2-30

「いつの時間に戻る?」


 トォタリさんにそうたずねられ、僕はええとと悩む。トォタリさんに無理やり連れていかれた時間の一時間後ぐらいに地元に戻れたらいいかなと思った。


「なんで? もっと戻ればいーじゃん」


 僕は乾燥されたシャツとスラックスを取り出しながら、え、と彼女の方を向いた。ベンチに座っていたトォタリさんは、ちょっと楽しそうに微笑んでいる。コインランドリーには、ほかにだれもいない。無機質な蛍光灯の光が、白い床と静止した大型洗濯機たちに降りそそいでいる。


 ちなみにトォタリさんは、今日着ていたものをなにも洗濯していなかった。ドンキに脱ぎ捨ててきたのだ。また買えばいーじゃん、王さまなんだし。いくらでも金はあるし、いくらでも買えるよ。ということらしい。


「ほらあの、でっかい」


 一緒にいたさぁ、バレー部って感じの子。そう言われて、ようやくカヤサキのことだと気がついた。


「仲、いーんでしょ」


 カヤサキとの関係は、いいといえばいい。でも、僕らは複雑な出来事が重なって、微妙な関係になっている。


「なに、気まずいの」


 首をかしげて訊いてくるトォタリさんに、僕はあの背の高い後輩とのあいだでなにがあったのか、かいつまんで説明した。


 ゴールデンウィークが終わったあたりで起きた、僕ととある〈王さま〉との闘いに、カヤサキが巻き込まれてしまったこと。


 僕がカヤサキを助けられたとはいえ、ちゃんと助けられなかったこと。


 カヤサキは僕に助けられ、恩義を感じていること。


「そんな感じで、責任があるかといえばありますし、やっぱり脚の怪我をいっさい負わさせない感じで、もうすこしどうにかなったんじゃないかって思っちゃって。褒められるようなことじゃない気がするというか。カヤサキもカヤサキで恩義を感じてるみたいで、なんというか、その――」


「つきまとわれるの、イヤなんだ」


 トォタリさんは的確に言いあらわした。


「なんか、まあ、イヤ――というか、自分より背が高くてかっこいい後輩が、自分になついてるのが分不相応っていうか。はたから見ると、どことなく舎弟にしてるみたいでイヤっていうか」


「でもあのおっきい子からしてみれば、キルキル、命の恩人なんでしょ。そりゃもう仕方ないじゃん」


 ――それに、まんざらでもないんでしょ。


 たしかに、まんざらではない。そしてその、内心まんざらでもない気持ちも、なんだかイヤだった。


「最初っからカンペキになんでもこなせれば、苦労なんてしないよ」ほら、こっち座んな、とベンチの横をぽんぽんとやった。「なんでもそうっしょ? それに、その子の脚だか靭帯ジンタイだかの怪我だって、そのうち完治するんでしょ?」


 僕は頷きながら腰をおろす。でもやっぱり、納得できないのだった。かといって〈王さま〉の力で過去に戻ってやり直すのも違う気がした。


「結局んとこさ、月並みだけどさ、時間かけてそういう感情? とかその子と向き合うしかないんじゃね? ま、言うは易しってやつだけど~」


 トォタリさんはからからと笑う。僕は彼女の右腕を一瞥した。我ながら意地の悪い意識の向け方だと思う。


「っていうか今日、他人からのヒョーカがどうとか、そういう話多くね?」


 たしかにしてる気がする。


「あーしもさ、ほら、ふだんはギャルっぽい感じだからそういうところ褒められっと嬉しいわけ。服かわいいー、とか。でも嬉しいと同時に『はあ? あーしはあーしのためにやってるだけだから当たり前ですけどー当然なんですけどー』って気持ちもあんだよね。これが、難しい」


「めちゃくちゃ失礼ですけど、トォタリさんも案外めんどくさいですよね」


「うっせー! オタクがよ」と笑いながら、うりうりと肘で僕の脇腹を小突いてくる。


 ひとしきり笑うと、しばらくふたりとも無言になった。そして、トォタリさんは首を傾げ、なにかを思案していた。ああ、そうか。そういうこと? とぶつぶつつぶやいている。


「キルキルが〈果て〉によく行くのって、そういうことなの?」


 はっとして僕はトォタリさんに顔を向けた。僕がふだん意識していないような、深い部分を言い当てられたような気がしたからだ。彼女は組んだ脚に肘を立て、頬杖をついてじっと僕を見ていた。


「でもまあ、行ったまんまっていうのも、どーなんだろーね。潜りすぎんなよ」そう彼女は、先輩と同じようなことを言う。「いーじゃん。べつに。できるかぎりさ、すこしずつやってけば。それが〈王さまプレイヤー〉ってもんだよ」


「間違えても?」


「生きてりゃ間違うこともあんだろって話。あーしだって高校辞めたの、ほんとに良かったのかどうかわかんないし。でも、もう選択したからね……」


 選択。


「こう、な?」と彼女は、宙に浮かんだ球体を縁取るようなハンドジェスチャーをしだす。「ここが根っこ――理念リネン? ってやつ。で、これが日常。そんでもってこれが、まわりの人たち――世界って呼んでもいい。こう、ぜんぶは回転してくだろ。ぜんぶは変わってくだろ。でも、根っこはここにあんの。わかる?」


 僕は「わかるようなわからないような……」と曖昧に返事をした。


「変わんないものがあるけど、変えられるものもあるし、そんでもって理念とぶつかりあうものもあるけど、まあ、それはなんだ、それはそれとして対処法があるはずなんだ」と彼女は頭のなかにある考えを出力しつづけた。「だからあーしはこうしてる。髪染めて、ネイルやって、ちゃんと筋トレとかして体型維持して、カッケー服着んの。改造されたのも、正直な話イヤな体験だったし、許せないけど、もう自分でやることにしたんだ。カスタマイズして、技もたくさん覚えて、最強の自分にすんの。バイクだってどんどんビカビカ光らせたいし。とりあえず、あーしはしばらくそうするつもり。それが正しいかどうかなんて先になってババアになってみないとたぶんわかんない――ま、ババアになれっかどうかもわかんないんだけど。いまだからこそ、やるんだよね」


 銀河がさ、燃えてんだよ――と彼女は小さな声で付け足すと、恥ずかしそうにそっぽを向いた。そっぽを向いた先にはドラム式洗濯機があった。それは完全に静止しているように見えた。けれども、よく耳をすましてみたら、低く唸っているのがわかった。


 そして僕は、彼女のわかるようなわからないような話を聞いて、ふしぎと納得した気持ちになった。世界と自分についての話もそうだけど、彼女がなんで〈スーパーマーケットの王さま〉として選ばれたのか、わかったような気がしたのだ。


 スーパーマーケットには各お店ごとに経営理念や思想があるはずだ。そして、時代や場所に合わせて変化していく。そのなかで失われるものがあれば、新しく生まれるものもあるはずだ。たくさんの時代の流れとたくさんの人びとの流れに対して、たくさんの商品を並べて待っている、呼んでいる――適応していく。だから彼女は、選ばれたのかもしれない。それは的はずれな結びつけ方かもしれないけれど、僕はぼんやりとそう思った。


 ――で、


「どの時間に戻る?」



   ■ ■ ■



 向こうから背の高い女の子が歩いてやってきた。


「あ、いた。先輩、さっきのギャルっぽい派手な人、なんですか?」


 カヤサキはゆったりと背を丸めて、正門とは反対方向にある裏門の門柱によりかかった僕を心配そうに見た。


「うーん……知り合い」と僕は答える。「悪いね。こっちまで来てもらっちゃって。駅、あっちでしょ、たしか。ジョースイの方だっけ」


 彼女は、あ、はい、と答えると「でも、主任の人たちとかまだいると思いますよ。顔は流石に見られていないんで、そんな心配いらないとは思いますが……」と言ったところで、疑問を口にした。「バイクに乗って連れていかれましたよね、先輩。いつ帰ってきたんですか?」


 彼女のきりっと整えられた眉は、困ったように形を崩した。


「さっき」


「さっきって、いつですか。先輩が連れてかれたから三分も経ってないですよね」


 もうすこし時間をとってもよかったかなと思いつつも、僕らはなんとなく歩きだす。ふたりにとって通学時に利用していない方向へと、なんとなく。


「時間の、こう……体感感覚はふしぎなんだぜ、カヤサキ後輩。わかるかい?」と僕が炊井戸先輩よろしくしたり顔でごまかしても、カヤサキは「はあ、そうですか」と適当に返事をするだけだった。


「それに先輩、なんかさっぱりしてませんか。ワイシャツもさっきよりきれいです。なのになんだか、妙に眠たそうというか、疲れてません? 変ですよ」


 それに、お風呂上がりみたいなにおいも。そう言いかけたあたりで、カヤサキは慌てて口をつぐんだ。


 カヤサキはほんとうに鋭いやつだなあ、こんなにいろんなことに気がつくなんてと感心しているあいだに、僕の脳にとある考えがわいてくる。


 ――なんというか、あまりにもいろんなことに気がつきすぎじゃないか? なんでこんなに僕のことをよく見てるんだ?


 カヤサキは、ただ単純にあらゆるものごとに対して洞察力が鋭いのか。それとも――


 脚の怪我の話をしているときとはまた違った気まずい沈黙が、僕らのあいだにゆっくりと漂う。


 ふだん通らない、知らない住宅地の道路は、ほかにちらほらと同じ学校の生徒を時たま見かけるだけで、人はあまりいなかった。学校と駅を毎日行き来する、馴染みの通学路以外の部分を、僕はぜんぜん知らないんだなと思った。


 トォタリさんとの時間に関するやり取りを、僕は思い出していた。


“大きな事件まで戻ることは怖くても、案外その日のうちだったら気軽に戻れちゃうのなんなんだろうね”


“僕は割と怖いですよ。たとえ数十分戻るだけでも、こう、よく映画とかにあるように時間軸とかが分岐して新しい世界が生まれてるんじゃないかとか、その分岐した世界の僕の両親や友人は、僕が永遠に帰ってこないことを悲しんだりするのかな、とか”


“でもそんな世界、本当にあるかどうかも生まれてるかどうかもわかんないでしょ。実際に見たの?”


“別に見ては……”


“時間の流れなんてさ、あーしらだって毎回なんとなくふわっとやってんじゃん。映画に描かれてることは映画に描かれてることでしかないよ。過去に行くのも未来に行くのも、ちょっととなりの世界にコンニチワするのも。神経質過ぎても、疲れるだけなんじゃね?”


“そう……ですかね”


“キルキル、そうは言ってもさぁぁぁ、本当はテスト勉強とかで使ったりしないの~? してんでしょ~? ……ほらその顔、絶対ェ使ってる。だったらまあ、すこしは楽しんでもいーんじゃないの。みんななんだかんだ都合よく生きてるもんだよ”


 僕は、周囲に目を凝らしてみた。相変わらず見慣れない住宅地だ。


「カヤサキさ」僕は沈黙を突き破る。


「え、あ、はい」


「ここらへんって、来たことある?」


「え。あれ……どこですか、ここ」


 彼女は僕より頭ひとつぶんくらい高い位置にある頭をきょろきょろとさせ、スマホを取り出して確認する。ぜんぜん知らない場所ですね。やっぱそうか。あ、でもこっち、駅ある。


 じゃあとりあえず、そっちまで行ってみようか。


 あまり行かない駅の前には商店街があって、僕らは和菓子屋でお団子を買って食べたり、なんとなくゲームショップに入ったりした。


 入ったことがないのに知っている雰囲気。におい。


64ロクヨンのマリカーって、やったことある?」


 黄ばんだマリオカート64のカートリッジを、ほこりがやや被った中古の棚から取り出しつつ、僕はたずねた。カヤサキは、すっごいむかしに、と答える。


「このあいだ、面白いことがあってさ。ノコノコビーチってあるだろ。あそこのショートカットでさ――」


 ドンキでの血みどろの闘いも、


 身を溶かし、そして焦がす死のレースも、


 スタバのフラペチーノの甘さも、


 タコベルのブリトーの辛さも、


 僕の手首をそっと掴んだトォタリさんの優しさも、


 そういったさまざまなものたちでいっぱいだったある日の放課後は、後輩とのいつもより何気ない、他愛のない会話で終わっていった。




   A-2 "女の子にはセンチメンタルなんて感情はない" play stop.

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