七不思議は誰なのか

 確認すると、『七白空』という存在は何事も無かったかのように転校生として二年B組へと編入されていた。

 俺自身には、ここに至るまでの記憶はなにひとつない。

 だが、学園における俺の存在の基盤はすべて用意されていたのだ。

 学園の敷地の隅にそびえる男子学生寮にも『転校生の七白空のための個室』がある。

 真新しい教科書や生徒手帳をはじめとした、これから学校生活を送るための道具も整えられている。

 しかし、部屋にはそれ以外にはなにもない。

 隅々まで清掃された空虚の中に、学校生活のための道具だけがおいてある部屋。

 七白空という『生徒』に関してはなんら過不足もないのに、『人間』七白空についての情報は、なんらわからないままだ。

 まるで最初から『七白空という人間など存在していない』かのように、無だけがそこにある。

 空白の生徒に、七白空という名前を当てはめただけ。

 実際、俺の存在などそれだけでしかない。

 ミラはそれを笑っていたが、実のところ俺個人としては、そのことについて正直どうとも思っていなかった。

 失くした過去については色々と考えたりもするが、今の自分が過去を持っていないことそのものについてはさしたる興味もない。

 重要なのは、俺がどういう人間なのかだ。

 どういう人間『だったか』ではない。


「えー、今日からこのクラスの一員になる七白空君だ。みんな、仲良くするように」

「名前は七白空、よければよろしく」

 朝のホームルーム。

 教師からの定番の紹介を受け、名前とわずかな挨拶だけの、定番未満の自己紹介をする。

 こうして、俺の学園生活は始まった。

 あまりにあっさりとした挨拶にクラスが呆然とする中、俺は自分の席として用意された窓際の一番後ろの席へと向かう。

 正直に言ってしまえば、俺はクラスメイトと親しくするつもりは無かった。

 ミラから押し付けられた厄介な『仕事』に他の人間を巻き込みたくはなかったし、それ以上に、同じ教室にいるだけで仲良くするという、ぼんやりとした人間関係を煩わしいと思ったのである。

 クラスにいるだけでいいのなら、そこにいるのは俺である必要はない。

 ようするに誰でもいいのだ、彼らは。

 だから俺はそのことに価値を見出さないのである。

 だが、環境の方がそんな俺を許してくれなかった。


「転校生の……えっと、七白空くん、だっけ?」

 ホームルームと授業の合間。

 俺の意思など気にすることもなく、隣の席となった女子がそう話しかけてくる。

「私の名前は初瀬川(はせがわ)葉(は)菜子(なこ)、ナーコって呼んでくれるとうれしいな。何かの縁でこうやって隣の席になったわけだし、これからよろしくね」

 そして勝手に自己紹介をしている。

 ふんわりとした口調の割に押しは強い。

 柔らかい感じの黒髪のボブカットに、快活で無邪気そうな顔。

 それぞれのパーツの主張は強くないのだが、調和が美しさとなるような整った構成と個性。

 俺の好みかどうかはさておき、まあ美少女は美少女であろう。

 こいつとは以前どこかで会ったことがある気もしたが、相手の態度からいって、初対面なのだろう。

 そんなおぼろげな感覚以上のものは無く、その先を思い出そうとしてもなにしろ記憶が無い。

 なのでなにも気にすることもなく、俺はただ黙ったままやり過ごそうとする。

「わからないことがあったら、遠慮せずなんでもどんどん聞いてね。まだまだわからないことだらけだろうし、私も出来る限り力になるよ」

 どうやらかなりの世話焼き体質のようで、初瀬川はこちらの意見を聞く前に机をくっつけてきて、聞いてもいないのにいろいろと説明を始めてくれた。

 こういうナチュラルに押し付けがましいのは、俺の一番嫌いなタイプだ。


「じゃあ初瀬川、お前は赤と青、どちらが好きだ?」

 そこで俺は、なんの脈絡も無くそう質問した。

 なんのことかわからないといった様子で初瀬川はきょとんとしているが、それも当然だろう。この質問には必然性も意味もない。

「赤と青? 白は無しでいい?」

 少し真剣な顔をして、初瀬川はそう聞き返してくる。

「赤と青だ」

 白とはなんだ。勝手に選択肢を増やすな。

「えーと、じゃあ青、かな」

「理由は?」

 戸惑いながらも質問に答えた初瀬川に対し、さらに追い討ちをかけるように短い言葉で質問を重ねる。

「なんとなく、じゃ駄目? これって、心理テストかなにかなの?」

 相変わらず不思議そうにしている初瀬川。

 一方で俺はそこにとどめの一言を言い放つ。

「青を選んだあなたは、人との関わりを避ける根暗なタイプでしょう」

 あまりの答えに初瀬川が言葉を失う。

 もちろん、それがこの質問の唯一の意図である。

 呆然としている間に席を離そうとする。

 だがそれは止められた。こいつは、それくらいではへこたれなかったのだ。

「……じゃあ、赤を選んでいたらどういう答えだったの?」

 鋭い質問だ。

 正直に言えば、そんな返しをされるなんて考えてもいなかった。

 こちらはコミュニケーションの否定を行ったのであり、そこから会話、つまりコミュニケーションを継続しようとすること自体想定外だ。

 初瀬川の顔を見ると、怒りも嫌味もなく、純粋にこちらの回答を待っているかのようである。

「……赤を選んだあなたは、人を寄せ付けない暴力的なタイプでしょう」

 だから俺は、そんな初瀬川の顔に負け、漠然と用意していたもう一つの答えを口にすることしか出来なかった。

 これを言ってしまえば、タネはすべて明かされたようなものである。

「なるほどねー、七白くんって、面白い人だね」

 俺の答えを聞いて初瀬川の顔に浮かんだのは、心底からの、これ以上はないであろうという、満面の笑顔だ。

 これでは、俺のほうが困ってしまうではないか。

「……なにが面白いんだ?」

「だって、結局全部自分で言ってくれてるでしょ?」

「それは、お前がだな……」

 初瀬川の顔から笑みは消えない。

 結局俺はそれ以上は何も言えずに、初瀬川の説明を聞きながら授業を受けていた。

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