遥か遠けき東の彼方

 はるか遠く、東の水平線の彼方。あるいは、海の底。

 ニライカナイと呼ばれる神々の住む理想郷がある。

 人々は、そう信じていた。 


 そして、今も信じている。



 沖縄では、海が見える場所に作られた拝所うがんじゅで、東の彼方を向いて拝む人の姿をよく見かける。


 ほこらさえ見当たらないような場所が、祈りの場と変わる。

 石が置かれているだけの拝所に香炉を置き、線香とウチカビ(死者があの世で使うお金)を燃やして祈りを捧げる姿を見かけたら、頭を下げて、静かにその場を立ち去ろう。


 そこは、とても神聖な場所だから。

 

 

 ***



 1月の沖縄は平均気温20度弱。

 大阪の4月または10月下旬の天候だ。さすがにダウンジャケットは必要ない。晴天の日は汗ばむ程だ。

 とは言え、間違ってもTシャツに短パン、裸足にサンダル、という恰好で観光しようなどと考えてはいけない。沖縄本島の冬は北からの海風が常に吹き込み、体感温度はかなり低め。雨の多い月でもあるので、防水仕様で少し厚めのウィンドブレーカーは必需品だ。




 「年の暮れに積もり積もったストレスを発散し、新しい年のためにエネルギーを充電する」と言う名目で、年末年始を沖縄で過ごすのが当たり前になった頃。


 その年の元日は、朝から晴天だった。

 突き抜けるような青空の下、沖縄の自然とたわむれるべく私と相方が向かったのは、沖縄本島最北端の「辺戸へど岬」に近い「大石林山だいせきりんざん」。

 「何それ? どこそれ?」と思った方は、ぜひググって頂きたい。画像検索がおススメ。


 以前、絶景ポイントとして有名な辺戸岬を訪れようと海岸線をドライブしていた時、道路の分岐点に立つ『大石林山/これが地球だ! 神々の巨大彫刻群』と書かれた何ともイケてない看板に、思わず「ちょっと待ったぁ!」と叫んだ事があった。

 その看板の余りの胡散うさん臭さにドン引きしながらも、『沖縄国定公園』の文字が気になり、とりあえず路肩に車を停めてググってみた。

 どうやら、奇岩が連なる亜熱帯の森の中を散策する事が出来る観光地らしい。そして……


『祖神アマミキヨによって沖縄で最初に創られた聖地である。パワースポットとしても有名』


 祖神アマミキヨ?

 聖地??

 パワースポット???


 ……新手の新興宗教ですか?

 


 結局、むくむくと芽生える懐疑心に捕らわれ、その日は辺戸岬の観光を終え、「胡散臭い」看板を素通りして帰宅の途についた。

 その後、やっぱり気になったので、生粋の沖縄人で現地ガイドの海星さんに聞いてみた。

「ああ、あそこぉ、有名さぁ。でも岩と森しかないからねぇ、自然が好きじゃないと面白くないさぁ」

 どうやら、新興宗教の聖地ではないらしい。「どういう意味で有名なんだろう?」と思いつつ、私も相方も大自然とお友達になるのは得意なタイプなので、早速、行ってみる事にした。


 

 沖縄北部に広がる亜熱帯の山林地帯は「山原やんばる」と呼ばれる。

 ヤンバルクイナやノグチゲラといった固有種を含む貴重な動物が生息し、「東洋のガラパゴス」と言われる鬱蒼とした原生林の森は、那覇の喧騒や人工の白い砂のビーチだけが「沖縄」ではない事を如実に語っている。



 観光バスやレンタカー、地元住人の車でごった返す市街地を抜け、左手に花緑青エメラルドグリーンの海を眺めながら、国道58号線をひたすら北上して車を走らせること数時間。次第に交通量も少なくなり、コンビニさえ見当たらなくなった頃。

 右手に続く緑濃い山並みに続いて、険しい岩肌も露わな峰々が現れる。その中に、目指す「大石林山」がある。

 2016年に「やんばる国立公園」に指定されたその場所は、2億年前(古生代)の石灰岩層が隆起し、長い歳月をかけて雨水などにより侵食されて出来た世界最北端の「熱帯カルスト地形」なんだとか。


 ようやく現地に到着し、受付を済ませ、駐車場から送迎のシャトルバスに乗ってガタゴトと山道を揺られること約5分。スタート地点となる小さな山小屋に到着し、案内の表示と手元の地図を頼りに森の中に一歩足を踏み入れると……



 ジャングルのように生い繁る木々の間に突然現れる不思議な形をした奇石や、そびえ立つ巨岩が創り出す造形美に圧倒された。

 森と岩場をくぐり抜け、樹齢200年と言われる神秘的な「御願うがんガジュマル」の木や、見上げるほどのソテツを眺めつつ、森林浴を楽しみながらトレッキングを堪能し、展望台を目指して岩山を頂上まで登れば、眼下に果てしなく広がる大海原と辺戸岬の大パノラマが……!

 胡散臭さも何処へやら。とても有意義な時間を過ごすことが出来て、二人とも大満足だった。

 ちなみに、バリアフリーの散策コースもあるが、私と相方が選んだ「美ら海展望台コース」の途中には「岩を掴んで山登り」状態になる場所もあったので、ビーチサンダルで挑むのは止めた方が良い。



 実はここ、某映画「ゲゲゲの鬼◯◯」のロケ地になったり、御神木のガジュマルの下で某有名ミュージシャン達(ユー◯ンとか、堂◯光◯とか……)がミュージックビデオの撮影を行ったり、と知る人ぞ知る観光地でもあるらしい。

 那覇空港から車で3時間程の距離にあるため、短期の旅行で訪れるのは難しいかもしれないが、やんばるの自然に触れるにはもってこいの場所だ。

 沖縄の郷土の味が楽しめる「道の駅」に立ち寄りながら、海岸線をのんびりドライブがてら訪れてみてはどうだろう。道の駅は「許田きょだ」と「ゆいゆい国頭くにがみ」がオススメ。



 

 さて、ここでもう一度、思い出して頂きたい。


『祖神アマミキヨによって沖縄で最初に創られた聖地である』



 沖縄を何度も訪れるうちに、民間信仰である御嶽うたき(この漢字の読み、しっかりと覚えておいて頂きたい。沖縄と言えば、うたき、である)や拝所については何となく理解しているつもりでいた。

 が、琉球の創世神話となると、話は別だ。


 沖縄の信仰は、沖縄本島各地や離島で独自に育まれた火や森などに神を見出す「自然信仰」、集落の守護神として先祖の霊を崇める「祖霊崇拝」、血縁の女性を自らの守護神とする「おなり神信仰」、それに加えて、琉球王国が王権神授説を確固たるものにするために体系化した「琉球神道」が、本土由来の日本神道と仏教を取り込んで複雑に絡み合い、独特の概念を生み出している。


 集落ごとに置かれた御嶽には、名前さえ忘れ去られた神様が集落の守護神として祀られている。地元の人間でなければ、それが「御嶽」だとは気づかないほど、さりげなく。

 森の中や浜辺に置かれた小さな拝所では、己が信じる神様に祈りが捧げられる。観光客が足を運ぶビーチの隅っこに、お線香らしきものの燃えかすが残るコンクリートのブロックが積まれているのは何故? と思ったら、それが「拝所」だった、何てことも多々ある。


 要するに、数え切れないほどの神様があらゆる場所に存在する沖縄は、常に「神様チャンプルー」状態なのだ。



 「祖神アマミキヨ」は、琉球神道に基づく「琉球開闢かいびゃく神話」に登場する女神だ。

 沖縄創世の神話には他にも色々と説があるのだが、今回のメインは「これが地球だ! 神々の……」がうたい文句の大石林山なので、とりあえず、一番スタンダードなものをざっくりと語ってみよう。


『昔々、阿摩美久アマミキヨという神様がいました。ある日のこと、天帝の東方大主あがりかたうふぬしの命令で、下界に降りて島を作ることになりました。地上には土地らしきものは見えましたが、東や西から波が打ち寄せるだけで、まだ島と呼べるものはありません。そこで阿摩美久は土や石、草木を天帝から頂いて島を作りました。島が出来ると森を作りました。次に、神々をお祀りするために御嶽を作りました』



 アマミキヨが最初に創ったとされるのが「安須森あすもり御嶽」だ。


 さて、ここからがややこしい。


 安須森は「安須杜」とも表記され、大石林山の周囲の山々も安須杜あしむいと呼ばれ、古来からの聖地だと言う。

 安須森御嶽の別名は「辺戸御嶽」。御嶽がある山の名は「辺戸岳へどだけ」。しかし、その登山口には「黄金山くがにやま」の文字が……


 ああ、もう何が何だか……沖縄の地名は読むだけでも大変なのに。


 アマミキヨが作った御嶽は全部で九つと伝えられている。が、現在、聖地とされているのは「琉球開闢七御嶽」……あとの二つはどうなった? と思わずツッコミたくなる。これについては、またの機会に語ることにして。

 沖縄の神話を読み解こうとすると、とことん目眩めまいに襲われる、というのは何となく分かって頂けたかと。



 沖縄本島各地の集落ごと、離島ごとに崇められていた異なる神々と民間信仰を体系化し、「琉球神道」を国の宗教とする琉球王朝が開かれたのが1400年初頭。

 それまでの沖縄は「按司あじ」と呼ばれる地方豪族の長達が血で血を洗う戦いを繰り広げる戦国の世だった。

 権力を握った者が「王は神の子である」と民に知らしめるために編纂する「国作りの神話」は、日本の「古事記」のみならず、世界各地で見られるものだ。琉球王国のそれもまた例外にあらず。

 「これからは琉球神道を信じましょうねぇ」と押しつけられた民の間で「じゃあ、今までの神様と新しい神様を一緒にお祀りしましょうねぇ」とチャンプルー現象が起き、現在の混乱を引き起こしたのかもしれない。

 あくまでも、私の想像の域を出ないのだけれど。



 「琉球開闢の女神アマミキヨが降り立ち最初に創った聖地」である大石林山を囲む山々には、現在でも40箇所以上の拝所がある。

 『おもろさうし』には、琉球国王の命で安須杜の湧水が王家の長寿を祈る『若水ワカミジ(=元旦の朝に初めて汲む水。若返りの力があるとされる)』として用いられた、と詠われている。「パワースポット」と言われる所以ゆえんでもある。



 濃い木々の香に包まれてみれば、心の中のもやもやが、すうっと浄化されていく。

 冬の夏日に、涼しく神秘的な森に佇んで、辺りに響き渡る鳥や虫の鳴き声に耳を傾ければ、そこに棲まう目に見えぬもの達の息づかいさえ聴こえてきそうな──そんな不思議な感覚に陥った。



 なるほど、ここは、とても神聖な場所なのだ。



〜「目に見えぬもの」 了〜

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