有真知実が見た世界

 有真の顔を『俺』の透明な腕が撫でる。

 俺に伝わる感覚は、その肌の柔らかさではない。

 もっと柔らかく、繊細で、それでいて刺々しさを持つもの。

 これは有真の心だ。

 この塊を透明の腕が掴むことで、その人間の意志を支配できる。

 それこそが殻田の能力である。

 俺は、その能力を見た瞬間にそれを知った。

 ミラや初瀬川、遠見らといった今までの他の【怪】の能力の時と同じだ。

 目にしたその時からに、その能力を『知っていた』ことになるのである。

 そして今、俺の透明の腕の目指す先には、有真の心の表層部分とともに、殻田の透明な腕が既に有真の心を握った状態で居座っている。

 まずは、これをねじ伏せる。


「それは、僕のものだ……! 邪魔をするな!」

 もちろん、殻田もただ黙ってそれを見ているわけではない。

 しかし、有真のことを気にせず殻田と戦えるとなれば、他の【怪】もまた黙っているはずもなかった。

「あなたの方こそ、七白くんの邪魔をすることが許されると思っているのですか?」

 初瀬川が水龍で行く手を阻む。

 もちろん、相性的には殻田の有利は変わりないので水龍はすぐに消し去られるのだが、それでも時間を稼ぎこちらに向かってくることを阻むには充分である。

 そして、殻田が相手にしなければならないのは初瀬川だけではない。

「お前の能力は見せてもらったが、なるほど、これはたしかに厄介だ。学園を支配するには充分なものだろうな。だが、少々調子に乗りすぎてしまったな」

 ミラの光が的確に透明の腕を潰していく。

 相性的に見て状況を打開するほどの突破力はないが、場を膠着させるにはこれほど適した能力はあるまい。

 そしてもう一人、一度は殻田に押し切られたであろう遠見も、この戦局なら対応も可能であるらしい。無言のまま、黒い腕で一つ一つ透明の腕を潰していく。

 そんな仲間たちの心強さを感じながら、俺はその透明な腕を有真の心のさらに奥、殻田の腕が届かない世界へと伸ばしていく。

 それが意味することは、より深い有真の心に触れるということだ。

 俺がなにより恐れたのはそのことである。

 ゆっくり、慎重に、先へと進む。

 腕になにかが触れた感触があるたびに、有真を作る記憶の断片が俺の意識に流れ込んでくる。

 俺の知らない、有真知実という人間を作ってきた過去の出来事たちだ。

 もしかしたら、有真自身も忘れていることかもしれない。

 もしかしたら、有真が語りたくない、隠しておきたいことかもしれない。

 俺はそれを見ている

 だが有真はそのことを知らない。

 俺が有真の心の奥を目指していることに気が付きもしない。

 それが嫌だった。

 また、有真の記憶が俺の中へと流れ込む――


 そこは、もう誰もいなくなった夕暮れの公園。

 何処かで見たことあるような幼い有真が、ノートを抱え、一人でぼんやりと何かを見ている。

 視線の先にあるのは、赤いマントを羽織り全身赤い姿をした、こちらに近づいてくる男。

 俺は、その赤い男を、知っていた。

 有真の記憶を覗き込むことに罪悪感を覚えながらも、その存在から、この世界から目が離せなくなる。

 俺は目の前の光景を確かに知っているのだ。

 だが、肝心な部分が抜け落ちている。

 見たことあるはずなのに、この後に起こることがなにも思い出せない。


「あなたはだあれ?」

 幼い有真が男に尋ねる。

「私は――」

 だが、男の声は聞き取れない。

 有真の記憶の中に残っていないのではない。

 この赤い男の言葉は、その名前を認識させないのだ。

 その理由を、俺は知っているはずだ。


「君は、赤と青、どちらが好きかね?」

 男がその質問を口にした。

 それを聞いてからようやく、俺はそいつがその質問をしていたことを認識した。

 そして、その後になにが起こるのかも。

「赤と、青?」

「そうだとも」

 やめろ。

 俺はここが有真の心の中であることも忘れて叫ぶ。

 その質問の答えは全てが悪夢でしかない。

 有真がその質問に答えようとするのを必死に止めようとする。

 しかしこの声も、なにもかも、目の前の幼い有真に届くはずがない。

 ここは『有真知実の過去』なのだ。

 そうだ。

 過去だ。

 有真知実は今も生きていて、成長して高校生になって、こうして『現在の彼女』を救うために俺はここにいるのだ。

 これはただ、有真がかつて見た光景をリフレインしてるだけだ。

 では俺は何故この光景を怯えている。

 何故この後の未来を恐れている。

 何故その手を伸ばしている。

 その答えは、ゆっくりと、しかし唐突にそこに現れた。


「じゃあ【赤マント】の怪、お前は赤と青、どちらが好きだ?」

 そいつはもう一人の赤マント……の真似事の偽物だ。

 ああ、俺はもちろんその男を知っている。

 知っているが、俺はその男のことをなにも知らない。

 過去も、なぜここにいるのかも、記憶も、なにもかも消え失せている。

 俺が一番知りたくて、俺が一番知りたくない人物。

「君はなにを言っているのかね? 私を誰だと……」

「お前も質問するならさ、自分に向けられた質問にはちゃんと答えたほうがいいぞ。そういう自分がやられたら嫌なことを相手に押し付けるのは、俺の一番嫌いなタイプだ」

 もう一人の偽物の赤マントが挑発的にそんな言葉を口にする。

 顔は帽子の影になっておりまったく見えない。

 それは本物の赤マント自体もそうだ。

 これ自体が【赤マント】の怪の能力の一つなのだ。

 見たその瞬間にそれを知った。

 思い出した、という方がより正しいだろうか。

 この場合は特に。


 そして、赤マントと赤マントの戦いが始まった……。


 だが俺は、その先を見届けることができなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る