理科室の支配者

「なるほどな、流石は【怪】といったところか。面白い」

 透明な腕が引き起こした目の前の出来事を見て、俺は静かにそう口にする。

 心情的には強がり半分、本音半分といったところだ。

「それはどうも。どうだい七白空くん、これを見て僕の元に来る気になってくれたかい?」

「まだ言うか」

 透明な腕を飛ばしながらそんなことを口走る殻田に、俺は呆れて言葉も続かない。

 思った以上に未練がましい男だ。

 どうにもこうにもあらゆる意味で俺の一番嫌いなタイプだな、こいつは。

 その迫り来る透明の腕を遠見の真似事である黒い手で振り払う。

 腕が無の中に消える。

 なるほど有効ではある。あるが、いかんせん数が多く埒が開かない。

 そもそも当の遠見も殻田との交渉に失敗し、戦闘でも負けたのだ。その猿真似でしかない劣化版の俺の技でどうにかなるはずもない。

「交渉はまたも不成立、か。まあ仕方ない、ならもう少し下準備をしようじゃないか。さあ、僕の忠実な下僕たち、彼を捕まえたまえ!」

 そうして狭い理科室内での競争が始まった。

 無数に迫り来る透明な腕を振り払いながら、俺と初瀬川は殻田の操り人形である一般生徒から逃れるべく教室を駆け回る。

 腕も生徒もそこまで機敏ではないためなんとか間合いを保ってはいられているが、あきらかに走らされている感もあり、ジリ貧であることは明白だ。

 もちろん、それは殻田の目論見通りである。

「さあ、そうやっていつまで逃げ回れるかな? 走っているだけでは、鬼ごっこはいつまでも終わらないよ」

 殻田の方も、こちらと間合いを取るために、縦横無尽に教室の中を跳ねるように走り回る。

 その動きは俊敏で、いけ好かないスカしたこれまでの外面からは想像もつかないほどの身軽さだ。

 走る逸話の多い人体模型の怪の面目躍如といったところか。

 もちろん、今のままでは殻田のいうとおりこちらが一方的に消耗を強いられるだけなのは間違いない。

 しかし攻防一体の透明の腕がある以上、まさに手も足も出ない状況は変わらない。

 俺と初瀬川の二人がいても手玉に取られているのだ。

 この能力差は、殻田が生徒会長の座について学園を実質的に支配していることの影響もあるだろう。

 この生徒会長様はおそらく、既に多くの生徒の精神を貪っており、それを【怪】としての力にしている。

 おかげで【怪】ですらない俺の貧弱な真似事と比べれば、その力の差は歴然である。

 今の俺では、どれだけ真似してみたところでせいぜいあの腕一本しか飛ばせまい。

 劣化コピーゆえの弱さでもあるが、それ以上に、蓄積された【怪】としての力が違いすぎるのだ。

 とはいえ、それは想定されてしかるべき事態のはずだった。

 しかし、殻田がここまで猛烈に力を蓄えていたのは少しばかり予定外ではある。

 逃げ回りながら策を練る。

 そうやすやすとは近付けないし、おそらく様々な【怪】の能力による遠距離からの攻撃も、あの透明な腕の前に打ち消されてしまうことだろう。

 初瀬川の水龍がそうであったように、だ。

 そんなことを考えながら走っていると、ふと、目の前に椅子が転がっていることに気がつく。

 さすがに疲れがきていたのか、その椅子に足を引っかけてしまい派手に蹴飛ばしてしまう。

 けたたましい騒音が教室中に響き、飛ばされた椅子が前方の殻田の足下へと滑っていく。


「おっと」

 殻田は一瞬驚いたような顔をしたものの、難なくそれを手で受け止め、そしてわざとらしく勝ち誇った顔を作って見せてこちらに向けてくる。

「どうやら、鬼ごっこも終わりの時間のようだね。もう足もおぼつかない様子じゃないか。どうだい、あきらめて僕に力を貸したまえよ」

「……そいつは、遠慮させてもらうさ……!」

 その瞬間、勝利の笑みに歪んでいた殻田の顔に、強烈な一撃が叩き込まれた。

 それを叩き込んだのは俺でも初瀬川でもない。ましてや奴に操られた生徒でもない。

 その正体は椅子だ。

 先ほど殻田の元へと滑っていった突如椅子が浮き上がり、その顔へと強烈な一撃を打ち込んだのである。

 その突然すぎる出来事に、殻田といえども防御姿勢を取ることもできずに、そのまま打ちのめされて床へと転がることとなった。

 集中が解けたことで、腕は消え失せ、操り人形の生徒たちもその場に崩れ落ちる。

 殻田の支配する怪の空間は、再びただの理科室へと戻ったのだ。

「な、なんだ……何事だ? いったいなにが起こったんだ……!?」

「いい顔だな、生徒会長さん。その顔が見たかったんだ」

 余裕の仮面がはげ落ち、動揺をあからさまにする殻田に対して、今度は俺が勝ち誇る番である。

 もちろん、先程の椅子の動きは偶然でも見知らぬ【怪】の仕業でもない。

 俺が覚えた『最初の記憶』だ。

 室居揮依の能力である【開かずの教室】の真似事。

 初瀬川が相手の時は水龍に阻まれたが、この生徒会長様の自信過剰ぶりならいくらでも叩き込む隙があるというものだ。

 腕を掻い潜った先で、【怪】の力が持つエネルギーではない物理的な質量をぶつける。

 油断しきっていたこともあり、この奇襲は美しいほど綺麗に決まった。

 そして体勢を整える前に、初瀬川の水龍が襲いかかり追い打ちをかける。

 迫りくる怪物を振り払おうと、殻田は必死に透明な腕を出してはぶつける。

 それ自体は有効だ。

 そうして水龍はまた白い粒の山と変わるが、もはや殻田に余裕はない。

 余裕がなければ、目に映るのは目の前の出来事だけだ。

 つまり生徒会長様は、俺が背後に回っていることにまで気が回らない。

 それでも、俺の動きを察して一本だけ透明の腕をこちらへと向ける。

 だが、そこまでだった。


「勝負ありだな、生徒会長様」

 透明の腕を切り払い、そのままミラの真似事である光の剣の切っ先を向ける。

 もはやから他になにかできる間合いではない。

「……僕を消さないのかい?」

「アンタにはまだ聞きたいことがあるからな。それにきちんと部室を返すと宣言してもらわればならんから。おとなしくしてもらおうか」

 しかし、切っ先を突きつけられ、その言葉を聞いてなお、殻田は余裕の笑みを浮かべてみせた。

「なるほど……いいだろう、そのためにはまず、君たち第三新聞部の部長さまの意見が必要になるな」

 そして殻田の顔が歪み、同時に、傀儡だった一人の生徒の手によって、理科室の扉が勢いよく開かれた。

「部室、返してくれるの!?」

 そこに立っていたのは我らが第三新聞部の部長である有真知実、そして、ミラと遠見だった。


「有真!?」

 確かに、こうやって決着がついた時のために、事前に有真たちを理科室の外に待機させるように相談してあった。

 そして決着がついたのだから有真も中へと入ってくる。

 その事自体はなにもおかしなことではない。

 だが、明らかにこの状況は不味い。


「ようこそ。第三新聞部長、有真知実さん。【人形と人体の論理】の時間ですよ」

「はい?」

「やめろ! 返事をするな!」

 その言葉で、俺は殻田の意図を悟った。

 だが、それではもう遅すぎた。

 透明の腕が有真へと伸びる。

 だが、俺に飛ばされたあの時の沈黙とは違う。

 有真はただの一般人だ。

 横にいたミラと遠見も、殻田のこの能力を知らないため、何が起こったのか理解できずに一瞬動きが遅れた。

 殻田にはそれで充分だった。

 透明の腕が有馬の顔を掴み、そのまま頭の中へと消えていく。

 その瞬間、有真の顔から全ての表情が消えた。

 あの、いつも感情むき出しだった有真が、なんの意思も持たない人形のような顔になる。

 そしてミラや遠見を振り払い、ゆっくりと殻田の元へと歩み寄る。


「どうやら形勢逆転のようだね。七白空くん」

 今なお切っ先は彼の目の前にあるが、それでも、その顔は再び勝利を確信した笑みで歪んでいる。

「この部長さんのことを思うなら、今からでも僕のいうことを聞いたほうがいい。賢明な七白空くんなら、その程度のことは理解できるだろう?」

 俺はなにも言い返せない。

 他の【怪】たちは各々何かを言いたそうにしているが、それでも、感情を秘めたまま殻田を睨みつけるだけだ。

「さあ、その物騒な光をしまってくれよ。もっと冷静に『話し合おう』じゃないか。ほら、有真くんからも何か言ってあげたまえよ」

 埃を払って立ち上がり、殻田は人形と化した有真の方に手を置いた。

「もうやめましょう、七白くん」

 あれだけ生徒会に噛み付いていた有真の口から、抑揚のないそんな言葉が漏れた。

 そして殻田の手を払うこともなく、死んだような目でこちらを見つめている。

 その横で殻田は勝利の笑みを浮かべている。

 俺には、そのことがなによりもショックだった。

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