七不思議と戦う目的はなにか

 いや、そもそも、こいつは何者だ?

「……お前の仕組んだことか? この一連の出来事は」

 身構えながら俺が尋ねても、そいつはただ笑って立っているだけだ。

「さあ、それはなんとも。私は君を知らないし、君が倒した奴についても詳しいことは知らないからな。私がした事といえば、君が奴を倒すように背中を少し押したくらいだ。まあ、敵ではないから安心してくれてかまわないよ」

 それだけ言うと、女はこちらを見て静かに微笑んでくる。

 しかしそもそも、なにもかもがわからない。

 ならば、するべきことは一つだ。

「お前、何者だ?」

 こういう奴には単刀直入にそう聞くのがいい。

 どうせなにをいってもはぐらかすだけだ。

「何者、か。なかなか難しい質問だな、それは」

 おどけたような苦笑いを浮かべ、そいつは小さく首をすくめて見せた。

 まあ、この反応は概ね予想通りか。

「それにそういうことを聞きたい場合、まず自分から自己紹介をするのが筋だとは思うが……それどころではなさそうだな、君は。私はミラ。なに、ただのお節介な学校の守護神とでも思ってくれればいいさ」

 そう口にした女の顔に自嘲の笑みが浮かぶ。諦めと挑発の混じった笑顔。

 やはり、こいつの外見に騙されてはいけない。

「で、そのお節介焼きは、なぜ俺を助け、奴を殺させた? 俺を利用したとして、俺になにをさせたいんだ?」

 言葉に悪意を込め、棘にしてそいつに向ける。

 だがそいつは、俺の視線など涼しく無視し、はぐらかすように笑っているだけだ。

「やれやれ、そんな怖い目をしていては、せっかくの美形が台無しだろう。ほら、少しは笑いたまえよ」

 そいつは笑えと言うが、ひとことで笑顔といっても色々あるだろう。

 たとえば、今そいつの自身の顔に浮かんでいる笑みは、明らかに親愛や友好のそれではないだろうに。

「笑ってほしければ、笑えるような話をするんだな。今の状況はとてもじゃないが笑えない」

 俺は顔を崩すことなく、ただ静かにそう言った。

 そいつの言葉に乗ってこちらもおどけてやってもよかったのだが、どうも俺の方も意地になっているらしい。

 こいつの言葉通りに笑うなど、できるものか。

「まったく、頑固な男は嫌われるぞ。……まあいい、まず君の質問に答えるために逆に聞いておきたいんだが、君は、この『学園』のことをどこまで知ってるんだい?」

「さあ、なにも知らないな。お前の正体も、俺を殺した奴も、俺自身についてもな」

「フム、なにも知らないときたか。なるほど……、ならば、もう一つだけ質問をさせてもらえないかな。いや、君の質問の手番だとは重々承知しているが、その前にどうしても確認しておきたいことがあってね……」

 そいつはそこで言葉を切り、それを尋ねた。

「君の名前は?」

「七白、七白空ななしろくうだ」

 シンプルな質問。そして俺の答えもまたシンプルだった。

 それは、俺の記憶の中に唯一残っていた『俺自身の記憶』。

 俺が誰であるかの、たった一つの証明だ。

「七白空……聞いたことのない名前だな」

 だがそいつは、俺のその証明さえも否定した。

 しかもそいつの顔には、それまでと打って変わって純粋な疑問の色が浮かんでいる。

 余裕のヴェールの向こうにあるものではない、剥き出しの感情。

 嫌味や冷やかしではなく、本当に知らないのだろう。

 よりにもよってそれが俺の名前に対する反応だとは。

「……まあいい。それより、俺が気になっているのはお前らのことだ。お前はなんだ? あいつはなんだ? そもそもあいつは死んだのか?」

 そんな俺の言葉を聞き、そいつは再び小さく笑う。

 相変わらずの、全てを見透かしたかのような笑みだ。

「私も奴も【学園の怪】と呼ばれる、七不思議が具現化した存在だよ。私は【鏡に映る少女】で、さっきの室居はおそらく【開かずの教室】だろう。学園の七不思議、というのは聞いたことくらいはあるだろう?」

「さあな。ただまあ、そいつらが厄介な存在というのはわかる。お前も含めてな」

「飲み込みが早いというのは、いいことだよ」

「そりゃどうも」

「で、だ。そんな飲み込みの早い君に一つの頼み事があるわけだが、どうだろう? 聞いてくれるかな? なに、簡単な仕事だよ」

 自分でも、物凄く顔が歪んだのを自覚する。

 こういう輩の言う簡単な仕事が本当に簡単だった例は、古今東西どこにも存在したことはないだろう。

「……簡単な仕事だというなら、まず簡単な言葉で説明してくれ」

「フム、ひとことで言うなら、他の【学園の怪】を調査し、倒すのに協力してもらいたい。とまあ、それだけのことさ。七不思議の象徴である怪は私とさっきの室居を含めて七体だから、残りはあと五体となるね」

「それだけのこと、ね……」

 気楽な口調でそいつはそう言ったが、あからさまな無理難題である。

 なにしろまず、先ほどの室居との戦いでこちらは死んだのだ。

 そうだ、俺は死んでいたのだ。

 そんな相手との戦いに協力しろだと。

 俺はこいつのなんだというのだ。

「で、俺がそれをしてやらなければならない理由はなんだ?」

 だから、あえてそれをこちらから聞いてやった。

「理由ね……。なるほど、見返りが欲しいのかい? もちろん、協力してくれるならそれ相応の礼はさせてもらうつもりだけれども」

「いや、そんな即物的なことじゃない」

 そいつの言葉を先んじて打ち切る。

 俺が求めているのは礼でも報酬でもない。

「俺が聞きたいのはもっと根本的なものだ。簡単に言えば『なんでお前なんぞに協力してやらねばならないんだ』ってことだよ」

 俺のその言葉を聞き、そいつは少し考え込んだが、すぐさま答えを見つけたらしく静かに笑って見せた。

「フム、そうだな。心情というのなら『君に目的を与える』、というのはどうだろう」

 それを語った時のそいつの笑顔は、俺が今まで見た笑顔の中でももっとも吐き気をもよおすものだった。

「……目的だと」

「そうだとも、『目的』だ。そもそも今のままで君は、この学園でいったい何をするつもりなんだい、七白空君? 君にとって、ここは虚無の世界も同じはずだ。だからといって『僕が自分が誰なのかわからないんです』とどこかに逃げ込むようなタマでもないだろう? だから君に、この学園での君の居場所を作り与えよう、というのさ」

「勝手なことを……」

 正直なことを言うと、そいつの提案と言葉は俺の迷いの深いところを強烈に抉ってきたのではあるが、それ以上に、その言動には受諾を拒ませる嫌悪感があった。

 もっとも、こいつはきっとそれさえも計算済みだろう。

「君がどう思おうが、まあそれは君の自由だ。好きにするがいい。……ただ、一度接触してしまった以上、今後【学園の怪】は君の生活にも侵食してくるだろうけどね。それに、君は気にならないのかい、自分が殺されていた理由が」

 まったく、気に食わない言葉と事実ばかりだ。

 完全なる正論で逃げ道がないからなお腹立たしい。

「……つまり俺には、お前に従ってその【学園の怪】とやらと戦うか、お前に従わずにお前を含めた【学園の怪】とやらに怯えるかしか選択肢はないというわけか」

「大まかに言えばそういうことだね。やはり飲み込みが早い。美点だよ。まあ他の選択肢として、この学園から逃げ出すという手も無いわけじゃないだろうが、君にそれも出来まい。どうする? たった一人で、なんの助けもないまま生き残るために戦うかい?」

 奴の言葉に俺は少しだけ考え、そして口を開いた。

「それも面白そうではあるが、まあ、不用意に干渉されるよりは不安要素を先払いをしておくほうが気楽ではあるな。それに【学園の怪】とやらに対して受身というのもあまり楽しい未来図が思い浮かばない。いいだろう、非常に気に食わないが、お前と組んで【学園の怪】をぶっ倒そうじゃないか」

 俺はそう答え、静かに笑って見せると、ミラもまた微笑んで見せる。

「君なら、そう言ってくれると思っていたよ」

 そう言わせるように仕向けておきながらよくもまあ言えたものだ。

 まったく反吐が出る。

「そんなわけでこれからは、私は君の傍で【学園の怪】の方が動くのを待つとしよう。では、君の学園生活に幸があることを祈っているよ」

 それだけ言うと小さなミラの姿は消滅し、そこにはただ、一つのコンパクトミラーが残されていた。

 手のひら大の、四角く白いコンパクト。

 中のガラスは、割れた破片が入っているだけだ。

「……どこへいったんだ?」

 少々驚いた声を上げると、そのコンパクトミラーからそいつの意思が響いてくる。

 音ではなく、直接心に響いているかのような声だ。

『なに、さきほどまでのはただのイメージだよ。私が具現化するためには少々条件があってね。とりあえず、君にそのコンパクトを持っていてもらいたい。それがあれば、いつでも君の視界内になら具現化できるからね。とはいえ、そうはいっても別に君がなにをしても私の知るところではないから、せいぜい好きに生きてくれたまえ』

 なるほど、こいつは監視カメラの向こう側の存在みたいなものということか。

 まったく趣味が悪い。

 コンパクトミラーを拾い上げ、俺はその姿の見えない相手に声をかけた。

「なあ、一つだけ聞いていいか?」

『なにかな?』

 俺が投げやりに尋ねると、意識の声だけがそう応えてくる。どうやら、もう先程のようなイメージを出すつもりはないらしい。

「さっきのあの姿は、お前の本体の姿なのか?」

『さあ? 私は私の姿を知らないからね。君にそう見えたということは、おそらくそうなんだろう』

 そっけない返答。

 まあ、こいつが自分の姿に無頓着なのだというのはわかった。

『私が気になるのはむしろ君のほうだよ、七白空君。君は本当に、自分について何も知らないのかい?』

「ああ、むしろそれはこちらが聞きたいことだ。俺はなぜ殺され、なぜ生き返ったのかをな」

 そういって俺は自分の腹を軽くさすってみせた。

 今は何事もなかったかのように服まで再生している、穴が開いていたはずの箇所だ。

『フム、まあそれについては【学園の怪】を追いかけていれば、追々わかることもあるだろうさ。じゃあ、良き学園生活を。またなにかあったら、そのコンパクトを通して呼んでくれればいい』

 そいつは最後に意味深なことを言い残し、気配もそのままどこかへと消え失せる。

 俺は腹の奥に鈍い違和感を覚えながら、静かにその教室をあとにした。

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