七白空は【怪】である
一方で有真と殻田を見る他の【怪】たちは、既に人ではない【怪】の眼をしている。
理科室の中に緊張した空気が漂う。
ミラは冷たい視線で有真と殻田を射抜いている。
初瀬川の瞳は敵意にも似たギラつきを放っており、俺がいなければすぐにでも有真ごと殻田を倒しにかかりそうだ。
遠見はまだ幾分か有真を不安そうに見ているが、それ以上に、殻田に向ける眼光は鋭く険しい。
つまり【怪】たちにとっては、有真知実という少女はただのいち生徒でしかなく、殻田の対処こそが全てであると言ってもいいのだ。
まあ、それも当然か。
こいつらにとっては、なによりそれが己の存在証明であり、全ての願望の根源であるのだから。
では、俺はどうか?
俺は違う。
正直にいえば俺は殻田などどうでもいいし、それよりもこの第三新聞部の部長殿を元に戻す事のほうがよっぽど重要だ。
そのことを理解しているから殻田もこの手段を取ったのだろうし、他の【怪】たちもそれだけの強い意志を秘めながらも動かずにいてくれるのだろう。
つまり有真知実と俺の処遇こそがこの状況の根源であり、それが現状の殻田の圧倒的優位を作り出しているのである。
そんな絶望的な状況ではあるが、実は一つだけ、俺はそれを打開する方法が俺の中にあることを知っていた。
しかしそれは、最悪にして終わりの始まりとなる一手の可能性が極めて高いことも認識している。
今の俺にはまだ、それを選ぶ勇気はない。
だから少しずつ道を切り開き、勇気を整えていく。
「なあ、一つだけ質問をさせてもらってもいいか?」
殻田をあえて挑発するかのように、俺はゆっくり、大げさな身振りを交えてそんな言葉を投げかける。
「へえ、この状況でそんなことをいうのか。やはり君は面白い存在だよ。いいだろう、なんでも聞いてくれたまえよ。出来得る限り答えてあげようじゃないか。この前みたいな、たい焼きの食べ方みたいな馬鹿馬鹿しいものじゃなければね」
勝利を確信している殻田は、余裕綽々といった口ぶりで俺の提案に応えてみせる。
乗ってきた。
その手応えに、俺は心の中で一息つく。
深呼吸。
そして、その質問を声に出す。
「殻田舞人……いや、【動く人体模型】。アンタは俺をどう見ている? アンタは俺を【学園の怪】だと思うか?」
殻田も、他の【怪】たちも、その質問には面食らったかのように顔をこわばらせた。
表情が変わらないのはただ一人、操り人形のままの有真だけだ。
それでいい。
ここにいる【怪】たちだけが、この事を考えればいい。
「それは、どういう意味だい……?」
口を開いた殻田は、なんの答えでもないそんなつぶやきを漏らすだけだ。
「どういうもなにもないさ。俺は【怪】なのか、違うのか。アンタからはどう見えるかってことだ」
それ以上のことは聞いていないのだが、それでも殻田はなにかを悩んでいるかのようだった。
自信に満ちていた表情が疑問で曇りはじめ、俺の顔をまるで品定めをするかのように何度も見つめてくる。
男に見つめられても嬉しくはない。
が、まあ、よくよく考えてみればそもそもそれは相手が女でも同じことだ。
誰かに見つめられても嬉しいはずがない。
相手が俺を見る時、相手はそこになにを見ているのか。
それを考えるといろいろと不快ではあるが、今回ばかりはこちらからの提案なのだから仕方ない。
不快感を押し殺して大人しく待っていると、やがて殻田はうなずき、諦めたように頭を振ってみせた。
「なるほど……その質問の答えを出すのは、意外なほど難しいね。率直に言って、君のような元来不愉快でしかないはずの存在に僕が心惹かれてしまうのも、おそらくそこに理由があるのだろう」
勿体ぶって言葉を切り、殻田は、さらに俺の顔を見据える。
目と目が合う。
人形のような、いや、実際人体模型だから人形なのだろう。そんな無機質な目が俺を映す。
そして殻田はようやく、その結論を言葉として俺へと投げかけた。
「……君は【怪】だよ、七白空くん」
聞きたかった言葉だ。
聞きたくなかった言葉だ。
俺は、七白空は【怪】である。
あらためて、それを他人の口から聞いた。
第三新聞部の、俺と会話をした連中とは違う。
七白空という人格についてほとんど知らない、殻田の言葉でだ。
殻田がここで俺に嘘をつく理由もないだろう。
そうなった以上、もはやそこに意地を張っても仕方あるまい。
実際のところ、この理科室で殻田の能力を見てから、その結論は俺の中で大きな存在感を持っていた。
記憶が形にならないまま、意識の中に染み出し続けているのだ。
流石の俺でも、自分がただの人間であるとはいえなくなっていた。
それでも、まあほんの少しは期待していたんだが。
そのほんの少しの期待を膨らませようと、そしてそれ以上に、形にならないままの記憶を固めようと、俺はさらに質問を積み上げる。
「なにを根拠に、アンタは俺を【怪】という?」
「ふむ、根拠か……。まあ、僕の【人形と人体の論理】を拒絶した事自体が、君の【怪】の証明であるとは思うけれど」
無抵抗な有真の頭に左手を乗せ、右手で透明の腕を出し入れしてみせる。
「これを打ち消せる君が【怪】ではないとしたら、いったいなんだというんだい?」
そういって、殻田は笑った。
一方の俺はまったく笑えないままそれを聞いているだけだ。
「なるほど、な……」
確かに、その考えは一理ある。
しかし決定打とするにはまだ物足りない。
それは俺が人間ではない証拠にはなっても、俺が【怪】である証拠にはならない。
「なら俺は、いったいなんの【怪】だというのか?」
それを口に出す。
もう一度、あらためて、この疑問に突き当たるのだ。
俺は誰だ。
殻田、お前もその答えを持たないのか。
「学園の怪は、【学園の七不思議】から生まれた存在だ。アンタが【動く人体模型】であり、初瀬川が【トイレの花子さん】であるようにな。ならば、俺はなんだ?」
そこまで聞くと殻田は余裕の表情もなくし真顔になる。
既に一度このやり取りを聞いている他の面々は半ば呆れたような顔だが、それでも、どこか不安げな様子も見て取れる。
「……なるほど、君が記憶と自分に拘る理由がよくわかったよ。君は本当に面白い存在だ。では、こちらもあらためて聞こうじゃないか。七白空くん、僕と手を組まないか? 僕も君の正体に興味がある。君の自分探しに、最大限協力しようじゃないか」
また言い出したぞ、こいつ。
「何度でもいうがお断りだ。アンタとは根底から価値観が合わないんでな」
「後ろの連中とは手を組んでいるのにかい? 彼らと僕、いったいなにがそんなに違うというんだい?」
殻田のその言葉に、俺はわざとらしく、大きな大きなため息をついてみせた。
そして、他の【怪】たちに視線を向け、もう一度殻田を見た。
「見てわからないのか? まさに今この状況だ。越えてはいけない一線を越えたかどうかだ」
とはいえ、正直なことをいえば、この連中と殻田の間にある壁なんて薄皮一枚程度でしかないとは思う。
タイミングが違えば、こいつらだって平然と一線は越えていたことだろう。ミラあたりとても怪しい。
しかし今、理由はどうあれ、こいつらは踏みとどまっている。
殻田を倒すことを有真の命よりも優先しなかったのだ。
それで充分だろう。
「だから今度は、こいつらのために俺が一線を越える番というわけだ」
ようやく、決心までこぎつけた。
あまりこの道は考えていなかったことではあるが、結局俺の最後の勇気は、この連中から貰うこととなったのである。
「つくづく、君という男は不思議な存在だ。殻田の気持ちもわかるよ」
ミラの視線はいつもどおり冷たい。しかしどこか楽しげだ。
「本当のことを言うとそこの面々はまとめてみんな倒してしまいたいところだけど、私は、七白くんの意見を尊重します」
初瀬川の瞳は、情熱にも似たギラつきで俺を見る。
「七白さんが部長さんを助けたいと思うことは、僕にもわかります」
遠見の眼光は、ハッキリとした決意に満ちている。
ここまで期待されてしまっては、俺は、俺の破滅の可能性など忘れて、最後の手段を取るしかないではないか。
「よし、やるしかない、ってわけだな……!」
そして俺は跳躍する。
目標は殻田ではなく、有真。
その顔に向かい、大きく手を伸ばす。
「な、なんだ、血迷ったのか?」
「ただのアンタの真似事だよ。俺にはそれしかできないんでな……」
そして俺は宣言通り、殻田の能力であるところの透明の腕を出してみせる。
俺に出せるのはたった一本。一本だけの、人を支配する【人形と人体の論理】。
「有真知実! さあ、俺を見ろ!」
その虚ろな目が俺を見る。
それを塗りつぶすように俺の透明な腕が伸び、有真の顔を撫でた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます