2-8

 生産ラインから離れて、トォタリさんと僕と先輩は巨大な棚の近くにぽつんと建っているガレージに向かった。


 ガレージのなかには、四方2メートルほどの巨大な木製テーブルが置いてあり、そのうえには――


「ジオラマ?」


 どこかの国道とその周囲を模したジオラマが広がっていた。小さな国道を、幽霊のように透き通った車が走っていく。トォタリさんによると、リアルタイムで立体投影された映像だという。


 ジオラマの縮尺は大きめだった。贈答用のクッキー缶ほどはあるスターバックスの屋根を、トォタリさんは取り外してみせる。店舗内には、人々が座って思い思いのことをしている。本を読む人、談笑する人、マックブックで作業をする人――それらも幽霊のようにぼんやりしていた。これが立体投影だと示すように、ブラウン管テレビで映し出された映像のような細かい走査線がはしっていた。


「ちょ、持ってて」


 トォタリさんがスタバの屋根を渡してくるので僕は両手でそれを持つ。しっかりとしていて出来のいいジオラマだった。本当のコンクリートみたいなざらついた手触りだけれど軽い。どんな素材なんだろうか。


 トォタリさんが指をさすとメニューウィンドウが空中に表示される。新しいメニューでも試してみるか。そんなことをつぶやきながら彼女は選択し、決定していく。

《新規メニュー実装中》とシステム音声の声がどこからか聞こえる。


 炊井戸タクイド先輩が小さなプラモの箱を持ってやってきた。スターバックスの黒いエプロンを着た店員たちが、まるでミリタリーキットの歩兵のような渋い絵柄で描かれていた。


「ベテラン店員バリスタも配置してみれば?」


「んー。まあやってみっか」


 うんと頷いて先輩が箱を開ける。なかには、塗装された店員さんたちが五人ほど寝転がっていた。各々がいろんなポーズをとっている。トォタリさんはベテラン男性店員のプラスチックモデルを取り出すが、しげしげと見つめ「塗装が甘いな」とだけ言うと、ガレージ奥にある作業机へ足早に向かって行った。


「あのお……」僕は先輩に尋ねる。「今やってる作業、なんですか?」


「うん? きみは〈ロードサイド・ウォリアー〉なのに知らないのか?」


「ええ、まあ。……えっ?」


「〈君臨号りんちゃん〉からはなにも聞いてないのかい? あいつ、案内役だろ」


 カセットテープを通じて召喚できるあの曖昧な犬――〈君臨号〉は、このゲームにおける僕にとっての案内役だった。文字通り道案内役でもあるし、このゲームそのものの説明役でもあった。でもあいつはわざとなのか忘れているだけなのか、たまに重要なことを教えてくれない。


 あのわんこからは、これ、なにも聞いていないですよ、先輩。僕が答えると先輩は顎に指を添え、深く考え込むよう首を大きくひねる。


「ふむ……。ま、いいや。きみ、経営シミュレーションゲームってやるっけ。やんないんだっけ」


「『シムシティ』とか『ザ・コンビニ』とかですか?」


 そ、と先輩は首肯する。


「あまりそういうのは得意じゃなくて……」


「そうか。ぼくたち〈王さま〉は、その支配した場所から、わずかながら収益を得られるっていうのはきみも知ってるだろ」


「はい」どういう仕組みなのかよくわかってないけど。


「きみみたいな〈ロードサイド・ウォリアー〉は、つまり〈国道の王さま〉だろ。国道を支配する存在だ。そして同時に〈キャプテン・スーパーマーケット〉とか、あとファミレスとかブックオフとかの〈王さま〉であれば、国道沿いにあるこういったものを管理できるんだよ。新規開店したりして、まちづくりのシムみたいに。要はふたつのゲーム――というかRPGっぽく言えば、ふたつの〈クラス〉を掛け持ちすることによって解放される要素なんだ。そう聞いてるよ」


 見てごらんよと先輩がジオラマを顎でしゃくる。ミニチュアの店舗たちは国道沿いに建っているけれど、都心のオフィス街のように建物同士の間隔がやたらと狭く、窮屈に思えた。手前側は平屋タイプの店舗が奇妙に密集しているのに、奥には店舗があまりなく、空き地が広がっている。率直に言えばあまりにも人工的過ぎる奇妙な光景だった。確かにシミュレーションゲームでつくられた町を思わせる。


 野暮ったい作業机に向かっているトォタリさんに目をやった。背中を丸めて、細い筆でフィギュアを細かく塗装している。作業机にはいくつものキットの箱やタミヤカラーらしき瓶が積み重ねられ、並んでいる。


 僕はなんだか突然こわくなってきた。


 トォタリさんはさっき、このジオラマ上に立体投影された車や人びとがリアルタイムだと言っていた。ということは、このロードサイドはいままさにどこかに存在しているということで、そこで憩う人びともそこで生まれるよろこびやかなしみや人間関係とか経済状況とかも、指先でいじれば影響を及ぼせるということなんだろう。


 両手で抱えたスタバの屋根パーツが、ずっしりと重みを増したように錯覚してしまう。指先のざらついた感触が妙に生々しい。


 頭頂部――つむじあたりにじっとりとした重たい視線を感じる。


 ある考えにふと取り憑かれて、僕はガレージの天井を見上げた。停止した生産ラインで静かに眠る建物たちを横目で見て、ジオラマにもう一度目をやる。


 僕の世界も、誰かが趣味でつくったジオラマなのか――?


「え、こわ。なに、虚ろな目でぼーっとして」


 トォタリさんが僕を横目に通り過ぎ、スタバの黒エプロン店員プラモを先輩に見せた。


「いいね」と先輩は褒める。「さっきより個性が出てる」


「どーよ」と言って僕にも見せてくる。


 確かに、さっきまではふつうに塗装された程度だったけれど、若々しい黒髪に艶が増し、微笑んだ口元からのぞく白く輝く歯は、爽やかな好青年といった印象を与える。黒エプロンにはスマイルマークの缶バッジが描き加えられていた。


「生き生きとしてますね」


「だしょ?」


 トォタリさんは微笑むと、黒エプロンをスタバの店舗上空にかざす。黒エプロンはさらさらとした粒子になり宙空へ消えた。ベテランユニット配属完了――システム音声が告げるのを聞くと、トォタリさんは僕から屋根を受け取って元の位置にはめた。


「じゃあ、買い物して乗り込みに行くぞ」

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