第4話


「ごめんな」


 意識が浮上するたびウィリアムの謝罪の声が聞こえてきた。意識はあっても身体が動かせないのがもどかしかった。

 手を伸ばせば届く距離に彼はいるのに、彼と私は遠い場所にいる。それが、外の世界に連れ出してくれる前の関係のようでひどく胸が痛んだ。


(そんなに謝らないで、大丈夫よ。私こそ倒れてごめんなさい。すきよ……ウィリアム、大好き)


「セシリア、好きだ」


 偶然かもしれないけれど、私が好きだと思ったから彼が応えてくれたように思えて嬉しかった。


(あぁ、私の想いも伝わればいいのに)


「セシリア、あのな、今日はこんなもの持ってきたんだ」


 ウィリアムがカバンの中から白い封筒を取り出すと中から、薄い紙を取り出し広げてみせた。


「結婚誓約書」


(結婚!?)


 突然のことに驚きはしたが、結婚という言葉は嬉しかった。

 けれど、私の体はもう長くはない。それなのに、彼を結婚という2文字で縛ってしまっていいのだろうか。

 そんなことを考えている間にも、彼はどんどん話を進めてしまう。


「あとは、セシリアの拇印を押すだけなんだ。君の両親からも許可をもらってる」


 ウィリアムの手が、セシリアの人差し指を優しく運んでいく。


(やめて、思いとどまって……)


 ギュッと何かが指に押し当てられる感触がした。あぁ、押してしまったのか。


「あとは、これを教会に出すだけだ……ごめんね」


(ウィリアムは本当……仕方ないんだから)


 後悔しなければいいな、そう思いながら彼の手を握り返したくてしかたなくなった。

動いてくれないかな、なんて指先に意識を向けると少しだけピクリと反応してくれた。


「セシリア……いま……」


 もう手は動かせないけれど、彼が今にも泣きそうな震えた声で、ありがとうって呟くから


(まぁ、いいか)


 本当は、死にかけの自分と結婚なんてよくないのかもしれない。それでも、いま幸せだから……。

 そんなことを思いながらセシリアは意識を手放した。



「セシリア、いま花嫁衣裳着せてあげるね」


 結婚式当日、といっても会場はベッドの上で参列者もいない身内だけの小さなものだ。

 母親が一つ、一つ丁寧にウェディングドレスを着せてくれる。母親の声は少しふるえていた。


(うん、わかっているよ……)


 セシリアが起きるまで式を待てなかった理由がセシリア自身もわかっていた。


「できたわよ。ほら、写真とってあげるね」


——カシャリ


 シャッターが切られる音が聞こえてきた。ふふっと母親の嬉しそうな笑い声がする。どうやら、うまく撮れたみたいだ。


(見たいなぁー)


 なんて、ムリな話だ。

 コンコンと扉を叩く音がした。なんだろう、幼いころ窓を叩いて外に連れ出してくれたウィリアムを思い出した。


「あらあら、ちょうどさっき終わったとこなの。綺麗でしょう?」


「えぇ……とても、綺麗です」


 彼の、ウィリアムの言葉にブワリとあつい感情がこみ上げてきた。嬉しい。彼に綺麗と言われたのがうれしい。

 そして、そんな自分の姿が見られないのが悔しい。


「セシリア、泣くなよ」

「セシリア……」


 ウィリアムの指がセシリアの閉じた目にそっと添えられる。セシリアから流れた一粒の涙をぬぐった。感極まった母親の嗚咽が聞こえる。「お母さん、ハンカチです」だなんて言ってるのを聞こえてくる。

 ウィリアムは相変わらず優しい人だった。

 小さいけれど、最初で最期の大切な式が始まった。


「病める時も健やかなる時も生涯愛し続けることを誓いますか?」


「誓います」


(誓います)


「それでは、誓いの口づけを……」


 顔にかぶさったベールが剥がれる。ウィリアムの顔が近づいてくる気配がする。ドキドキと大きく胸が高鳴る。

 重なる時まであと3㎝。


「セシリア……」


 あと2㎝。


「言ったよね、昔」


 1㎝。


「倒れたら僕が助けるって」


(えっ……?)


 0㎝。彼と唇が重なった。

 どうしてだろうか、目が開けられる。久しぶりの光が眩しくて目を細めていたその時、ドサリと重たいものが落ちるような大きな音がした。


「ウィリアム!?」


 ウィリアムの父親と母親がベッドのすぐ真下に集まっている。そこで何をしているのか、見ようと体を動かせばベッドが軋んだ。


「セシリア。あなた、目が覚めたのね!」


 母親と父親が駆け寄ってきて、母親はセシリアを抱きしめた。よかったと呟く母親の肩越しから見えたのは、ウィリアムが床に倒れている姿だった。


「ウィリアム!?」


 母親からはなれてウィリアムに駆け寄る。

 しかし、寝たきりだったせいで足の筋肉が衰えてしまっていたりうまく歩くことが出来ず、ベッドから床に落ちてしまう。

 這いよりながらも彼に近づく。彼の表情は寝ているように健やかだった。


「これは、どういうことだ!」


 ウィリアムの父親が怒鳴り声をあげる。ウィリアムが倒れて、なぜセシリアが起きているのか。それは誰にもわからなかった。沈黙が続くなか、おずおずと手を挙げたのは一人の女性だった。彼女には見覚えがある、あの時一緒にいた人だ。


「あの、ね……お兄ちゃん、前に一度だけ私にこんなこと聞いたの」


—―なぁ、願い事が叶うならどんな代償でも払えるか?


「って、お願いごとによるかなって軽く答えちゃったけど……まさか、ね?」


「お嬢さんの言うとおりかもしれませんよ」


 一部始終を見ていた神父は、痛みを我慢するかのような表情でそう言った。


「彼は寝ているだけのようですしそれに、彼女の腕を見てください」


 神父が、指をさした先をたどればセシリアの腕あたりへと繋がる。彼女の手の甲には黒いユリの痣が出来ていた。


「セシリア、どうしたのよ。それ……」


「お母様、その手に触れてはいけません! 触れてしまっては、お母様がどうなってしまうか……わかりませんから」


 神父の言葉に触れようとしていた母親の手が離れる。黒いユリの痣がまるで悔しそうに禍々しい光を放った。


「彼は、どうやら悪魔に願ってしまったみたいですね……。彼が今、倒れているのも彼女に痣があるのもそのせいでしょう」


 嘆かわしいことです。神父は、口元を手で隠すと目をつむり斜め下へと顔を向けた。


「悪魔に!? あぁ、神父さま。どうしたらウィリアムを助けることができますか?」


「私には、わかりかねます。ただ呪いに詳しい魔女がいると聞きいたことがあります。運がよければ彼女に会えるかもしれませんね」


 森の魔女のことだろうか。昔、ウィリアムから聞いたことがある。


(でも、ウィリアムはたしか―—……)


《森に魔女はいる。けど、あの森には魔女の魔法がかけられていて、森に入ってもいつの間にか森の入り口に戻っているんだよ》


 一度でいいから行ってみたいと瞳を輝かせながら、そう言っていたのを思い出した。


 それから、ウィリアムの両親は魔女を探しに出かけていってしまった。

 セシリアは、ウィリアムの妹と眠り続けるウィリアムの世話をしている。彼の側に花を置こうと花を摘んだが、自分の手で摘んだ花が枯れるのを見てしまった。

 セシリアは、それから黒い革手袋をするようになった。素肌で触れなければ枯れなかったからだ。




「そうやって、過ごすうちに両親も妹も老いてしまっていなくなってしまったわ。なのに、彼と私は若いあの頃のまま停まってしまってるの……」


「その彼は今どこにいるんだ?」


 カイルの疑問にセシリアは、ついてきてと部屋を出ていく。一階の廊下の奥を進むと隠れるように部屋のドアがポツリとあった。

 ドアを開くと白いベッドに眠る金髪の男性がいた。眠るその姿さえ美しいと思ってしまうほど彼の顔は整っている。


「ずっと、ここで眠っているわ」


 花瓶に飾られたヒマワリをセシリアが素手で触ると茶色く枯れ落ちてしまった。

 ヒラリ、ヒラリと茶色の花びらが床に散る。


「…………力をかしてくれる?」


 シギは、コクリと頷いた。


「やさしき我が主のため、仕方ないから手伝ってやる」


 そうあくまでも、セシリアのためではなく主のためだと言うカイムにセシリアは安心したように笑った。


(しかし、コイツに微かに残るこの気配と神父、か。本当、厄介なことにならなければいいが……)




 空の上から一つの影がシギ達を見ていた。

 コウモリのような黒い翼、右側だけ少し伸びた髪には赤いメッシュが入れられている。黒いシルクハットを深くまで被るとソレはニヤリと口を歪めた。


「しかし、こうもあっさり罠にひっかかるとは……ふふっ、君がどう動いてくれるか楽しみにしていますよ」


 ソレは徐々に空へと溶けて消えていく。


「ね、カイムくん」


 不敵に笑いながら黒い鳥の名前を呟いたソレは、完全に消え去り。空はいつものように白い雲が流れていた。

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コトノハに鍵 六連 みどり @mutura

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