四脚と分厚い木の板で構成された作業台の上に置く。他に用意したのは五人分のカレーライスが盛れそうな純金の皿だ。表にも裏にも複雑精緻な紋様が刻印されている。天井の照明を反射した輝きは荘厳であり、厳格、そして妖艶。まるで、人の心を掴む悪魔の宝のように。

 マリオンは黄金の器の中央に指輪を置き、呪文を唱える。

「我、マリオン・デーライトが告げる。指定封印解除記号は《静謐の乙女》《移ろわぬ者》《六百六十六番目の怪月》《ドレウス・ヌコスの鉄槌》。一から四の聖解を受託。真域練度の凝縮を掌握。カーテンセレール、エレクトダウン、五、四、三、二、一――」

 呪文の系統は大別すると、フレデリカのように必要最低限の単語で発動速度を高めたものと、マリオンのように言葉を重ね、一種の催眠状態として魔術の精度を高めた二種に別けられる。どちらにも長所短所があり、戦闘なら前者、研究なら後者だ。黄金の器の縁を一周するように蛍火のような儚い光が一周して輪を描く。そして、何十と枝分かれして、器に蜘蛛の巣のような紋様を上書きする。すると、中央の指輪に光が幾重にも張り付いた。

 魔術は《対象》と《事象》の組み合わせで千差万別する。例えば、フレデリカと戦ったショート・ソードの男は《対象》となる《己の肉体》と《剣》に《強化》の事象を与えた。マリオンの指輪は《対象》となる《魔力》を《蓄積》させる事象である。

マリオンが今から行う魔術は《対象(ゆびわ)》の《事情(ちょうさ)》である。

「――汝の真なる姿を我の前に示せ。ローギリア・エルクトアール・ディレクト」

 光がさらに指輪を覆うが、すぐに霧散した。まるで、円環がマリオンの魔術を拒絶したかのように。少女は歯噛みし、苦渋に顔を歪める。

「やはり、一筋縄ではいかないですね」

 マリオンの術式解読は上位魔術――凡人の魔術師なら百人単位ようやく発動出来る魔術に数えられる。その彼女の腕をもってしても不可能となれば、工房に術具だけでは足りないらしい。黄金の器は、価値のわかる魔術師に売れば同じ重さの十倍の純金で支払ってでも買いたいと申し出るほどの高価な術具だ。それでも駄目だとなると、この指輪にはよほど大層な秘密が隠されていると見て間違いないだろう。

「個人レベルではありませんわね。結社の首領、それもかなりの上流魔術師ですね」

 どちらにせよ。これは機関に伝達するべきではないのだろうか、とマリオンは思った。フレデリカはラズベリー家の人間であるが勘当されたも当然だ。もし、重要な情報が盗まれた、などと濡れ衣を着せられたらたまったものではない。

「こんな大層な術具を落とすなんて考えられせん。宝を手に持って散歩すれば、泥棒が盗みに来て当然。そもそも、蟲毒の瓶一個を売っただけの小物が持っていい術具ではありません。ここはやはり、支部に連絡を」

「……それなら心配に及びませんわ」

 真後ろから声。マリオンは悲鳴を上げかけ、ひゃっくりのような声を出す。振り返ると、そこにはフレデリカが立っていた。

「お、お嬢様、脅かさないでくださいよ。びっくりしたじゃないですか!」

「足音を立てないように近寄っただけですのに。人を幽霊かなにかを見たような目で見ないでください」

「え、え? あの、ごめんなさい……」

 逆に怒られ、マリオンは理不尽だと思いながらも頭を下げた。足音を立てず、気配さえ殺す。よほど実力者にしか許されない領域に、女は背筋を凍らせた。フレデリカが敵なら、少女はとうに殺されている。

「ところで、心配に及ばないとはどういう意味ですか?」

「支部に連絡するのでしょう。ちょうど、仕事の報告に行くので、ついでに持っていきますわ」

 どうやら、フレデリカはこれから支部に出掛けるらしい。マリオンはまばたきして小首を傾げた。珍しい。あの主が己から支部に行くと言うなんて。いつもなら渋ってギリギリまでいかないくせに。

「では、昼食はどうしますか? そろそろ昼時ですけど」

「適当に外で済ませてきます。帰り頃になったら連絡しますから、それまでゆっくりと寛いでいなさい」

 それだけ言うと、フレデリカは指輪を掴み取って部屋を出た。マリオンは彼女が出た直後に眉間に皺を寄せた。なんとも怪しい。なにかある。きっと悪い方向だ。猛烈に着いて行きたい衝動に駆られるが、遠回しに一人で大丈夫だ、と言われた手前、どうすることもできない。

「なにもなければいいのですが」

 マリオンはぽつりと呟き、主の出て行った扉をじっと見つめるのだった。

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