1-9

「あーしらって結局、どこに行き着くんだ?」


 アルコールで顔を赤らめ、ソファ席にどっかりともたれて満腹そうなトォタリさんが、唐突に言った。トォタリさんは基本、自分のことを「あーし」と呼ぶ。正確には「あたし」の「た」が発音する際に行方不明になっているので、そう聞こえる。


「どこ――って?」と僕は返す。


「えっと……どこかは、どこかだよ。ほら、いろんな場所に行けるわけじゃん、うちらさ。時間とか、空間とかさ、あとセカイ? とかさ、カンケーなく。結局、落ち着く場所があんのかなあって思って」


「ある……んじゃないですかね……」僕は自信なさげに答え、テーブルの上に置かれたフライドポテトの盛り合わせに手を伸ばす。「いつかは見つかるんじゃないんですかね」


「いつか?」トォタリさんは鼻で笑う。「それもそうなんだけどさあ、でも、“いつか”なんて言葉はあまり好きじゃない」


「好きじゃないって……」


「なにも焦る必要はないと思うな、ぼくは」先輩がピクルスをかじる。「自分が生まれ育った、元から所属している世界以外の場所では、なぜか老いないんだ。ぼくたちには無限の時間があるよ」


 先輩は訳知り顔でふふんと笑う。以前、本人から聞いた話だけれど、先輩はかなりの時間をあっちの世界やこっちの世界やそっちの世界で過ごしているらしい。


 ある意味、永遠の十七歳で、永遠の先輩で、永遠の女子高生なんだよ、ぼくは。


 ――などとうそぶいていた。


「じゃあさー、その無限の時間をかけても、そういう場所が見つかんなかったらどーするよ」


「そういう心配はしなくてもいいんじゃないかな。心配するだけ無駄だよ。ほら、テンちゃんにも過ぎ去ってしまったらどうってことはなかったなあ、なんて経験はないかい?」


 トォタリさんは僕らより少し年上だけれど、先輩は彼女のことをちゃん付けで呼んでいた。十足トォタリ=十ちゃん=テンちゃん。


「あー、まあ、ね……」


「そんな感じで、どうにかなると思うよ」


「あんたはどうにかなったの?」


 尋ねられた先輩は一瞬だけ僕に目を向けると「ま、とりあえずは、ね」と言った。


「ぼくらはきっと、一生をかけてそれを探すんだ。きっと人生っていうのはそのためにある。ぼくたちはいまこうやって、住む時代も住む世界も違うけれど、出会えている。それだけでも、すごいことだって思わない? なんでこんな能力チカラが目覚めたのか、なんでときには戦わなきゃいけないのかとか、まあいろいろと疑問はあるし、これはゲームだからどこかで誰かが手を引いているんだけれど――それでも、ぼくたちは出会った」


 先輩はやたらと達観したことやポエムじみたことを言うが、どこまでが本音なのかはよくわからない。この人は、その場その場で適当に喋っていることもあるし。


「これもきっと、なにかに繋がってるんだ――」


「こういう美味しいご飯とか?」


 トォタリさんがポテトを五本ぐらいいっぺんにつまむ。今日もネイルが綺麗だ。


「えっ、うん、まあ、美味しいご飯とか」


 もう少しかっこいいことを言おうとして微妙に話の腰を折られた先輩は、照れ隠しをするようにアイスコーヒーをちゅうちゅうとストローで吸う。


「いつかはこのゲームをやめるときがくるんですかね」僕はなにげなく言う。「やめる……というか、終わり?」


「ゲームクリア?」トォタリさんがピクルスをすこしかじると、ぬるくなったビールを呷る。「あんの? あんのかなあ、そんなもん。ランキングはあるけどさー、ランキングだって、一位になってどうすんの」


「え、そりゃなにかもらえるとか?」


「なにかって?」


 疑問を疑問で返された僕は返答に窮して、このなかで一番経験豊富そうな先輩を見た。先輩は肩をすくめて首を横に振って「ぼくは知らないよ」のジェスチャーをし、「わからないことが多すぎるけど、まあいいじゃん。楽しければ」などと身もふたもないことを言ってしまう。それを受けてトォタリさんは「おっ、人生」と素直に感心したような合いの手を入れる。


「このゲーム自体もそうですけど、僕が行ける〈果て〉はなんなんでしょうね」


「あくまでもいろいろある“道”のひとつなんじゃないの? あーしだって、似たようなヤバそうな、こう……根源的? な場所には行けんよ。今度連れてってあげよっか。ってかあんたも連れてってよ。〈果て〉? に。あーし、自力じゃ行けないし」


「いいですよ、〈キャプテン〉」


「〈キャプテン〉はやめろ」


 トォタリさんは僕と同じ〈ロードサイド・ウォリアー〉のひとりでもあるけれど、どちらかといえばその道沿いにあるドン・キホーテや大型スーパーマーケットの〈王さま〉としての比重が大きい。


 彼女はそういった場所を守り、ドン・キホーテで自分を改造した連中に復讐しようとしていた。


「ま、ほら、あーしだって不安になることもあるってこと。からだのこととか、このゲームだけじゃなくって、生活のこともね」


 生活。


「実家でいつまでスネかじってられんのかわっかんねえし。ぶっちゃけ、ほら、あの、中退してっから、あの……引け目? もあるし……」


 いつも明るい彼女は自分で自分の言葉に沈みはじめ、そしてビールジョッキを思いっきり呷ると、「はーいやめやめ! 暗い話おしまーい」と普段どおりの楽しそうな顔を装って言った。


 僕もいつかは、こうやってつらいことをビールお酒やタバコで流し込んだり吐き出したり遠くにやったりするようになるんだろうか。


 僕もこうやって“大人”になるんだろうか。


 ――大人?


 大人になりたいんだろうか、僕は。


「それはそうと」と先輩は切り出す。「甘いものを食べたくない?」


 あんだけ食べたのに先輩はよく食べるなあ、と思う僕も、なんだか甘いものを食べたい気分だった。トォタリさんもしこたま飲んだはずなのに上機嫌にうんうんと頷いている。お酒をよく飲む人は甘いものがそこまで好きじゃないとどこかで聞いたけれど、トォタリさんは両方とも大好物だった。もちろん僕も、先輩も、放課後に甘いものをよく買い食いしている。


 会計を済ませてお店を出る。僕らは〈王さま〉だから、支配した場所から一定のお金が常に得られて、場合によってはこういうふうに美味しいものをたくさん食べることもできた。至れり尽くせりだけれど、やっぱり感覚が追いつかないし、悪いことをしているような気さえしてしまう。こういう変な生真面目さが、薄らぼんやりとした生きづらさに繋がってるような気がしてならない。


 適当にお喋りをしながら歩いてゆく。今度の土曜日はどこに行こうか、とか。他愛のない会話を楽しむ。


 僕がここに来たときに飛び出た、高架下の遊歩道にさしかかった。


 さっきと同じ人なのかはわからないけれど、誰かがボールの壁当てをしている音が聞こえてきた。すこし離れた場所では、年の近い男の子たちがスケボーに乗ってトリックの練習をしている。


 ジョギングをする男子中学生。


 近くのショッピングモールで買い物をしたカップル。


 同じように近くのファミレスでご飯を食べと思しき家族。


 ――僕らもほかの誰かから見れば、そういった人びとの一部でしかない。


 高架を電車がとおりすぎてゆく。すべてを轟音が包み込む。


 音の主がどこかへ行ってしまうまでお喋りを一瞬だけ止める。


 夏の夜風がかすかにそよいだ。前を歩く先輩のシャンプーの香りと、トォタリさんから蜃気楼のようににおいたつお酒のにおいが鼻腔に広がって、僕は思わずくしゃみをした。

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