第12話 鉄の鳥かご
1860年、清国から北京条約で奪い取った海辺の土地を、ロシアは開拓してこう呼んだ。ウラジオストック。不凍港を欲していたロシアが金族の支配するこの地を手に入れ、美麗な港町を築いた当初から日本とは交流があった。「浦塩」「浦塩斯徳」こう漢字で表記され、都市建設の11年後には早くも長崎との間に電信ケーブルが建設された。明治大正を通じて多くの日本人が商売のために渡り、また住み着いた。
シベリア出兵時、各国の軍隊が行進する目抜き通りが当時の写真で残っているが、アジアの一角というよりもレニングラードやモスクワのような、華麗な西洋建築の街である。
住民はほとんどロシア人やウクライナ人だが、満州族や朝鮮民族も多数いた。それら民族には数で及ばないが、日本人も漁業や貿易業で一旗揚げようと大勢渡って来た。特に日露戦争後に敦賀港との間に定期航路が設けられると多数の日本人が移り住み、一時は6000人と言われる日本人街が形成された。当時の銀行等の建物は今も残り、活用されている。
1936年(昭和11年)初夏。
徳永医師のサナトリウムを辞めた槇村と佐田は、官憲の目をかいくぐり、手配された切符で東京駅から国際鉄道に乗った。当時、敦賀港出発のウラジオストク航路に接続する、国際列車が運航していた。
二人が絵師片桐経由で受けとった船の切符でウラジオストックに渡った夏の時点、実は日本人の数は最盛期より大幅に減っていた。革命後間もなくは、ソビエトもこの地一帯に日ソ緩衝のための傀儡国家・極東共和曲を設けて、駐留する各国の厳しい目を和らげようとしていたのだが、1922年に最後の駐留外国人部隊が撤退すると本格的に赤軍の統治下に入れた。
その頃からソビエトの秘密警察の監視と密告が厳しくなっていったのだが、粛正の手はまずロシア人に伸びていたし、モスクワと違い当地では秘密裏に拘束や追放が行われていたのか、地元日本人にさほど同様はなかった。たまに拘束されて『裁判にかけられたそうだ』と噂が流れても、あいつは国内で食い詰めてきた悪人だからと不安を打ち消すような噂が流され、市民生活は一見平穏だった。
槇村と佐田がウラジオストックに渡ったのは、そんな時期だった。
美人女優の佐田と、舞台周りや日常の雑事一般得意な槇村の二人がまず職を求めたのは、住み込みの大衆演劇小屋だった。
日本を脱出しわざわざウラジオストックへ働きに来る日本人は、多かれ少なかれ「ソビエトは労働者主体の国」という平等幻想を抱いてやって来る。そうした日本人達に元プロレタリア劇団に居たという二人は歓迎され、演芸場兼務の温泉施設に住み込みで雇われた。演目は彼らが東京で目指したいわゆる新演劇とは対極を行く人情もので、かかる小屋も田舎の温泉の演芸場のような所だ。彼らが住み込みで興行をうっている大衆演劇小屋は、大きな浴場施設の二階にあった。
汗を流し、労働の疲れを取りに訪れる客向けに上演される興行の客に、インテリ気取りや文人崩れはいなかった。皆漁師や港湾労働者、仲買人、商店主に店員。そんな人達に万国の労働者よ団結せよと思想演劇を見せても楽しまない。生き別れの母子の再会もの、若き浪人と町娘の悲恋、店のお嬢さんとの縁談の決まりかけた大店の番頭と芸者との心中。おっかさんを探してさすらう女郎。そんなある意味下世話な、ストレートなお涙ちょうだいの劇が観客の感情を揺さぶり、涙を絞った。
東京の劇団で主役を張っていた佐田芳子の演技力と美しさは最大の売りで、幕が下りた後は客席からお札がおひねりになって飛んだ。演目は季節や市場の景気によって企画の槇村が替えるので、ほぼ日替わりだったが、じっくり稽古をする東京時代と違い朝から慌ただしく場当たり、剣劇のあわせ、演出の段取りを決め午後から夕方にかけて三回公演。
佐田は演出の槇村や俳優達の予想以上に器用だった。天性の勘と努力で台詞をすぐに体に入れ、同じ演目でも相手役によって声音や表情を幾つも使い分け、アクシデントにも臨機応変に対応し、しかもその姿には匂うような色香を立ち上っている。
東京から来た美人女優はたちまち評判になり、入浴施設の主で興行主でもある日本人は喜んだ。
彼らは施設の一角に他の団員たちと共に住み込んでいたが、槇村は佐田との二人の生活を望んだ。佐田がいつの間にか男性恐怖症を克服しスタッフや男優と平気でしゃべっているのを見て、内心穏やかではなかったからだ。
それに槇村はヒロイン佐田より明らかに軽んじられていた。興行主が日本から持ち込んだ台本が尽きネタが無くなると、槇村は記憶を頼りに人情話を切り貼りし、何本もの話を捻りだした。便利な何でも屋。そして女優のヒモ。それは日本にいた
頃から呼ばれ慣れてきた、槇村にとっては一種の称号だが、今はそう見られる事は彼にとって耐えがたく、なけなしのプライドがちりちりと引っかかれる。
誇りや自尊心など間宮夫人との生活の中でとうに捨てたはずなのに、いつの間にか生まれていた。東京の劇団での成功体験が復活させたのだ。
逃亡生活に入る前、自分で書いた無軌道に殺人を繰り返す若者達の無知な悲劇。アンコールに揺れ人びとで溢れた満員の観客席。そして脚本家としての自分に祝福と期待を寄せる論客達の言葉。その火花のような華やかな経験が、彼に演劇の世界でのし上がりたいという欲望を植え付けた。
「こんにちは槇村さん」
爽やかな若い声が背後からかけられた。
市の中心街・スベトランスカヤ通りの華麗な石造りの西洋建築から、奥に奥にと入った貧民街の市場である。団員の夕飯材料、ニシンと鮭を買い求めている槇村は振り返った。日本人街から一歩出たロシア人と満州族の入り混じった地域・ミリオンカの市場。そこで売り子以外から日本語を聴く事自体が珍しい。
「こんな所でお会いするなんて奇遇ですねえ」
少女のように頬まで垂れた柔らかくうねった髪、長身に明るい茶色の瞳の青年が長いコートを着て立っていた。
「お忘れですか? 以前築地でお会いしたレフという者ですが」
ああああ、と阿呆みたいな声をあげて槇村は驚いた。そして自分のみすぼらしい格好を軽く恥じた。
レフ少年は初めて会った時の旧制中学の制服と違い、大人のようなソフト帽とコートの下にはサージの三つ揃いを着ている。靴も磨き上げられ別人のように大人に見えた。緯度的には北海道とほぼ同等なので夏は概して東京よりかなり涼しいが、さすがに三つ揃いは暑いのではないか。槇村はそう思ったが自分のいい加減に羽織った薄汚れたシャツへの言い訳のように感じて黙っていた。代わりに少年の成長に驚いた風を装った。
「レフ君、日本では助けてもらって本当に有り難かったよ。こんな所で会うなんて。しかしえらく大きくなったなあ」
街を行き交う大柄なロシア人と比べてもひけをとらない長身で、しかもすらりと細身の体は、コートの上からでも体内に流れる異国の血を感じさせる、日本人離れしたバランスの良さだ。大勢の役者を見てきた槇村の眼には、彼が人を魅了するタイプだという事が一目でわかった。まるで愛する佐田芳子のように。
「10センチくらいずつ急に伸びて、どんどん服が小さくなっていくんですよ。仕立て直してはまた小さくなるものだから、みかねえにはいつも苦労掛けています」
乳母のようにいつも付き従う女中の名を、レフは笑顔で口にした。
「君はヨーロッパに留学すると言っていたけれど、今は乳母様と一緒にソビエトに?」
「ええ。パリ、ロンドン、ベルリンと回って今はモスクワから一時こちらに来ています。こちらに父の関係の会社があるので。夏の長期休みを利用して外国人向けの大学に短期入学中なんですよ」
その学校の存在は槇村も知ってた。東洋学院という革命前のロシア政府が語学や技術の専門家育成を目指し、アジア人にも門戸を開いて創立した学校が前身だ。アレウツカヤ通り39番に赤いレンガと白い石で建てられた三階建ての可愛らしい建物で、大勢のロシア人、モンゴル人、極東の学生達が通っている。
革命後には極東国立総合大学と改組され、よりポリシェビキによる支配が厳しくなっていた。日本人生徒はあまりいないはずだがと槇村が疑問を抱いた瞬間、レフ少年はグッと顔を近づけ息がかかる程の距離で囁いた。
「ここでは混み入った話ができない。ホテルのカフェに行きませんか?」
雑踏のざわめきをかいくぐり、女の声が槇村の名を読んだ。帰りの遅い彼を心配し市場まで出てきた佐田であった。
「何なら奥様も一緒に」
「そうだね、ヨーロッパの話も色々聞きたいし、一度この買物を持って帰って、戻って来るよ」
流石に両手に魚の包みを下げてはホテルに入れない。ついでに多少ましな服に着替えたい。
「家はこの近くなんだ」
それは槇村と佐田がこの貧民街・ミリオンカ地区に根を下ろしてしまったという事だ。
「ええ。僕はホテルで待ってますから」
それじゃ、と槇村はぼろアパートに向かった。その姿を見送るレフ青年は行き交う男たち数人にそっと目配せをした。
白夜のように明るい、夏の極東沿海州の夕刻。
レフ青年が槇村と佐田を招待したのは、アムール湾からすぐの歴史的地区に佇むウラジオストック最古のホテル、ベルサイユである。1909年創業の革命前の建物と佇まいを残し、シベリヤ鉄道のウラジオストック駅からも徒歩10分とかからない立地に、くすんだ白い大理石と絶えず吹き付けるアムール湾からの潮風に洗われた外観は、メインストリートであるスベトランスカヤ通りの起点にもなっている。由緒あるホテルだった。帝政ロシア時代に多くの外国要人も泊まったという建物は天井も高く、白い大理石と真っ赤な絨毯、きらめくシャンデリアも健在で、共産主義の下にあっても当時の豪奢を漂わせていた。実際共産党の上層部もバカンスに訪れるという。
きらめく洋酒の瓶が壁一面に並ぶバーの、磨き抜かれたマホガニーのカウンターにレフ青年はいた。バーテンにロシア語で二言三言告げると、奥のソファに深々と座る槇村と佐田の前に戻った。
手持ちの一番良いスーツを着込んだ槇村と、日本から大事に持ってきた着物と帯で装った佐田に強い酒を勧め、彼は自分は未成年だからとイチゴのヴァレーニエを添えたお茶を飲む。
「今はモスクワの大学で、色んな国の生徒達と親しく交わりながら学んでいるんです」
レフ青年が名前を出した大学、モスクワの国際レーニン学校は、槇村は名前すら聞いた事がなかった。聞けば各国の共産党から選り抜きの幹部候補生が送り込まれ、徹底したポルシェビキ教育を施される、最高幹部クラスの養成校である。日本からも多くの共産党員やシンパがモスクワに行っているが、この最高教育機関に入る事ができたのは一握り。槇村は眩しい思いで目の前の若者を見上げた。
紅茶にウォッカでも入っているのか、白い頬をほんのりと桃色に染めた美青年は、ポリポリとロシアクッキーをかじった。
「今モスクワはとても面白いんですよ。槇村さんと佐田さんは演劇畑の方々ですよね。ならばエイゼンシュテイン監督をご存知ですか?」
その名がまだあどけなさを残す青年の口から出た事に二人は驚いた。日本でも話題になった革命ソビエトの大監督で、ヨーロッパ帰りの同志達から監督作「戦艦ポチョムキン」の素晴らしさは存分に聞いていた。
「もちろん知っています。映画を見る事は出来ないのですが、ドイツやフランスの同士が写真を送ってくれて、それを見ました。凄まじいものでした……」
「そのエイゼンシュテイン監督が今、新作を撮っているんですよ。しかも2本」
「それは素晴らしい!」
槇村と佐田の顔は輝いた。久々に聞く『芸術』的な言葉の響きに心奪われたのだ。
「一つは汚職を働く悪を摘発する少年の話、もう一つは外国の侵入からロシアを護った13世紀の英雄の話なんだそうです。素晴らしいでしょう」
そして声を潜めて言った。
「アジア人の演出助手も大勢募集しているという事なんです。槇村さん、佐田さんどうですか」
「え?」
佐田は美しい瞳を大きく見開いた。
「レフ君、君はどうしてそんな情報を」
「学校には党から色んな募集の情報が流れるのですよ。エイゼンシュタイン監督は大の日本贔屓で、若い頃歌舞伎を見て漢字や日本の芝居に大変感銘を受けたのだそうです。お二人にいい機会だと思いますよ」
「しかし……」
「僕は夏休みでこちらに来ているんですが、新学期近くになったらモスクワに帰ります。一緒に行きましょうよ。こんな所で才能を腐らせているのはもったいないですよ」
レフ青年の確信に満ちた言葉はキラキラと輝いて槇村と佐田を誘惑した。だが彼らもすぐに青年を信じる事はできない。モスクワに渡った外国人は不当逮捕されて投獄される、という噂が流れていたからだ。
「そんなの嘘ですよ」
青年は明快に否定した。
「第一日本人の僕が無事にふらふらしていられるじゃないですか、それが何よりの証拠ですよ」
レフ青年は屈託のない笑顔でクッキーを齧り、紅茶を啜った。
「それにここだけの話、演劇の重鎮メイエルホリド氏も、本学に出入りしているんですよ。素晴らしいじゃありませんか。よい事と言うのは全部繋がっているんです」
「あのメイエルホリドが!」
「そう。国立映画学校時代のエイゼンシュテイン監督の恩師です。日本人何人かが彼と一緒にいるのを見ました。お二人とも何をぐずぐずしているんですか」
現代演劇最高峰と言われた役者にして演技コーチ、演出家のフセヴォドロ・メイエルホリドの名声は、当時既に全世界に広まっていた。日本人でもプロレタリア劇団の関係者である佐野碩、土方与志など彼に教えを受けた演劇人がいる。
尊敬する人物の名前を次々に聞き、槇村と佐田の瞳は生き生きと輝きだした。
「お二人共、僕と一緒にモスクワに行きましょう。ここからすぐのウラジオストック駅から大陸鉄道に乗れば、そのまま行けるんです。世界に出て日本人の気迫を見せましょう。僕も及ばずながら応援させて頂きますよ」
槇村と佐田は夢心地でホテルを後にした。脳の奥を痺れさせる言葉が飛び交い、酔ったようになって歩いたのは、勧められた強い酒のせいだけではない。自分達が本当に欲し、日本を捨てるまでに求めたものが見えた気がしたのだ。
「槇村さん行きましょう。ここまで来たらもう失う物もないわ。命と体と心だけ持って、あの坊やの言う通り電車に乗りましょうよ」
「佐田さん、一緒に行ってくれるか」
「ええ。二人で行きましょう。明日坊やの連絡先に電話を入れて……」
ホテル・ベルサイユの玄関から少し階段を下り、夜霧に溶け込むように長身の男が立っていた。先程のあどけない笑顔とは別人のような、鋭いまなざしのレフ青年、いや富士見レオ少年である。
彼は槇村と佐田の二人をしばしつけた。その美青年ぶりに惹かれるように、同じく街角に佇む夜の女が近づき、何事か囁く。グイッと抱きしめ頬にキスするふりをして、少年も甘い声で囁き返した。がっかりしたわ、という風に離れていく夜の女は、きらりと鋭いまなざしを返した。
「網に二匹の蛾がかかった。よくもまあ疑いもせず……」
くっくっくと少年は笑い、ホテルに戻り中に消えた。奥の秘密の会議室に彼の上司が待っているはずだ。内務人民委員会(NKVD)のウラジオストック担当委員と、沿海州担当の高官が。
「坊ちゃま、おかえりなさいませ」
ウラジオストックの支配層や共産党員が住む高級住宅街の一角。帝政時代の豪奢を残すアパルトマンの一室を、レオ少年は開錠した。
いい匂いが鼻をくすぐる。これは彼の好物の塩漬け豚と夏野菜のオーブン焼きジャルコーエだ。日本からついてきた女中の「みかねえ」はたちまちロシア料理を習得し、言葉はほとんど分からないのに日常生活をこなし、愛する「坊ちゃま」の面倒を見ている。
「軽くでいいよ、みかねえ。友達と夜のお茶して来ちゃったから」
レフという偽名はここでは捨てて、富士見レオという本名に戻り、日本語で子守女に甘える。冷たい美青年の大事な時間であり空間だ。
「分かりました。ではただいま熱々に温め直します。それまでにお風呂に入ってらっしゃいませ」
「いいよ面倒くさい」
「いけません。この街は風が強くてただでさえ埃っぽいのに。きちんと清潔にしないと許しませんよ」
「はーい」
幼い頃から懐いている乳母には逆らえない。またこういう事を言われるのも良いものだ。緊張が続く仕事の合間には。
「おや坊ちゃま、もしかしてお酒をお召し上がりではないでしょうね」
「なんで?」
「お顔の色がいつもより赤くていらっしゃいます」
「んー、いただいた紅茶にウォッカが少し入ってたかもしれない。わからない」
「まあ何て事。坊ちゃまはまだ未成年なのですから気を付けて。お酒は脳みそをダメにしてしまいますよ」
「はいはい」
じゃ体洗ってくるね。言い残してレオは自室に入った。
「タオルと寝巻はいつもの所に置いてありますよ」
甲斐甲斐しく夕飯の準備をしながらみかねえは声をかけてくれる。その口調だけで彼は落ち着く。だが彼は隙をみて無線機に向かった。指定の乱数表に従って報告を送るのだ。その先は、クレムリン。
レオ少年はスパイだった。子供の頃出会った「ゾルゲおじさん」に度胸と知性と美しい容姿を買われて何度か遊びに行くうちに、自然と情報収集のテクニックを教えられた。
最初は楽しい「軍人ごっこ」「冒険ごっこ」。同級生の子供達と、日本軍が異国で活躍する冒険活劇の読み本を見ながら真似して遊ぶ、その延長だと思っていた。だがゾルゲは本気だった。やがて美少年で富裕層の子息の彼を利用して、同じ学校に通う財界や政界の子息達の親の情報を得て、流すようになった。
だが転機は訪れた。
美術品の買い付けで両親のいない留守宅を、父の知り合いだと訪れたロシア人。彼の麻薬のような言葉が少年の心に入ってきた。
「ゾルゲさんはもしかしたら悪いスパイかもしれないんだよ」
「私は君に助けてほしくて、本部から派遣されてきたんだ」
「ゾルゲさんが日本やドイツや色んな国を裏切らないように、君のような正しい少年がついていてくれないか」
学校の友人や先生達との軋轢に疲れ、ゾルゲを外国、違う世界への窓だと頼っていた少年の心は変った。今までと反対だ。僕は頼りにされている。僕を信頼して期待をかける人がいる。
学校をさぼりマダム・ブコウスキーの店を足繁く訪れるようになったのもその頃だ。絵師・片桐の絵心を刺激する「香り」を放つようになったのも同じ時期である。もっとも、片桐がドイツやフランス留学時から海外のコミューンとの繋がりを保っていると情報を得て、わざと近づいたのだが。
日本の中学生・富士見レオ少年はソビエトの内務人民員会(NKVD)のいっぱしのスパイとなっていた。ターゲットは政界や大使館の信任篤いドイツの新聞記者リヒャルト・ゾルゲ。NKVDとは立場の異なるソビエト労農赤軍情報局のスパイである。
同じソビエト共産党によって送り込まれ、数々の重要な情報を本国に流していながら、ゾルゲはソビエト自体に信用されていなかった。彼が上海経由で来日以来の長い年月、ソビエト連邦内の体制は変り、彼の上司や同僚も次々と指導者スターリンの粛清に遭い処刑されていた。日本の動きを監視する役割の彼が、今度は本国の暗殺組織によって監視される状況になっていた。
パリ、ドイツ経由でソビエトのモスクワに入った富士見レオ少年は、直ちに密命を帯びてウラジオストックに送られた。極東方面に入国した日本人の監視と報告である。日本で網にかけておいた槇村と佐田など、彼にとってみれば絶好の獲物であった。
レオ少年は送信した。槇村良助、佐田芳子。両者は日本帝国主義およびブルジョワジー的生活に未練を残した軟弱な似非共産主義者であり、思想転向しソビエトに害をなす恐れあり。そこに一切の情はなかった。
温かいお湯を使いバスタオルを肩にかけ、ガウン姿でテーブルに着くレオの前に、みかねえの心づくしの夜食が並んだ。苦心して手に入れたホットショコラも一杯。
「ねえ聞いてよ、みかねえ、学校の夏休みが終わるから僕達はまたモスクワに帰る事になったよ」
「あら、予定よりちょっと早まりましたんですね。了解しました」
「やっとこの街にも慣れたのにね。でも仕方がない。しっかり勉強して早くお父様達の跡を継がないとね」
「ええ。奥様や旦那様に安心して頂かなくては。ねえやもお支度していつでも行けるようにしておきます」
坊ちゃまは美術商を継ぐ勉強をしているのだ、とまだ信じている乳母に、レオは屈託のない笑顔を見せた。
夏の終わり。
「レフ」が手引きし車両と切符を手配したシベリア鉄道に乗って、槇村と佐田は出発した。ウラジオストックの大道演劇仲間には、モスクワに行って舞台芸術を一から学び直すのだと希望に満ちて言い残した。演劇の重鎮で世界的に有名な演出家のメイエルホリドと面会できる機会が設けてもらえる手はずになっている、と。
「二人して演劇で認められて生活が軌道に乗ったら、『内縁の妻』じゃなくて正式に届を出して『妻」になりましょう」
モスクワまで10日で人や荷物を運ぶシベリア鉄道に揺られ、槇村は佐田に話しかけた。
「はい。わかりました旦那様」
二人は明るく笑い合った。
だが九月。スターリンの統治下での保安体制が代わった。
内務人民委員会(NKVD)の委員長のゲンリフ・ヤゴーダは粛清の仕方が生ぬるいとスターリンの不興を買って更迭・逮捕・銃殺され、「毒殺魔の小人」「血まみれの小人」と称された短躯のニコライ・エジョフが就任した。スターリンの命令下どんな残忍な拷問も処刑もいとわない、天文学的な数字の死者・行方不明者を出した本格的な大粛清、大テロルの始まりである。
シベリア鉄道で到着したモスクワでの住居が決まり、苦心して現地の日本人共産党員に接触し、東方勤労者共産大学(クートヴェ)日本語教師の職を手に入れた槇村と佐田は路上で拘束された。連行された先はルビンスカヤ広場に面したくすんだ黄色いレンガの建物。ジェーツキーミール百貨店の隣にあるNKVDの本部、そしてブッテルスキー監獄の雑居某である。それ以降彼らの消息を知る者はない。
同時に国際レーニン学校の日独露の混血学生、富士見レオも、宿泊先のモスクワのホテル・ルクスから乳母共々姿を消した。
日本人選手・日本支配下の朝鮮人選手がメダルを獲得し、日本のみならず世界を熱狂の渦に巻き込んだベルリンオリンピックは8月16日に閉幕した。開催国ドイツ以外では水泳、陸上など遠いアジアから来た選手達、またアメリカの黒人選手の活躍が目立ったが、その熱戦の模様と選手のしなやかな筋肉美はレニ・リーフェンシュタール監督によってドキュメンタリー映画に仕立てられ、高い評価を得た。日本でも昭和15年の公開時に爆発的なヒットをし、キネマ旬報誌上では一位を獲得している。
民族と政治とスポーツの祭典が終わり、世界の空にはためくものは国旗とナチスの党旗と戦闘機の翼だけになった昭和11年初秋。柘植さやは男の子を産んだ。
2・26事件の叛乱軍とされた夫は送られた北支戦線から戻らず、妻のさやは碧生蒼太郎、間宮リカ達隣人、リカの母親、隣組の婦人達に見守られながら自宅で子供を産んだのだった。
汗まみれになって三日間苦しみ陣痛を耐え抜いたさやは、大きな声で泣く赤ん坊を目にして泣いた。愛する夫、柘植譲二一等兵にそっくりだったからである。
大声で元気に泣く赤ん坊のへその緒は、産婆の手によって10センチ程残して切られ、くるりと巻いて結ばれた。そうしておけば後は自然にポロリと取れてくる。取れたへその緒はよく乾かして仏壇の引き出しに過去帳と共に入れておくのが通例だった。
柘植夫婦の質素な借家には立派な仏壇こそなかったが作り付けの神棚があったので、片桐が赤子の名前を書いた懐紙に包んで桐箱に収め、そこにお供えした。
夫の希望通り、さやは生まれた男の子を「光」と名付けた。読んで字の如く、小さくても良いから、例え一隅だけでも闇を照らす「ひかり」になって欲しいという願いが込められていた。
碧生蒼太郎・間宮リカのカップル、絵師片桐、湯浅神父、徳永医師らは皆「柘植光」の誕生を心から祝った。
秋風が本格的に吹く頃、東京の大気は急激に乾燥する。武蔵野の山々から吹き下ろす木枯らしが空気から暖かな湿り気を奪い、替わりに肌にピリピリ来る痛さをもたらすのだ。大気の変化につれて碧生蒼太郎の体調は少しずつ悪化していった。乾燥から来る咳が常態化し体力を奪い、小康状態を保っている結核が悪化してくる。春夏から秋のはじめ、曲がりなりにも普通の生活を送ることができたのは、パートナーのリカを得て心身と生活が安定したからでもある。だが11月、悪化した体を引きずって暗い顔で四ツ谷の町を歩き回る碧生の姿があった。
恋人の間宮リカも碧生の気が滅入っているのには気づいていた。思い当たることはある。先日の依頼原稿に対するダメ出しと、それに不満を感じて依頼そのものを断ってしまった一件だ。いつもの甘美な作風とは違うものを求められたとはいえ、碧生はその後目に見えて仕事が減った。
詩画集の第一巻の売れ行きはそこそこだったが、二巻目の話や増刷の話は来ないし広告もほとんど打たれない。大丈夫だよと力ない笑顔を碧生は向けるが、反対にリカへの童話や子供向け読み物の依頼は増えているのがまた気まずかった。
四ツ谷の路地裏に住む都会の勝気な少女を主人公にしたリカの少女文学は好評で、たちまち複数の出版社から依頼が来た。家事と、隣人さやの育児の手伝いの合間に書きとめ、碧生が寝ついた後に本格的に執筆を始める。アイデアは無限に出てくるが、なにせ求められているのは読む側の年代もまちまちな子供向けの文学だ。言葉遣いや使える漢字、表現は、依頼されている出版社によって全て違う。
夜中に根を詰めて何晩も徹夜をし、やっと書き上げた原稿を持って何社もの児童書出版社を回っていたリカは、突如悪心を覚えた。腹の底から気持ち悪さが込み上げ立っていられない。急に顔が火照って熱くなり脂汗が噴き出る。眩暈と耳鳴りにまで襲われ、リカは市電の中でしゃがみこんでしまった。
「リカちゃんどうしたの。気分悪いの?」
たまたま乗り合わせたリカの母・間宮未亡人が気付き声をかけた。
「次で降りなさい」
「大事な原稿を渡しに行かなきゃならないのよ」
「たまに親らしい事言ったんだから聞きなさい」
毅然とした母の口調に押され、リカは次の停車場で降りた。残りの原稿は一社分。母は所在地を聴くとうなずいた。編集部があるのは母の見知った街らしい。
「私が代わりに持って行ってあげるわよ。貴女への伝言は手紙にしてもらって、後で届けるわ」
「ありがとうお母さん」
停車場のベンチでしばらく座り風に吹かれていると、リカは次第に落ち着いてきた。だがまだ吐き気と気持悪さは尾を引いている。
「その様子……リカちゃんねえ、メンスはきちんと来ているの?」
「ここ何か月か来ていないけど、元々来たり来なかったり不規則だから」
不安を押さえるようにリカは強めの口調で答えた。だが母ははっきりと言った。
「貴女の気分の悪いの、私はつわりだと思うわ。間違いないとは言わないけれど高確率で当たっているはずよ」
「……」
「お産婆さんに行くには早いけど、貴女とヨハネを生んだ聖路加病院に行って、診てもらう?」
「……いいわ。まだもう少し様子を見る」
「根を詰めて書き物してるみたいだけど、絶対に無理をしちゃだめよ。少しでもおかしいと思ったらママを呼びなさい。……碧生先生には話したの?」
「ううん。心配かけたくないし、まだそうと決まったわけじゃないから」
「貴女ねえ……逃げるような相手じゃないと思うけど、生まれてくる子供の為にもきちんとお話して、今後どうするか決めなさい」
母はこんなにしっかり者だっけ? リカは娘を労わりつつきちんと必用な事を言い聞かせてくれる母の姿に驚いていた。物心ついた時から、我儘で男を男とも思わない天真爛漫すぎる姿しか記憶になかったからだ。
「碧生先生の事好きなんでしょ、リカちゃん」
「……」
「好きだったらちゃんと結婚するのに何の支障もないじゃない」
「先生とは……そう簡単にはいかないのよ」
「赤ん坊が出来るような事しておいて何言ってるのよ」
最後にちくりとトゲを刺して母はリカの原稿を取り上げ、じゃこれは間違いなく編集部に届けてあげるわと去って行った。
確かに。
リカは停車場のベンチから立って家に向かって歩き出した。確かに子供が出来るような事はしている。相手が胸を患ったままの男であっても、好いているのには変わりないのだ。二人は今すぐにでも結婚してもよいとお互い思っている。だがそれをためらっているのは蒼太郎の結核だけが理由ではなかった。彼が「書けなくなっている」のが最大の理由だった。
自分の書く世界が世の中から求められていないと思い知らされた碧生蒼太郎は、漠然とした不安を抱いていた。それが、ただ世相に対しての不安だけかは自分でもわからなかったが、間宮リカと正式に結婚し所帯を構え「家族」を作っていく自信はなかった。
作家生活においても蒼太郎が殆ど専属のように作品を発表していた出版社、暁星社が事業を縮小し、蒼太郎は書き上げた作品を他社に持ち込まなければならなくなった。だが時節柄、観念的な作品や高踏的な美文は以前ほど尊重されなくなっていた。碧生蒼太郎も『世間がこういったものは求めていない』『高尚過ぎる』『なよなよし過ぎている』等の理由で断られ続けた。蒼太郎は歯を食いしばって自分を曲げるか、それとも世間とやらの潮目が変るのを待って耐え忍び文章を磨き続けるか、選択を迫られていた。
「あのね碧生先生」
「何ですか?」
痩せてあばらが浮き出て、首の後ろの関節も骨の一個一個数えられそうな後ろ姿。裸にいい加減に寝間着を引っ掛けて、その夜、蒼太郎は珍しく枕元の書き物台に向かっていた。煎餅布団に重たい木綿綿の掛け布団に包まったリカは、その姿を見上げながら、今日こそ妊娠を告げようと口を開いた。
「……お忙しそうね」
「珍しく仕事が来たんだよ。徳永院長の口利きなんだけどね。僕があまりに悶々としているように見えたからか」
「あら……いい事もあるんですね」
碧生のあけっ広げな笑顔に、リカはなかなか切り出しにくくなった。
「何でも偉い人達のグループの為の原稿だとか。徳永先生からは内緒にしてと言われたのだけど」
碧生はリカに顔を寄せて囁いた。先程まで情を交わしていた肌から暖かな体温が立ち上っている。碧生は彼女の湿り気のある体臭を好んだ。
「近衛文麿貴族院議員の、私的な政策機関からの依頼なんです。徳永院長が以前その会に出入りしていたコネだとか」
「まあ、近衛議員と言ったら、次の首相に指名されるかもしれない大物じゃないですか。徳永先生はどこからそんな」
「僕には到底わからないが、勉強会の叩き台として僕の原稿がほしいと言われたのです。まあ錚々たるメンバーだろうから僕なんかおよびじゃないが、ズタボロに酷評される材料して必用としたんでしょうね」
この年の政界編成は、後にA級戦犯として処刑される広田弘毅首相の内閣であり、貴族院議員・近衛文麿は次期首相の最右翼と目されていた。その近衛が設けた私的な勉強会は「昭和研究会」といい、哲学、経済、外交等多角的に世界をとらえる集まりであった。メンバーには京都派哲学の雄・三木清プロレタリア科学研究所哲学研究部主任や、後にゾルゲ事件で逮捕・処刑される東京朝日新聞社(当時)の尾崎秀実などがいる。
この会は後に変容し、大政翼賛会や軍部に都合の良いように利用されやがて解散する運命にあるが、徳永医師、碧生や間宮リカには知る由もなかった。ただ自分の文が求められ、高い知性を持った人達に読んでもらえる事が嬉しく、碧生は生き生きと情熱を持って原稿を書いていた。
「貴方のそのままの原稿がほしいだなんて、なんて素敵な依頼でしょう。徳永先生には本当に感謝だわ。でも」
「でも?」
「いいえ何でもありません。私はちょっと疲れたから先に寝るわ。おやすみなさい」
「おやすみ。何か言いたい事があったんじゃないの?」
「いいの。よく考えたら今でなくてもいい事だから。先生の原稿が満足いくまで書き上げられた後で」
「じゃ、僕はもう少し頑張るよ」
電気スタンドの灯りがリカの顔に当たらないように傾け直し、蒼太郎は再び書き物台に向かった。
言えなかった。リカはまた、自分が蒼太郎の子を宿している事を告げられなかった。このナイーブな書き手の集中を途切れさせたくなかったからだ。あとは、自分とこの男の関係が変ってしまうのではないかと恐れたのだ。
彼は無邪気過ぎる。こと文章を書くという事に対して純真すぎる。周囲の状況や風向き等全く目に入らないようだ。
だがリカには蒼太郎以上に時代の不安は感じられた。オリンピックからこっち、次期オリンピックの開催地に東洋から名乗りを上げた日本。新聞各紙でも政府のオリンピック会議への多数派工作、外国からの悪評等が連日書きたてられた。その国の意欲が逆に、絡めとられやすい蜘蛛の巣にわざわざ向かっているような、そんな不安をリカは感じていた。そしてそれが蒼太郎の物を書く姿勢に対して抱く「危うさ」と同じだという事に気付き、愕然とした。
「おはようお嬢ちゃん、お坊ちゃん。ちょっと開けてくれない?」
朝も早くから玄関で呼びかける声が聞こえる。
「はあい」
眠い目をこすりながら出て行ったリカは、戸を開ける前にしばし外を窺った。特高警察にパートナーが追われた恐怖がまだ拭えていないのだ。
「……どなたですか」
「私よリカちゃん。貴女のママンよ。この声を忘れたの」
寝起きの悪い母親が牛乳屋や行商の八百屋と同じくらいの早い時間に訪ねてくるなんて、天変地異でも起こるのだろうか。しかも何て弾んだ声出しているのよ。
「お母さん早いわ。私まだ寝てたんだけど今玄関に出なきゃダメ?」
「ダメ。この子がまだ温かいうちに」
「この子ってなあに?」
木戸を開けたリカは悲鳴を上げた。洒落た銘仙の袷を着た母が、鼻先にしめたての鶏をぬっと突き出したのだ。悲鳴を上げた娘は顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。
「リカ、どうしたんだ!」
はだけた寝間着姿で飛び起きてきた碧生は、玄関先で悲鳴を上げ続けているリカを抱き起し、きっと母をにらみつけた。
「どなたですか。いったい何を」
「あら私とは初対面だったかしら。碧生の坊ちゃん先生。この子の母親でございます」
「お母様……お初にお目にかかります。で、お嬢さんに一体何を」
「それはこっちの言葉ですよ。うちの娘に一体何をしてますの。お体悪いくせに。だからこうして滋養のために、出入りの鶏屋から飛び切り新鮮なのを買ってきたんですよ」
またまた碧生の鼻先に、がくりと首を垂れて目を閉じた鶏を突き付けたものだから、彼もひきつった悲鳴を上げた。
「あら召し上がらないのお嬢ちゃん」
「朝からこんなの食べられるわけないじゃないの」
「朝って言ったってもう10時過ぎじゃないの。充分お昼兼用よ。せっかく殺したてのを買ってきたんだから食べなさいよ」
無理よ、と首を振る娘と彼氏先生の目の前のちゃぶ台には、なるほど、朝っぱらから食うにはきつい「鶏のポトフ」と目玉焼きが鎮座している。
「無理ならスープだけでも。碧生先生も召し上がってよ。これからはより一層体力付けてもらわなきゃいけないんだから」
「すみません、じゃスープをいただきます」
そういって碧生は目の前の椀をとり、ふうふう吹きながら啜った。新鮮な鶏から煮出したポトフスープには肉、青ネギのざく切りと生姜、豆腐と昆布と椎茸が入っていて具沢山だ。これ一杯で充分、起き抜けの胃袋にはもたれそうなボリュウムがある。
しかしさすが朝締め、今朝まで生きていた鶏だ。それを捌いた状態ではなく、わざわざ羽根の着いた生前の姿で持ってくるところに、リカの母のそこはかとない悪意を感じる。
「美味しいですねこれ。後で作り方教えてください」
「貴方に教えるのもいいけどまずはリカちゃんに教えなきゃね。鶏を捌くくらいでキャーキャー言ってちゃ女がすたるわ」
「捌くとかそういうレベルじゃなかったじゃないの」
リカは思い出していた。朝の台所の惨状を。
「本調子じゃないみたいだから教えてあげるだけ。元気になったら自分でもやってみなさい」
そう言った母が目を閉じた鶏の首をつかみ、煮え立ったお湯を柄杓ですくい、さあっとかける。何度かかけて濡れた熱い羽根を手でしごくと、羽毛はぺろりと面になってはがれ、ぶつぶつの皮がむき出しになった。
リカは悲鳴を上げ、吐き気を我慢しきれずバケツを引き寄せた。厠に走っていく余裕がなかったのだ。
慌てて台所に入ってきた蒼太郎がリカを抱きかかえ、またまた茶の間の座布団を重ねた上に横にさせた。
母は、仕方ないわねえ、ちょっとお嬢さんに育て過ぎたかしらとぶつくさ言いながら、包丁で鶏の首を叩き切り、腹を割いて内臓をかきだすと、ダンダンと音を立てて骨を断ち、身をぶつ切りにして先程の熱湯をくぐらせ大きなスープ鍋に入れた。
「どうせあんたの家にはないと思ったから」
と持参した葱の固い青い葉先や丸ごとの生姜、ニンジンの皮なども放り込み、スープをとる。薄めに味付けして他の具材も入れ、肉も軟骨も野菜もとろとろに煮込んだのが、今碧生とリカの前に並んでいる鶏ポトフだ。
「パパがフランスの本で読んだんだって、よく作らされたものだわ。羽根をむしるところから家でやったのよ。意外でしょう」
「うん。お母さんはもっと何も出来ない人だと思っていたわ」
手つかずで冷めていくポトフのお椀を前にして、リカは憮然と呟いた。こら、と蒼太郎が嗜める。
「はっきりした言葉ありがとう。あんたとヨハネが好きだったお雑煮も鶏蕎麦も、こうして作ったのよ」
「それで、どうして急に鶏なんか持ってきてくれたの?なんか狙いがあるんでしょう?」
リカはお椀から立ち上る鶏の匂いを避け、そっぽを向いている。言葉に棘がある。蒼太郎はまずいなあ、と呟いた。
「そりゃもちろん、あんたのおなかで育っている私の可愛い孫と、そこに気まずそうに座って鶏を食べさせられてる、ベビーのパパさんにご挨拶に、よ」
ガリッ
目を丸くした碧生が口にした鶏の骨をかみ砕いた。
「並んだ並んだ。さあ」
「はい、皆さんこっち向いて」
四ツ谷から靖国神社に向かう途中。古い写真館の中は時ならぬ賑やかさに包まれていた。碧生蒼太郎とリカの結婚写真を撮ろうと仲間達が集まってきたのだ。
「リカさん綺麗」
留め袖に、白い乳児服を着せた赤ん坊『ひかり』を抱いた柘植さやがスツールに座り、隣のリカに微笑みかける。その顔はもうすっかり母親の顔だ。
「姉さん素敵だ。本当に妖精みたい」
「こんなお腹に子供のいる妖精なんていないわよ」
「いえ、貴女はいつまでも私のニンフでありファム・ファタールです。おめでとう」
英国製のスーツに身を包んだ絵師・片桐が長身を屈めて花嫁の耳元で囁いた。
彼女の長いベール、花を散らした髪飾り、波打つように下ろした黒髪。肩の大きく開いたすんなりとした白い絹のドレスはおなかや体を締め付けず、だがほっそりとした後ろ姿や美しいデコルテは強調され、エドワード・バーン・ジョーンズの絵画のようなロマンティックなデザインだ。ウエディングドレスにしては少々独創的すぎるのでは、と夫となった蒼太郎は思ったが、これは片桐が幼少からのお気に入りのモデル・リカお嬢さんの為にデザインし縫い上げたものだった。
妻の体を心配し気遣いつつ座る蒼太郎は、ドイツ製の生地で仕立てた細身のスーツに手袋、長身に青白い顔で妻の隣で笑っていた。
僧服の湯浅神父、礼装の徳永医師、若々しい礼服姿の弟のヨハネは最近ぐんと背が伸び、身体の調子もよくなってきた。顔は青白いが姉に似て目鼻立ちが涼し気な美男子で、今日も椅子を拒否し母親の隣に立っている。
留め袖ではなく派手なモダン柄の着物を着こなした母の間宮ゆふは
「幸せにね、リカちゃん」
と囁きつつ笑う。母だけではない。皆笑っている。
「それじゃそろそろ撮りますよ、この人形を見て下さい。瞬きをしないで、はいっ」
撮影助手の差し出した人形に目をやり、一同はにっこりと笑った。
「ああ目をつぶっちゃいましたよ」
「碧生先生だめじゃないですか」
「じゃもう一回撮りますよ。これで最後ですよ。はい3・2・1」
昭和11年11月23日。
四ツ谷区の役所に結婚の書類を出した碧生蒼太郎と碧生リカは、写真の中で家族や友人達に囲まれて笑っていた。
印画紙の裏に全員で書いた名前と新郎新婦への一言は、歳を経ても二人の心にあつく沁みるものとなった。
2・26事件と言う帝都を揺るがす事件で幕開けした昭和11年(1936年)は暮れ、昭和12年(1937年)が明けた。
ベルリンオリンピックはとうに終わり、国際社会の関心は工業の発達と貿易拡大にシフトしつつあったが、スペインの内乱は広大な国土を分断し終わる様子はなかった。多くの国がそれぞれの思惑を持って参戦し、州ごとのつぶし合いの様相を呈してきた。
1937年(昭和12年)4月26日。
この日は日曜日で、バスク州の古都ゲルニカの人々はいつもの日曜日を迎えていた。戦争は起こってはいるがゲルニカの街から遠く、同じ州のビルバオやドゥランゴの空爆の話を聞いても、この街は大丈夫だろうという根拠のない安心感が漂っていた。
午後4時30分、フランコ軍配下の飛行部隊の指揮官ルドルフ・フォン・モロー中尉の駆るハインケルが、ゲルニカ駅上空から50キロ爆弾を投下した。それが虐殺の合図だった。イタリア空軍機6機を含む12機がゲルニカ上空から一斉に市街に襲い掛かり波状攻撃を加え始めた。街の中に炎とがれきの壁で閉じ込められた住民達に逃げ場はなかった。
爆弾や焼夷弾(最新鋭のナパーム弾が史上初めて実戦で使われた)を投下し終えた機体は発進した二か所の空軍基地にそれぞれ戻り、弾の補充をしてまた爆撃と機銃掃射に戻った。
焼夷弾とは爆弾の中に粘り気の強いゲル状の発火体ナパームを詰め、それが爆発四散すると炎の滴となって飛び散り、建物や木々、人間に付着したまま超高音で燃え上がるものだ。戦略の為に戦闘に参加していない一般の市民を大量に殺す。第二次世界大戦で行われる殺戮がここでリハーサルとして行われていた。
3段攻撃は3時間以上続き、イタリア空軍とドイツのコンドル軍団が全ての爆弾を投下し終えて飛び去ったのが夜の7時30分。夜の9時半頃に連絡を受けて向かった外国の報道機関タイムズ、デイリー・エクスプレス、ロイター通信、ス・ソワールの4社の特派員がゲルニカの街に到着したのが翌4月27日の深夜2時。この時点でもまだ街は一面赤々と燃え、爆撃や機銃掃射で殺された住民の体がそこかしこに転がり、ナパームを浴びて燃えていたという。
バスク地方最古の街の一つ、美しい古都ゲルニカは、こうして破壊しつくされた。その様子はロイターの記者ジョージ・スティアがいち早く伝え、世界に衝撃を与えた。死者数ははっきりしていないが2000人から100人と、フランコ軍・反フランコ派のそれぞれの調査により大きな幅がある。現在では300人前後だろうと言われているが詳細は不明である。
日本での報道は甚だ乏しい。ゲルニカ爆撃に関しては東京朝日新聞も、東京日日新聞も報じていない。唯一大阪朝日新聞のみが「サン・セバスチャン29日發」という短い一報を載せている。東京朝日新聞はそれまで盛んにスペイン内戦について報道してきたが、この爆撃を記者が取材をした事をフランコ軍に知られ、後にスペインを出国する際足止めされたという。そしてその取材記事が日本国内で発表されることはなかった。
これは大量虐殺の始まりであった。ゲルニカ空爆以前にもバルセロナや他の都市への爆撃はフランコ率いるファシスト軍、人民戦線軍の双方からあったが、空を牛耳ったものが無抵抗の市民を虐殺していくという本格的な焦土戦、対市民戦略爆撃・航空戦の始まりになった。
空はもはや神聖な美しい空間ではなくなった。上から人々に炎を落とす悪魔の階段になっていた。世界中の、空を愛するパイロットはここに一つの時代の終わりを体感した。日本の小さな元パイロット、碧生蒼太郎の愛する空は否応なく大量虐殺の『道具』として利用されていく事になるのである。
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