2-6

 隠し扉の奥はくだり階段になっていた。人がふたりとおれるほどの広さ。トォタリさんが足を踏み入れるとポーンという音が鳴り、天井の照明がふっと自然に点灯した。内装は白を基調としていて、天井部分も手すりも基本的に流線形だった。


 ほこりっぽくない空間。どこかプラスチックや人びとのにおいがしたトイザらスとちがって、なんとも形容しがたい「においがしない」というにおいがした。そしてすこしひんやりとしていて、空気が乾燥している。さっきのポーンという音といい、飛行機のなかに似ていた。


 トォタリさんのあとをついて階段をくだっていく。後ろでずずずと扉が閉まっていく音がして、閂がかかるような重い音がかすかに響いた。僕は後ろを振り返る。後ろを歩く炊井戸タクイド先輩と階段通路があるだけで、おもちゃを物色するこどもたちの喧騒はもう聞こえてこない。


 一階ぶんほどくだっていくと楕円形のハッチがあった。ハッチに取り付けられた小さなレンズから、青緑色の微細な光線がちかちかと断続的に照射される。光線はトォタリさんの顔・網膜・胸の高さにあげられた両掌の静脈を読み取っていく。彼女の肌の上をちかちかと走る光線は、まるでからだのなかに隠された存在を彫り出そうとするようだった。


 照合が終わったトォタリさんのつぎに先輩が同様に照合を済ませる。「新規ゲストあり」とトォタリさんは言って、先輩とともに通路の脇に寄ると僕を招いた。


「ここ、立ってて。できるだけ目ぇ開けてて。我慢しろよ?」


 僕は戸惑いながらもスキャナーのまえに立つ。


「両手、まっすぐ開いて。あと、スキャナーんとこ向けて――うん、そう。胸の高さ。そうしないと読めないから。そう」


 トォタリさんが僕の手をとってレクチャーする。彼女の手はすべすべとしていた。肘を上げる際に、彼女の胸がちょっと当たった気がする。降参して参ったというポーズでいると、またもや光線が断続的に照射された。気のせいかわからないけど、ややちくちくする。


 不機嫌な蝉のようにジッ、ジッ、ジッ、と思考するような音をスキャナーが発しはじめる。答えを教えてくれないクイズ番組の司会者みたいでなんか嫌だった。五秒ほどそのままでいると、ポポーンと軽快な音を鳴らしてハッチが天井部へスライドした。


「スターウォーズとかスタートレックみたい」僕がつぶやくと、トォタリさんは「だしょ?」とはにかむ。


 ハッチの向こうにはさらに通路があった。ここも全体的に白く、床だけは磨き上げられたグレーだった。床に黄色い矢印が表示される。矢印はトォタリさんの足元から順番に通路の奥へと浮かび上がって、ゆっくりと点滅する。床そのものがディスプレイになっているようだ。矢印は通路奥、T字路を右に曲がるよう案内していた。


「で、宇宙人退治ってなんですか?」


 僕は床をニューバランスのスニーカーでキュッキュと鳴らしながら、ブーツをコツコツと鳴らして歩く彼女に尋ねた。


「退治は退治だよ。これに関しちゃチョクで見てもらったほうが早いけど、まだ準備があんだよ」


「はあ」


「やんなきゃいけないことがあんの。挑戦するまえにはな」


「テンちゃんは前準備に凝る方だからね」頭の後ろで手を組んだ先輩は言う。「髪の毛だってさっき染め直したばっかなんだ。気合い入れるぞーって。ほら」


 先輩が顎でしゃくるのでよく見る。確かに染めたばかりのような鮮やかさだなとは思っていたけれど、本当に染めたてだとは思わなかった。そこで僕はふと思い至る。


「……あ、ということは、さっき先輩が急用ができた~って言ってたのって――」僕は休憩スペースで突然先輩が退席したことを思い出す。


「そ。彼女からのお願いだったのさ。ま、きみにとってはついさっきのできごとだろうけど」


 通路を右に曲がるとまたもやハッチがあった。今回は承認がいらないようで、すぐに開く。


 なかの部屋は広く、そして円形だった。中央には直径2メートルほどの円卓があり、黒い表面が光をゆっくり放っている。よく見ると封筒のアイコンが表示されていた。


 円卓以外にはなんらかのコンソールパネルや端末が点在しており、舵輪だりんの付いたものもあった。あたりを見回せる大きな窓があるが、シャッターがかかっていて外の様子は見えない。見えたところで、地面の中に埋まっているのだから土しかないんだろうけれど。


 軍艦の艦橋ブリッジ――ぼくにはこの空間がそう見えたし、そして実際そうなんだろう。


《おかえりなさい。キャプテン》


 落ち着いた女性の声が、円卓のまえに立ったトォタリさんにかけられる。姿は見えない。制御システムとかの声だろうか。


 SFに出てくるような宇宙戦艦のブリッジに、いかにも繁華街を歩いていそうな服装をしたトォタリさんが腕を組んで立っているのはひどくアンバランスな光景だった。いかにも学校帰りですって恰好の僕も浮いている。学帽をかぶってセーラー服の先輩は妙に艦長っぽくて、場に合っていたように見えた。


「報告」


 トォタリさんが発すると、円卓に表示された封筒のアイコンが宙に浮かぶ。


 ずらっとメッセージが表示された。トォタリさんは空中にのばした手を高速で右へ左へスワイプして処理していく。


 そのうちの一件を指でタッチして、彼女は開封した。受信箱のウィンドウが小さくなり、代わりに別のウィンドウが開く。


 動画が再生された。


 かっちりとした制服を着込み、制帽をかぶった壮年の白人男性。左胸には勲章と、階級をあらわしているらしい色わけされたラインが輝いていた。深く刻まれた皺と、厳格な目元、そして姿勢の良い立ち姿――横で見ているだけの僕も思わず姿勢を正してしまいそうだった。きっと偉い人なんだろう。


《キャプテン・トォタリ、きみは――》


 男性がややためらいがちに話しはじめた瞬間に、トォタリさんはビデオメッセージを飛ばしてしまう。


「え、見なくていいんですか?」


「いいんだよ」トォタリさんは任務概要と書かれた画面を見ている。「もう見たから」


 任務を受領するか否かのチェックボックスに人差し指でまるをつける。ホログラムのメッセージを紙飛行機のように宙空で折って、円卓の中央へと飛ばした。紙飛行機がきらめく粒子になって消える。


 ジリリリリリリン――!


 けたたましいベルの音がブリッジ全体に響きわたり、沈黙していたオペレーション用の端末たちが勝手に動き出す。だがそこに座るはずの人員は誰もいない。


《戦闘態勢に移行します》とガイド音声が静かに告げた。


 トォタリさんはなにも言わずにさっきの通路へと歩き出す。


 僕は慌てて追いかける。ビデオメッセージをもう見たと彼女は言っていたけれど、受信箱には未開封のマークがついていた。そして、さっきの「僕を誘うまえに先輩を誘っていた」という発言。……おそらくこれは、彼女にとってはじめてじゃないんだろう。


 僕たち“場所”をめぐってあらゆる宇宙とあらゆる時間を行き来する〈王さま〉にとっては珍しいことじゃあない。


 未来に行くことも、過去に行くこともできる。それ以外にも、もしうっかり死んだときはやり直すこともできた。


 正直な話、まだ〈王さま〉になりたてな僕のふつうの感覚じゃ到底把握しきれない。先輩が休憩スペースから立ち去ったのは僕にとってはついさっきのできごとだけれど、先輩やトォタリさんにとってはそのあいだに髪の毛を染め直したり、そしておそらくふたりでミッションに挑戦している。


 いったいぜんたいどこでパラドックスが起きているのか、それとも起きないように都合のいい処理がされているのか、僕には皆目検討がつかなかった。もしかしたら、こういうのは無理に理解しなくてもいいのかもしれない。


「トォタリさん」


「んー?」彼女は喉の奥を鳴らして応答する。「何回目って?」


「あ、はい」


 もしかして僕が知らないだけで、この会話も彼女にとっては何度目かのものなのか?


「五回目……かな」


 トォタリさんはつむじあたりを掻く。


「そんなにむずかしいんですか」


「ふたりでの出撃が推奨されてんだよ。あーしならヨユーかと思ったけど、全然だったわ」


 振り向いて、バツの悪そうな顔をする。そのまま器用に後ろ歩きをしながら、彼女は話をつづける。


「結構きびしくってさあ、なにせ数が多いんだ。硬いし、頑丈だし、まじだりい。どっかで鍛えようと思ったけど、それも面倒だし――」


「ぼくらでもだめだとはね」先輩はやれやれと肩をすくめる。「やられちゃった」


 ふたりは軽々しく言うけれど、血まみれになってこと切れたトォタリさんと先輩を鮮明に想像してしまう。この場にはありもしない、鉄の臭いを嗅ぎとってしまう。


 生と死を大量消費している僕ら〈王さま〉だけれど、僕はそういう軽さに慣れそうになかったし、慣れるつもりもなかった。だけどゲームである以上、そのサイクルは必定だった。


「そこでちょうどヒマそうなあんたの出番ってわけ」


「あ、やっぱり僕も戦わなきゃいけないんですか?」


 僕の問いに彼女は鼻で「ふん」と笑う。


 トォタリさんは長さが整った爪先で僕の胸をつんつんと突いた。そういえば今日はあまりネイルが派手じゃない。戦いに行くからか?


「あんたは支援役サポート。別に戦わなくてもいい。あんたは〈キャプテン・スーパーマーケット〉じゃないだろ?」


 たしかに言うとおりだ。自分が支配した領地の上ではまあまあ不死身で、たとえ死んだとしてもセーブした箇所からやり直せる〈王さま〉だけれども、自分が参加していないゲームではふつうの人間かちょっと頑丈な人間と同じだ。


 先輩だって屋上にいるときは高速で飛べるし宇宙戦艦だって断ち斬れるけれど、屋上から出たらふつうの女の子だ。


「その、まえに聞いたときも思ったんですけど〈キャプテン・スーパーマーケット〉って――」


「映画だろ? 知ってるよ」


 僕はトォタリさんが後ろ手に組んでいる右腕にちらと目をやった。左腕と同じ健康的な小麦色をしているけれど、どこか色素が薄かった。よく目を凝らすと、タトゥーの除去跡のようなうっすらとしたラインがいくつか縦にはしっている。


「なにおっぱい見てんだよ」


 後ろ手のままもうすこしまえかがみになって、唇を尖らせて不機嫌そうに言う。胸の谷間に深い闇がより陰る。羽織ったシャツのボタンが胸の重みで突っ張り、横に伸びた皺で白と青のチェック柄が歪んでいた。シャツと地肌の間からは星条旗柄のビキニが垣間見え、自分こそがこの偉大な胸と地球の重力を支えているんだぞと主張していた。


「見てないです」僕はぷいっと目をそらした。


 目をそらした先には先輩がいて、手を口元に添えてハイエナのような意地悪な笑みをしていた。これはこの件であとあといじられるパターンだ。本人は意識していないだろうけれど「ぐひっ」という奇妙な引き笑いが漏れている。とてもこわい。


「ほんとうか~? ほんとうかな~?」


 トォタリさんはからかうように言うと、姿勢をもとに戻した。


「ま、いいや。えっとお……映画だっけ?」


「あっ、はい。です」


「ほら、宇宙って感じじゃん」トォタリさんは白い通路を指さしながら言う。「遠い宇宙の、どっかのだれかが映画オタクだったんだよ」


「どういうことですか?」


「もしくは偶然か。そういうこともあるってことだよ」と訳知り顔で先輩は言う。


「それか鶏と卵のやつっしょ? ってやつ」


 通路の脇にリフトのようなものがあった。トォタリさんがそれに乗るので、僕と先輩も同乗する。リフトはゆっくりとした速度でくだっていった。

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