シークエンス11「ONE AND ONLY」

 あたしは今、店長と二人で和風レストランにいる。

 五月の日差しと暑さから解放してくれるこの店は個室になっており、誰からも邪魔されない。照明はやや薄暗く、黒いテーブルに椅子はモダンでシック。カップルと来るには雰囲気が良い感じだ。

 メニューを渡されたのだけど、店長より高いモノを注文するのは気が引ける。結局、店長と同じパスタランチを注文した。

「さて、ボクがひびきさんに隠していることをすべて話します」

 店員がメニューを回収し、出て行った後、店長はいつもより十倍増し真面目な目をして口を開いた。

「実はひびきさんの意志の強さ……いわゆる意志のエネルギーで今のボクは存在しています」

 突然、店長は何を言い出していたのか? あたしの意志の強さ? あたしは首を捻る。

「ボクを含め、信仰心……言い換えれば、人々の信頼、または感謝で神が存在できるということを以前話したと思います。これはある種、神が存在する糧、エネルギーです。しかし、ボクにはそれがなく、あのままボクがボクでなくなると思っていました。ひびきさんが来るまでは」

 あたしはびっくりして、

「どういうことです? 店長が店長でなくなるって。それとあたしの存在と関係あるのですか?」

 勢いよく立ち上がる。

「信仰心を失った神はその神の意思や力を失います。それはいわゆる実質的な死です。ボクは死ぬことが非常に怖いです。本気で死にたくありません。そんなときになっても死なないようにするには、人間の負のエネルギー、いわゆる不幸を糧にいきる道を選ぶことしかありません。それは神という立場を捨てることとイコールです。米津はそれを選択しましたが、ボクはそれが本当にイヤです」

 店長は暗い顔であたしを仰ぎ、顔を見る。恐怖心であたしは座り直す。

「元々神であった米津は人々のせいで恋人を失ってから人々の喜び、信仰……いわゆる信頼をすべて捨てて、世界を呪い、悪魔になりました」

 静かに溜息をついた店長にあたしは、なんとも言えない感情に襲われていた。なんていうか、店長は「神」という自分のアイデンティティに苦しめられているというか、自分が「神」として生まれたことに誇りと……苦しみを感じているというか。責任はないと言っていたけど、自分の力のせいで不幸におちいるのをみるのはやはりしんどかったのだろう。これは想像でしかないけど、もしあたしが店長の立場ならこう思うに違いない。

「正直なところ、ボクは孤独でした。姉も親友もいるのに、何故か孤独を感じていました。今、考えてみると、多分、それは自分の神としての役割のせいなんだろうと思っています」

「神としての役割……ですか」

 あたしは落ち着こうとお冷やを飲む。

「自他共に認めるレベルでボクの力は非常に強いです。どうしようもならない人の運命を本人の意志で強制的に直接書き換えるようなものですから」

 店長もお冷やを口に含む。

 パスタランチが来た。バジルソースが緑鮮やかで食欲をそそるものだと思うけど、正直、今のあたしは食べる気が起きない。冷めちゃいそうだけど、あとで食べよう。

「話、続けても良いですか?」

 店長は、お行儀悪くフォークでパスタをいじる。

「ボクの力を制御できるほどの力を持った信仰心を集めるのは大変です。でも集めなければボクは死にます。ボクはどうにかそれを集めなければ、と必死になっていました。そこに現れたのが、ひびきさん。あなたです」

 店長はいじっていたフォークを皿に置き、

「ひびきさんは非常に強い意志の持ち主です。そして自分の欲をコントロールできる方です。それはある種の魔法と言って良いでしょう。他の神々より力の強いボクが消滅しないぐらいのエネルギー……強い意志をひびきさんは持っていました。だからボクはひびきさんを雇って利用していました。それではいけないと思って、力を行使し、人々からの喜びを得ようとしていたのですけど……。でもお察しの通り、うまくいきませんでした。そんな風にうまくいかないボクを米津はひびきさんを使って――言い換えればひびきさんの意志を利用して、引き込もうとしているのです」

 店長はおしぼりで目を押さえる。

「そこまで強い意志があたしにあるとは思えないのですけど……。優柔不断かなあと思っているほどですし」

 あたしは本音を漏らす。

「強い意志というのはしなる竹のようなものですよ。一見すると優柔不断なものです」

 店長は暖かく笑う。

「ひびきさんはこの世を恨む人間ではないと思っています。ボク自身もそうならないように気をつけなきゃいけないのですが」

 初めて見た店長の屈託のない笑みに、何故かあたしは嬉しくなって、

「そうですね。恨んだって仕方がないですもん。あたしが存在しているだけであたしは満足です」

 と笑顔がこぼれた。

 その瞬間、あたしのスマホが鳴った。

「店長、すみません」

 あたしはスマホの画面を見る。「父」という文字。あたしは背筋が凍った。

 おそるおそる電話に出る。

「お父さん、どうしたのですか?」

「お前、今、どこにいる? なにをしでかしたんだ?」

 父の声に凄みを感じ、戦慄を覚える。

「お前、おれに黙ってアルバイトなんてしているんだってな。親切な方が教えてくれたぞ。学生の本分を忘れやがって。学費を出しているのはおれなんだ。身勝手は許さん」

 父の怒鳴り声で耳が痛くなる。

「お父さん、成績はA以上取っています。それで何が悪いのですか?」

「バイトをしなかったら、すべてSを取れているはずだ! さっさと帰ってこい! でないと、お前のバイト先を燃やしてやる!」

 父はあたしの弁明を聞かず怒鳴りまくる。本当に一方的な言葉のリンチだ。

「わかりました。今から帰ります」

 そう言って電話を切る。あたしは店長に、

「ごめんなさい。もう帰らなきゃならなくなりました」

 立ち上がったあたしに、

「まだ何も食べていないじゃないですか。一口ぐらい食べないとお店屋さんに失礼になりますよ」

 店長は不思議そうな目で見る。あたしは必死に今あった電話の内容、

「実は父が店を燃やそうとしているんですよ。このままじゃ店が!」

 を叫ぶように伝えた。

「『がじぇっと』が燃やされたら店長はどうするんですか?」

 あたしの言葉に店長は一瞬キョトンとした顔をしたかと思うと、

「一体どなたとお話しされていたかわかりませんが、それは燃やしたヤツが悪いんです。まあ、そんなに焦らないでください。相手の脅しにおびえてはいけません。燃えたときはそのときなのですから」

 さわやかに笑う。何故か落ち着いてきたあたしは。

「そうですね。とりあえず、完食します」

 フォークを手に取り、パスタを食べた。冷めていたけど、バジルの爽やかな香りであっという間に完食した。

 「喫茶がじぇっと」に帰ってきた。店長に食事をおごって貰ったことにお礼を言い、さて、帰ろうと思っていると、スーツを着たビール腹の男性――あたしの父が鬼の形相で現れた。

 父は何も言わずに店長の胸ぐらを掴むと、思い切り平手打ちをした。弾ける音がする。あたしはその音に驚いてしまって、目をつぶってしまう。

 父さんは店長を突き飛ばすと、

「おれのひびきをかどわしやがって。ひびきをバイトさせるって誰に許可を貰ったんだ?」

 凄んだ声で店長を睨む。

 店長は痛そうに頬をさする。そして店長は穏やかに、

「アルバイトに関しては、ちゃんとひびきさん本人に許可をいただいております」

 と頭を下げる。

「だから、違う! そういう意味じゃない! ひびきがここでアルバイトをしているってことをどうして親であるおれの許可を得ないんだ?」

「どうして……って。ひびきさんは今月で二十一歳になりましたよね? もう成人を迎えてらっしゃる方にどうしてご両親の許可を貰わなきゃいけないのでしょうか?」

 父の不条理な主張を店長は論破していく。

「てめえみたいな訳の分からない男に娘を取られる父親の気持ちが分かるか? ひびきに水商売をやらせ、キズ物にしたお前を絶対に許さない!」

 父はそう言って、もう一回店長にビンタをした。

 店長は頬をさわり、一拍黙っていた。それから厳しい目をし、

「お言葉を返すようですが。この喫茶店でバイトを始めたのは、ひびきさんの意志です。その意志を否定するのですか? それはひびきさんを否定することになりますよ。それが父親のすることですか?」

 そもそも、バイトをはじめたことを黙っていたあたしが悪いっちゃあ悪いのだけど、絶対に許可して貰えないと思ったから、言わなかったのであって……。でも、こんな風に店長が傷つくのであれば、ちゃんと言っておけば良かったなあ、と後悔する。でもどっちが正解だったか、正直今のあたしには分からない。

「だからな。誰の許可を貰って、ひびきを働かせていたのか、ってこっちは聞いているんだ。お前はおれに許可なく娘を水商売させていたんだろう。わかっているのか? お前はうちの娘をキズ物にした。おれはそれが許せない」

 父は店長の胸ぐらを再び掴むと、そう言って凄む。一方の店長は、

「ひびきさんのことをキズ物、キズ物って言いますけど……どこが傷ついているのでしょうか? ひびきさんはここで怪我をしたことがありませんよ」

 と、ポカンとした表情をする。

「てんめえ、なめているのか?」

 自分の思い通りに話がいかないためか、怒りが完全に爆発したらしい父は拳で店長に殴りかかった。あたしは思わず目をつむる。

 何かが捕まえた音がした。目を開けると、父の拳を店長が片手で受けている。

「なめていませんよ。飴すらもね」

 店長は父の手を大きく振り払うと、

「人をそんなに思い通りにしたいのですか? 『自分』の娘って言いますけど、結局他人なんです。他人を暴言や暴力で思い通りにしたいなんておこがましいにもほどがありますよ」

 そう言って目を伏せる。そして、

「ボクが言える立場ではないですけど、それだけは言えます。個人の意志を力で押さえつけるのは最低です」

 金色の目で父の顔をじっと見る。

「お前がひびきの何が分かる? おれはな、ひびきの人生を大事に思って……」

「ええ。ボクはひびきさんのことは分かりません。でも、そちらだって同じでしょう。ひびきさんのなにが分かるんですか? そもそもひびきさんのことはひびきさんにしか分からないんです。ひびきさんの人生にボクらが口出しするのがおかしいんです」

 と父の言葉を遮って、思い切り睨む。

「それと同時に、ボクのことはボク以外誰も分かりません。ですから、さっさとお引き取りください! ひびきさんももう来る必要はありません!」

 店長はそう叫び、「がじぇっと」に入ると乱暴に閉めた。

 あたしはドアを開けようとしたが、鍵がかかっていたらしく、開かない。

「店長! 親に黙っていたことを謝ります! ですから!」

 ドアを強く叩く。しかし反応はない。

「おい、ひびき。帰るぞ」

 父はあたしの腕を強引に掴む。あたしは店長に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだったのだけど、父の凄みに負け、帰宅した。

 それから父の説教が二時間に渡って続いた。それと同時に母も責められた。

 父の中では妹の家出もあたしのアルバイトも母の躾不足ということになっているようだった。

 あたしは二十一年間、父の不条理な説教の言うことを従っていたけど、今日はどうしても店長の言葉、「意志」という言葉の強さが頭に残っていためか、

「あの、父さん。あたしの話を聞いてくれませんか?」

 と言って、父に反論することにした。恐怖心から深呼吸をする。そして、

「あたしはアルバイトをはじめたのはカメラとレンズを買うためです。あたしはアルバイトをする権利もないのですか? あたしは趣味すら自由がないのですか? あたしは父さんの所有物ではありません」

 と、震える声で自分の考えを主張した。

 母はあたしの手を掴み、

「ひびきちゃん。そんなことを言っちゃあだめよ」

 と言って覗き込む。それでも、

「かなでは多分……推測でしかないですけど、父さんのその人の話を聞かない態度と、かなでとあたしの気持ち……他者の気持ちを大事にしない態度はイヤになったから、家出をしたんだと思います。それを理解してくれませんか?」

 あたしは力強く父に主張した。しかし、

「お前は誰のおかげで生活できていると思っているのか?」

 父の怖い言葉が出た。かなでにいつも言っていた言葉だ。あたしはどう言おうか一瞬悩んだ。でもあたしの答えはこれしかない。再び大きく深呼吸をすると、

「あたしはあたしの意志で生活しています」

 と、これまでのアルバイト経験で得た考えを言った。

 父は顔を真っ赤にさせ、

「出てけ! 親に恩義を感じないヤツはこの家には必要ない!」

 と怒鳴った。売り言葉に買い言葉。あたしは、

「なら、出て行くわ! あんたの世話なんて二度と受けるつもりはない!」

 と、父に負けず劣らず、大きな声で叫び、立ち上がる。

 そして、自室に行き、ボストンバッグにカメラと教科書と着替えを入れると、家を飛び出した。

 最寄りの駅から飛び乗った電車で終点の駅まで来た。財布の中を覗き、一日、二日は生きていけるだけの金額は入っているのを確認すると、腕時計を見る。スマホは父の契約だから置いてきた。だから連絡する手段はもうない。まあ、逆に自由になったと思えばいい。かなでもこんな気分だったのだろうなと感じながら、寂れた駅近くの公園のベンチでコンビニコーヒーをストローで啜る。そして、顔を伏せ、

「あーあ。今日だけでいろんなことがあって、疲れたわ……」

 と、溜息をつく。

「結局、かなでさんと同じ行動を取ったんですね」

 顔を上げると、米津が不気味な笑いをしながら立っていた。

「何故あんたがそこにいるの?」

 あたしは強い口調で米津に食ってかかる。

「追いかけたからですよ」

 米津は薄らと笑む。

「あんたはストーカーか何かなの?」

 あたしは怒りが復活してきた。

「ええ。ストーカーと言われればそうかもしれません」

 よくしゃあしゃあと言ってのけるのね! 頭が沸騰しそうだ。

「あなたがバイト場所をあなたのお父様に私が教えました」

 そう言う米津は鼻で笑うと、

「知らないのは罪ですからね。正直に親に言わなかったひびきさんが悪いのですよ。ついでにお伝えしておきます。私はあなたのお父様の願いを叶えました」

 にやりと片笑みする。

「一体、どんな願いを叶えたの?」

 頭の血が一気に引いたあたしの声は震える。

「一つはカナタくんに一発しめてやること。二つ目はひびきさんを『がじぇっと』のバイトからやめさせること」

「なんですって?」

 あたしの声はひっくり返った。驚きすぎて、心臓が苦しい。

「そして三つ目は……」

「もうやめて!」

 あたしは耳を塞ぎ、目を思い切りつむり、しゃがみ込んだ。

「やめませんよ。あなたのお父様の三つ目の願いはひびきさんをかどわかした男――カナタくんの存在を消すことでした。お父様にとって娘をかどわかした男なんてこの世には必要ないことらしいですね」

 米津は高笑いをすると、

「どうです? こんな愚かな人間がいるのがこの世界なんですよ。精神衛生上、一番楽に暮らそうとするならば、世界を恨むのが一番なんですよ」

 満面の笑みをあたしに向ける。

 あたしは恐ろしくなって、駅に向かって走り出した。

 来た電車に飛び乗り、「喫茶がじぇっと」の最寄り駅で降り、店に向かった。

 店の前に着いた刹那、

「店長! 無事ですか? 無事なら鍵を開けてください!」

 息を整えたかったけど、それ以上に店長のことが心配で、喘ぎながら必死に店のドアを開けようとしたり、叩いたりしていた。

 反応はない。

 本当に店長は消えてしまったのか、と恐怖心で心臓が苦しい。

「ああ、ひびきちゃん。大丈夫?」

 澄んだ声が聞こえてきた。振り向くとハルカさんが心配そうな顔でタクシーから降りていた。

「カナタが今生の別れみたいな電話をかけてきたから、来たのだけど……。市内に帰ってきててよかったわ。今、鍵を開けるね」

 ハルカさんはポケットから鍵を取り出すと、店の鍵を開けた。

「店長!」

「カナタ!」

 あたしたちは店長を呼ぶ。

 店長はちゃんといた。でも振り返った店長の表情は、いつもの穏やかな無表情ではなく、背中が凍り付くほど怖い笑みを浮かばせていた。

「カナタ、一体どうしたの。なんか様子が変だわよ」

 ハルカさんは引きつった笑みで店長を茶化す。

「一体も何も。この世界に存在しているすべては結局みんな身勝手なんです。だったら、ないほうがまだマシです」

 店長の笑み同様に声も冷たく感じる。「がじぇっと」の店内の空気も冷たく感じるほどだ。夏が近付いているというのに寒いぐらいだ。

「カナタ。もしかして、あんたまで!」

 ハルカさんは店長の胸ぐらを掴み、

「あなたも叔父さんみたいになっちゃったわけ? カナタ、あなた! あれだけアイツを毛嫌いしていたくせに!」

 と、大きくがなりだてた。

「叔父さん……?」

「ええ。いたのよ。でも悪魔になっちゃったのよ。今のこいつみたいに!」

 あたしの問いにハルカさんはキツい口調で答え、店長を突き放す。

「おや。カナタくん。消えてなかったんですね。そうか、そういうことになったんですね」

 振り返ると、白いスーツの米津が立っていた。パナマ帽を取る。

「叔父さん。あなたがなにかしでかさないとカナタがこんな風になるはずがないわ。何の願いを叶えたの?」

 ハルカさんは恐ろしい顔で睨み付ける。

「姉さん。それは簡単だよ。『ひびきさんをかどわかしたボク』――つまりひびきさんを雇った神としてのボクの存在を消す願いを米津が叶えたからだよ。そうしたらこうなった」

 店長の氷のような声に心臓が貫かれる。

 あたしだ。

 あたしのせいだ。

 あたしのせいで、店長は……!

 もちろんショックは受けたのだけど、突然のショックでは人は泣けないようで、思考が停止するのが精々だ。あたしは放心状態になる。

「カナタくん。では、一緒に世界を呪いましょう」

 米津は店長に握手を求める。しかし、店長は米津の差し出した右手を一瞥すると、

「呪う? それの何が楽しいのですか?」

 そう冷たい無表情で聞いた。米津の表情が固まる。

「呪うほどこの世界は素晴らしくないですよ。むしろ、最悪なものです。どうせ、米津も一人でこの世界を呪う勇気がなかったからボクを誘ったのでしょう? でもボクは思います。この世界は呪うに値しないものだ、と」

 店長は高笑いをすると、

「みんなみんな、自分のことしか考えていない。ボクが叶えた願いはすべてそうだった!」

 ここまで一気に言い放ち、声を上げて笑うと、

「みんながそんなに身勝手なら、その身勝手な願いで世界を滅べば良いんだ。ボクの答えはこうですよ!」

 楽しげに笑い始めた。

 ハルカさんと……意外にも米津も顔面蒼白だった。きっとあたしの顔もこうだろう。手先が冷たくて震える。

「手始めに」

 店長はそう言って、一拍おくと、

「ひびきさん。あなたの願いを叶えます。どうせひびきさんもあんな目に遭ったらこの世の中に絶望しているんでしょう。三つまで叶えますよ。どうしますか?」

 そう楽しげに尋ねてきた。

「ひびきちゃん。二度とこいつの言うことを聞いちゃダメ!」

 ハルカさんはあたしの腕を掴む。しかし、それを振り払い、

「店長、では。まず、あたしの考えを話します」

 父のときより強く感じる恐怖心に勝つように、店長の金の瞳を見た。

「米津はあたしの父の願い……『あたしをかどわかした店長』の存在を消したと言いますけど、あたしが知っている店長はごく一部でしかないと思います。ですから、今の店長も本当の店長だと思うんです。あたしが好きな店長だけが店長の本当の姿だとは思いません。もしそう思ったら、店長に失礼になります」

 今にも震えそうな声を張り上げる。

「もし、あたしたちの願いで世界が滅ぶならそれはそれでいいと思います。それが運命ならば運命なのでしょう。でも……。これこそあたしの身勝手な思い込みかもしれませんが、世界を滅ぼすのは店長の役割ではないと思うのです」

 最期に、

「だって、店長は人々を救う『神様』なのですから」

 と、強い目で店長を見た。

「それを踏まえて。今のあたしの願いは『自分の意志を信じること』です。あたしに自分の意志を信じる力をください。あたし、気がついたんです。あたしには自分を信じる力が足りないことに。あたしは自分の身の上から、世界をどこか冷たい目で見ていて、そのなかに存在している自分はどうしようもならないと思い込んでいました。今日、親に見捨てられたことでそれの考えは強くなりました。でも、今の店長の言葉を聞いて、受動的か能動的かの違いだけで、考えはあたしも店長も同じだって気がついたんです。この世界はどうしようもならない、滅んだ方がマシな世界なんだ、って。あたしも心のどこかでそう思っていました。でも……。でも、もし今の店長が店長の一面であるように、あたしや店長が見ているこの世界も一面でしかないのであれば……。滅ぼすにはまだ時期尚早だと思うんです。あたしは世界の知らない面を店長と見たいです。その世界の新たな面を店長と見たいというあたしの意志を信じることは、きっとそれは店長を信じるコトになると思うんです。もし、あたしの願いの結果であたしが世界に絶望したならば、そのときは世界を滅ぼす願いを願います」

 店長は金の瞳であたしを薄らと睨むと、

「分かりました。叶えましょう」

 店長は指を鳴らした。軽やかな音がした。

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