2-16

 両面鏡張りで薄暗く、天井から偽の観葉植物がぶら下がって妙にナチュラルっぽい雰囲気になっているエスカレーター通路で、僕はふしぎとそこまで疲労を感じていないことに気がついた。


「コメリさま、すごいですね」


「ん~?」


「ぜんぜん、疲れとかないっす」


「あ~」


 人ひとりしか乗れないエスカレーターで二段前に立っているトォタリさんは、ソーダ味の青いガリガリ君をかじりつつ「だろ~?」と得意げに言った。今度からコメリを見かけたらとりあえず拝んでおくようにしておこう。


 二階に降り立つ。エスカレーターの前で僕らはフロアマップを見た。一階が日用品や生活雑貨、食料品が占めていたのに対し、二階は衣服、シューズ、スポーツ用品、玩具、カー用品、インテリア、家電類、かばん・キャリーケース、大工用品、文具類などが取り扱われていて、要するに武器になりそうなものが多そうだった。もしかすると一階よりも簡単にことが進むんじゃないだろうか。そうであってほしい。


 そだ、と言ってトォタリさんはホットパンツのポケットからあるものを取り出して、僕に差し出した。


 やや色がかすれて、表面に細かい傷がついた金色のジッポライターだった。片面にはエヴァンゲリオンのネルフのロゴマークが刻印されていた。


「とりま預けとく」


「エヴァ、好きなんですか? 意外」


「別に。それ持ってたやつが好きだったんだよ」


「いいんですか?」


「いーんだよ、お守りみたいなもんだから」


 トォタリさんはお酒が好きだけれど煙草は吸わない。においが嫌いらしい。そんな彼女がずっとお守りとして持っていたジッポライターを、僕が預かって本当にいいんだろうか? そんな疑問が鎌首をもたげる。でも人からのそういったお願いとか厚意とかはできるだけ受け取っておいたほうがいいだろうから、僕は素直に受け取ってスラックスのポケットに入れた。


「……わかりました。預かっておきます」


「一応、火も出るから。なんかあったときは使いなよ」


 わーった? と、トォタリさんは半分ほどまで減ったガリガリ君から飛び出た棒で僕を指した。ガリガリ君は少し溶けかけていて、甘いソーダのにおいがした。しずくが床にぽたりと落ちる。まずいまずいとトォタリさんは一気にガリガリ君にかじりつき、食べ終わった。


「当たりました?」


「んー、はずれ」


 ガリガリ君の棒でトォタリさんはフロアマップを示す。


「ヱイラと一緒にやったときは、確か四体だった。四体それぞれが、大まかに各コーナーに陣取って巡回してる」


 棒の先端がぐるりと円を描いた。


 僕らが乗ってきたエスカレーターは、フロアマップの中ではやや右下に位置している。降り口は左向き。目の前には季節品のコーナーが展開されていた。いまは夏で、バーベキュー用品やキャンプ用品が置かれていた。


 フロアの左側は主に衣料品のコーナーだった。上まで衣料品とシューズの売り場で占められている。衣料品コーナーを抜けた先に、スーツケースやブランド物のコーナーがあった。季節品コーナーの少し奥はおもちゃコーナーだ。この時代のスーパー戦隊や仮面ライダーのおもちゃの大きな箱が、ここからでも窺える。


 マップの下側は主にインテリアが置いてある。健康器具もあるようだった。頭を出して左側をのぞいてみると、5メートルほど先にベッドやソファが並んでいた。


 僕らがいる場所とは真反対であるマップの右側はエスカレーター付近に化粧品コーナーがあり、それ以外は上まで家電売り場で占められている。化粧品を抜けた先――建物の壁側には自転車とカー用品といったものの売り場があった。


「どこから攻めます?」僕はトォタリさんに尋ねた。「最初は武器集めた方がいいんですかね」


 ちょうど季節品コーナーの目立つ場所に、コールマンのキャリーカートが置かれていた。これに武器になりそうなものをとりあえず放り込んでうろうろすれば、だいたいどうにかなるだろう。


「それでもいいけど、でもそれやるとなるとさっきみたいに隠密でかなり上手いことやんないといけない。あーし、そこまで器用じゃないからなあ~」


 トォタリさんは眉間にしわを寄せ、バツの悪そうな顔をする。


「下手すっと、四体を一度に相手することになる。もちろん、上手いことやれば四体一気に倒すこともできる」彼女はチェンソーに変化する右腕を指差す。「それに賭けてもいいけどさ、リトライはイヤっしょ」


 同意を求められて、僕は首肯する。


 一番安パイなのは、やはり一体ずつ地道に倒して行くことだ。でもトォタリさんはゴリ押しが基本的なスタイルらしいので、さっきみたいに僕が上手いことサポートしたりして連携しなければならない。


 とりあえず、使えそうな武器が一番豊富にありそうなカー用品コーナーを拠点とし、一体ずつおびき寄せるか倒しに行くかして各個撃破する方向になった。


 展示されていたコールマンのカートをがらがらと引きずって、インテリアコーナーをうろついているエプロン姿の店員を尻目に見ながら小走りで通路を駆けていく。


 近くに健康器具やトレーニング用品のコーナーが展開されていたので、ダンベルやボディーブレードも一応拝借した。さっきの冷凍肉よりは武器としては使いやすいだろう。


 人形は僕らに背を向け、枕カバーの陳列を見直している。一階の騒動は特に感知していないらしい。


 人形たちはふだん、それぞれのスーパーマーケットやドラッグストアなどの店員に擬態しているという。


 精緻な立体映像を身に纏っているらしく――だから一瞬で人の姿からつるりとした人形の姿になったのだ――普通の、つまり〈フレッシュ・マーケット〉とは一切関係のない店員さんに紛れると見つけ出すのは困難らしい。


 今回は状況が状況なので、その場にいる店員=人形と認定していいけれど、普段の任務中はサングラスや“銀の眼”で見分ける必要があるそうだ。


 人形は高性能だけれど、どこか警備はザルだった。それは元からの仕様なのか、それともこのゲームの見えざるルールのせいで弱体化されているのか、トォタリさんもよくわからないと言う。


 カー用品コーナーに着いた。隣接している化粧品コーナーとはパーテーションで仕切られていて、互いの売り場が視認できないように区分けされている。コーティング剤からジャッキ、スパナ、車内用芳香剤まであらゆるものが揃えられている。自転車も店頭だけではなくここにも置いてあるし、スケボーやキックボードも置いてあった。


 トォタリさんはスパナやバールを次々と手に取って、軽く振り回し、手に馴染むかどうか試している。


 僕はバイク関連の品々が置いてある場所で見つけた黒いヘルメットを被る。なにがあるかわからないし、生き延びるために。プロテクターも着用しようか迷ったものの、慣れないものを身につけて変に動きが鈍って死ぬのはイヤなので、やめておく。


 ほら、ゾンビものとかでもたまにあるじゃないか。調子に乗って重装備したくせに、かえって身動き取れなくなってそのあとすぐ死ぬ、みたいなの。ああいうのはごめんこうむりたかった。


 目に付いた適当なバールを、一応手にしてみる。トォタリさんの元に戻る。


「どうします?」


「インテリアのやつ」


「わかりました」


 彼女は大きなスパナを右手に持ち、小さな青いスケートボードを左脇に抱えていた。こどもが乗っていたり、たまに繁華街とかでストリート系のお兄さんたちが移動用に使っているものだ。ペニーボードというらしい。


「これで近づいて、倒す」トォタリさんはボードを床に置いて足を乗せた。む、という表情に一瞬なる。


「どうしたんですか?」僕は尋ねる。


「いや、ブーツだなあ~って」


 気分の問題、と彼女は言って、ブーツを脱いで裸足になった。脱ぎたての黒いブーツをキャリーカートに放り入れる。足の指を器用に一本ずつ動かして、ひんやりとしたリノリウムの床やボードの感触を確かめる。


「足の指、全部動くんですね」


「キルキル、動かねえの?」


「全然っすね」


「へえ。……もしかして、からだも硬いっしょ」


「はあ、まあ」


 ふ~んとトォタリさんはどこか勝ち誇ったような表情になると、突然その場で前屈をし始めた。ぺたりとてのひらを床に着け、頭を膝までつける。自然とお尻と腰が突き出されるような格好になり、ずれ下がったネルシャツから素肌ときれいな背筋が見えた。


「どーよ」前屈をやめ、上体を起こして彼女は自慢げに言った。「すごいっしょ」


「すごい……っす」


 僕は突然の奇行に虚をつかれながらも、こくこくとうなずいた。トォタリさんはからだがやわらかい、ということがわかった。同時に、目の前の人が突然ストレッチめいたことをするとびっくりしてしまうこともわかった。


 ボードに乗って白い床を軽快に滑って行くトォタリさんのあとをついて行く。店内有線放送では、ドンキお馴染みのテーマソングがかかっていた。


 革張りのソファ、革張りじゃない素材のソファ、椅子、ベッド、低反発ベッド……そういったもののあいだを器用にぬって行く。ベッド売り場にぽつんと立つ店員(に擬態した人形)は、ちょうど背中を無防備に晒していた。


 トォタリさんはそのまま突っ込んで行く。スパナを振りかぶって、頚椎のあたりに鉄の塊を無慈悲に叩き込んだ。


「オラッ!」


 そのまま体当たりをして店員の腰に腕をまわすと、へそのあたりでガッチリと両手を組む。そのまま勢いよく、ブリッジするようにからだを反らし、店員の首の骨を折らんばかりの勢いでジャーマン・スープレックスをキメた。


 ゴギリッ、という嫌な音が聞こえた。店員のホログラム擬態が解除され、能面のような顔とからだがあらわれる。


 トォタリさんはすぐさま体勢を立て直すと、マウントを取ってスパナで人形の顔面をぼこぼこに殴りはじめた。


「オラッ、このっ、てめっ」などと言いながら暴力をただただ行使している。


 やがて首をねじ切って、ずるりと引っ付いてきた脊椎をまたもや砕いてエネルギーを吸収した。


 あっという間だった。一分もかかってない。ゲリラ豪雨みたいだ。


 床も、新品の白くて弾力のありそうなベッドも、オレンジ色の飛沫が付着している。ふだん見慣れた家具なせいか、一階のときよりも生々しい凄惨さを感じる。


「おー」と僕は言った。「おー」と言うことしかできなかった。


 トォタリさんは血飛沫が付着していないベッドまで行くと、敷いてあった新品のタオルケットでからだを軽くふいてその身を横たえた。ふう、とため息をつく。呼吸をするたびに、山のような胸が上下する。30秒ほどずっとそのままでいた。


 ――と思ったらがばっと身を起こして「んだよー! 水ぐらい持ってきてくれたっていいだろー!」とむくれた顔で抗議する。


「えぇ……知りませんよう」


「気の利かねえやつだなー」とぶーぶー言いながらすたすたとどこかへ歩いて行き、両手に新品の低反発まくらを持って戻ってきたと思ったら「えいえい」とこちらに投げてきた。くるくると縦に回転するまくらが、ぼふりと顔にあたる。


「なんなんですかー」


 僕もまくらを手にしてえいっと投げるが、どこか明後日の方向へと飛んでいってしまう。


「へったくそ!」


 もうひとつのまくらを手にして彼女に投擲する。それも明後日の方向に飛んでいく。


 それを見届けた彼女は呆れ果て「まあいいや、次行こ」と言った。


「もうめんどくせえや、いい感じにゲージ溜まったし、じゃんじゃん済ませっぞ」

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