シークエンス12「絶望の彼方から希望の響」

 店長が指を鳴らした途端、店長は倒れ込んだ。

「店長!」

 あたしは駆け寄って店長の華奢な身体を揺らし、繰り返し店長と叫ぶ。

「ひびきちゃん。とんでもないことを願ったわね……。幸せの女神としても信じられないわ」

 ハルカさんはあたしから店長を抱えると、

「とりあえず、病院にこいつを運びましょ。あまりにひびきちゃんの強い願いを叶えたから、きっと疲れたのよ」

 そう言って、スマホを取り出し、タクシーを呼んだ。

 タクシーが来た。ハルカさんがタクシーの運転手さんに住所を伝えると、あたしと眠っている店長だけを乗せ、

「病院には電話しておくわ。あたしは叔父さんを懲らしめなきゃ」

 そう言って、ドアを閉めた。

 ★

 着いたのは市内でも大きな病院。店長は救急に回された。

 簡単な診察を受けた後、病室のベッドの上でグッタリと点滴を受けている店長の姿に、あたしはやってはいけないことを店長にしてしまった、もしかしたら取り返しのつかないことをして、このまま店長は死んでしまうのではないか恐怖心と戦っていた。しかし、心臓が氷の刃に八つ裂きになったかのような感覚に陥っていたのに、涙が出ないのは泣いたって現状が変わらない、仕方がないって思っているからで、そんな自分が氷のような心の人間だからなのか、と自己嫌悪に陥っていた。


 あたしはあたしの負の過去や現状を店長に押しつけしすぎた。

 その結果、不本意ながらも心身共に店長を傷つけてしまった。

 店長に謝りたい。でも、あたしには謝る権利があるのだろうか。

 罪悪感と後悔で心苦しくなる。

 雑多な考え……許されなくても、ちゃんと店長に謝ろうとか、このまま逃げちゃおうとか、そういう言葉に出来ない感情がもやもやと頭の中を駆け巡る。

 とうとうワケが分からなくなって、あたしは精神が子供に戻ったかのように、大きな声で泣きはじめてしまった。

 分かっている。ここは病院。静かにしなきゃいけないのは分かっている。でも、あたしの中の「子供」がパニックを起こしていた。

 ハッと目覚めると、あたしは病室のベッドに寝ていた。

「あ、ひびきさん。やっと起きたんですね。もう朝ですよ」

 ベッドサイドには何故か店長が座って微笑んでいた。

「あれ。店長が運ばれたのに、どうしてあたしが寝ているのですか?」

 若干、とまどうあたしに、

「ボクが気を失っているとき、酷く混乱をされたようで、そのまま寝落ちしてしまったそうです。ひびきさん、ご気分は?」

 と、店長は茶化す。

「あ、いや。むしろスッキリしているんですけど……。じゃなくて、店長! 店長こそ気分はどうなんですか? 病院に運ばれたのは店長なんですよ。どうしてあたしが寝ているんですか?」

「ですから、寝落ちされて……」

「そこは分かっています! じゃなくて、店長、意識はハッキリしてますか?」

 必死のあたしに、店長は立ち上がり、

「ああ。今日のことですよね。アレはボクがどうかしてたんです。ボクが愚かでした。もう大丈夫です。神に戻っています。ひびきさん、大変申し訳ありませんでした」

 頭を下げた。

 あたしは身を起こし、

「いやいや! あたしが謝らないといけません! 家族に言わずにバイトをしていたこととか、父の身勝手な願いのせいで、店長の体調がおかしくなったこととか、あたしの方が謝らないといけないんです」

 と、必死に謝罪の意を伝えようとする。

 店長は、突然顔を上げると、

「確かにひびきさんは家族にバイトのことを黙っていましたけど、ひびきさんの願いでボクは本音を話したわけではないんです。ひびきさんのお父様の願いでボクはあんなことを言ってしまったんです。逆にひびきさんの願いのおかげでボクの存在意義に気がつけたんです。ひびきさんはひびきさんです。そこは分けて考えてください」

 真剣な顔であたしの目を見た。

「分かりました。あたしはあたしですもんね」

 あたしは楽しくなって、吹き出したあと、

「え……。本音?」

 我に返って、店長に尋ねる。

「ええ。あのときの『身勝手のくだり』はずっとボクが心の奥底で思っていたことでした。世界はみんなが思っているほど素晴らしくない、と。ボクは自分の存在価値を得ようとするのと同時に、ボクがボク自身も少しでもこの世界をよくしたいと思って、いろんな人の願いを叶えてきました。でも、ひびきさんのお父様の願いを叶えて、自分の心の底に思っていた思考が出てしまったんです。この世界は本当は救う必要のないもので、いっそ滅んだ方が良いと。でも」

 店長の金の目は充血し、やや潤んでいた。

「そんなボクでもひびきさんが神としてのボクを信じてくれたおかげで、ボクはひびきさんという人を、そしてボク自身もボクを信じることができるようになりました。だから、この世界がどれだけふざけたものでも、こうやって存在している限り、世界を良くするべく一矢報いろうと思っています」

 真面目なことを言う店長に、あたしは思わず吹き出す。

「あの、そんなにおかしなことを言いましたか?」

 店長は不思議な表情をする。あたしは、

「店長の満面の笑顔を初めて見たので。いつもどこかミステリアスでしたけど、ここまでステキな笑顔をするんだな……って」

 あたしは、なんかうれしくて口を押さえる。

「ボクだって笑いますよ。感情ぐらい持っています」

 そう言って、店長は目元を押さえる。しかし、口角は上がっていた。

「カナタ! 無事?」

 ハルカさんが病室に飛び込んできた。

「あれ、どうしてひびきちゃんが寝ているの?」

 素っ頓狂な声のハルカさんに、

「ああ、それは色々とワケがありまして……」

 あたしはただただ苦笑いするしかない。

「まあ、ワケは後で聞くわ。まったく、ちょっと聞いてよ、ひびきちゃん。あの米津ったら、あのドサクサに逃げやがったのよ。ふざけているったらありゃしないわ。あいつのせいでこんなバタバタになっているのに!」

 ハルカさんは握りこぶしを血が出そうなぐらい力強く握る。

「でも、まあ。その様子じゃあ、カナタも正気に戻ったのでしょうね。良かったわ。安心した」

 笑顔に戻ったあたしの頭をくしゃくしゃと撫でる。

「ここからはひびきちゃんと相談なのだけど。ひびきちゃんは大学は好きかしら?」

 ハルカさんはたおやかな目であたしを見る。

「姉さん、一体何を言っているの?」

 驚く店長に、

「カナタには聞いていないわ。わたしはひびきちゃんに聞いているの」

 ハルカさんはデコピンをする。

「えっと。あたしは……。不本意ながらも通っていた大学だったんですけど、勉強自体はそんなにつまらなくない……。というか、むしろ楽しいので、通えるのなら通いたいです。でも父とケンカしたので通うのはもう無理ですけど。ってどうしてそんなことを聞くのですか?」

 ハルカさんの質問に答える。そして思いついた疑問を尋ねる。

「わたしがこんなに遅くなったの、ひびきちゃんの後始末もするためだったの。カナタはあんな風になっていたから正直どうなっても良かったけど、ひびきちゃんには未来があるのだから、ちゃんとしておこうと思って、ひびきちゃんの家に行ってきたの。アレは凄いわね。花都家ってここらじゃ名家だけど、昔ながらにも程があるわ。あんなのによく耐えきったわね」

 あたしから離れ、あたしの顔を見たハルカさんはツラそうな目をする。

「あたしの後始末って一体どういうことでしょうか?」

「簡単よ。わたしがひびきちゃんの学費を払うってコトよ。流れをかいつまんで話すと、ひびきちゃんのお母さんから店に電話があってね。話があるから家まで来いって。それでわたしがひびきちゃんの家に行ってきたの。で、ひびきちゃんのお父さんにね、娘をキズ物にした、って罵倒されてね。でも言ってやったわ。あんたの娘の素晴らしさはわたしたち姉弟のほうがよっぽど分かっている、って。なんでそんなにひびきちゃんを酷い目に、つらい目に遭わせるの、とも言ったわね。事実そうとしか思えない言動もしていたし。向こうはひびきちゃんのことを親不孝者、バカな娘と何度も言っていたけど、ひびきちゃんほど性格の良い人は会ったことがないって繰り返し言ってやった。でも向こうは信じてくれなかった。だから宣言したわ。これからはわたしがひびきちゃんと暮らすわ、って」

「は?」

 店長とあたしの声がハモる。

「だって、宝物はそばに置くのがわたしの信条なのよ。ってこれは冗談だけど」

 あたしの手をハルカさんは握り、

「どんな人もね、大事にされない人の元にいて欲しくないの。実際はわたしの力ではすべての人は救えない。そこまでの力はわたしは持っていない。それでも目の前にいる好きな人ぐらいはそうなって欲しくない。ただそれだけなの」

 力強く言った。

 しかし、すぐにハルカさんは悲しそうな目を伏せ、

「ま、これはわたしの思い上がりだわよね。幸せの神とはいえ、わたしが一人の人生を決めるのは間違えている。ひびきちゃんにとって迷惑なら断ってちょうだい」

 そう言って、あたしの頭をくしゃくしゃと撫ぜた。

「あ……あたしは……」

 そうだ。親から勘当されたんだ。今日一日でめまぐるしく環境が変わってきているのに頭が着いていけない。

「姉さん。急な展開、やめてくれない?」

 店長もやっぱり話しについて行けず、疲れているようだ。

「店長、ハルカさん。あたしは世界の幸福……というとざっくばらんすぎて、どうも言葉が整理できないのですけど、ものを知らなければ、世界が素晴らしいのか素晴らしくないのか、呪うべきか祝福すべきか、そんな風に世界を見定めることも出来ないと思うんです」

 あたしは緊張で息が上がっている。それでも、言わなきゃと、

「そのために勉強したいです。大学を卒業したいです。だって、店長もハルカさんもあたしのことを信じてくれているから。信じるってこんなに強いパワーがあるんですね」

 紡ぐように言った。

「決定ね。でも、無理だけはやめてよ」

 ハルカさんはウィンクした。

「あの、ついでにお願いするのですけど。ひびきさん、またうちの店で働いてくれますか? やっぱり今のボクにはひびきさんが必要だと思うので」

 申し訳なさそうに店長はあたしに微笑む。

「え、アルバイトですか? あれ、米津の願いは……?」

「二度と雇うな、という願いではないので。ひびさんさえよければ雇う気満々ですよ。米津のせいとはいえ、申し訳ありませんでした」

 あたしの疑問に店長は楽しげに答えた。

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