3-10

 大きな公園を出て幹線道路を歩いていく。諸々確認してみると、ちょうど僕が生きている世界と時代に帰ってきていたみたいで、そしてここは江東区だった。僕はちょっとそわそわしていた。知り合いがひとり、まあまあ近くに住んでいるのだった。良い子だけれど、できれば会いたくなかった。特に、いまは。


 君臨号は僕らの前を悠然と歩いていた。僕には大きくて黒い狼犬に見えるけれど、人によっては柴犬にもラブラドールレトリバーにも見えるみたいで、ちびっこが「おっきいねえ」と言いながら撫でたり、おばあさんが「(リードもないのに)偉いわねえ」と微笑んだりしていた。そのたびに君臨号は尻尾をゆったりと揺らし、相手の顔をじっと見ていた。すべての宇宙に君臨するために生まれた存在だといつか言っていたけれど、案外素直なんだなと僕は思った。


 目的の公園まではあと二キロほどあった。先輩とぼくは適当にコンビニに入るとよく効いた空調に歓喜の声をあげたり、買いもしないのにアイスが平置きされた什器を覗き込んだり、やっぱり手にとってみたり、ハーゲンダッツの期間限定フレーバーについて食べてもいなのに軽く議論を交わしたり、手にとったアイスを戻したりといった迷惑な行為を繰り返して、最終的に近くにあるミニストップでハロハロを食べ、また別のセブンイレブンに入るとふたり揃ってアイスボックスとエナジードリンクを買った。アイスボックスに任意の炭酸飲料やエナジードリンク、または缶チューハイなどを入れている様子をインターネットで見てそれを真似たのだった。僕はモンスターエナジーを注ぎ込んだ。ひたひたになったグレープフルーツ味の氷とモンエナを零さないように、お猪口いっぱいまで日本酒を注いだ人がそうするようおちょぼ口で飲んだ。先輩はレッドブルだった。「モンエナ、白いのなんだ。今日は」と先輩は言う。いつもは瓶のタイプを飲んでいるけれど、この店舗では取り扱っていなかったから白いのにした。モンエナでは白いのが結構好きだった。甘すぎず、どこかカルピスっぽい感じがする。


 そんなこんなで、急がなきゃねとかなんとか言っていたのに、目的の公園に着いたのは出発してから30分近く経ったあとだった。


 大きめの道路に面した自然公園だった。やや苔むしたレンガタイルを踏み公園に入った瞬間、目の前の君臨号がばうばうと急に吠えだし、自分の尻尾を追ってぐるぐるとその場で回りだした。ちゃっちゃちゃっちゃと軽快に爪が鳴る。


「どしたどした」と言って僕はテープの残りを確認する。まだ残りはある。君臨号を再生しているテープの終わりが来たわけではないらしい。


「バター? バターかい?」先輩のたとえはよくわからなかった。「ほら虎だよ虎」


「虎? 君臨号は虎じゃないですけど……」


「え、あ、……なるほど」


 世代的なやつか、と小さく言って先輩は遠い目をした。


 いるぞ。


 君臨号はただそう言うと回転をとめ、鼻先をすんすん鳴らした。


 気をつけろ。


「何に?」と僕はたずねる。「え、何に?」


 君臨号は答えない。そして、いつもだったら獲物を見つけても平然としている君臨号がこうやって激しく吠えたりするのは、以前にもあった。


 先輩と会って直後──つまり僕が〈王さま〉に成り立てのときと、カヤサキが事件に巻き込まれたとき、その他強大な存在が現れたとき。


 生い茂った木々から落とされた暗い影の下、草むらからじーわじーわと虫の鳴き声がする。ざわざわと枝と葉が揺れる。どこからか蝉の鳴き声も聞こえる。


「やばいっぽい、ね」


 先輩の心配そうな声に、僕は首肯する。粘ついたつばを飲み込んで深く息を吸う。



 ぶいっ!



 ハーフパンツのポケットに突っ込んでいたスマホが震えた。僕は思わず飛び上がりそうになる。確認すると、メッセージの通知が表示されていた。



《もしかしてこっち来てます?》



 懸念していたとおり、差出人はここらへんに住んでいる例の子だった。もう一度ぶいっと震える。



《さっきすれ違いましたよね?》

《ね?》



 ややこしいことになりそうなので、僕はスマホをそのまましまった。先輩は意味ありげな目で僕を見ていた。


「もてるねぇ」


「先輩」


「うん」


「あの子がこっちを見つける前に、音叉盗った獣を見つけちゃいましょう」


「それだけじゃないでしょ」


「……強いやつじゃないと、いいんですけど」


「だね」


 僕らは公園の奥へと進んだ。

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