エピローグ「きっと世界はリバーシブル」

「どうしてフラれるんだ!」

 決してカッコイイとはいえない風貌の男がカウンターを勢いよく叩いた。食器が擦れる音がする。

 あたしは驚いて心臓が飛び跳ねる。しかし、カウンター越しでテンパる訳にはいかない。落ち着いてあたしはサーバーからカップに香ばしい香りのコーヒーを注ぐ。

「姉ちゃん。あんたもカッコイイ男の方がいいんだよな?」

 男はあたしをイヤらしい目で見てくる。

「別にそんなことはありませんよ。あたしは人格重視です」

 あたしはそう言って、男の前にコーヒーを置く。男はあたしの言動を無視し、

「ああ! おれの顔はこんな冴えないんだろう。今日も顔を理由にフラれた。この顔さえカッコ良くなれば、おれはフラれずに済むのに」

 と、頭を思い切り振る。そんなことを言うからフラれるのよ、と男の呟きに辟易しながらも、あたしは濡れたお盆を拭く。

 そのときだった。

「ふうん。そうですか。あなたの願いはカッコ良くなることですか?」

 奥のキッチンから椿黒の癖っ毛にボーンチャイナのような白い肌の青年で、ここ、「喫茶がじぇっと」の店長、小夜鳴カナタは金の瞳をキラリ光らせ現れた。

「店長……」

 あたしはジトッとした湿り気のある目で店長を見る。あたしがどうこう言ったって、仕方がない。店長の久々の「お仕事」だ。自由にやらせてあげよう。

「ああ。そりゃ、あんちゃんはイケメンだから自信満々なんだろうけど、おれのような不細工な男なんてどんな女も去って行くんだ」

 男はそう言ってすねる。すねるのは良いが、そんなのを見せられるあたしの身にもなってくれ。

「実はですね、ボクはあなたのその願いを叶えることができるんです」

 元の調子を戻ったらしい店長は軽い調子で笑む。

「おれをカッコイイ感じにプロデュースしてくれるっていうのか?」

 男は店長に食ってかかる。

「いえ、違いますよ。ボクはあなたの願いを三つまで直接叶えることが出来るんです。あなたの願いはカッコイイ男性になることのようですけど、どうしますか?」

 店長は久々に聞いたセリフにあたしにはなんとなくホッとする部分と、どうなってしまうのかという不安とが共存していた。

 まあ、そんなあたしの不安と知らない男は、

「そんなことが可能なのか? まさか!」

「そのまさかなんですよ」

 男の戸惑いに店長は自慢げな笑みを浮かばせる。

「はん! 宗教かなにかなんだろう。おれから金をふんだくろうと考えているのなら、だまされないぞ」

 男は再びテーブルを叩く。

「宗教的なのは若干否定はしませんが、お金はそのブレンドだけで結構です。ボクの愛弟子が淹れたコーヒーは美味しいですよ」

 店長は荒れている男に気にとめることなく、カジュアルに笑む。

 男はコーヒーを飲むと、

「確かにうめぇな」

 と感心してくれた。嬉しくてテンションが上がる。でも、今はそれどころではない。

「なら、ほぼノーリスクで願いが叶うんだな。よし。おれをイケメンにしてくれ。出来るなら今時のアイドル風で」

 男は挑戦的な目でテーブルを叩く。

「では、叶えましょう!」

 店長は指を鳴らした。軽やかな音がした。


 一拍、時間が空く。


「え。これで終わりか?」

 戸惑う男に、あたしは思わず、

「わ。確かにアイドルにいそうな風貌になってる」

 小さく独り言を呟く。事実、芸能人にいそうな整った顔立ちになっていた。店長の冷たい目線でこちらを見ていたので、あたしは口をつむぐ。

「ん……。どういうことだ?」

 首を捻る男に、店長はスマホを用意した。インカメラで男を写す。

「う……わ……。なんじゃこりゃあ。これはおれなのか?」

「ええ。あなたですよ」

 満足そうな顔で店長はスマホを片付けると、

「あなたの一つ目の願いを叶えました。満足ですか?」

 たおやかな笑みで隣のカウンター席に座る。

「ああ。満足さ! これで女にモテるぞ!」

 腕を大きく上に突き上げた男は、コーヒーを一気飲みすると、会計して、うれしそうに店を出た。

「顔だけだったら、ボクもモテても良いはずなんですけどねえ」

 店長は深く溜息をついた。あたしは店長ってば意外とナルシストなのね、と心の中で笑っていた。

 翌日のことだった。授業が終わり、店に来た。店には店長とこの前のイケメンになった男性しかいない。

「モテても、好きな人に告白って出来ないんだな」

 男は店長に不満そうな顔で愚痴る。

「そんなに簡単に告白できたら世の中もっと上手く回っていますよ」

 店長は苦笑いをする。

「店長、来ましたけど……」

 エプロンを着たあたしを見た店長は顔を真っ赤にさせ、

「あ、来てたのですか! もう。早く教えてくださいよ!」

 と顔を伏せる。

「では、ひびきさん。奥の流しにあるカップと皿を洗ってください」

 顔を勢いよく横に振った店長は、金の瞳でまっすぐあたしの目を見ると、そう指示を出した。

「店長、洗い終えました」

 あたしはペーパータオルで手を拭きながら店内に戻ると、男の隣には絶世と言っても良い美女が座っていた。目に引くのは長いまつげとキレイな肌だ。透き通った肌はなんともうらやましい。

 何が起きているのか分からなかったけど、とりあえず何事もなかったかのように振る舞う。

「あんちゃん、ありがとよ!」

 男は美女の肩を抱きながら、店を出た。

 男の姿が見えなくなったのを確認すると、あたしは店長に、

「店長! あのキレイな人は?」

 と、凄い勢いで尋ねた。

「ああ。あの女性ですね。ボクがあの男性の願い……キレイな女性を彼女にしたいという願いを叶えたのです。確かにキレイでしたよね」

 少し溶けた顔をする店長にあたしは心に謎のつっかかりを感じ、思わず睨み付ける。

「ああ。申し訳ありませんでした」

 店長は頭を振ると、

「では、カップを片付けましょうか」

 そう言って、何かをごまかすかのように、カップを持って奥へ行った。

 翌週の日曜日のこと。

 茹だる暑さで、頭の中のピントが合わない。それでも山積みのカップと格闘し、割らずにすべて洗い終え、安心しながら店内に戻ると、この前の男性と恰幅が良く高級そうなスーツを着た男性が口論……どころじゃなく、罵倒しながら殴り合いをしていった。テーブルは倒れ、椅子は折れている。

 突然の修羅場に開いた口が塞がらない。

 カウンターの向こうで店長はまるでレフェリーのような表情で二人を見ている。

「店長! 一体何が起きているんですか? 止めなくていいんですか?」

 店長は腕を組み、

「この前の美女はこの太った紳士の奥さんだったそうです。つまり不倫になってしまっていたってことらしく。後片付けが大変だからやめて欲しいのですけど」

 まるで他人事のように殴り合う二人を見ている。

「きゃあ。あなた! どうしてここに?」

 殴り合いしているから気がつかなかったけど、美女がやってきた。

「お前、どうして不倫なんてしたんだ? やっぱり顔か! 金じゃ足りないのか!」

 美女の夫は美女の胸ぐらを掴み、凄む。

 美女は高笑いをすると、

「そうよ、いいとこ取りをしようとしたのよ。何が悪いの。太っているあんたが悪いのよ。あんたがイケメンになる努力をしていないのが悪いのよ。 金儲けしか頭にない! そっちの男は性格は根暗で悪いし、金はないけど、いい顔なのよ」

 そう叫んでニヤけた。

 イケメンと呼ばれた男は、目を大きく見開き、

「そうか、あんたもおれの顔しか見てなかったのか。顔が悪かったから内面を見て貰えないって思っていたけど、結局顔しか見られないのか」

 ガックリと肩を落とすと、

「あんちゃん。おれの最後の願いを叶えてくれ。おれを元に姿に戻してくれ」

 店長に手を合わせた。

 店長は無表情で、

「では、叶えますね」

 と言って、クラップした。どこか楽しげな音がした。

 男は元の顔に戻った。その顔を見た美女は絶叫し、美女の夫は口を塞ぎ、あきれかえっていた。

 そして、男の突然の変貌に二人とも恐怖心が起きたためか、そのまま店から飛び出した。

 改めて店内を見ると、店内は机はひっくり返り、椅子は滅茶苦茶に割れていた。これを片付けるのはもちろんあたしたちしかいないので、気が重たい。陶器類が割れていないだけまだマシかしら。

 冴えない風貌に戻った男性は、

「あとで直すお金を請求してくれ。それぐらいの金はある」

 と言って、名刺を取り出し、店長に渡した。

 そのときだった。鈍い鈴の音と共に店のドアが開いた。

「ああ。ここにいたのね」

 ロングヘアの「ごくごく普通の印象」という言葉が似合う女性が入ってきた。

「あ、なんであんたがいるんだよ」

 どうやらロングヘアの女性は男性の知り合いのようだ。

「あのさあ。わたしはね、あんたのそのなにもかもうまくいかないのを顔のせいにしているのをやめてくれ、って言っているだけで、わたしはあんたのことが好きなのよ。誤解しないで」

 女性の言葉に、男性は一筋涙をこぼす。

「まさか、そんな! あの言葉はおれの勘違いだったってわけか」

「そうよ。わたしの言葉足らずもあるわ。こちらこそ申し訳なかったわね」

 女性は男性の頭を軽く撫ぜると、

「ここでお茶をしたいところだけど、酷い有様ね。なにかがあったようだから、また今度来るわ」

 男性の腕を掴んで、店を出た。

 その日の閉店後。店長は、

「ボクの力は願いを叶えることですけど、無理に直接人を幸せにしなくてもいいんじゃないかなあと思うようになってきました。これで世界に一矢報いましたかね」

 と、今までに見たことのない最高に弾ける笑顔を見せた。

「そうですね。世の中、そうそううまくいかないのは世の常ですけど、間接的でも世界が変われば、あたしもそれでいいと思います。世界がすべて自分の思い通りの方がつまらないですもの」

 あたしはそう言って店長の肩を抱いた。

「あたしの妹のかなでも米津にそそのかされて世界を恨んでいるのでしょうか」 

 店長との帰り道、あたしは店長に尋ねる。

「さあ。そこら辺は分かりませんが……。恨んでいようと、そうでなかろうと、それも世界のあり方の一つなのでしょう。彼女は彼女なりに世界に一矢報いているのでならば、それはそれでいいのではないでしょうか」

「そっか。どんな形であれ、世界を変えようとする意志が大事ですもんね。米津も分かっているといいですが」

 あたしの言葉に、店長は驚いた様子を見せたあと、まっすぐ前を見据え、

「ひびきさんは優しい人なんですね。心が広いというか。ボクも爪の垢を煎じて飲みたいですよ」

 と微笑んだ。

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神様がいる喫茶店 端音まひろ @lapis_lazuli

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