誰かの願いはどこにある

 有真知実の心は完全に俺の透明な腕によって掌握され、殻田の影響から開放された。

 それを確認して、俺は透明な腕を消滅させる。

 意識が一気に現実へと引き戻される。


「あれっ、ここは? 部室は……?」

 表情を取り戻し、呆然としたまま有真が周囲を見渡している。

 そこにいた他の誰もが、どこか呆れたように有真を見た。

 だが、俺の中には一つの疑問がくすぶり続けている。

 俺はかつて、有真知実に会ったことがあるのだろうか。

 記憶はどこにもない。


「これで完全に勝負ありだな、生徒会長様よ」

 そんな違和感を振り払おうと、俺はわざとらしいほどに勝ち誇って殻田へと声を向けた。

 流石に多勢に無勢もあり、殻田は他の【怪】達によって取り囲まれている。

 ミラの作った光の檻が、完全にその肉体を拘束していた。

「……どうやら、さすがにこれはもう無理っぽいね……」

 状況を悟り、殻田も諦めの表情で座っている。

「それで、そこまでして僕を生かす理由はなんだい?」

「さっきも言ったが、まずは部室だよ、生徒会長様。一筆書いてもらおうか」

 俺がそういって懐にしまっておいた書類を渡すと、殻田はフフッと呆れたような笑いを向けた。

「君にとって部室とその第三新聞部の部長さんは相当大事な存在らしいな。まったく羨ましい……」

 そういいながら、殻田は丁寧に書類にサインを入れてくれた。

 これで部室の問題は片が付き、『生徒会長』の殻田との問答は終わる。

 これからが本番だ。


「ならば今度は、【動く人体模型】の怪への質問タイムとなるわけか……」

 自嘲するかのように、殻田が自らそんな

 そうして、殻田に【怪】たちの視線が向けられる。

 殻田自身も空気が変わったことを自覚して、ふてぶてしく笑っているだけである。

「聞きたいことは山ほどあるとも。が、まずは一つ」

 俺よりも先に口を開いたのはミラだ。

「お前は、他の【怪】と接触しているのか? ここにいる以外の【怪】とだ」

 それを聞いて、殻田は意味ありげに口元を歪めた。

「なるほど……たしかにそれは重要だ。【鏡に映る少女】【トイレの花子さん】【魔の十三階段】そして僕【動く人体模型】と、七白くん、というわけか」

 指を一つ一つ折っていく。

 ごくごく自然に俺も数に含まれているが、まあもう仕方あるまい。

「つまり【学園の怪】、この学園で争う七不思議はもう残り二つ。そしてそのうち一つは、既に僕が倒した後だよ。【無人のピアノ】はね……」

 殻田のその答えに、ミラも、誰もが真剣な顔になり、口を閉ざす。

 俺は、自分の最初の記憶を思い出し、その腹部をさする。

【開かずの教室】の怪、室居揮依は俺が倒した。

 それが意味することは、一つだ。

 つまり、学園の七不思議はすべて、この場に揃ったということになる。

 それでどうなるのはかはわからないが、少なくとも、殻田はこちらの反応を見てすぐに状況を把握したらしい。

「そうか、なるほどね。もうここで、この戦いも終わりというわけだ」

 そして殻田は笑う。

 完全に追い詰められているにも関わらず、開き直ったように声を上げて笑ってみせる。

「ならば、今から少し話し合いをしようじゃないか、僕たちの、本当の目的についてを。本当に、殺し合う必要があるのかを。本当の敵は誰なのかを」

 殻田の言葉は止まらない。

 なにか動きを見せる素振りはないが、ただその言葉だけで、こちらに対して盤面を覆そうとしている。

 そしてそれは、次の言葉で決定的になった。

「そうだな、例えばそこの、十三階段の怪の本当の目的とかね」

 思いがけない、しかし予想しておくべきだった言葉。

 遠見と殻田は接触していたのだ。なら殻田が遠見の目的を知っていてもおかしなこととではない。

 一斉に遠見に視線が集まる。

 動揺を隠しきれない顔をしながら、遠見は言葉をなくして立ち尽くしている。


「遠見……?」

「どういうことだ?」

 俺たちが言葉を向けても、遠見は俯き、なにも答えない。

 迷っているのはわかる。

 だがその迷いは、沈黙を選択するという結果になろうとしている

 一方で、殻田はただ勝ち誇り、そしてさらに言葉を続ける。

「ほら、なにも言えなくなっただろう。そいつの本当の願いは、この世界そのものの異界化だよ。すべてを十三階段の向こう側にしたいんだとさ」

「やめっ……やめてください……っ!」

 殻田の言葉を遮るように、遠見が駆け出した。

 突然の出来事についていけず、誰も遠見を止められない。

 遠見は殻田を取り押さえようとして組み付き、そしてそのまま、黒い闇の手が殻田の口を塞ぐ。

 だが、そんな状況に追い込まれながらも、殻田の目は笑っていた。

 こちらを見ながら、己の勝利を確信したかのように。

 なにかをやり遂げてやったかのように。

 そして殻田は遠見の手の中の闇に消え、そこには室居のときと同じように、一つの小さな赤い球体が残された。

 だがそれよりも、俺も含めて全員の視線は遠見を捉えたままだ。


「……全部、バラされてしまいましたね……」

 遠見はゆっくりと目を伏せ、大きくため息を付いて、静かに首を振った。

「遠見、お前まさか……」

 誰もが驚きの目を遠見に向けている。

 遠見はその視線にさらされながら、静かに、殻田だった赤色の球体を拾い上げる。

「はい、そうです。さっきこの殻田が言っていたとおりです……」

 もはや言い逃れもできないことを悟ったのか、遠見は立ち尽くしたまま、ひとつひとつ言葉を口にしていく。

「僕の目的は、この世界を異界にしてしまうこと。僕のたどり着けない階段の向こう側で、この世界を覆い尽くしてしまうこと。階段のあちらとこちらを入れ替えてしまうこと」

 十三階段の向こう側になにがあるのか俺が知るはずもない。

 そもそも、まだ十三階段を見たこともないのだ。

 だがそれでも、その先に待ち受けるのがろくなもんじゃないというのはわかる。

「こんな事後承諾みたいな形になってしまったのは本当にごめんなさい。でも、もしよかったら、僕の目的に協力してくれませんか? 皆さんの願いとも、そこまで利害は離れていないと思うんですよ。自分の存在も含めて、この世界は全ては消えるわけですし……」

「なるほどな……」

 それを聞かされた時、俺は状況の緊迫感とは裏腹に、どこか安心している自分がいるのを感じていた。

 遠見の本心を知ることができたからだろうか。

 それは他の怪の連中も同じだったようで、遠見の願いと自分の願いをすり合わせているのか、なにかを考えながら黙って遠見の話を聞いている。

 だが一人、例外がいた。

 この場にいるたった一人の、【怪】ではない少女だ。


「馬鹿なこと言わないでよ! 遠見くん、あなたそれでいいの!?」

 彼女は、有真知実は、第三新聞部部長は、真っ向から彼とその願いを否定した。

「部長、怪じゃないあなたに、僕の気持ちなんてわかるんですか……」

「知ったことじゃないわよ、怪なんて。怪だろうがそうでなかろうが、あなたは第三新聞部の部員なのよ。なら、その相談に乗るのは部長の仕事だし、部員の間違った道を正すのも部長の役目よ」

 その、あまりにもおせっかいな第三新聞部部長殿の言葉には、さすがの遠見もたじろいでいるようだ。

 本当に、有真はこのあたりの踏み込み方がすごい。

「なにが部長の役割ですか。なんにも関係ないでしょう。僕は【怪】なんだ。あなたとは、住む世界が違う!」

 あまりにも心に土足で上がり込んでくる有真に、遠見はそれをどうあしらったらいいのかわからずに、ただただそんな風にわめくばかりである。

「とにかく、僕はこの世界を、僕のための世界に作り変えたいんです。いや、僕のためじゃない。僕らが過ごしやすい世界というべきですか。七白さん、あなたはどうなんですか、僕と一緒に、新しい世界を作ってくれませんか」

 遠見の言葉の矛先が俺に向けられる。

 答えとしては当然ノーなのだが、それでも俺は、それを言葉として口に出してしまうことに迷いがあった。

 遠見はずっと孤独で、空を見ることなく、世界に縛られ続けていたのだ。

 遠見だけじゃない。

 怪なんてものは誰でもそうだ。

 ミラだって、初瀬川だって、殻田ですらも、それに苦しんでいるから願いを持ってこの戦いをしていたのだろう。

 そうだ、願いだ。

 するとまた一つ、俺の中に疑問が湧いてくる。

「なあ、遠見」

「なんですか七白さん、僕に協力してくれるんですか!?」

 そのひとことに、遠見は期待と不安のまぜこぜになった言葉で食いついてくる。

 だが残念、俺はあくまで俺の話をするのだ。

「いや、それは難しいかな。だからこそ、一つ聞いておきたい。お前には、俺の願いはなんに見える?」

 遠見や【怪】たちがこうやって己の想いをかけて戦っているというのに、俺には未だなんの願いもない。

 いや、違う。

 最初は願いらしきものを持ってはいたのだ。

『俺は誰だ?』

 それが俺の願いではあったが、答えに近づいてもなんの感慨も湧きはしない。

 むしろそれどころは、俺はそれから目をそらしてしまった。

 有真の心の中で見た風景。

 あれは、俺だったはずだ。

 それを見て俺は、俺がわからなくなったのだ。

 学園の怪ですらない、怪を気取っただけのまがい物。

 俺の答えはまだ出ないし、遠見の世界でもきっと出ないだろう。

 この戦いを勝ち抜いた先の願いでも、その答えは手に入るまい。

 だが一つだけ、それに近づく一本の紐のようなものはある。


「正直にいえば、七白さんの願いはわかりません。でも僕の世界なら、その答えもあるんじゃないでしょうか?」

 白々しい、上辺だけの言葉だ。

 そんな物、世界と一緒に答えまで塗りつぶしてしまっただけだ。

「ないだろうな。そこには」

 諦めて、諦めさせるように、俺はただそう答える。

 遠見もそれを受け止め、それを悟ったようだった。

「そうですか……、でももう少しだけ考えてみてください。僕は僕の準備をします。できればみなさんとは穏便に終わりたいんです。みんなで協力すればきっと、斃さなくても異界の門を開くことだってできるはずです。それじゃあ、僕は屋上への階段にいますから、もし手を貸してもいいというなら来てください。それじゃあ……」

 その言葉とともに、遠見の前に闇が広がり、その中に遠見が消えていこうとする。

「待ちなさいよ!」

 だがそこに、有真が遠見にしがみつくように一緒に飛び込んでいく。

 闇の中に消える二人の影。

 遠見が消えた途端に、その闇もまた消え失せる。

 遠見だけでなく、有真の姿も、この教室には残っていなかった。

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