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アーッ、ハロハロッ、ハロハロが食べたーい。ハロハロ食べたくない? などとトォタリさんが言うものだから、僕も先輩もハロハロが食べたくなって、結局皆で適当な世界の適当な国道沿いにある適当なミニストップに入って、ハロハロを買った。
イートインスペースにある横長のテーブルに三人並んで、僕らは「やっぱハロハロだよお」「今年はハロハロが流行るね」「ハロハロを流行らせていきたい」などと変にブチ上がったテンションで話を盛りつつ、ハロハロをたいらげた。
イートインスペースの片隅には、ビジネスバッグを抱えたままぴくりとも動かないサラリーマンがいた。ワイシャツがよれよれだ。駐車場にあったどこかの会社の軽自動車は、彼が運転するものなのだろうか。彼の前にはフローズンヨーグルトが入っていた紙カップと、菓子パンの空袋が放置されていた。
「行くけ」
トォタリさんが言い、僕らは立ち上がる。サラリーマンの丸まった背中が、不思議と目に焼き付いてしょうがない。
最近あったこととか、面白かった映画の話とかをしながら適当に国道沿いを歩いて行く。
大きな交差点に差し掛かった。弛緩したお開きの雰囲気が三人のあいだにゆっくり蔓延していく。
それじゃあまた、来週な。
トォタリさんは手をひらひら振って信号を渡る。
おやすみ。
おやすみなさい。
僕と先輩が声をかけるが、次の瞬間には彼女の姿は消えていた。
大きな道路を様々な車が行き交う。
「ぼくらも行こう」
先輩に連れられ、そこらへんにあったガストの店舗横にあるハシゴのまえに案内された。ハシゴは脚立がないと手が届かない微妙な高さにある。
先輩はハシゴを指差してから僕を指差し、そして両手のひらで地面をふんわりと抑えつけるようなハンドジェスチャーをした。
上手く飲み込めずにいると、先輩は僕の背後にまわり、肩にそっと手を置いて下に力を込め「ん」と喉の奥を鳴らす。
僕は「えっ、えっ」と驚きの声を発しつつもぼんやりと意図を把握してしゃがむ。
先輩の両の太ももが、僕の肩に乗る。レギンスパンツ越しに、頬と耳――それから首筋と背中に柔らかな感触と体温が伝わってくる。ゆっくり立ち上がる。彼女の重みが全身にかかる。
先輩はハシゴに掴まると、器用にのぼっていった。しばらくしてから、屋上からちょっと離れるようにと忠告が聞こえてきた。僕が数歩下がると、目の前に脚立が降ってきた。どがしゃんという大きな音が周囲に響きわたる。
ちょっと先輩と僕が文句を言いかけたところで、それを使ってのぼってきてと先輩が屋上から顔をひょっこり出して言う。
僕はやれやれという感じのため息をつくと、脚立を使ってハシゴまで手を伸ばし、屋上にあがった。
先輩といつも会う屋上より狭く、低い屋上。先輩の姿は、そこにはなかった。
「先輩?」
突然、腰に強い衝撃がのしかかってきた。同時に、腕が巻きつく感覚。腕は僕の腰をぎゅっと強く抱くと、そのまま背後に倒れこむよう力を込めた。
屋上を統べる〈王さま〉である彼女の力に勝てるわけもなく、そのまま床に倒れ、引きずりこまれる。
コンクリートの硬い感触ではなく、プールに飛び込んだときみたいな、ざぶんとした液体の感触がからだを包み込む。咄嗟に息を止めて目を閉じる。
ややあって、仰向けのまま水面からあがった感覚。僕はおそるおそる目を開いた。
「……」
目の前には、満天の星空がひろがっていた。大きさも、色も、さまざまだ。こんな綺麗な星空は久々に見る。小学生のころに参加したジュニアキャンプを思い出していた。僕の住む街からは、僕の部屋の窓からは見えないものだ。
「きみとは星を見たことがなかったな、と思ってね」
視界の上から先輩の顔が僕を覗く。後頭部には身に覚えのあるやわらかなものがあたっている――いつの間にか膝枕をされていた。
上体を起こそうとすると、先輩は肩をおさえて制止する。右手には細長い棒が握られていた。耳かきだ。
「昨日のつづきを、しよう」
「……先輩」
「……なんだい」
「僕が言うのもアレですけど、ムードぶち壊してませんか」
僕は視線を向ける。先輩は綺麗な眉毛を八の字にして困ったなあという顔をすると、強力な白い光を発しているモンベルの登山用ヘッドランプを消灯させた。
「いやだってほら、いくら星空が綺麗で星がまばゆくまたたいていれども、暗いと見えないし」
そう言い聞かせ、額に装着したヘッドランプを再び点灯させる。まばゆい光が僕の右耳を照らして、視界にも射し込んでくる。
「まぶしっ」
「ほら動かないで。耳のなかがよく見えないじゃあないか」
彼女は僕の耳介と耳たぶに触れる指にそっと力を込めて「んー、ううんー?」などと言いながら耳の穴を観察する。いつもやられていることとはいえ、恥ずかしくて思わず身をよじってしまう。
ふんふんという鼻息が耳の産毛をゆらし、こそばゆい。先輩はそのままどんどん前傾姿勢になっていく。耳たぶを触っていた指先は首筋をゆっくりとつたってゆき、もう一方の手は僕の髪の毛をそっと指先に巻きつける。
唇で耳介をはまれ、つづいて軟骨に小さな刺激がはしる。数時間前までステーキを咀嚼していた先輩の白くて並びのいい歯が、僕の耳に甘く突きたてられる。
抗議の声を上げようとするものの、舌が溝に沿って這う感覚に、背中がぞくぞくと粟立ってなにも言えなくなる。
ほそい指先が僕の背骨や背筋のラインをゆっくりとなで上げていく。
耳を優しく噛まれるたびに、唾液混じりの水音が神経を昂ぶらせる。
じんじんとした感覚が下腹部にのぼってくるけれど、僕はそれをごまかすようにさりげなく膝をこすり合わせた。
先輩はその様子を見ていたのか、くすりと小さく笑うと、突然正気に戻ったかのようにわざとらしく咳払いをして、節度、節度と自分を戒めるようつぶやきながら姿勢を正す。
僕のシャツの襟首に突っ込んでいた腕を引き抜いて、ヘッドランプの位置調整をした。
ウェットティッシュでさっと耳に付着したいろいろなものを拭き取ると、耳かきを開始した。シンプルに、耳の穴から。白い灯りに照らされた僕の耳は、真っ赤だったはずだ。
「テンちゃんがさっき言っていたこと、引っかかるものがあるんだろう?」
先輩はなにごともなかったのように、いきなり話をふってきた。僕は「まあ、はい」と生返事をする。
「きみは、ぼくたちが“行き着く先”があると、そう思うかい?」
しばしのあいだ逡巡するが、それは逡巡するふりに過ぎなかった。トォタリさんには本心では思っていない気休めの言葉を適当に吐いてしまったけれど――そしてそれは彼女に見透かされていたと思うけれど――僕には確信めいたものがあった。ぼんやりとはしているけれど。
「僕たちは、どこにも辿り着かないんじゃないかって、そう――思っています」
「“僕たち”?」
違う。たぶん“僕は”だ。
「僕はきっと、どこにも辿り着かない……違う、辿り着きたくないんだと――そう……思います」
「――つまり?」
先輩は恐らく、僕がなにを言おうとしているのかわかっている。でもそれを、僕の口から聞きたいんだろう。
「たぶん、その、つまり――」
僕はきっと、何者にもなりたくない。
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