第1章 ②

 そして翌日。フレデリカは目覚まし時計も鳴らさずに起床した。ベッドの上で上半身を起こし、大きく背筋を伸ばす。カーテンから差し込む日光に目を細め、大きな欠伸をした。少しばかり眠い。

「今日は土曜日でしたわね。仕事続きで曜日の感覚がありませんわ」

 フレデリカが、枕元に置いていた携帯電話で時刻を確認すると、朝の七時だった。ベッドから下り、もう一度背筋を伸ばす。膝の屈伸もして、肩を回す。普段の生活と戦闘で動かす筋肉はまるで違う。きちんと筋肉をほぐさないと固まってしまうのだ。

 二階にある女の部屋は物置だったスペースを改装している。ある物といえばベッドとクローゼットに机ぐらいなものだ。いささか狭いが、その狭さが丁度良い。

ちなみに、今のフレデリカは服を着ていない。暑かったからという理由ではなく、安眠するには全裸にならないといけないのだ。白き肌が太陽の光を浴びる。それだけで、希代の画家が命を燃やして描いた絵画をも圧倒する美しさを誇る。たわわに実った果実の先は薄っすらとピンク色であり、タオルケットと擦れたせいか硬く屹立している。ブロンドの縦ロールの一房が胸元を飾り、劣情の炎を滾らせていた。

 その左手の人差指には《アーガリスト》が嵌められたままだった。この指輪は恒常的にフレデリカの魔力を吸い、柘榴石へ蓄積させる。たださえ少ない魔力から溜めていくのだ。石が一つ分溜まるのには少なくとも三日かかる。この指輪を身につけると、やや疲れやすくなるのだが、それには大きな理由があった。魔力は空気のように吸えるのではない。

術者が己の身体をもって精製しないといけないのだ。

 魔力を精製するのに必要なのは精神力だ。魔力量が少ないのは、フレデリカの精神に異常があるのではない。効率が通常の魔術師よりも悪いのだ。どれだけ鍛錬しても、詠唱を工夫し、高価な術具を揃えても、逃れられない欠点である。

 また、精製した魔力は魔術に変換しないと自然に消滅してしまう。地面に撒いた水が土に吸われたり太陽光で蒸発したりするかのように。《アーガリスト》は術具の中でも珍しい魔力蓄積の術具である。現在は十二にあるメモリの内六つが完全に溜まっている。

「やはり、銃器に頼らなければ仕事になりませんわね」

 GP‐100は机の一番上に引き出しで眠っている。銃器は便利だ。定期的なメンテナンスを怠らずに使えば、一定以上の結果を出してくれる。三五七マグナム弾の威力をフレデリカが魔力だけで再現しようものなら、疲労で半日は寝込むだろう。それだけの威力が鉛弾にはある。悔しいと思っていないと言えば嘘になるが、実に頼りになる相棒である。

 仕事を思い出してかぶりを振った。

「朝から憂鬱な気分にはなりたくありませんわね」

 フレデリカはクローゼットからタオルと着替え一式を取り出し、部屋を出る。まだ、裸のままだ。寝汗でべたついた肌では服が着られないからである。細い廊下を十数メートルも歩くと、風呂場についた。ここはビルを買い取ってから後付けした場所であり、中は家庭一般の風呂場よりもやや広い。ゆったりと足を伸ばせる広さの浴槽を設計してもらったのだ。湯はマリオンが既に沸かしてある。

 湯気の上る風呂場でフレデリカは熱めのシャワーを浴びた。スポンジと石鹸で汚れを落とし、ほんのりと焼き菓子のように甘い香りのするシャンプーで髪を洗う。リンスを洗い流すと、縦ロールがわずかに緩んだ。次に頭にタオル巻く。浴槽に髪をつけないためにだ。

「朝はこれがないと始まりませんわねー」

 乳白色のお湯に肩まで浸かると、なんとも言えない心地良さが身体全体を包み込んだ。熱い湯が疲労を吸い出してくれているかのように。目を閉じると、そのまま眠ってしまいそうだった。

 このまま赤ワイン片手に一時間は堪能したいところだが、あまり遅くまで入っていると、朝食が冷えるからとマリオンが怒る。フレデリカは二つ三つ、異国の歌を口ずさみ、風呂から上がった。お湯が肌を伝い、雨のように床を叩く。濡れた髪に朝露のように水滴が留まり、実に艶やかだった。ここにマリオンがいれば卒倒していたかもしれない。同性であっても、それだけの精神的な破壊力があった。

 濡れた身体をタオルで拭き、髪をドライヤーで乾かす。

「今日は和食が良いですわね。箸もばっちりマスターしましたし」

 フレデリカが際どいデザインの下着をつけ、晴れた日の海面を連想させるような青色のドレス――このままパーティーに出席できそうなほど可憐であり、凛とした服を纏ったタイミングでドアが三回ノックされた。女がなにも言わないでいると、勝手にドアが開く。現れたのは、女中姿のマリオンだった。

「おはようございます。フレデリカお嬢様」

「おはよう、マリオン」

「朝食の用意ができました。今日は和食です。ひゃっ」

 マリオンが思わず声を上げたのはフレデリカが頭を撫でたからだ。その頬がわずかに赤く染まる。

「ベストなタイミングですわマリオン。褒めて差し上げます」

「こ、光栄です」

 フレデリカが手を離すと、マリオンは名残惜しそうに眉を下げた。すぐに頭を振って主を先導するように早歩きをする。廊下に出ると、すぐに美味しそうな匂いが鼻孔をくすぐり、胃袋が警報を鳴らす。

 ダイニングのテーブルに用意されていた朝食はご飯に豆腐とワカメの味噌汁。鮭の照り焼きに卵焼き、ホウレン草のお浸しだった。なんとも純和風である。これら全てはマリオンが作った。鮭に塗った特製タレまで手作りである。主と女中は対面するように座った。主従関係といっても、食事を同じテーブルでとる。独りの食事は寂しいと二人とも知っているからだ。

「「いただきます」」

 手を合わせたとき、二人の目が合った。そして、どちらともなく頬を緩める。

「夫婦みたいですわね」

「ば、馬鹿な事を言わないでください!」

 フレデリカの冗談にマリオンが赤面する。それは、いつもと変わらぬ光景だった。

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