2-29
そのあとも僕らは、タコベルで他愛のない会話をいくつもした。
「あのさあ、あーしさ、思うんだよ。こう――ゲームをしてるわけじゃん? そのゲームのプレイヤーってわけじゃんか。あーしらは。……でさ、これってなんか違和感なくない?」
「と、言いますと……?」
彼女は不敵に微笑んだ。自分がいの一番に真理に気がついて、その秘密をこっそり打ち明けるような笑みだった。
「あーしらのさ、ここらへん」トォタリさんは頭頂部よりちょっと上の、なにもない空間を人差し指でかき混ぜる。「いるんじゃない。ほんとうは」
「なにがですか?」
「感じたことない? 上の人の存在を」
トォタリさんは真剣な眼差しで僕をじっと見る。
「ま、べつにそんなもん信じちゃいないけどー」とあっさりひるがえして肩をすくめた。
僕も一回ぐらいは考えたことがあった。このゲームを運営し、ルールを整備している存在がいる/いたのなら、僕ら〈
「でもそれって結構、その、堂々巡りというか、こう、すっごくたくさんあるじゃないですか――世界……というか宇宙が、ほかにも。むしろ順序が逆な場合もありそうな気がするんですよね」
「逆って?」片眉をつり上げて彼女はきく。
「なんていうんですかね、僕らが動いてるから、彼らも動かされている――というか」
んん? と喉を鳴らしてトォタリさんは先をうながした。僕は上手く言語化できないまま、だらだらとつづける。
「たとえばRPGでキャラクターを動かしているとき、選択肢を選ばなきゃいけないことってあるじゃないですか。会話におけるちょっとしたギャグっぽい返答から、仲間の加入に関わるものから、ボスキャラとの哲学的な会話とかいろいろ……。で、その場合ってプレイヤーの僕が答えてるんでしょうか、それともその主人公が答えているんでしょうか」
トォタリさんは楽しそうに目を見開くと、「はっはーん!」と我が意を得たりとにやにや笑いながらこたえる。
「重ね合わせだ。ロールプレイだね。演じてるってわけだ」
頷いて僕はつづける。
「だからそんな感じで、えっと、もしその真の上位者とかプレイヤーとかがいるとして――いやまあ、もしかしたら悪意たっぷりだったり、僕らをただのチェスの駒としか思っていないのかもしれないですけれど――そいつらはそんな悪い奴らじゃないかもしれないですし、ほとんど僕ら自身ってこともあると思うんです。もしかしたら、けっこう四苦八苦してるかも……こう、昇竜コマンドが出せないとか、もしかしたらそういう話かも……」
トォタリさんはデザートで頼んでおいた、シナモンシュガーがたっぷりまぶしてあるうえに、更にチョコソースのかかった揚げたトルティーヤに手を伸ばす。
「キルキルは昇竜コマンドって、コマンド表見てすぐに出せた?」
「いえ、僕はあまり格ゲーは得意じゃないんすよ」
ふうんとトォタリさんは興味なさげに言い、口の周りについたシナモンシュガーをぺろりと舐めとる。
「でもまあ、それはそれでむかつくな。だってこれ、あーしの感情だもん。あーしのカラダだもん。なんで見ず知らずのやつらに重ね合わせせ……重ねられ……かさ」
「重ね合わさせられ?」と助け舟を出すも、僕も上手く舌が回らなかった。
「言えてねーし」とトォタリさんは自分を棚に上げてくすくす笑う。「そんな感じでさ、むかつかない?」
「まあ、それはありますね」
僕もそのデザート――シナモントスターダというらしい――に手を伸ばした。もう冷めてしまって、トルティーヤは微妙にしんなりしているけれど、想像どおりのシンプルに過剰な甘さがあった。
「ま、ぜんぶ
そう言って彼女は肩をすくめる。表情には、どこかやりきれなさそうな色を含んでいた。
ふたりして適当に喋っているうちに、僕はトォタリさんといつも以上に自然に会話できていることに気がつく。もしかしたら会話の内容がゲームに関するものだからなのかもしれないし――そんなに親しくないクラスメイトとも勉強のこととか学内のことではそれなりに会話がもつものだし、僕は知らないけど社会人もそうなのかもしれない――、今日一緒に闘ったからなのかもしれないけれど、僕はなんだか嬉しかった。
椅子にどかりと座って不遜に脚を組み、好き放題にタコスやナチョスを炭酸飲料で流し込んでいく彼女のさまは、どこか怠惰ですこし淫靡だったけれど、でも妙な気品があった。
「州立高校――」
ぼそりと彼女はつぶやく。あまり人に話していないことを言いたげな様子だ。
「州立高校、やめたときさ――」
「州立高校?」と気になってしまい思わず訊いてしまう。「州立って?」
話の腰を折られたトォタリさんは露骨に不機嫌そうに眉をひそめると、「州立は州立だろ」と言った。
「州、なんですか?」
「仕方ねーっしょ。地元はそれしかないし、
なにか話が食い違っている気がするので、僕は話をかいつまんで改めてたずねた。
トォタリさんは目を丸くして「まじ?」と言うと、財布を取り出して免許証をこちらに見せてきた。眉毛がいまより薄く、そして幼く見えるトォタリさんが不満そうな顔で写っていた。住所の最初の方には県ではなく「北陸州」とあった。
僕の住む世界と炊井戸先輩の住む世界は大きな違いがぜんぜんない。でも、トォタリさんの住む世界の日本とでは、道州制がしかれ、そしてタコベルがメジャーなファストフードチェーン店として展開されているという違いがあった。でももしかすると、大きな違いがもっとあるのかもしれない。
ふと、天井からぶら下がったブラウン管テレビに視線がいく。テレビのなかでは銀行強盗に成功した不届き者たちがヘリに乗り、ビルのあいだをぬって逃げようとする場面が映し出されていた。ヘリが逃走するなか、突然機体ががくりと空中で止まり、乗っていた男たちが大きくよろめく。テールローターには白い糸が引っ付いていた。カメラがだんだんとヘリの全体像を映し出していく――並んでふたつそびえ立つ大きな高層ビルのあいだには、これまた大きな蜘蛛の巣が張られていた。逃走中だったヘリは、その蜘蛛の巣のまんなかで身動きが取れなくなっていた。カットが切り替わり、赤と青の特徴的なカラーリングのスーツを着た人物が映し出される。スパイダーマンだ。さっきブリトーを食べつつちらちらと見ていたけれど、スパイダーマン=ピーター・パーカーを演じているのはトビー・マグワイアだった。となると、これはサム・ライミが監督したシリーズの一作目ということになる。
でも、なにか違和感があった。
「あんなシーンありましたっけ?」
トォタリさんは振り返ってテレビを見た。
「え、どんなの?」
「スパイダーマンの。なんか、でっかいふたつのタワーのあいだに蜘蛛の巣が張られて、ヘリが引っかかるやつ」
「あー、はいはい。ラストの見せ場じゃん」
そうだったっけ。そんなシーンあったっけ。そもそもあんなタワーあったっけ。なにかが引っかかってもやもやする。
まあ、いいか。僕はシナモントスターダに手を伸ばすと「あ、そういえばなんの話でしたっけ」と訊いた。
「高校」とトォタリさんは言ったけれど、「いや、別にいい」と言ってそっぽを向いてしまった。気になったからといって、大事そうな話の腰を折るべきじゃなかった。僕は反省した。
「〈
「〈マン・オブ・ラプチャー〉? だれですか、それ」
「呼び名はなんでもいいんだ。〈創立者〉〈王の父〉〈永遠に完成しない王国の主〉〈多くの城を持つ者〉〈汽車の男〉〈ミスター・ディー〉とか〈ヴィジョナー〉とか。あーしもちょくちょく小耳に挟むんだけど、そっか、ヱイラのやつからなにか聞かされてんのかなって」
「いえ、はじめて聞きました」
「まあ、〈王さま〉同士もそこまで情報交換しないしな。するとしたらランキングでだれそれが上がったとか下がったとか、あの新人はどうだとか、そんなんばっかだし。そういう話題にあがんないやつが実際のところなにしてんのか、本当にわかんないからなあ」
「そのラプチャーって人、どういううわさがあるんですか?」
「未来をつくってんだって」
「未来?」
「未来。でも、それしかわかんない。なんでも、すべての人が快適に幸福にすごせるような、理想の都市をつくってんだって。そこにいままで行けたのは数人だけって話だけど、本当はひとりかもしれない。尾ひれがたくさん付いてるし、名前だけがひとり歩きしてる感じ。〈
「本当にいるんですかね」
「さあね」
そうやってうだうだ話しているうちに、僕らの座るテーブルの近くにだれかがやってきた。
「あ、やっぱトォタリ・アツミだ」
リラックスした様子でドリンクを飲んだり会話をしていたトォタリさんは、相手に聞こえるぐらいの大きな舌打ちをして、今日見たなかで一番不愉快そうな表情で相手を一瞥した。
声の主に視線を向けると、そこには青年がいた。やや背が低く、やや小太り。刈り込んだ髪の毛を金髪に染めて、黒地に金のラインが入ったジャージを羽織っていた。見るからにいかつい。いかついけれど、どこか冴えなさそうな印象も受けた。男性のうしろには英字がプリントされた薄手のフード付きパーカーを着ている茶髪で長髪の青年とか、黒いタンクトップを着た大柄な青年もいた。僕は反射的に「怖い人たちだな」と思ってしまうものの、それと同時に、中学時代の比較的やんちゃだった同級生たちの成長した姿をいきなり見せられたような、妙な気分になっていた。懐かしいとは違う気がするし、デジャヴとも違う気がした。
トォタリさんの知り合いだということは、諸々の流れとか反応とかですぐにわかった。彼女は椅子の上であぐらをかいたまま、切りそろえられた指の爪を見つつ「なに」とひどく冷たい声で言い放った。
黒いジャージの青年は一瞬気圧されたようだった。ぎこちない笑顔をつくると「まあまあまあ、ほらほら」と言い「ちょうど通りかかったからさ」とつづけた。
窓ガラス越しに駐車場を見ると、入店してきたときにはなかった何台かのバイクが停車していた。彼らのものだろう。
「トォタリ・アツミさあ――最近、付き合い悪くね?」とジャージの青年がつづける。「なに?」と僕の方を顎でしゃくる。「なになになに? んんっ? 新しいカレシぃ?」そのわざとらしくおどけた調子には、どこか下卑た感情が含まれていて、僕はちょっと嫌な気分になった。僕は目を逸らし、自分の膝をぼんやりと見つめる。
「はは、ウケる。キミシマくんにはカンケーないかなあ~」
女子っぽく甘ったるいけれど、嘲笑を一切隠そうとしないむき出しの声音でトォタリさんは返す。依然、爪は見たまま。
弛緩していた空気は一変、息苦しいものに変わりつつあった。敵意を直接ぶつけあっているわけじゃない、サランラップをふんわりとかけてレンジでチンしたらギッチギチになっていたような、窒息しそうな感じ。
「わ、わかってんだろ」パーカーの青年が突然、絞り出すように言った。「トォタリ・アツミ、おまえ、こそこそすればするほど、疑われんぞ」
ジャージの青年が一瞬表情を引きつらせ、その話はやめろっつっただろと小さく言いながらパーカーの青年をこづいた。それでもパーカーの青年はつづけた。一度口にしたらもうとまらないといったように。
「アジロと最後に会ったの、おまえなんだろ。あいつ、どうして……」
そこで言葉は途切れ、重たい沈黙がその場を支配した。
――ぱりっ。
沈黙を破ったのは、軽快な音だった。ぱりっ。ぱりぱりっ。
顔を上げると、トォタリさんは苦々しげにナチョスの残りを食べ始めていた。ナチョスだけじゃない。シナモントスターダの残りも、他に注文していて中途半端に残っていたスパイシーポテトフライなどにも、両手を伸ばしてどんどん頬張っていく。どんどんスピードが上がっていく。目まぐるしい。
その動作のなかで、さりげなくぱちりと指が鳴らされた。呆気にとられていた僕も、三人の青年たちもはっと我にかえった。
「あー! トォタリ・アツミ! おまえまたそうやってごまかすつもりだな!」ジャージの青年がぶーぶーと文句を言う。
「食い意地女!」とパーカーの青年。
「行儀が悪ぃな」とタンクトップの青年。
ぱりぱりぱりぱり……。ぱりっ――
トォタリさんは「ひりはへーん! はへへふはは、はんふぉ、ひぇふぁいふぇーふ!」とハムスターのようにぱんぱんに膨れ上がった口から解読不能な呪文めいたことばを唱えた。
効果は抜群だった。三人組は呆れ返り、「ったくよー」「トォタリ・アツミてめーよぉー」とごちゃごちゃ言いながら出ていった。あっという間にバイクに乗って、国道へ走っていく。急にピリッとした空気になってどうなるかと思ったけれど、様子を見る限り、こうやって有耶無耶にして丸め込むのがトォタリさんの常套手段らしかった。そしてあの三人も、そこまでトォタリさんと仲が良さそうに見えないまでも、これがお馴染みになってるあたり悪い人たちじゃないんだろうと思った。
まるで魔法のようだった。
「ふぁいふぁいは――」咀嚼したものをごくりと嚥下し、つづけざまにドクターペッパーを飲む。「だいたいはあってる。トルティーヤチップスを、こう――(ぱりっ)ふぉうやって、噛むタイミングで注目を集めて、それをつづける。食べ物につぎつぎと手を伸ばして撹乱して――ほら、よく見てみ? 多ければ多いほどいいんだ。特に今日は
へえー! と僕が大きな声で感心していると、冗談だよとあっさり言われた。
彼女はスウェットの袖で口元をぬぐうと、大きなため息をつきながらずるずると過剰に椅子にもたれた。上半身がどんどんずり落ちていき、まるごとテーブルと椅子の間に隠れてしまう。まるでふてくされた小さなこどもだ。
「ごめん」と小さな声で謝罪される。「しらけたね」
僕はテーブルの下を覗き込む。凄い姿勢になってるトォタリさんのスウェットはずり上がり、胸でつっかかっていた。なだらかなおへそとおなかの向こうにある高い双丘をとおして、トォタリさんの目とあった。
「べつに、大丈夫ですよ、そんな。トォタリさんのせいじゃ……」
「あーしが大丈夫じゃないの」再び大きなため息。そしてずるずるとからだがナメクジのようにずりおちる。胸でつっかかっているスウェットがめくれあがり、肌の露出量がだいぶ増えてきた。絵面的にだいぶ奇異なだけに、周囲の席にほかのお客さんがいなくてよかったと僕は思う。
「ちょちょちょちょっと!」
「なに」
「え、その、胸が――え、なんでブラしてないんすか」
「うっせーな。これがくつろぎかたなの。いーだろそんくらい」
僕は頭の位置を元に戻して、彼女が椅子から這い上がってくるのを待った。
ランドリーに行って、服、とって帰るか。彼女が提案するので、僕は小さく頷いた。
バイクに乗って、深夜の国道をとろとろと走っていく。
そのあいだ僕らはいっさい言葉をかわさなかった。
トォタリさんが高校をやめた理由とか、ジャージの人らが言っていたこととか、改造されたこととか、気になることはあるけれど、僕はそのうちのひとつを聞く機会を自分から潰してしまった。というか、彼女がせっかく話そうとしてくれていたのに、それを無碍にしてしまった。
だから僕からなにか訊くことはできない。
それが正しいような気がしたけれど、ただ単に僕はこわかっただけかもしれない。
僕は結局のところ、ある程度までは仲良くできても、他人とちゃんと向き合えるほどの勇気もなければ、その人に興味がないのかもしれない。
でもここで自己嫌悪に陥っても、それはそれで我が身可愛いさから発生した感情な気もするので、そういった思考はスパッと断ち切った。
そして、それが正しいことかどうかはわからない。
僕はなにもわからなかった。
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