3-5
《トマソンとは、簡単に言えば町の幽霊です》
所長さんに見せてもらった、古い教習ビデオの内容を思い出す。黒い遮光カーテンが窓からの風とサーキュレーターの微風にそよぐ、むしむしとした視聴覚室じみた部屋──その天井から引き出されたスクリーンに投影された、VHSテープの画質を。
ナレーション(所長さんの声だ)にあわせて、画面奥から手前に向かって白い尾を引いて一枚の写真が翔んできた。古臭いエフェクトだった。
写真には建物が写っていた。特にこれといって変な感じはしない。でもなにか違和感がある……そう思った矢先に──
《この写真、どこかおかしいと思いませんか? そう、よく見てください。階段のあたりです》
建物外壁には階段があった。ちょっとのぼりになっていて、ちょっとした平らな部分になっていて、そしてすぐくだりになっている。一般的な階段でいうところの踊り場にあたる部分に到達したら、ずらっと横並びになった建物の窓と向き合えるだけで、それ以外の用途は特になさそうな、奇妙な階段だった。陸橋のようなかたちをしているけれど、陸橋は道路を横断するためのものだ。写真の階段はなにも横断していない。壁にへばりついて、ちょっとのぼって、ちょっと歩いて、ちょっとくだるだけの階段だ。
なんだろう、これは。しかも木でできた手すりまで用意してある。
《これがトマソン第一号。四谷階段、もしくは純粋階段です》
詳細な説明が挟まれつつ、写真がつぎつぎと画面奥から翔んできて展開されていく。
セメントで入り口がふさがれていて通れない門。
なぜか二階と三階の外壁にあって、ドアノブがちゃんとある扉。
ビルの壁に焼印のようにくっきりと遺された、もう取り壊されてしまった隣接していた建物の影。
なんの電線とも繋がっておらず、ぽつんと放置されている木製の電柱。
などなど、などなど……
《町があり、そこに人間の営みがある限り、トマソンは生まれます》
《町の変化によって取り残されたもの。無害なバグともいえるでしょう》
《無害で奇妙な存在であるトマソンですが、あなたがたにとっては必ずしもそうとは限りません》
……“あなたがた”?
《みなさんは支配した“場所”を通じて、自由気ままに別の宇宙と時を行き来できますが、それとはべつに、例外的にトマソンを通じて──》
いくつものトマソンを写した写真が宇宙空間のなかをしゃぼん玉のようにふわふわ浮いている映像になる。時空を移動する〈王さま〉にとってはおなじみの光景だ。
《
プロジェクターから伸びた白い光が、宙を舞うほこりをきらきらとまたたかせていた。
コミカルなアニメ映像に切り替わった。ど根性ガエルっぽい雰囲気だった。切り株のような形をした構造物のまえに、黒い獣が寝そべっている。
《トマソンはふしぎなことに、〈獣〉を引き寄せやすい性質があります》
《町が変わっていくに従って発生する存在ですから、きっと引き寄せやすいのでしょう》
《多くはトマソンと同じように無害な存在ですが、ときとして、放っておくと大きな災害を引き起こします》
黒い獣に背びれがにょきにょきと生え、二足で立ち、巨大化して町を破壊し始めた。
《われわれの目的は、トマソンの記録、観察、》
映像は実写に変わった。探検服を着た所長さんたちが登場し、双眼鏡で町をきょろきょろと見回す。何かを発見したらしい線の細い青年が、所長さんの肩を叩いてどこかを指差した。さきほどのトマソン第一号──四谷階段に向かって所長さんたちが駆け寄ると、少し離れた位置から何枚もカメラで写真を撮ったり、スケッチをしたり、わざとらしく頷きながらノートにメモを取っている。演技をし慣れていない人によるわかりやすい動作は、災害訓練ビデオのような
《──そして、災害の事前阻止です》
あ、とまた別の隊員が指差すと、建物の陰から黒い怪獣が出現した。怪獣はかなり使用感のある、くたくたのきぐるみだった。なにはともあれ恐れおののく人びと。うがーと雄叫びをあげる怪獣。
「待ちたまえ!」
──そこに、ある人物がひねりを加えた空中回転をする映像が差し挟まる。ウルトラマンとかスーパー戦隊とか仮面ライダーとかで見るようなカットだった。
トマソンの前に威勢良く着地したのは、全身タイツでところどころにアーマーが取り付けられていたりする、まあ、どこかで見たことあるようでないようなヒーローだった。
怪獣とヒーローのどこか緩やかな格闘シーンがあり、怪獣は隊員たちが持ち寄ったさすまたで動きを封じられ、タイツのヒーローが虚空から召喚した大きな虫取り網に捕獲されると「参ったぁ!」と叫んだ。
やがて場面は切り替わり、今度は胡散臭いマルチ商法の勧誘ビデオみたいなポイントシステムの説明になった。
トマソンの発見や報告、〈獣〉の退治によってポイントがもらえる云々。溜まったポイントで特製のユニフォームやガジェットと交換できる云々。会員ランクシステムがどうとか、新規勧誘で会員ランクがどうとか。
……僕はとなりに座る、探検服を着た先輩をちらりと見た。サファリシャツの胸元には協会章の刺繍が入っていた。先輩は涼しげな顔でシャツの襟をただし、誇らしげなドヤ顔で僕の疑いの眼差しを物ともしない。先輩はやたらと達観していたり捻くれているけれど、変なところで純粋というか子供っぽい。まあ、僕も人のことは言えないけれども。
「おっと、まだ触っちゃだめだよ」
先輩の声により、コンクリートで塗り固められたドアに伸ばしていた指先を止めた。
振り返ると先輩は、顔の横でぷらぷらさせている音叉を指さした。
「さっきもビデオで言ってただろう?」
記録と観察が第一。
そう、そのとおり。先輩は微笑んだ。
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