2-15

 相変わらずわずかな眼窩と鼻と口があるだけで顔らしい顔がない人形が、からだをぐにゃぐにゃと動かしながら、白い冷気のベールがかかる平型ショーケースをのぞきこんでいる。


 人形の動きにどこか既視感をおぼえていたけれど、あれだ、ゲームで物理エンジンがバグってモーションがおかしくなったNPCの挙動にそっくりだ。


 シュールな光景を更に奇妙にするかのように、店内有線放送ではJ-POPがのんきに流れていた。誰だろう。2000年代前半の倉木麻衣っぽい。


「あの人形って、結局なんなんですか」


「見回りだよ。ホショー、ホショー」


 あんな変な動きで歩哨ほしょうが務まるんだろうか。そのうえ、


「その割にはなんか、守るつもりがあるのかないのかわかんないですし、なんか全体的に、雑」


「わけわかんない連中がなに考えてるかなんて、考えたとこでわかんねえよ。人間とっ捕まえてナニしようとしてんのかも細かいことはよくわかんねえんだし。ニワトリが親子丼のことを想像できんのか? ウシがすき焼きのことを想像できんのか? なんだよ、煮られたうえに卵にひたして食べられるって」


 人間は人間なりの想像力があるから多少はできるんじゃないんですかと返しそうになったけれど、話がややこしくなりそうなのでやめた。それに、常識外のことは起こるものだし。宇宙では。


「とりま一旦気ぃそらすから、その隙にあーしはあっちまで行く。裏から襲う。キルキルはここで適当に陽動」


 いい? と尋ねられて僕はうなずく。もし見つかったら互いに死なない程度にあとは流れで。またそうなりそうだなと思いつつも、僕は再度うなずく。


 トォタリさんは飲みかけだった深緑色の小さな瓶を振りかぶると、人形の後ろにずらっと並んだ生鮮食品のチルド棚に思い切り放り投げた。戦いのまえぶれを知らせる破壊音とともに瓶が割れ、そっちの方向に人形が素早く振り向いた。反応は早い。


 頭を下げて中腰の姿勢で、調理器具売り場から持ってきた真新しい包丁を持ちトォタリさんは素早く動く。冷凍食品用平型ショーケースの陰に、スライディング気味につるつると滑り込んだ。


 目が合う。トォタリさんは頬に張り付いた髪の毛を引きはがすとウィンクをし、口をぱくぱくと動かしながらなにやらジェスチャーをしはじめる。読唇術のおぼえはないけれど「もう一回なんか投げて気ぃそらして」ということを伝えたいらしかった。僕は親指を立ててわかりましたと口を動かす。トォタリさんもサムズアップをした。


 僕はブラックアウトの空き缶を持って、投げる。学校の体力測定ではハンドボールの記録が滅法悪い僕だけれど――だって、ボールってどうやって投げたらいいかわからなくない? みんなどこでそれを習ってきたんだ? キャッチボールなんて親とも友達ともしたことないぞ――今回は上手いこと狙った場所に投げ入れることができた。小さくガッツポーズ。


 こちらに背を向けていた人形が、音の方角に向けて首だけ右を向く。空き缶を視認したのか、からだも右に向けた。顔や胴体の機械的な動きとは対照的に、陸に這い出てしまったミミズのように四肢が絶えず動いている。着用したエプロンはめくれまくってそれ自体も一種の生命体のようだった。


 トォタリさんに向かってOKのハンドサインをおくる。彼女はショーケースに身をぴたりとつけたまま素早く動いてケースの角を曲がり、そして――


 缶を拾おうとする人形へと獅子のように突進し、球体関節が垣間見える右肩に包丁を深く突き立てる。柄を両手でしっかりと握って外側に力を込め、一気に腕をとばした。


 右腕はくるくると回転しながらどこかへと飛んでいき、がしゃんとなにかを割った。


 一拍遅れてオレンジ色の体液がスプリンクラーのように噴き出した。僕はそれを見て、ポンジュースをスプリンクラーから撒いたらこうなるのかなとぼんやり思う。


 冷凍食品やリノリウムの床に蛍光色の鮮血がふりかかる。


 四肢をめちゃめちゃに動かすことによって逆にバランスを取っていたらしい人形が左側に大きくよろめく。


 トォタリさんはオレンジ色に染まった顔を大きく歪ませて、左肩の関節にも包丁を突き立てる。左腕も胴体からもごうと柄に力を込めようとする。


「――――ッ!?」


 ――が、そこでミミズのようにのたうっていた左腕が彼女の鎖骨を強打する。安物の包丁が落ちて、からから回転しながら床を滑っていく。両者ともバランスを崩す。


 僕は近くに放っておいたフライパンを持って、隠れていた棚から駆け出した。


 人形の首は真後ろ――トォタリさんを向く。なにもない眼窩の表面に光点が収束しはじめた。


 人形は無機的なガイド音声を高速で発していた。


「申請中、申請中、申請中、申請中、申請中、申請中、申請中、」光点が輝きを増していく。「請中、申請中、申――受理。店内、A-4、番、使用可能、です」


「まっず!」僕は小さく叫ぶとフライパンを振りかぶって咄嗟に投げた。


 フライパンは想定していた軌道を大きく逸れ、縦に回転して人形の頭を微かにこすると、棚にきっちり陳列された生鮮食品たちに突っ込んで群れを大きく乱した。


 人形の首が瞬時に僕へと向く。光点がひときわおおきな光をはなつ。


 本能的に危険を察知した。ひゅっと息を呑んで素早く身をかがめるのと、トォタリさんの腕がやつの首を絞め上げるのはほぼ同時だった。首が――射線がやや斜め上を向く。


 キン――――


 甲高い音と同時に破壊の閃光がアルコールの常温棚を貫き、蛍光灯を蒸発させる。売り場がやや暗くなる。ピンポン球の直径と同程度だろうか、高エネルギーのはしった痕跡が射線上には残されていた。棚にずらりと陳列されていたウィスキーの瓶は熱でぶくぶくとふくれあがり、赤ワインの瓶はぽっかりと穴を空け、そこから中身を思い切り垂れ流していた。棚自体も高熱を帯びてしまい、滝のように流れていく赤ワインや白ワインたちから湯気を立たせている。反対側に陳列されていたビールの箱が破裂した。ここから急いで逃げろとばかりに、缶ビールたちが泡を噴出させ、死へと向かう儚い飛翔を行っては無惨に転がっていく。


「だらああああああああっっ!!」


 トォタリさんの咆哮で僕は我に返り、急いで立ち上がる。


 彼女は全身の力を込め、人形の首を絞め上げていた。髪の毛を振りみだし、鬼のような形相で人形の首を己のからだに引き寄せる。人形はじたばたともがく。


 首にあてがったトォタリさんの右腕にピシッと亀裂がはしり、隙間から凶悪な刃たちがじゃきんと現れた。チェンソーが腕の上を走り始め、人形の首をがりがりと削っていく。


 僕は通路を小走りで横切る。さっきまでトォタリさんが隠れていた冷凍食品のショーケース内には、業務用と思しき鶏ガラや鶏ムネ肉の塊が積み上がっていた。僕はスチロールトレーに載せられラップでパッキングされたムネ肉の塊を手に取る。2kgはあるだろう。ずしりと手に馴染んだ。


 人形はよりいっそう、残された腕や脚を振り回す。トォタリさんは抑えきれないようで、時折からだが飛ばされそうだった。


「コメリさまだ! コメリさまを信じろ!」


 トォタリさんが咆える。その鬼気迫る表情に僕は気圧されながらも、強くうなずく。肉塊を両手で持ち、人形へとずんずん歩を進め、息を整えて、その白くてつるりとした頭に肉を振り下ろした。


 硬いものと硬いものがぶつかり合う衝撃が手のひらの肉をとおして腕の骨に伝わり、更に肩へと響く。僕はふたたび塊肉を振り上げる。トレーを覆っていたラップを突き破って肉をじかに持つ。冷凍されていた肉の表面は滑りやすいので、しっかりと指先に力を入れる。指先の圧迫感で爪が痛くなる。冷気で指の腹と肉を工業的に多重に覆うラップとがひっつく。振りかぶって塊肉を振り下ろす。スチロール製のトレーがぱきりと折れる。鈍い音が響いて肉が直撃する。がつ、がつ、というくぐもった音と人形の硬質素材が削れていく音が奇妙に混じり合う。


 人形は僕が頭を殴るたびに奇妙な声を漏らし、残された三肢を跳ね上げた。


 削られつづける首からオレンジ色の鮮血がほとばしる。硬い頭蓋が陥没していく。僕は無心で肉を振り下ろしつづける。


 ああ――これは、そうだ。店内の有線でかかってるのは倉木麻衣じゃない。ガーネットクロウだ。たぶんそうだ。絶対にそうだ。脳裏ではそんなことをぼんやり思う。


「もういい」


 トォタリさんの低い声で僕は動きを止める。人形はもう動かなくなっていた。トォタリさんが最後の仕上げとばかりに頭を両手で掴んで勢いよくねじってもいだ。エネルギーを備蓄した脊椎を奪うためだ。


 気がついたら、僕らは同じ色に染まっていた。


 僕は肉を取り落とす。リノリウムの床に、ぱきっというスチロールが割れる音と、ごんという音を同時に奏でて塊肉が転がる。


 両手を見る。体温で溶けかけラップから滲み出た赤い肉汁と、オレンジ色の血が混ざり合って、毒々しいマーヴル柄が手のひらに描かれていた。痛みと冷えた温度でじんじんとする。


 安堵なのか、それとも興奮のせいか、暴力という行いに対する恐怖のせいか、また震えがやってくる。ぶるぶると腕が勝手に動き、腰が砕けてその場にへたり込んだ。ハァッ、ハァッ、ハァッ、と喘ぐような呼吸が止まらない。


 ばぎりと脊椎を片手で砕いて、トォタリさんはエネルギーを吸収する。


 彼女は首と脊椎を放り、人形の亡骸を跨いで僕の目の前にやってくると、しゃがむ。どこかガソリンを思わせる人形の体液のにおいにまじって、トォタリさんの甘い香りが鼻先を支配する。


 彼女は羽織ったネルシャツでオレンジ色にまみれた自分の手のひらを拭き取ると、顔中に張り付いた髪の毛をかき分けて髪型をささっと整えた。


「――ん」


 そして、その両手で僕の両手首をそっと握ってくる。あまり力を入れず親指を動脈にあてがってくる。早鐘を打つ僕の脈動が、彼女の指の腹を勢いよく押し上げる。


 茶色い瞳を僕に向ける。僕もその目を見る。互いにそっと見つめ合った。


「――――」


「ハァッ……ハァッ……ハァッ……」


 胸の鼓動がだんだんと、とくん、とくん、と落ち着いてきた。トォタリさんは親指で小さな弧を描いて、手首の脈を労るようになでる。ゆっくりと深く息を吸って、ゆっくりと吐き出すよう僕に促す。深呼吸を繰り返す。僕と彼女の鼓動が重なったように、一瞬だけ感じられた。


「落ち着いてきたっしょ」彼女ははにかむ。


 僕はこくこくとうなずいた。


 手首からゆっくりと、細い指がはなれていく。僕はスラックスに押し付けて、手のひらをぬぐった。血はかすかに残っているけれど、消えた。




 一階はこれでクリアだ。だけど全部終わりじゃない。二階がまだあるし、まだ四体の人形がいる。


 店内放送が一旦中断し、録音されたお買い得品情報が流れてきた。


 チルド棚に突っ込んで生鮮食品たちをめちゃめちゃにした、僕が投げたフライパンは、鮭の切り身やマグロの刺身用パック――その他イワシやアジにまみれて、そのテフロン加工されたからだをバカンス気分で冷やしていた。


 ほかの武器を探そう。武器になるものならたくさんある。だってここはドン・キホーテなんだから――。


「行くけ」


「ええ――、行きましょう」


 トォタリさんは気合を入れるように、右肩をぐるりと回す。


 僕らはエスカレーターへと歩を進める。次のステージへと上昇する。

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