2-5
僕たち〈王さま〉が参加する全時空規模の“場所”をめぐる陣取り合戦は、ゲームである以上かけもちが可能だった。
もしかすると、RPGでいう“
トォタリさん――
彼女の戦いとこれまでの物語の詳細はあまり知らないけれど、きっと今日、これから少しは知ることになるんだろう。
舗装されたアスファルトの黒い膜を突き破って、僕らはだだっ広い国道に飛び出た。
見たことあるようで、来たことのない場所。ロードサイドの景色だ。
着地した瞬間に大きな衝撃がからだにかかる。僕はよりトォタリさんを強く抱いてしまう。シャツ越しに早い鼓動が感じられる。
「そんな密着すんなよ。きもい」と彼女は多少とげとげしく素直に言った。
僕はすみませんと謝ると腕をほどいて身を離す。肩から斜めにかけていた学生鞄の位置を調整すると、リアシートについた
ほっとひと息ついて深呼吸をした。トォタリさんの甘い香りと、他の車からも発せられている排気ガスのにおいを感じる。肺いっぱいに初夏の夕暮れの空気を吸う。
全身で風を受け、感じ、僕の頭が次第にクリアになる。
――あれ、そういえばなんで僕が謝らなきゃいけないんだ。確かにいまのは強く抱きつきすぎたかもしれないけど、そもそもトォタリさんが急発進しなければ――いや、そもそもなんでこんなことになってるんだ。この数分間のうちに起きた出来事を整理するにつれて、ちょっとずつ腹が立ってきた。そんな僕をからかうように、トォタリさんのふんわりとした髪の毛が鼻先をこしょこしょとくすぐってくる。
――あれ、ノーヘルじゃん。
「ノーヘルじゃん!」僕は思わず大きな声を出してしまった。
「大丈夫だって。もう着くから。てか着いた」ほらと巨大な店舗を顎でしゃくる。
トイザらスだった。大きな看板のなかで、おなじみのキリンのキャラクターが笑顔で客を出迎えていた。
反転したアルファベットのR。
駐車場にまばらに駐車されたワンボックスカーや軽ワゴン車たち。
だだをこねて泣きながら出てくるこどもと、それを無理やり抱きかかえる若い母親。
大きなビニール袋からはみ出たレゴの箱――ミレニアム・ファルコンだ――を両腕で抱えるスーツ姿の男性。
――車体が傾いて、バイクはゆっくり駐車場に滑り込む。
ウルトラマンの怪獣のソフビ人形を振り回しながら、親のうしろについて駐車場を横断していく男の子。
なにがほしいのと尋ねられて、えっとね、なにがいいかなあ、とはにかみながら答える小学二年生ぐらいの女の子。
「うい、着いたよ~」
車体が停まる。目の前を流れていった光景もぴたりと静止する。トォタリさんの愛車はエンジンを停止させられ、静かになった。
ぎこちなくシートから降りるとき、バイクに乗るのもニケツするのもはじめてだったといまさら気がついた。
左手首のジーショックを確認する。時刻に変わりはなく、急に一時間二時間とんだりはしていなかった。財布に入れてあるクレジットカード状の物体を取り出す。表面はつるっとしていて幾何学模様が施されている。電卓みたいなモノクロ液晶画面がカードにはあって、そこに細かい数値が並んでいた――時空の座標だ。どうやら僕の世界とはちょっととなりぐらいの世界みたいだ。西暦はよく見ると2002年となっていた。
トォタリさんは編み上げブーツをこつんこつんと鳴らして入り口へ向かっていた。僕は早歩きでそれに追いつく。
「トォタリさん」
「んー?」彼女は喉の奥で返事しながら入店すると、慣れた手付きでトイザらスの大きなショッピングカートを手繰り寄せる。
「そろそろ説明を――」僕はつとめて冷静に、カッと感情的にならないようにして尋ねる。「――してほしいん、ですが……」
んー、と彼女は返事をしつつも、カートを押して棚と棚のあいだを進んでいく。
ある棚の前でカートを停めると、最下段にある大きな箱を両手で抱えてどんどんリノリウムの床に置いていった。黙々と作業をする彼女に僕は声をかけようか迷ってしまう。
かがんだ姿勢になったトォタリさんの背筋が目に入る。そのまま下に視線を移動させていくと、大きなお尻を包んだデニムホットパンツと腰の間に空いた隙間から、パンツ――いや、星条旗柄らしい水着がちらりと顔をのぞかせていた。
よくないよくない。誰にも咎められていないのに、わざとらしく強いまばたきをして目をそらす。
目をそらした先には、見慣れた黒い帽子頭があった。その人はスターウォーズのブリスターパック入りアクションフィギュアを手にとっては眺め、什器に戻している。
「……えっ先輩?」
帽子頭――炊井戸ヱイラ先輩は両手にブリスターパックを持ったまま振り返った。
「ああ、きみ。きみはジャンゴ・フェットとクローン・トルーパーのフィギュアだったら、どっちが欲しい」
「えっ?」
先輩は顔の前にあげた両手を小さく振って、こいつらのことだよと示す。
「えー、クローン・トルーパー」と僕は答えるけれど、本当はエピソード2だとクローン・トルーパーよりスーパー・バトル・ドロイドの方が好きだった。
先輩はふむふむと頷きながら、白いアーマーを身に着けたクローン兵士のフィギュアをカートに入れた。
「あんまし関係ないもの入れんなよー」
箱を取り出しながらトォタリさんは言う。
箱――というかパッケージは円柱形の標本容器のかたちをしていて、そのなかには赤みがかったペールオレンジ色の、グロテスクな生物がぐったりとしていた。蜘蛛のようなカブトガニのような、人間が両手両指を思いきり広げたようなボディに長い尻尾。映画『エイリアン』のフェイスハガー――それの実物大のおもちゃだ。
なんらかの樹脂でできているとわかっていながらも、そのリアルな彩色と標本容器のような箱のせいで仮死状態に見える。
眼前に屹立する大きな棚をよくよく見ると、洋画大作のアクションフィギュアや、このフェイスハガーやチェストバスターのような大きなフィギュア、プレデターやスターウォーズに出てくるエイリアンたちの大きなバストアップスタチューなどが並んでいた。
アクションフィギュアとかはわかるけど、こんな大きくて高いものをトイザらスに置いておいて売れるんだろうか。
「それ、買うんですか」
僕はトォタリさんの背中に言葉をかける。
「んー?」と彼女はまた喉の奥で返事をすると、あったあったと言いながら、フェイスハガーの入ったプラスチック製の容器を棚の奥深くから取り出した。ほかのものと同一商品にしか見えない。なにかがちがうんだろうか。
トォタリさんはそれをカートのなかに入れると、床に出しっぱなしのフェイスハガーたちを棚に戻していく。
また視線は健康的にくぼんだ背筋とその稜線に向かってしまう。
よくないよくない。誰にも咎められていないのに、わざとらしく強いまばたきをする。横目で僕を見る先輩が、むっつりすけべ、と小さくつぶやく。
作業を終えたトォタリさんが立ち上がって僕と向き合う。
「えーーっとお――まあ、手順が必要なんだよ」
トォタリさんはややかったるそうに口を開く。とっくのとうに自分のなかでは把握できていことを、改めて人に説明するのは案外だるいなあ、という気持ちがじゅうぶんに感じられる。
「手順って、なんのですか」尋ねると、トォタリさんは派手な色の髪を指でもてあそび、すくって耳にかけた。
「わかりやすく言ゃあパスワードみたいなもん。
とりあえずついてこいよ。そう言ってこの棚を離れる。カートの底についたゴム製の小さいタイヤが、床のうえをごろごろごろごろ……と小さな太鼓のような音を立てながら回転していく。
わー、きゃーという嬌声がすぐ近くから聞こえてきて、とおりすぎようとした列から男の子が勢いよく飛び出てきた。トォタリさんはそれを予期していたかのように、カートを小刻みにカーブさせて華麗に避ける。ぶつかると思ってびくりと立ちすくんだ男の子が、僕らを呆然と見送っていた。なんとなく目があってしまった僕は、安心させるようにとりあえず手を振った。なにがなにやらわからないまま、男の子はぎこちなく手を振り返してくれる。
「そういえば先輩、いつからここに?」
「いつからって言われると困るな。最初からだよ。待ってたんだ。でもトイザらスはおもちゃがいっぱいあるからね。退屈しない」
こどもでいたい。ずっとトイザらスキッズ。先輩はお馴染みのCMソングを口ずさむ。
「ま、おとなになってからの方が買いたいもん買えたりもするし、ぶっちゃけおとなだってトイザらスキッズだよね」
「そんなニンゲン、すぐに成長するようなもんじゃないからなー」トォタリさんが顔を軽く向けてにやりと笑う。「あーしらだって、何回死んで何回生き返ってるよ。それで成長してることもあるけど、変わんない部分もあるっしょ」
つぎはリカちゃん人形の棚に行き、手前から二番目のものをとってカートに入れる。そのあとはリカちゃん人形の棚のすぐ近くにあった、シルバニアファミリーの小さな人形を三つほどもぐように取って、放り入れた。その慣れた手付きは、果樹園の人が出来のいいものと悪いものを一瞬で見分けている姿を想起させた。「おもちゃ」というより「たくさんあるもの」としか見ていないようなその所作は、どこか冷徹だ。
ちょっと時間がかかったのは最初のフェイスハガーと途中にあったガンプラ――ザクとかハイザックとかわっかんねーよ! とトォタリさんは怒っていた――ぐらいなもので、カートには先輩が勝手に入れたものを除くと、合計九つのおもちゃが入っていた。
「いやいや、勝手に物入れるなって」
トォタリさんがクローン・トルーパーのフィギュアやハイゴッグのプラモデルを手にしながら呆れたように言う。
「テンちゃん、ぼくは今日頑張ったよ。買って。ね」
「埋め合わせはまた今度するから戻してきなさい」
先輩は唇を尖らせながらへいへーいと言っておもちゃを戻しに行った。
「頑張ったって、どういうことですか?」
「ああ、キルキル誘う前はヱイラに手伝ってもらったんだよ。えーと、よし、これでいいな」
トォタリさんはカートのなかを再度確認する。
フェイスハガー、リカちゃん人形、シルバニアファミリーの小さな人形三点、ガンプラ(HGのグフカスタム)、トランスフォーマーの特別限定版らしいコンボイ、安いプラスチック製の中世西洋ふうの剣、ブタミントン。
よし、とふたたび小さく言うと、それらが積み込まれたカートをトォタリさんは押して行く。
後ろをついていく僕はこどものころを思い出していた。父さんの実家の近くにある、国道沿いのトイザらスに行った夏の日を思い出す。おばあちゃんからなんでも好きなものを買いなさいと五千円札を渡されて、そのときはレゴを買ったんだった。それは確か小学校五年生のときの話だ。もちろん、毎年お盆の時期になるとおばあちゃんの家に泊まりに行っていたので、そのたびになにか買っていたような気もするし、特になにも買わなかったときもあった。
トォタリさんが歩を進めるごとに、ウェーブがかかった髪の毛がふわふわと踊る。バニラのような甘い香りがする。ホットパンツをぱつんと押し上げる、大きくて形の良いお尻が左右に揺れる。父方の親戚にも母方の親戚にも年上のお姉さんはいなかったけれど、親戚のお姉さんに連れられてトイザらスに来ているような、そんな気分に一瞬だけなってしまった。
いやらしい目だね。いつの間にか戻ってきていた先輩が僕の耳元で囁くものだから、僕はうひっと気色悪い声を上げながら耳をかばいびくりと驚いた。先輩はいたずらっぽくひひひと笑う。生ぬるい吐息の感触が耳にまとわりついたかのようで、胸の鼓動がなかなかおさまらない。
トォタリさんは歩く速度を落とし、乳幼児向けのおもちゃが集まる棚の近くで立ち止まった。じっとなにかを見ている。彼女の視線の先には、棚に設置された赤い箱状の物体があった。
手垢でやや黒ずんだ赤い箱には「プライスチェッカー」とあり、お馴染みのキリンが笑顔を浮かべていた。
トォタリさんはプライスチェッカーに近づいていくと、カートからおもちゃを取り出し、一点ずつバーコードを読み取らせていった。
僕もむかし使ったことあるけれど、プライスチェッカーはバーコードを上手く読み取ってくれないという印象が強い。でもこのプライスチェッカーはすいすいと読み取っていき、値段を液晶画面につぎつぎと表示させていく。でもその律儀な頑張りは虚しく、トォタリさんは値段は見ずにすべて無視していく。
最後の一点――あの実物大フェイスハガーだ――を読み取らせると、トォタリさんは自身の左手首内側を読み取り機にかざした。プライスチェッカーはピピピピッと軽快に鳴き、液晶画面に見慣れないロゴマークを表示させる。
大きなアルファベットのCのなかにSとMをバランスよく配置した、どこか古めかしくも雄大な力と宇宙を予感させるロゴ。それは、どこかの野球チームか、さもなくばアメコミに出てくるヒーローのロゴマークのようだった。
《 Welcome back, Captain. 》
液晶画面は最後にそう表示すると、ふっと文字を消し、物言わぬプライスチェッカーに戻った。
「これが、パスワードってわけ」トォタリさんは言いながら、カートのなかのおもちゃとプライスチェッカーを雑に指さした。
すぐ近くでがごんという大きな音を立てて、なにかが動く気配があった。
トォタリさんはそっちの方に向かって歩きだす。カートは放置したままだ。戻さなくていいんだろうかと僕は気になるけれど、彼女に追いつかないといけない。
ちょうど壁沿いに設置された、幼児向けの室内すべり台やミニプールを陳列した棚の一部が、こちらにゆっくりと開いていた。
見てのとおり隠し扉だ。
タイミングよく、周囲には誰もいなかった。
トォタリさんが急に姿勢をただし、軍人のように機械的な動きで振り向く。その勢いで大きな胸がゆさりと重く弾んだ。腕を掲げて、隠し扉を示す。先輩もとっさに真似をして扉を示す。
そしてやや芝居がかった声色で、トォタリさんが僕に説明する。
「これが、わが拠点――その入口。そして地球防衛の拠点だ」
「キャプテン――」僕はトォタリさんに尋ねる。「いったい僕はなにをさせられるんですか?」
「キャプテンはやめろって。それはともかく――決まってんだろ」
トォタリさん――と真似して先輩も――は唇を歪ませて凄惨な笑みを浮かべた。
「宇宙人退治だよ」
〈キャプテン・スーパーマーケット〉――それが彼女の参加する、国道沿いのスーパーマーケットや大型店舗をめぐるゲームの名前でもあり、彼女自身を指し示す名前でもあった。
彼女はそういった場所を守り、ドン・キホーテで自分を改造した連中に復讐しようとしていた。
トォタリさんの茶色い瞳が、銀色に鋭く輝く。
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