2-9
「え、先輩は来ないんですか」
そりゃそうだよと先輩は言う。トイザらスを背にして立つ彼女は店舗から発せられる光を受けて、どことなくぼうっと後光が差していた。
それちょーだいと僕の学生鞄と引き換えに、はい、とトォタリさんがヘルメットを渡してきた。学生鞄はトランクルームに押し込められた。
彼女のアッシュカラーの髪も光を浴びて、シルクのようにきらめく。
初夏の夕暮れと夜のあいだの灰色の空が、ふたりのシルエットを印象深いものにしていた。
「しゃあねえでしょ、ふたり用なんだし。ミッションも、バイクも」
トォタリさんはヘルメットをかぶり、バイクにまたがって僕を待つ。
正直な話、僕とトォタリさんはそこまで仲が良くない。仲が良くないというより、親交が深くないといったほうが適切かもしれない。よくつるむ小さなグループの友人ではあるけれど、ふたりきりで遊ぶことは全然ないし、ふたりきりになったとき会話が一気に途絶えてしまうような、そういうよくある関係だった。
あと単純に、僕がトォタリさんに対して多少ビビってしまっているというのもある。クラスの女子に全然話しかけられない、無駄な自意識の塊のような僕にとって、少し年上でギャルのようなヤンキーのようなトォタリさんはまったくもって未知の存在だった。今日ある程度知らない一面が知れたからといって、どう接していいかわからなかった。
先輩は不安そうな僕の気持ちを見透かしたか、こそこそと耳打ちをしてくる。
「まあ、そう不安がることもないさ。彼女だって〈王さま〉だぜ? 合う話もあるだろうさ。良い子だよ、テンちゃんは。――それに、ここでポイント稼いだりした方がいいだろ?」
ポイント? なんの話?
「わかってんだろー、自分が女の子に囲まれてることぐらい」先輩はにたにたと笑う。
いや、トォタリさんに限ってそれはないでしょ。そう僕が思ったと同時に、先輩はいきなり抱きついてきた。今日二回目だ。
細いのに柔軟な肉体が、僕のあばらを圧迫する。
「ほら、きみも。セーブしときなよ」
僕は言われたとおり先輩の背に腕をまわして、そっとハグする。ハイネックのすべすべとした感触と艶やかな髪の毛が僕の頬や首筋をくすぐる。どこか、暑い日の浜辺を思わせるにおいがした。汗のにおいだろうか。
――この方が記憶に残りやすいだろ?
かつて先輩はそう
この全時空規模のゲームにおけるセーブの仕組みも――まあ、時空を渡る方法と同じで正直な話かなり感覚的だった。わかりやすくテレビゲームで例えると、自動で行われる「オートセーブ」と手動で行う「マニュアルセーブ」が混在しているようなものだった。
オートセーブはミッションが開始される前とかちょうどいいところ――要はシステム側があらかじめ決めているらしいチェックポイントで記録される。死んだらそのチェックポイントまで時間をさかのぼってやり直しになる。
マニュアルセーブの場合は好きなときにセーブができる。そして好きなときにこのデータをロードできるらしいと聞いている。「できるらしい」「聞いている」と表現しているのは、僕がこの方法でセーブしたデータをロードしたことがないからだ。そしておそらく、ほかの〈王さま〉も同じだと思う。
〈王さま〉同士で陣取り合戦をしてスコアを競い合い、ランキングを争うのが、このゲームのメインコンテンツだ。
僕らは過去にも未来にも行けるけれど、言ってしまえばそれは時間の流れる方向? とか、時間軸? とかが違う並行世界のようなものなので、ゆるやかな時間の流れみたいなおおまかなものは存在しているらしい。正直、全然理解していないけれど。
そんなゲームで自分が記録した好きな時間と好きな場所にタイムリープしたら、もうめちゃくちゃになってしまうだろう。
誰も彼もがメタ戦法を張って地獄みたいになるはずだ。
宇宙は分裂しまくってやがてぎゅうぎゅう詰めになってぜんぶ窒息するだろう。
なので、本ゲームにおけるマニュアルセーブは一種の願掛けや思い出づくりのようなものだった。祈りと言ってもいいかもしれない。
そういう感じ……らしい。だいたいのことは。ほとんど不確定な情報だけれど。はい、曖昧な長い話おわり。
「えろいふいんきだしてんじゃねーよころすぞ」とイラついた声が聞こえ、僕は「ひゃいっ」と変な声を出して姿勢を正しくする。
サイドミラーに映り込んだトォタリさんの不機嫌な顔が見えた。
「テンちゃんも本日二度目のセーブ、するかい?」先輩は臆することなく尋ね、それを受けてトォタリさんは「ばーかばーか、しねーよ」と顔を背けた。その仕草と声色にどこか恥じらいを隠すようなものを感じたけれど、気のせいだろうか。
僕もヘルメットを被ってリアシートに跨った。さっき先輩とセーブしたばかりなのにトォタリさんのおなかに腕を回すのはなんだか気が引けて、僕はタンデムバーをしっかりと握る。
「それでは、グッドラック!」
そう健闘を祈り先輩が親指を立てるので、僕も親指を立てる。トォタリさんも「おー」と親指を立てた。
バイクはトイザらスの敷地を抜けて国道に滑り込む。駐車場に立ったままの先輩が手を振っているので、僕も振り返す。
やがてトイザらスは遠ざかり、見えなくなる。前を向くと、僕の知らない国道の景色がつぎつぎと視界を流れていく。名前は知っているけれど一度も入ったことのない、郊外型の大きなラーメンチェーン店が赤い看板を光らせている。山田うどんのポールサインに描かれたマスコットキャラクターのかかしくんが、道行く車たちをじっと笑顔で眺めている。2km先にある大型リサイクルショップの看板が、高価買取を高らかに謳っている。
ほんの少しだけ、地平線の向こう側の空は群青色だけれど、夜闇がとっぷりとあたりを包んでいた。
僕が着ている半袖のワイシャツに風が吹き込んで、汗でべとついたからだと腋の下を爽快に通り抜けていく。耳元で風切り音がびゅうびゅうと鳴る。自転車に乗っているときとはぜんぜん違う気持ちよさを僕は感じていた。
「キルキル、いいもん見せてやんよ」
トォタリさんは風切り音に負けないぐらい大きな声で言うと、ハンドルにあるスイッチを親指でパチンと弾く。
次の瞬間、白くて大きな車体がエメラルドグリーンに輝き出した――車体に仕込まれたLEDライトの電飾だ。
まるで黒いアスファルトに己の存在を刻み込むように、ボディ下部に仕込まれたLEDはまっすぐな光を発しつづける。
こういう改造をしたスクーターやバイクを見たことはもちろんあったけれど、僕はいつも「うわ、なんだかヤンキーっぽくってださいなあ」だなんて思っていた。でもそれは外から見ているからそう見えていたのであって、実際に走る側になってみると、これは自分が特別になったようなそんな気分に浸れた。
つまり、最高だった。
「あはははは! すげえ! 光ってる!」
僕は大きな声で笑い、リアシートをばんばん叩いた。バイクの疾走感と緑色の光のせいか、自分でもびっくりするくらいテンションが上っていた。
「バイクもいいもんだろ~」
トォタリさんが笑顔で尋ねるので僕は大きな声で「最高っすねっ」と言う。その気持ちに嘘偽りはなかった。
「もっと楽しくしてやるよ」と彼女は言うと手元でなにかを操作する。ボディに内蔵されたスピーカーたちがウーファーを効かせてビートを刻みはじめる。アシッド・ハウスがふたりのからだを、腹の底を震わせる。
「そろそろ突破すんぞ」
エンジンが唸って車体は更に加速する。タイヤとフレーム、それから合皮のシートを伝わって、アスファルトの滑り心地が身にしみる。
視界を流れていく国道沿いの店舗の光も街路灯も車たちのテールランプもぐにゃぐにゃの線になる。
大きなガラスを割ったような大きな衝撃とともに、アヒルのくちばしのように突き出たバイクの先端が、なにもない虚空を突き破って次元の壁を砕き割る。
時空と時空のはざまに入った瞬間、僕は落ちないようにトォタリさんのおなかに腕を回して必死でしがみつく。
音楽は鳴りつづいている。そのビートがトォタリさんの小麦色の肌を――その下にある肉体も骨も震わせているのを、僕は感じた。
時空のはざまは真っ暗で海底のようでもあったし、もっと感覚的なたとえをすると、さらさらとした泥のような暗黒物質で満たされた巨大な倉庫のように思えた。
ここには上も下もない。だから気を抜くと“ひたすら堕ちていく”はめになる。
ミラーボールから発せられたような色とりどりの光点が宙空にきらきらと散らばっている。それは満点の星空の綺麗さとはまた違って、深い海の底の恐ろしさがちょっと感じられるような、そんな美しさだった。
そんななかを、僕らが乗るアヒルみたいな白いバイクは、緑色に輝きながら我が物顔で突き進んでいった。
くちばしがまたも次元の壁を破る。
国道沿いの街路灯の光が、はざまの暗黒に慣れ始めた僕の網膜を少し焼く。
トォタリさんはふうと一息つくと、スピードを徐々に緩め、左折してとある店舗の駐車場に進入した。
この店舗はさっき、ガレージの中に置かれていたミニチュアセットで見たものにそっくりだった。
シックな色合いの外壁に、白いアルファベットのネオンサイン、見慣れたセイレーンのロゴマーク――スターバックスだ。
駐車し、エンジンを止めて、僕らは降りる。
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