2-19

「うわおっ」という間抜けな叫び声とともに僕の意識はふたたび――いや、厳密には今日三回目の再生を果たした。


 急いで上体を起こし、あたりを見回す。アスファルトの無骨で熱い感触が手のひらに広がる。国道のど真ん中でリスポンしたらしい。


 さっきまでドン・キホーテがあった場所は、かなり深い穴があるだけだった。途中で断絶した水道管から水が勢いよく出ている。



 ドドドドドドドドドド――!



 彼方から聞こえる轟音に耳を澄ませて見上げる。空を覆う重たい暗雲に突っ込もうと、奇妙な物体が勢いよくジェット噴射で飛んでいた。ドン・キホーテの店舗をそのまま真っ逆さまにし、戦艦の艦橋をとりあえずごてごて付け足したようなでたらめな造形の船だった。こどもがレゴとかのブロックトイで適当につくった建物を真っ先に思い出す(僕もかつてはあんなものをつくったおぼえがある)。ジェットが噴き出している噴射口も変な位置に点々とついていた。


 逆さまになった看板のなかで、ドン・キホーテのペンギンのキャラクターがウィンクしている。


 でたらめだ。あんなものが飛んでるなんて。


 いや、でも実際に飛んでるし。


 飛んでいるなら仕方がない――いや、仕方がないとかしたり顔で言ってる場合じゃなくって、追いかけなきゃ駄目じゃんか!



 そうだな。



 脳に直接、ざりざりとした声を流し込まれ僕は飛び上がった。


 振り向くと、トォタリさんの愛車である白いビッグスクーターがひとりでにノロノロと近づいてきてるところだった。やがて目と鼻の先で停車し、器用に自立する。


 今みたいな声は聞き覚えがある。


 ほかでもない〈君臨号〉だ。




 大急ぎで通学用のバッグからカセットウォークマンを取り出し、禍々しいマーヴル柄の召喚用カセットテープをセットした。イヤフォンを耳にはめて握りしめる。


 何度か準備運動として軽くジャンプしたあと、再生ボタンをガヂリと押し込んで僕は走り出した。


 国道沿いの店舗たちは轟々と燃え、あちこちで車が横転している。暗雲のなかで雷鳴が轟く。その煙と炎の世界の中央にはしる国道を、僕は走っていく――飛翔するドン・キホーテを見ながら。


「君臨号!」


 叫ぶと舗道の奥底から黒い獣が飛び出てきた。軽やかに着地すると、四肢をしきりに動かして僕を先導する。


 こいつもさっきまで対峙していたマスクの男とおなじ〈獣〉の一種らしい。わけあって案内役として存在している。


 この姿かたちも曖昧でぼんやりとした獣は行きたい場所だろうが欲しいものだろうがなんにでも案内してくれる。


 イヤフォンからホワイトノイズに混じって獣の荒い息遣いが流れ込む。


 わかってる。そんな言葉が聞こえた気がした。ばうっと僕を一瞥して吠える。


 僕の走る速度がどんどんあがっていく。この国道にいるほかの誰にも到達できない速度になっていく。視界にうつる景色がどんどんと伸張していく。


 前方に見える道がぐぐぐとせり上がっていき大蛇のように首をもたげると、ドン・キホーテに狙いを定めた。獲物を捕食する寸前といったように先端をゆらゆら揺らすと、亜音速で道が伸び、飛んでいく奇妙な物体を捕らえた。


「……え?」


 だが、ドンキがそれで止まるわけではなく、相変わらず不格好な噴射をしながら宇宙を目指してぐんぐんと上昇していく。


「えっ、止まんないの!?」


 僕の問いに君臨号は、道はあくまでも道だと返す。でもよく見てみろ。あれはちゃあんとつながってるぞ。


 研ぎ澄まされた〈王さま〉の目をよく凝らす。たしかに、店舗前の駐輪場や駐車場へのスロープにがっちり喰らいついていた。


 つまり、追いつくためには


「もっと早く走らなきゃいけない」


 やるか? と君臨号は僕に問う。おまえも〈獣〉に近い存在になるか?


 素晴らしいスピードって、いったいなんだい? ――炊井戸先輩にかつて問われたときのことを僕は思い出す。それは二ヶ月ほどまえ――先輩や君臨号と出会ったときのことだ。僕は「それ」になったらしい。困ったことに、僕はそのときのことをあまり覚えていない。


 だから今回がはじめてみたいなものだった。正直言ってかなり不安だ。


「自由きままに伸縮する道。それと、」先輩は僕に尋ね、そして微笑んだ。「ああ、そうだ。それよりも、もしまたアレになるんなら名前も必要なんじゃないかな。かっこいいやつ。たとえばこんなのはどうかな――」


 僕は君臨号を大声で呼ぶ。


 その瞬間、スラックスのポケットから鍵が――炊井戸先輩との逢瀬に使っている屋上の鍵が、フヒトベ先輩から譲り受けた何の変哲もない銀色の鍵が飛び出し、僕の目の前でまばゆい光をはなちはじめた。


“あの子の言ってることを鵜呑みにするのかい?”


 ……先輩、やっぱりフヒトベ先輩からもらったこの鍵、ふつうじゃなかったです。


 そして、フヒトベ先輩がかつて言っていたことを、唐突に思い出す――


“DLCがリリースされる頃には、ほかのゲームやっててすっかり後回しになってることもあるんだよねー”


“そのゲームの世界に戻ってくることもあれば、そうじゃないときもあるじゃない?”


“まあ、そういうことはある。たぶん、ゲームだけじゃなくても、いろんなことに”


 鍵、つまりアンロックキー――いったいこれは、何を解放するんだ?


 輝く鍵を、僕はおそるおそる引っつかむ。


 靄がかかったように曖昧な君臨号の奥深くから、明確な光輪があらわれた。それは、ヤツの首にある。


 鍵は熱く激しく脈打っている。手のひらが灼けそうだ。


 さらに足を速めて走る。君臨号の首輪めがけて、僕は鍵を突き出す。


 光輪に鍵がじゃりじゃりとゆっくり飲み込まれる。走りながら思い切り手首をひねった。



 ガチャリ――!



 光る首輪は細かい粒子となって消失し、犬のかたちにとどめていた獣が解き放たれる。


 蒸気のように曖昧だった君臨号は液状化し、アスファルトにべしゃりとしみこんだ。


「え?」


 と呆けた声を出した瞬間――道路から出現した、乱杭歯が無数に生えた巨大な顎に飲み込まれた。




■ ■ ■




 道路から突き出てキルシを喰らった巨大な獣の口は、高速で移動しながら何度も咀嚼を行い、ついには少年だった物体を飲み込んだ。満足気にゲップをすると、ゆっくりと、その身の残りを曝け出そうとしていた。


 だがしかし、それが滑る周囲のアスファルトから無数の黒い腕がにょきにょきと生えてきた。腕は大小さまざまで、どれもこれも重油のようなどろどろとした物体で形成されていた。まるで物語に描かれる幽霊や生きる屍のようにだらりと垂れ下がった腕たち。その生気を感じさせない様子とは裏腹に、そいつらは一気に力強く獣につかみかかった。


 獣は口を無理やり閉じられ、さらに身を曝そうとしていたのをむりやり封じ込められた。くぐもった苦悶の声があがる。道路に君臨せんとする獣は、その場所にこびりついたまた別の偉大なる存在に取り抑えられる。


 獣も腕も沈んでいき、ぽちゃん、とアスファルトの上に波紋がひろがった。


 ドン・キホーテの店舗はそのあいだにも高度をあげていく。国道沿いの店舗は赤々と燃えている。


 二秒ほど経ち、変化が現れた。


 舗道の表面が、沸騰したようにぶくぶくと泡立ち始めたのだ。


 煮沸現象はぼこぼことマグマのように激しくなっていき――


 やがて、そこを豪快に突き破るものがあった。


 少年を喰らった獣だ。腕たちの制止を振り切り飛び出す。


 取り残された腕たちは、まるで諦めて別れを告げるかのように、ひらひらと力なく揺れることしかできなかった。


 獣の姿は変わらず黒い野犬のようで、だけれど粘ついていた。どろどろとした表面をさらに上塗りしていくように、重たい粘液が絶え間なく流れ落ちていく。


 着地した獣はどんどんスピードを上げていく。四肢をしきりに動かし、アスファルトの上を一歩一歩踏みしめて高速で走る。


 やがて後ろ脚のかたちが変わり、筋肉がだんだんと膨れ上がり肥大化する。よろめきながらも不恰好に、二足の脚で走りはじめている。


 その姿は獣でも人間でもなかった。


 犬のような顔面はどんどん先鋭化し、無機質な面のようになっていく。尻尾は硬質化し、悪魔を想起させた。中世の甲冑を想起させなくもない、全体的にどこか美しいフォルムだが、走る姿勢は相変わらず乱雑だった。


 その存在はキルシがふだん出せる最高速度より数倍も早く走っていく。


 地球の重力をとっくのとうにふりきって逃亡しているドン・キホーテに繋がれ、緩い勾配からやがて天へと垂直になる道路をぐんぐんのぼっていく。


 雷が轟く暗雲のなかを、人なのか獣なのかわからない存在が俊敏に全身の肉体――アスファルトやらコールタールやら地層の奥深くで眠る動物たちの遺骸、そして君臨号という超常的な獣を構成するすべてが、擬似的にヒトのかたちに形成されたそのからだを使って垂直に疾走していく。


 雲を突き抜けた夜空――そこにはでたらめな造形の艦隊が浮かんでいた。ある艦はこれから降り立とうとしていたし、またある艦はキルシが追うドンキのように、地球と月のあいだに待機する大型艦に帰投しようとしていた。


 そう、大型艦と小型揚陸艇による侵攻が展開している。トォタリが所属する〈Mz連合〉の艦はとっくのとうに大破していた。この時空の地球圏において〈フレッシュ・マーケット〉は〈連合〉よりはるかに優勢だった。


 どろどろとした黒い存在は、特徴的な面をその光景にちらと向ける。そして、すぐさま自分が向かうべき目標を――上空をまっすぐ見定めた。



 ドン――!



 大気を震わす轟音がうなった。追っているドンキとは別の艦艇が、装備したレールガンで砲弾を高速射出したのだ。鋭角な弾はどろどろが往こうとする道路を半分ふっとばした。


 だが、片側車線がちょっとばかり吹き飛んだだけだ。走る車線を変更すればいい。道はまだ残っている。つづいている。


 ドンキにがっつり喰らいついた大蛇の如き道路はそれしきの攻撃で崩落するはずもなかった。


 この長大な道路は謂わば、この世界――いや、全時空に存在するすべての道路が持つ被膜のような無意識を一本化した存在だ。


 概念的存在だからどこまでも延長できてどこまでも行けた。


 その証拠に、攻撃により欠けたアスファルトは修復されつつあった。垂直に切り立つ道路上に、まるでピントのずれたぼやけた映像が上映される。幽霊のように半透明な作業員が高速で点検し、さまざまな重機がコマ送りで作業をし、ロードローラーがしっかりと舗装していく。どこかの次元のどこかの道路で行われた修復工事をそのまま肩代わりしてもらっているのだ。もしくはいまこのとき、この宇宙に届く道路が吹き飛ばされたからこそ、どこか別時空の道路の修復工事が必要になったのかもしれない。因果関係はさっぱり不明だった。



 ドン――!



 つづいて二射目が放たれる。薄い大気を切り裂き、凶弾がせまる。


 どろどろの黒騎士は籠手につつまれた右手をばっと真横に突き出した。


 その動作に呼応するものがあった。舗道の表面を滑るように飛び、地表から亜音速で喚び寄せられるもの――それは細長い棒状で、その先端は逆三角形になっている。


 変わったかたちの槍に見えなくもないその得物をむんずと掴むと、どろどろは走りながら振りかぶり、腰を捻りつつ振り抜けた。


 高速で射出された大質量体と、槍の先端領域がまともにぶつかりあう。強い衝撃波がひろがり、道の両脇から等間隔に生えている照明灯を激しく揺らす。


 そのままどろどろは、走りながら上半身だけぐるぐると高速回転させていく。上半身だけ漫画のように竜巻になった怪物が、宇宙に伸びる道路を高速で走っていくという奇妙な光景が繰り広げられていた。


 竜巻はやがてぴたりと止まり、みずからを襲った弾丸を同じ速度で打ち返した。キルシ本人はからだを動かすことが好きでもスポーツがかなり苦手だ。だが、いま、この存在はキルシであってそうではない。べつのなにかだ。だからこんな動きも可能だった。


 弾丸はそのまままっすぐ飛び、小型艦に直撃する。大きな破壊がもたらされ、乱雑なパーツで構成されていたそいつは、ぼろぼろとパーツを落とし、煙をあげつつゆっくりと墜落していった。


 粘ついたタールで覆われた籠手に握られたその槍――その先端の逆三角形は血潮のように真っ赤で、その領域を守護するかのように白く縁取られていた。そして、その中央には三文字の神聖なコードが刻印されていた。《止まれ》――と。


 間もなく、地球の重力をはなれようとしていた。でも重力なんてもはや関係ない。この道路のうえを、ただただ走っていくだけだ。


 白く輝く月が見える。その前に大型艦があり、そのもっともっと手前に追うべきドン・キホーテがある。きっとその中でトォタリはマスクの男とまだ戦っているだろうし、洗脳され呼び集められたたくさんの人々が捕らえられたままになっている。


 宇宙空間のなかを、その宇宙の黒さにひけをとらない道路がまっすぐつづいている。断続的な白い中央線が目立つ。


 地球を離れたせいか、垂直方向に走っているという感覚はもうない。これは正真正銘、宇宙をかけるハイウェイだった。


“ねえ、素晴らしいスピードって?”


 どろどろの、脳など存在しない頭のなかに、聞き慣れた少女の声がふと響く。


“もしまた、ぼくを助けてくれたアレに――ああ、きみは覚えてないんだったな”


“まあ、もしアレになるんなら名前も必要だね。かっこいいやつ”


“たとえばこんなのはどうかな――”


 あのとき彼女は、ひどく変な名前を提案したような気がする。どろどろの奥に沈んだキルシは、ぼんやりと思い出しつつあった。


 尖った面を持つヘルメットのなかに、徐々にキルシの頭蓋が、皮膚が、髪の毛が、顔がかたちづくられていく。


 口をひらき、がさついた声で絞り出すように、自分で自分をたしかめるようにその名を唱えた。


「――タール・デーモン」


 ほんとうに、どうなんだろうな、この名前は――そう彼はおかしそうに笑みを浮かべた。


 とりあえずいまは、走ることだけを考えよう。


 しかしその矢先――



 ヴィィィィィ! ヴィィィィィ! ヴィィィィィ! ヴィィィィィ!



 けたたましい警告音が鳴り響いた。宇宙空間は音が伝わらないのにとかそんなことは関係なく鳴る。それが鳴らせるのは、この宇宙の法則の上にいる存在だけだ。


 つまり、ゲームがこの場で始まろうとしていた。


《こんにちは! 運営本部からのお報せです!》


《本道路は、第834回ハシャマス杯のコースに選出されました!》


 スーパーマーケットの館内アナウンスのような陽気すぎる女性の声に、キルシは小さく舌打ちし、尖った面を上方に向けた。


《60秒間のご協力を、お願いいたします!》


 小さな星たちが浮かぶ宇宙空間に、白く巨大な渦が出現した。時空と時空をつなぐトンネルだ。そこから五車線はありそうな道路が伸び、キルシが往く前方に連結された。


「ご協力って言われても……」


 キルシはぼやく。そのハシャマス杯とやらに最初から参加していないキルシは、ここではたまたまレースに居合わせた通行人に過ぎない。だから、最低限の自分の身は自分で守らないといけない。なにせ相手の〈王さま〉どもは妨害行為なんでもありの死のレースに熱を上げる、正真正銘の猛者たちだ。


 この道路がコースとして使用されるのは60秒間。きっと激しい戦いになるだろう。


 デス・レースに慣れていない少年は、戦いの予兆に武者震いする。


 白い渦の向こう――宇宙と宇宙のはざまを通り抜けて、


 熾烈な戦いに身を投じる〈ロードサイド・ウォリアー〉たちが姿を現した。

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