臨海都市にて

「このアヴィダシステムをヒューマノイドに搭載することで、人間への類似性は極度に高まり、これまでヒューマノイドと人間の間に存在していた特異な奇妙さ、つまり“不気味の谷”と呼ばれていた現象を乗り越えることが可能となります。このデータを見てください。これは当研究施設の職員を対象とした横断調査の結果です……」


三重県津市。人工知能学会の学術大会がここで行われている。地方都市開催はここ数年なかったので、事務員の佐竹さんはとてもうらやましがっていた。


『いいなぁ、三重県は行ったことがないんだよね。僕も行きたいなぁ』

『出張費が下りなくて、ごめんなさいね。ここの留守番も必要だし。お土産買ってきますから』


佐竹さんは伊勢神宮だとか、鳥羽の水族館だとか、そんな観光がしたかったらしい。

うちの研究室はどちらかといえば窓際部署。僕たちに支給される出張費は交通費と宿泊費くらいなもので、学術大会参加費すら自腹というかなり厳しい現状を理解してもらうのはなかなか難しかったようだったけど、お土産に赤福餅を買って帰るからと佐竹さんを説得している望さんの姿が面白かった。


「僕たちの開発したこのシステムは、機械であるヒューマノイドに対して、自身で思考するための目的や意味を付与し、それにより、感情表現がより豊かになる、つまり機械に心を宿すことができるものと考えています」


無事に発表が終わって僕はほっとしていた。

このタイミングであの症状が出たら、いろいろと厄介だから……


「城崎先生、ありがとうございました。会場から何か質問などはございますでしょうか」


座長の先生が会場を見渡す。すると、最前列に座っていた初老の男性が挙手した。


「機械に心を宿すとおっしゃっていましたが、機械に心はむしろ不要なのではないでしょうか。医療や介護分野と言えど、やはり効率的に作業をこなすことこそが、利用者のメリットにつながるものと考えますが、このあたりのお考えをお聞かせください」


こうした質問は想定内だった。いや、むしろ期待していた、という方が良いかもしれない。医療を受ける側となってから分かったことはたくさんある。医学の発展は目覚ましいけれど、人を救うのは医学ではなく、今も昔も人なんだ。門脇先生の診療から僕はそう学んだ。


「臨床現場は人と人との関わりだからこそ、心が必要なんです。医療や介護が人を救うんじゃない。人が人を救うんです。誰かの存在だけで生きていける、実際、患者の立場に立ってみたら……」


僕の言葉を遮るように、その初老の男性は声を荒げた。


「それは机上の空論でしょう。実際は科学的に的確な判断、リスクやベネフィットのバランスを最適化できる電子頭脳がありさえすればよい。君は医学の専門家じゃないだろう。医療をなめてもらっては困る」


僕は答えに詰まった。確かに僕は医療の専門家ではない。医師でもなければ看護師でもない。専門は情報工学。臨床のことなんて何も知らない。だけど、だけど僕にも言えることがある……はず。


「すみません、共同研究者の門脇です。私は医師ですが、おっしゃる通り、リスクとベネフィットの最適化を瞬時に判断できるシステムは医療現場において貴重な存在となるでしょう。しかしながら、医療介入には限界があることもまた事実です。薬の効果ひとつとってみてもその臨床効果は統計学的には非常に曖昧です。だからこそ、医療や介護に携わるヒューマノイドには、リスクやベネフィットの最適化演算よりも、より人とのかかわりを重視できるシステムの搭載が肝要だと考えています」


上手く言葉にできない僕の代わりに望さんが答えてくれた。


「君、薬の効果が曖昧とはどういうことだね?現に日本人の平均寿命は新薬の開発、発売とともに以前とは比べ物にならないほどに伸びている。君は医者と言ったが、臨床医ではあるまい。臨床を馬鹿にしているのか?」


すると、後方の座席に座っていた、30代くらいの男性が挙手をした。会場内の空気がやや騒然としてきたところで、座長の先生の表情も困惑気味だったから、この挙手はありがたかったに違いない。


「田邉重工株式会社システム開発部の来宮隆きのみやたかしと申します。本日は貴重な発表をありがとうございます。ところで、患者を真に見る臨床医であれば、こんな基礎系、ましてや工学系の学会に参加するほど暇な臨床医はおられないのではないかと思います」


会場に失笑が漏れる。先ほどの初老の男性は、すっと立ち上がると、会場を出ていってしまった。


「さて、ヒューマノイドに心を宿す、とても興味深いお話でした。私から一つ質問なのですが、現状では、医療、介護分野のみでのシステム搭載を考えていらっしゃるのでしょう」


「ありがとうございます。はい。僕たちの研究は、少子高齢化に伴う人材不足問題の解消を目的とした、東京都のヒューマノイド導入に関するプロジェクトの一環なんです。現状では医療、介護分野での実装は考えておりません。ただ、技術的には、様々な分野での応用は可能だと思います」


ヒューマノイドに心を宿すとなると、社会的にはいろいろな問題が出るのかもしれない。ヒューマノイドに対する人権のようなもの、保守管理、そういったことを考えると、制度設計からしっかり行わないといけない。ヒューマノイドが人と共生する社会、それはまだまだ先のことなのだと思う。


会場を出ると、僕は自分の喉がカラカラになっていることに気が付いた。極度の緊張と、普段はめったに出さない大きな声で話していたからだろう。ペットボトルのお茶を少し飲むと、上昇した心拍数がわずかに落ち着きを取り戻していく。


「望さん、さっきはありがとうございました」


僕は初老の男性に圧倒された時、フォローしてくれた望さんの存在がとてもうれしかった。


「ああ、ごめん、城崎君の発表なのに、なんだか横から出てきてしまって」

「いえ、本当に助かりました。僕が不甲斐ないばっかりに望さんにも迷惑かけてしまいました」


「城崎先生、少しお時間よろしいでしょうか」

後ろで声をかけられ、振り向くと、先ほど来宮と名乗った男が立っていた。


「あ、はい大丈夫です。先ほどはありがとうございました」


三重県津駅に直結した駅ビルは学会が開催されている貸館施設の他、県民交流センターやショッピングモールも入った複合施設だ。6回から上はホテルになっていて、僕たちはそこに宿泊する予定だった。


来宮と名乗った男に連れられて、僕たちはショッピングモール内の喫茶店に入った。

僕は喫茶店という場所が苦手だったりする。コーヒーはあまり好きじゃなかったし、望さんの入れてくれた紅茶以外は飲まないと決めていたし、かといって何も頼まないわけにはいかない。一人だけウーロン茶やココアを飲むのも気が引けるし、やはり少し苦手なコーヒーを頼むのが常だったりする。


「うちの会社は産業用ロボットの他、ヒューマノイド開発も積極的に行っています。ただ、講演でもお話がありました通り、問題は不気味の谷ってやつです。もしよろしければ是非、うちの開発したヒューマノイドに先生方の、えっと……」

「アヴィダシステムですか?」

「そうです。そのアヴィダシステムを実装できればと考えていたんですよ」


アヴィダは今のところシュミレーションソフトを用いた解析での評価しかなされていない。実際のヒューマノイドに実装して、どのような影響が出るか、未知数な部分がある。当然ながら安全性にも配慮しなければならないし、実装後、詳細なデータを取って公式な資料としてまとめる必要もあるだろう。共同開発となると東京都の承認も必要なはずだ。産業技術総合研究所は私設の研究所ではないから。


ただ僕は自分の設計したプログラムが、本当に機械に心を宿すのか、とても興味があった。僕たちの研究が実用化されるための第一歩になるのではないか、この時、僕はそう感じたんだ。


「望さん、どうでしょうか。僕としてはヒューマノイドに実装して、このアヴィダシステムの実効性を知りたいという気持ちもあります。ただ、安全性や保守の問題など、課題は多いと思いますし、所長や東京都の承認も必要ですよね」

「そうね。来宮さん、申し出はとてもありがたいです。私としても前向きに検討したいと思います。ただ手続き上、少しだけ時間をいただきたいのですが」


「それはありがとうございます。是非ともご検討のほどよろしくお願いいたします。良いお返事をお待ちしております」


僕たちが開発した電子頭脳モジュールを実際のヒューマノイドに搭載することは、研究室単独では、技術的にも、人材的にも、そして何より経済的にも難しかった。でも田邉重工株式会社との共同研究と言うことなら、東京都も承認せざるを得ないだろうし、実現すれば、僕たちの研究は一気に加速するかもしれない。


「私はポスター会場を見ていくね。城崎君はどうする?」

「僕は一度ホテルにチェックインしてきます。なんだか荷物もたくさんあって」


学会発表直前までスライドをチェックしていた僕は、ノートパソコンに加え、参考文献や統計資料など、大量の荷物を抱えていたことに気がついた。


「うん、なんだかすごい荷物だもんね。じゃ、後でまた連絡する。後でご飯でも食べに行こう」


僕はエレベーターホールで望さんと別れた。

ホテルのロビーは6階。7階から12階まではオフィスで客室は13階から20階。津駅に直結したこのビルは県内でも2番目に高い高層ビルだそうだ。


僕はロビーでチェックインを済ませ、再びエレベーターに乗って18階へ向かった。エレベーターの昇降壁がガラス張りになり、眼下に津市の街並みが広がる。鈴鹿市と松坂市に挟まれた三重県の県庁所在地。三重県内では四日市市に次ぐ人口を有する都市であり、また日本一短い市名でも知られている。近畿日本鉄道名古屋線の線路が複雑に入り組んでいる様はまるで迷路のようだ。三重県庁は駅のやや南側にある。そして遠くには海、そう伊勢湾が見える。ここは海沿いに市街地がある臨海都市なんだとあらためて思う。


――あした時間があったら海を見に行こう。


その時、寒気が僕の体を襲った。鳥肌が両腕に一気に広がるのが分かる。

――おかしい、このエレベーター、さっきから動いているはずなのに18階に着かない。6階から18階、それほど長い時間はかからないはず。

このビルはそれほど高層ビルではないから……

僕は振り返ってエレベータの現在階層を示すモニターの表示を見た。15階を示している。

――なんだもうすぐか。

安心しかけたその時、急に音が消えた。

視界は一瞬歪み、僕は思わず目を閉じる。

――また、あれか。

目を開けるとエレベーターは完全に止まっているようだった。

そして目の前にあの男がいた。

――ラプラスのデモン。


「君は世界がすれ違う瞬間を見たことがあるだろう?」


男はそういった。

寒さに肩が震える。

これほど寒気がすると言うのに、顔から汗が流れ落ちるのが分かる。


「お前は一体誰なんだ?」


男はその質問には答えず、質問で返してきた。


「君は自分が本当に精神疾患だと思っているのかい?」

「少なくともまともじゃないことは確かだろう」


僕は震える声で答えるのがやっとだった。

男は表情を一つも変えず、僕の真向かいに立っている。


「それは能力だよ。特殊なね」

「能力?」

「その能力をどう使うかは君次第。でもこれだけは言っておく。今の君に大切な人は救えない」


急にエレベーターが動き出す。重力が一瞬消え、体が浮き上がったような感覚に包まれる。体温が体の中心から腕の先に行き渡るのを感じる。時が動き出す。

そして目の前の男は消えていた。

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