七白空とはどんな人物か

「それで、これからどうするんだ?」

 残された者の中で最初に口を開いたのは、案の定ミラだった。

 俺と初瀬川の顔を見渡し、答えに困っている様子を見て取って大きくため息を付いてみせる。

「……私としては、あいつの案に乗ってもいいと考えている」

 それを聞いたときの俺の顔は、いったいどれほどの驚きだったのだろうか。

「やれやれ、なんだその顔は、そこまで驚くことでもないだろう? 君も知ってのとおり、私の願いは『全てを消したい』だ。遠見の案とはそこまで離れてもいないだろう。なら協力する理由には充分だと思うがね」

「そうか、そうだったな……」

「なんとも歯切れが悪いな、君らしくもない。それじゃあ、あえて聞いてやろう。君のお得意の、一つ質問をしていいか、だ。七白空。最後の、なにもわからない怪。君はあの遠見をどうしたいんだい?」

 自分の願いも見つからない俺に突きつけられた、もっと小さな選択。

 俺はそれまでと同じように、答えに困ってしまう。

 いや、素直になるしかない。

 俺の望みを、少しでも形にするしかない。

「俺は、遠見を倒したくはない。でも、それは遠見以外もだ。異界化など、受け入れられない」

「なるほどな。つまり、なにも決められていないわけだ」

 ミラの言葉はこの上ないほどの正論で、それが俺の重い腹を突き刺した。

「まあそれならそれでいいさ。せいぜい迷いたまえよ。だが、そんな答えでは遠見どころか、私さえ止めることはできないがね」

 ミラはそう言って再び大きなため息を付いてみせ、そしてそのまま目の前から消え失せた。

 おそらく、というか間違いなく、遠見の元へ向かったのだろう。

 俺はそれをただ見送ることしかできなかった。


「それで、七白くんはこれからどうするつもりなの?」

 ミラが消えて、残された初瀬川がそう尋ねる。

「どうするって」

「このままぼんやりと異界のゲートが開くのを待つの? なにもせず、ここでただ迷っているだけで……。それでいいの?」

「それは……」

 迷いを隠しきれず、言葉にできずに言い淀んでしまう。

 初瀬川はそんな俺の右手を掴むと、その手を自分の左胸へと持っていき、強く押し当てる。

 柔らかい感触が手のひらに伝わる。


「初瀬川……?」

 いつものように、よくわからないアプローチだろうか。

 だが、その目はいつになく真剣だった。

「七白くん、私の心臓を感じる?」

 そして静かに、初瀬川はそんなことを尋ねてくる。

 首を横に振る。

 胸の柔らかさはあっても、そこに生は感じない。

 初瀬川葉菜子は【怪】である。

 人間のような見た目でも、人間のふりをしていても、元の逸話となった存在は人間だったとしても、今目の前にいるのは【トイレの花子さん】という【怪】だ。人間ではない。

 熱など、心臓など持たない。

 だが不意に、初瀬川に触れた手のひらに熱が帯びてくる。

「これは……」

 初瀬川は無言で微笑む。

 その熱の正体は初瀬川の存在そのものだ。

 初瀬川の中の【怪】のエネルギーが、熱として伝わっているのだ。

 その熱を感じられるのは、自分の手が、少しずつ初瀬川の身体の中に埋もれていこうとしているから。

 それはつまり、初瀬川は自分自身の根元を、俺に与えようとしているということ……。

「おい、どういうつもりなんだ、これは……」

「七白くんが悩んでいるなら、私が決めてあげる。七白くんは、私のエネルギーを持って遠見くんのところに行けばいい。私は、なにもできずに立ちすくんでいるだけの七白くんなんて見たくないもの。私のエネルギーをあの十三階段に見せて、渡してしまえばいいのよ。そんな七白くんも見たくないけれど、今の姿よりはいくらかマシだから」

 初瀬川の顔に浮かんだ笑みは、寂しく、その内側に秘めた覚悟がにじみ出たものだった。

 その笑顔で、俺は自分の今の行動が先延ばしにすらならない逃げであることを思い知る。

 止めることも、進めることもできない。

 ただ見たくないと目を伏せていただけだ。

「それに、七白くんのことを待っているのは、あの十三階段だけじゃないでしょ。もちろん、鏡の怪だって違う。もっと、もっともっと重要な人から、わざと目をそらしている。それを見たくないから、迷ったフリをしているだけ。ねえ七白くん。あなたは自分が本当はなにを望んでいるのかわかっているでしょ? 【怪】の願いじゃなくて、今のあなたの、本当の望みを……」

「それは……」

 俺は慌てて、初瀬川の胸から手を引き抜いた。

 初瀬川はそれに対して残念そうな笑みを浮かべるが、それでも、これまでとは違い、どこか満足そうにも見える。

「……ああ、そうだな、誤魔化しても仕方がない。俺は、あの無鉄砲な部長殿を、有真知美を助けたい。まあ、そういうことだな」

 ゆっくりと、初瀬川の胸から引き抜いた手を開き、閉じてみる。

 今しがたまで【怪】に触れていた感触が残っている。それに、初瀬川の柔らかさも。

「……なあ初瀬川、お前はどうするつもりなんだ?」

 俺は自分の意志をそのことをけしかけた初瀬川であったが、こいつ自身の意志はまだ聞いていなかったな。

 まあ、なんとなく答えは予想がつく気もするが。

 というか、自分を顧みず俺にエネルギーを差し出そうとした時点で答えは出ているようなものだ。

 だが、初瀬川の口から出てきたのは、まったく別の、意外な言葉だった。

「私は、世界の異界化なんて望まない。私は、ハセガワハナコで、初瀬川葉菜子で、【トイレの花子さん】。私の願いは七白くんにも話したよね」

「自分を消すこと、だったか?」

 前に殺されそうになりながら、そんな話を聞いた気がする。

「そう、私は【トイレの花子さん】という存在と概念を消したいの。世界の異界化なんてしても、私が消えるわけじゃない。溢れかえった同じようなものに紛れてぼやけるだけで、私はそこにあり続けてしまう。そんなの、許せない」

 静かに、だが強い言葉で初瀬川はそう言い切った。

「なるほどな……。そのわりに俺に判断を委ねようとしてたから、なにも考えていないのかと思っていたがな」

「だって、七白くんを信じていたからね。それに、七白くんがもし私をあそこで消してしまっていても、それはそれで構わなかったんだけど」

「そりゃどうも」

 まあ、来るであろうと予想していた答えはこちらだ。

「でもやっぱり、そうはしなかった。私の見込んだ通りだった。だから私はあなたを信じるの。あなたが好きなの。さあ、七白くん、あなたと、私で、この世界を守りましょう」

「世界を守る、か」

 そんな言葉は俺には無縁だと思っていたのだが、口に出してみると、思いがけずとすんなりと心に響いてきた。

 理由はわかりやすい。

 俺が守りたい世界には、具体的な誰かがいるからだ。

「ああ、そうだな。少し思い出したが、俺は身勝手で、欲張りだったはずなんだ。だから欲を張る。遠見も一発殴って目を覚まさせたいし、ミラに至っては十発でも足りないかもしれん。異界化なんてもってのほかだ。そうだな、俺は俺のやりたいことをする。俺が【怪】だというなら、その資格もあるだろう」

 さらに一つ一つ、自分の望んでいることを言葉にしてみる。

 それを聞いている初瀬川が微笑み、俺もそれにつられて笑う。

 言葉にすれば、なんて単純なことだったのだろう。

 こうなれば、するべきことはただ一つ。

 遠見を止める。

「じゃあ、ちょっと部長殿を助けに行くとするか。第三新聞部の内輪もめを止めてやらないとな」

 そう言って俺は力強く、その一歩を踏み出した。

 向かう先は、魔の十三階段。

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