3-6
ほら、これ。
そう言って先輩は音叉を差し出す。
「こつん、とやってごらん」
教習ビデオでも言っていた。トマソンの探知、そして記録の際にはこの音叉を使えばいいらしい。
僕は塗り固められ、ぼうっと扉の輪郭を浮き上がらせているそれに、あらためて対峙した。妙に威圧感のあるそいつは、なんだか心をざわつかせた。
右手に持った音叉を、おそるおそる扉に向けて──
──こつん。
金属と硬い壁のいっときのふれあい。ただそれだけのほんの一瞬で、この扉が持っている“波動”が音叉をぶるりと共鳴させ、そして手のひらを通じて僕のからだの奥まで沁みわたってきた。
やがて、音叉の微小振動がおさまる。僕の手にじんとした感触が残る。
《おめでとうございます! 「最初のトマソン」の実績を解除しました!》
朗らかな女性のアナウンスが裏路地──いやこの町一帯に響き渡り、反響した。全時空の“場所”をめぐってゲームを行う、僕ら〈王さま〉たちにとってはお馴染みの脳天気な声だった。これはそのまんま、システム側からのご案内だった。“天の声”と呼んでいる人もいる。この声は僕や、その身近にいるほかの〈王さま〉にしか聞こえていない。
「おめでとー」と先輩はぱちぱちと小さく拍手をした。「このトマソンは既にほかの会員が発見していたみたいだけど、キルシくん、きみとっては初めての発見だ。だから、ある程度はポイントが加算されているよ」
ぶるっとスマホが震えた。ポケットから取り出して見ると、〈ゴジゲン組織〉から現在記録したトマソンと、ポイント数を報せるメッセージが届いていた。
「……案外、現代的ですね」
「ほら、ぼくときみとで住んでる時代も世界も違うのに、ふつうにメッセージのやり取りできるだろ? それと同じだよ。都合良くできてんのさ」
たしかに、先輩はポケベルらしい小さな通信機器を愛用していたし、それを使って僕とふつうに連絡していた。
トマソンの観測を行う愛好家の方たちに向けた、ポイントカードを兼ねた会員証もあるらしく、先輩はそれを嬉々として取り出すと、僕にえっへんと見せつけてきた。所長さんたちゴジゲン組織の人たちに言えば作ってもらえるらしい。僕はまだお試し期間だった。入会費なし。年会費もなし(時間も空間も超越する〈王さま〉たちに年会費は意味ないと思うけど)。完全に趣味で成り立っているそうだ。
先輩は深緑色のコンパクトな手帳を取り出し、ボールペンで手っ取り早くなんらかのメモを取り、だいたいのスケッチをし、そして次に──
「忘れた」
「え、なんですか」
「カメラ」と先輩は探検服のポケットと、肩からかけていたベージュ色のショルダーバッグをまさぐりながら言う。「あーでも、まあ、いいか」
先輩は僕が手にしているスマホを指さした。
「そうですね。記念に撮っておきましょう」
僕はカメラ機能を起動させ、トマソンからやや距離をとる。スクリーンをタッチし、ピントを合わせ、あちこちから何枚か写真を撮った。
撮っているうちに、自然と先輩がフレームインしてくる。
塗り固められた扉の横で、ここに扉があったぞ! という感じでびしっと指をさす先輩。
ぼうっと幽霊のように浮びあがった扉の輪郭を、まるで宗教的啓示のように受け取り、膝をついて崇める先輩。
「記念、記念」
先輩は弾んだ声で言うと、スマホを僕の手からするりと奪う。内側カメラを自分に向け、自撮りを試みる。
「……なにぼっと見てんの。きみも入りなよ」
「え」
「いやなの?」
正直言って僕は写真を撮られるのがちょっと苦手だった。でもそれは「録音した自分の話し声を聞くと変でイヤ」というのと同じで、カラオケで自発的に歌ったり自分の歌声を聞くのは全然大丈夫だったりする。つまりそういう変な自意識のねじれみたいなのがあって、写真を撮られるのは苦手でも、いざ写真を撮られるのであれば、それなりに応えたいという思いもあった。
僕は躊躇しつつも、腕をぴんと伸ばしてアングルを調整する先輩のそばまで行く。距離感はこのくらいでいいだろう。そう、こんな感じ。ぎりぎり、近すぎず、フレームインする感じで。
「はあ? それじゃあ離れすぎだよ」と先輩は言うと、僕の首にがっと腕を回して肩を組み、一気に距離を縮めた。「こういうのは積極性とノリが大事なんだ」
距離の近さやらやわらかい感触やらに戸惑っているあいだにシャッターがきられる。
「ほらほら、もうちょっと笑って」
僕はややぎこちない笑みを作る。
一瞬一瞬が切り取られていく。
それらの写真を見て僕はきっと、ああ、あのときもうちょっとちゃんと笑っておけばよかったな、と思うんだろうな──と屈折した考えが脳裏をよぎり、さっきより明るい笑顔をしてみたりした。
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