2-17
そんな、一気に済ませるって――と僕が言いかけたときには既に遅く、トォタリさんはペニーボードに乗って滑り出していた。
「え、うそ」
僕もキャリーカートを引っ張って追いつこうと走る。ひもが締めたりなかったのか、走っているとがたがたヘルメットが上下して鬱陶しい。
角を右に曲がって、僕らが一階から上がってきた際に使ったエスカレーターのまえを通り過ぎる。
すぐ近くから怒鳴り声と、がらがらと崩れる音がした。そして、地響きも。
衣料品コーナーのど真ん中、肌着やTシャツがかかった背の低いラックが密集した場所で、トォタリさんは一体の人形と対峙していた。
彼女は両手にプラスチック製のハンガーを持っている。
内側にかけた指を軸に、手の中でハンガーをくるくると高速回転させていた。
ハンガーヌンチャクだ。プラスチック製のありふれたハンガーなので威力は期待できなさそうだけれど、その素早い動きからはどんな攻撃が繰り出されるのか予測がつかない。
人形がぐにゃぐにゃに動かしていた両腕をトォタリさんに素早く突き出す。
「よっ」右手に持ったハンガーを回転させた状態から瞬時に止め、迫り来る手刀の防御に用いた。
華麗なハンガー捌きで三角形の内側に人形の手刀を導き、見事に両の手を絡め取る。更に左手に持っていたハンガーで相手の頭を小突く――すると一瞬だが、人形が怯んだ。
その隙に人形の手を絡め取ったハンガーをぐっと肘まで押し込む。
拘束され、ハンガーの内側でもがく白い両腕をむんずと掴むと、一気に力を込めて両腕をへし折った。
「よっ」
近くのラックから英字があしらわれたTシャツを引き寄せると、Tシャツを人形の頭に被せる。
まるでアクション映画みたいな洗練された動きに僕は見惚れてしまう。
視界をふさがれた人形は「申請中、申請中」とくぐもった声をあげはじめた。また目から光線を出すつもりだろうか。
「それ、やばくないですかっ?」
トォタリさんに声をかけると、彼女は汗ばんだ髪の隙間から一瞬だけ視線をこちらにやって「おまえもだろ!」と怒鳴る。
キャリーカートが誰かに軽く蹴られた。その感触がハンドルを通して手に伝わる。
瞬間、全身が粟立った。
思い切り横に跳躍し、いつのまにか近づいていたもう一体の人形と距離をとった。
「お、いい動き」と言いながらトォタリさんはTシャツで目隠しされた人形の首を右腕のチェンソーで吹き飛ばす。――と、宙空に飛び上がった頭をキャッチしてこちらに軽くトスしてきた。
思わずそれを両手で受け取る。
え、ちょっ、と戸惑いながら、僕はオレンジ色に染まったシャツにくるまれたそれが、だんだんと熱くなってきていることに気がつく。
両手に持った頭部から青白い二本の光線が発せられた。
ギィィィィィィ――!
空間そのものを切り裂いているかのような音をたてながら、光線は天井基礎部分をガリガリと粗く削っていく。
まぶしくて目がくらむ。
強大なエネルギーの放出に腕や腰が耐えきれず、思わず中腰になった。
「向き変えろ! 向き!」
トォタリさんの怒声が聞こえる。
ホット飲料缶と同じぐらいの、火傷しそうでしない熱を帯びている頭部をなんとか持ち直して、僕は正面にいる人形に向けた。指先が熱くて痛い。こんな高出力の光線を発しているのに「熱くて痛い」で済むのだから凄いことなんだろうと、どこか冷静な頭の端っこで思う。
人形の白いボディに肩口から太ももまでぶすぶすと赤く焼け爛れた斜線がはしり、半身がリノリウムの床にずるりと落ちた。白いせいか、なんとなくそのさまはチーズやバターを思い起こさせた。
手に持った頭部の出力がぐんぐんと弱まり、やがてもの言わぬ物体と化す。ずしりと重い。
斜めに切断され、オレンジ色の体液を垂れ流しながら片腕だけでずるずると這おうとする人形の首にチェーンソーが突き刺さり、そのまま脊椎をずるりと引き出される。
トォタリさんは、斜めに切断されたせいで通常より短くなった脊椎を見やると、小さく舌打ちした。いつものように脊椎を砕く。
一息つくと、彼女は「やーるじゃんやるじゃん」と言いながら鼻歌交じりでやってきた。
僕が持ったままの頭部をもぎ取ると、いろな角度から見てそこらへんに放る。
手のひらがじんじんとする。
頭を取られて所在なさげに差し出されたままだった手を、トォタリさんは取る。
そして強引に僕を連れて走り出す。
「ぼさっとすんな残り一体だぞ! 走れ走れ!」
ぺたしぺたしと彼女の素足がリノリウムの床を駆ける。
スニーカーを履いた僕の脚がぎこちなくそれにつづく。
家電コーナーが目前に迫る。陳列されたブラウン管の小さいテレビデオが、環境映像を漫然と垂れ流している。扇風機が首を振り、ビニールテープをひらひらと揺らしていた。
彼女は展示されていた大きなビデオデッキをもぎ取ると小脇に抱える。
ドン・キホーテ特有の人がひとり通れるかぐらいの棚と棚のあいだに佇んでいた人形が、僕らを察知してゆっくりと振り向く。
すかさずトォタリさんはビデオデッキを投げつけた。鈍い音と同時に頭部に直撃する。人形が倒れる。
倒れた人形の足首をトォタリさんがむんずと掴んだ。僕にもそうするよう促してくる。手に持っていたバールをそこら辺に放って、人形のつるりとした左足首を掴んだ。
「引っ張れ引っ張れ!」
仰向けになった人形をビデオデッキの残骸から引っ張り出す。陶器のようにつるりとした頭部は半壊し、オレンジ色の体液が流れていた。
トォタリさんは人形の下腹部に素足を乗せると、思いきり足首を引っ張る。彼女の腕の皮下にはしった幾何学的な機構が光り、力がみなぎる。いとも簡単に太ももごと右の脚部が千切れた。銀色の瞳が歪む。
左足首を掴む僕の手にそのまま手を重ねてきて思い切り握ってくる。骨が軋み、皮膚と肉が悲鳴をあげる。「せーのっ!」の掛け声と同時に、僕の意思とは無関係に、足首を持った腕が持ち上げられた。
だがうまくいかない。
「んー、やっぱ無理か」一気にしらけてしまった彼女はそう言うと、手を離した。「ごーめんごめん」と言いながら人形を無理やりひっくり返して背中をチェンソーでかっさばく。脊椎を取り出す。
人形の頭を持ったときの熱気や、足首の硬くてひんやりとした感触、それにトォタリさんに強く握られた手の甲の痛み――そういったものをぬぐうように、僕は自分の手で自分の手を軽く揉んだ。
「やっぱ、無理か」とトォタリさんは若干申し訳なさそうに言う。そこにはあんたには無理だよという意味も込められていたのかもしれない。彼女はひといきつくと、ずずっと鼻をすすった。「ごめん、無理強いは、駄目だよな」
何をいまさらという若干の憤りと、それなりに僕のことを気遣っている彼女の優しさのあいだで板挟みになる。
僕はちょっとイラッとして、汗で蒸れたヘルメットを脱ぎ捨てた。オレンジ色の水たまりの上で跳ねる。
自分でもふしぎなくらい急にイライラしてきた。
怒ることに慣れていない僕は、そういう感情をどうやって発散すればいいのかよくわかっていない。とりあえず、かつて先輩に教わったようにちょっと深呼吸をして、六秒ほど心を無にした。
……だいぶ落ち着いてきた気がする。
「テンションが、その、上がっちゃってさ――」トォタリさんはバツが悪そうだった。「悪い、その――」
言葉をつづけようとした矢先――
ぽぽぽぽ~、ぽぽ~、ぽぽ~。ぽぽぽぽ~、ぽぽ~、ぽぽ~。
気が抜けているけれど耳に残りやすいメロディがどこからか聞こえてきた。ついさっきも、一階食料品売場で聞いた音色だ。
呼び込み君――その特有の旋律。
僕もトォタリさんも、音のする方へ視線を向ける。棚と棚の向こう側にある壁には、従業員用の扉があった。
ぽぽ~ぽ、ぽぽぽ。ぽぽ~ぽ、ぽぽぽ。
扉が思い切り開け放たれる。
黄色と黒のポロシャツ――ドン・キホーテのポロシャツを着た存在が姿を現した。
奇妙なことに、頭にはドンキの仮装グッズ売り場で売られていそうな動物のマスクを被っている。
ニワトリのラバーマスクだ。
今まで闘っていた人形たちとは違って、そいつは人間に見えた。すこし筋肉がついた白人男性。どす黒い革のグローブに覆われた手は、木製のバットをしっかりと握っている。
どう見ても敵意がある。かなり鋭角で、容赦のない敵意が。
呼び込み君のメロディが鳴り止んだ。
それと同時にマスクの男は大股で歩んでくる。肩を怒らせて、暴力の波動を全身から発している。
「あっち側の〈王さま〉ですか?」
ちがう。トォタリさんは忌々しげに舌打ちした。
「あいつは〈獣〉だ」
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