2-10

「なんか飲む? 奢るよ」


 トォタリさんは僕に尋ねるけれど、僕はあいにくコーヒーが苦手だった。そしてスタバにもぜんぜん行かないので、具体的なメニューは知らなかった。


「スタバって、なにがあるんですか?」


 僕の問いに彼女は、んー、と少し考えると、


「ラテ、エスプレッソ、カプチーノ、フラペチーノ、フレーバー・ティー、強めのショット、追加ホイップクリーム、ドーナツ、スコーン、サンドイッチ、サラダラップ、茶色いスリーブにくるまれた真っ白なペーパーカップ、国ごと都市ごと地域ごとシーズンごとの限定タンブラーと、それからパック詰めされたいろんなコーヒー豆、いい感じのテーブルにいい感じのチェアー、カウチ、硬質材の床、似たような恰好をしてノートパソコンいじってる客、理想の自分になれるかもしれないっていう雰囲気とブランド力、緑のエプロンと黒いエプロンのバリスタたち、あとそれからおまじないと……グローバル経済?」


 と早口ぎみに答えた。


 店頭には立て看板があり、そこには新メニューが書いてあった。ダークモカミントというフラペチーノが、いまの季節限定の新メニューらしい。


「これがさっきガレージで追加してた新メニューですか?」


「そだよ。これ、イケてると思うんだよねえ」


 自動ドアがゆっくりと開いて僕らを迎え入れる。


 内装は、ほかのスターバックスと変わらない。


 品格があり、空調がしっかりと効いた、落ち着いたつくりの店内。淹れたてのコーヒーのにおいがする。ここが日本のどこなのかは知らないけれど、東京に住む僕の近所にある店ともそう変わりはないし、おそらく香港のスタバともシカゴのスタバともアイルランドのスタバとも、あと――まあ、とにかくどこかの国の空港のなかにあるスタバとも、そう大きな変わりはないのだろう。


 時間と空間の距離が一気になくなったかのようだった。この感触は知っている。この感覚にはおぼえがある。これは僕たち〈王さま〉が大好きなものだ。どこに行っても同じものが見られて、同じサービスを受けられるという安心感。


「あーし、キルキルより年上じゃん? 住んでる時代も10年ぐらい前じゃん? まー、あんたの住んでる時代ではどうなのか知んないけどさあ――スタバ、憧れだったんだよ。すくなくともあーしにとっては、な」


 トォタリさんは身をかがめ、どこか――たぶん南米産のコーヒー豆のパックがぎっしりと詰まった茶色いバスケットや、陳列されたステンレス製のタンブラーを眺めていた。


「あーしが住んでる田舎、むかし馴染みの喫茶店ぐらいしかないんだよ。ほかに競合する店がないせいか500円でまずいコーヒーを出すような店――べつに、それが嫌いってわけじゃない。潰れれば? って思うけど、そこで育ったからね。その味であーしらはできてるからね。だから、正直こういう力が手に入って嬉しいっていうかさ――いや、複雑な気分もあっけど――まあ、そんな感じ。キルキルは? どう? ……って、あんたは近所にスタバあるのか。スタバ好き? っていうかあんまスタバ来たことないんだっけ。スターバックスは、まあ、こういうところだよ。さっきチラッと言ったけど、ここっておしゃれでいいだろ。たとえばさあ、あーしがふつうの自販機で売ってる缶コーヒー片手に持ってても、それはなんかふつうにヤンキー寄りのギャル? ワイルド? って感じじゃん? まあそれでもいいんだけど、でもスタバのカップ――あそこにいる人が飲んでるようなホット用の真っ白な紙のやつとか、あそこの角っこのソファ座ってる人が飲んでるフラペチーノ用の透明なプラスチックのやつ――を持ってたらさ、おしゃれで都会的? な感じがするっしょ。品格とかさ、ありそうじゃん。頭良さげな感じとか、出るじゃん。だから――というか、まあ、だから、みんなスターバックスに来るらしい。要はコーヒーもファッションだってこと。思想とか政治的なものの表明――ファッションも、なにを選んでなにを食べるかっていうのも。世界中の人たちがスターバックスにそういうものを求めに来てるってこと。

 そういうものもぜんぶ、企業がつくりあげたもんなんだけどね。

 人類の宿命? ってやつ?

 あーしら〈王さま〉ってそういうのにってことじゃん。これってどういうことなんだろうねって、考えない?

 ま、いいや。むずかしい話は。

 あー、このダークモカミント、ラテでください。そう、ラテ。そう、ホット。あ、あとそれから――」


 レジカウンターににこやかな笑顔で立っている黒いエプロンの青年に向かって、トォタリさんはエスプレッソショットがどうとかチョコレートチップがどうとか追加のクリームがどうとかローファットミルクがどうとか、そういった呪文のような言葉の連なりを高速でまくしたてた。黒エプロンはその呪文を一発で理解したらしく、白い歯を見せながら頷くと金額を言う。


「あ、ちょい待ってください。キルキルはなにが飲みたい?」


 僕はメニューを見るが、正直、種類がありすぎてよくわからない。唯一知っているメニューであるキャラメルフラペチーノを頼む。


「サイズはいかがなさいますか?」


 トールがふつうのサイズ――つまりMサイズらしいので、僕は「あ、じゃあトールで」とたどたどしく言う。


 トォタリさんが「あ、じゃあそのフラペチーノに――クリーム好き?」僕は首肯する。「クリーム増量で~」と必要最小限の追加をする。


「あ、すみません、ほかになにかおすすめとかありますか?」


 尋ねると黒エプロンはそうですねえと腕を組み、チョコチップを入れるといいですよとかそういうことをおすすめしてくれるので、「じゃあそれでお願いします」と初心者丸出しで僕は伝えた。


 かしこまりました。黒エプロンはまたもや爽やかに微笑む。よく見ると、そのエプロンにはスマイルマークの缶バッジが貼り付けてあった。


「で、これがお呪い」料金を支払い、トォタリさんは受け渡しカウンターにもたれかかって「どうよ」といった表情で言う。


「おまじない?」


 僕が首を傾げると、トォタリさんはアブラカタブラ~とおどけながら適当に手をひらひらさせた。その仕草がかわいくもおかしくもあって、僕はくすりと笑う。


「ああ、たしかに呪文みたいでした」


「コードはあらゆるものに存在してんだよ。さっきのトイザらスのパスワードは例外的なもんだけど、コードはそこらへんにある。普遍的ってやつ? それでもってそれはルールのなかで動く。コード! 便利! サイコー! ……そう、それはあれ、吉野家や松屋でいう『つゆだく』や『ネギ抜き』、サブウェイの『野菜上限』、バーガーキングの『オールヘビー』――二郎系ラーメンでもあるよな、そういうの。こういうコードをおぼえておくと、得がある」


「コードですか」


 トォタリさんの話は(炊井戸タクイド先輩ほどではないとはいえ)つかみどころがなかったけれど、言わんとしていることはなんとなくつかめそうだった。ほんとうに、


「“王のことば”だってさ――そう言ってたよ、ヱイラは。まあ、こういう話はあいつのほうが詳しいんじゃない? あいつ、ぶっちゃけハッカーだろ。あいつは屋上から、ほかの〈王さま〉が支配するものに無理やり介入するんだし」


 そう言われて、僕は鋭く尖る銀色のハサミを思い出す。しょり、しょり、と色とりどりのケーブルを切っては、ヘアクリップでつなぎなおすさまを思い描いてみる。


 お待たせしました。黒エプロンがカウンターにカップをふたつ差し出す。僕らはそれをありがとうございます、ありがとー、と言いながら受け取った。透明なプラカップにはスマイルマークが黒いマジックペンで描かれていた。トォタリさんが受け取ったカップをくるむ、茶色いスリーブにも笑顔が浮かんでいる。


 別にここでゆっくりと会話をしながら飲むつもりはないらしい。彼女は片手にカップを持ち、モデル歩きでお尻を振り出口へと向かう。その後ろ姿は妙にサマになっていて、たしかに洒落ている感じがした。


 空調の効いた涼しい店内から外へ出る。初夏の湿度の高い夜の空気にからだを包まれる。うしろから店員さんたちの「ありがとうございました」の唱和が投げかけられる。これもコードなんだろうか。


 トォタリさんはペーパーカップの蓋を開けてふかく匂いをかぎ、緑や赤のシュガーミントがふりかけられ、溶けかけの白いホイップクリームに口をつけた。


「ん〜〜!」彼女は悶えるように鼻の奥で高い声を響かせる。


 僕もフラペチーノをひとくち飲む。甘く、そしてほろ苦いキャラメルの味わいと、細かく砕かれた氷つぶのざらりとしていつつも滑らかな食感、そしてところどころまじるチョコチップが舌のうえに広がる。冷たくておいしい。


 僕らはそのままバイクまで歩いていく。


「飲む? これまじでいいよ。鬼」


 トォタリさんはこの味をわかちあいたくてしょうがないといった表情で、僕にカップを差し出す。カップのふちには、ピンク色のリップのあとがついていた。艶かしいくちびるの痕跡にどきりとしてしまう。飲み口がひとつしかない、あの蓋がはまったままじゃなくて良かった……。間接キスを避けるために違う場所に口をつけて、ひとくち飲む。


 あまりにも濃いコーヒーの苦味が舌全体に広がり、そのあとからじんわりとミントの爽やかさがやってくる。確かに美味しいけれど、元からこういう味なのかカスタマイズをしまくった結果なのか、異様に味が濃い。甘いものや濃い味付けが好きとはいえ、僕がこれを全部飲みきることはできないだろう。それと、予想以上に熱かったので口内の上をちょっとだけ火傷してしまった。一瞬でしかめっ面になってしまう。


「あっはっはっは! すげえ顔! そんなに濃かった?」


「ひ、ひどぐちでいいでず……」


 トォタリさんはけらけらと笑って、僕の手からラテではなくキャラメルフラペチーノを「ひとくちちょーだい」と言いながら了承もなしに奪い取ると、緑色のストローをくわえてぢゅーっと吸い上げる。「んー」と感心したように声をあげ、ドーム状の透明な蓋をかぱりと取って、長いスプーンでキャラメルソースのかかったホイップクリームをすくってそれを食べた。


 ものすごい自然にやられたので僕は思考が追いつかず、まず、なにもこちらの答えを得ず勝手に「ひとくちちょーだい」したことにむっと腹を立てればいいのか、それとも間接キスというものに対して思春期の少年らしいどきどきとした気持ちをおぼえればいいのかわからず、混乱してまたもやラテに口をつけてしまった。


 濃い味に眉間がひそむ。大きなシャッター音が聞こえ、まぶしいフラッシュが顔にあてられる。


 トォタリさんは大きな声で笑いながら器用に後ろ歩きをして、二つ折りのガラケーについているカメラをこちらに向けていた。


「いやー、ふだんまじめそうなやつがこういう顔すんの面白いわー。あとでヱイラに送っとこ」などと言っている。


 僕が不満をあらわそうとしたら、彼女は有無を言わせないようにフラペチーノをずいと渡してきた。僕はそれをしぶしぶ受け取ると、ラテの白いカップを彼女に返す。


 緑色のストローにはピンク色のリップがついていた。これをこのままくわえたいかと訊かれたら僕は否定するだろうけど、正直くわえたい。でも同時にそれをやったら人としてどうなんだという気がするし、先輩の「むっつりすけべ」という声が、いま、耳のなかでこだましている。いや、でも、トォタリさんは間接キスとか特に気にせずストローをくわえてたんだし、これはふつうにやってしまってもいいんではないか。――え、いいのか? むしろこうやってあれやこれやと考えを巡らすことが――その自意識のなんやかんやがひどく気持ち悪いことなのではないか。


 ――と僕は無理やり結論づけて、ストローをくわえる。軽く火傷してひりひりとした口の上の薄い粘膜をいたわるように、キャラメルフラペチーノを吸い上げた。甘い。


「なーんか、顔、赤くね」


 バイクのドリンクホルダーにカップをおさめながら、トォタリさんは僕に尋ねる。僕は「そうですか?」とすっとぼける。まー、べつにどうでもいいけどさーと彼女は片眉を吊り上げていじわるそうに笑うと、そのカップもよこせと手を差し出してきた。フラペチーノのカップも、ホルダーにセットしてもらう。


 トォタリさんはなにもかもわざとやっていそうだけれど、それらに上手いことリアクションをしたり言葉でやりとりできるほどに、僕はトォタリさんとは親しくなかったし、どうコミュニケーションをとっていいのかわからなかった。僕はやっぱり、彼女にビビっていた。

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