徳川が賛美される理由と江戸時代以降の日本のプロテスタント支配。

 さて、これまで実例と仮定を合わせながら欧米の問題について指摘しましたが、今回からは江戸時代以降の日本についても指摘していきたいと思います。

 最近、江戸幕府が日本の近代を作ったや江戸時代が素晴らしかったが誇張されていますが、果たして文化破壊は明治以降だけでしょうか?

 それについて説明していきたいと思います。


 よく、世間では江戸時代を賛美する風潮があり、江戸幕府は幸福度が高いや素晴らしいと誇張される傾向にありますが、江戸時代は決して素晴らしい時代でなく、寧ろ安土桃山時代の方が素晴らしいと言わざるを得ません。

 更に徳川家は裏でプロテスタント右派と癒着している実態から安土桃山以前が正しい日本文化、江戸以降はプロテスタント右派による文化と明確に気付かなければならないと思います。


 なぜ、江戸時代はプロテスタント右派の影響を受けたかというと家康は英国などのプロテスタント諸国を利用して関ヶ原の戦いで勝利したからです。

 その関ヶ原の戦いで家康は日本の根幹をプロテスタント式に変えて行ったのです。

 世間で言われる江戸文化の多くはプロテスタント右派の影響を受けたものが多い。

 例えば、水戸黄門などの正義を基調とした時代劇、(時代劇は江戸時代ものが圧倒的に多く、安土桃山以前のものが非常に少ない)、徳川埋蔵金という言われる程の貨幣経済かへいけいざいの推進(帰農令もこの貨幣経済が原因)、鎖国を称したプロテスタント国家との貿易、江戸文化はプロテスタントの影響を受けたものが多いなど、どう見てもプロテスタントと江戸幕府との関係がある様にしか思えないような政策ばかりです。

 実際はプロテスタントの受け売りで対した文化を持っていない江戸幕府はアメリカ合衆国建国に関与し、部落差別ぶらくさべつも江戸幕府によって作られました。

 プロテスタントは差別主義や階層意識が強いので必然的にそういう姿勢になるのは至極当たり前の事です。

 そして明治維新だけを悪者にして江戸幕府を過剰評価する事は、明治維新賛美主義者と何も変わらない文化破壊者に過ぎません。

 つまり江戸賛美論者=明治維新賛美論者と同意義なのです。

 そして長州ちょうしゅう会津あいづ三河みかわ(いずれも清和会せいわかい自民の基盤。)の3藩はプロテスタント右派との癒着しており、庄内、越後、薩摩を排除して自分たちの基盤を作り上げたと言っても良い位です。

 徳川家はアメリカ建国に関わっており、カトリックや他の国にその情報を漏らされる事を警戒して鎖国したのであって、決して庶民の為ではありません。

 更に、ペリーの黒船は事前に情報が届いており、予め開国する時期を計画していた。

 つまり、明治維新は徳川が予め知っていた事であり江戸幕府が貨幣経済を作った後、明治維新を起こさせ、薩摩を特に敵に見せる戦争を行った。

 結果、江戸幕府による貨幣経済政策の失敗により反乱や明治維新などはペリー来航や薩長がなくても緊縮財政が続けば起こり得るものだった。

 故に徳川家はアメリカの関係を非常に重視し、彼らは軍産複合体ネオコンと密接に繋がっていたといえる。

 故に、江戸幕府はアメリカ合衆国の開国前の実験的な要素を含めたとすれば、プロテスタント右派がアメリカの開国前に江戸幕府や江戸時代の日本を意図的に操作していたといえる。

 つまり、江戸幕府が出来なればアメリカというブラック国家の建国もなかったし、世界大戦も大きく減っていた。

 故に、江戸幕府や新選組は長州・会津藩同様、今の自民党清和会の基盤になったと言えます。

 故に清和会が徳川家の影響を持っているなら、経世会けいせいかいは天皇の影響が強いと断言できるのです。

 故に、江戸幕府や新選組は新自由主義ネオリベ政策を念頭にしたのも江戸幕府の政策の影響が非常に大きいとされています。

 つまり、江戸時代がなければ英国などのプロテスタント国家の事実上の植民地がない為、カトリックなどと組んでプロテスタントを壊滅していた上に日本語とスペイン語などの南欧言語の相関性から今よりも日本の影響力が上がったと言えます。

 又、貨幣経済政策の裏返しとして室町時代や安土桃山時代の歴史をきちんと勉強し、織田信長、今川義元、豊臣秀吉などの経済政策を見ておくとよいでしょう。

 特に今川義元や織田信長は経世会を始めとする本来の保守で非新自由主義的な経済政策があるのでそれを注目すると良い。

 故に、徳川家みたいに貨幣経済を利用した市場原理主義政策とは距離を置いており、本来の日本文化との関係が強い。

 又、信長時代の農民の幸福度は江戸時代以降と比べても高いので国際評価に惑わされずに安土桃山時代や室町時代の政策を見てみると脱欧米が開けてくると言えます。

 故に、江戸時代以降の市場原理主義的貨幣経済からの脱却をどうやって進めていくか。

 そして安倍首相などの清和会系は新選組や徳川家の影響が強い事(対米従属も徳川家の得意技)を反面教師にする事が大事になると言えるでしょう。

 因みに長州と会津の争いは八百長で会津は逆に長州に加担していて、明治維新後に薩摩を静粛する事で自分達の地位を得ていた。

 事実、野口英世や新島八重などプロテスタントの影響を受けた人間がこの会津から多く出ている。そして会津は何故かアメリカの影響が強く、会津を始めとした東北では清和会の影響が強い。

 寧ろ、会津藩は磐城藩を見殺しにした歴史があるなど、長州と会津は似た者同士と言えよう。

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