1-7

 ライトに白く照らされた、だだっ広い駐車場を通過する。車は一台も停まっていない。靴底がアスファルトを擦る音だけが響く。


 店舗に入る直前、ふと視線を感じた。漠然とした、ただ見つづけられているような感覚。はっとこの施設の屋上に顔を向けるが、そこには誰もいない。


 僕の考えすぎかもしれないけれど、炊井戸タクイド先輩と会って以来、どうにもからの視線を感じる。僕が敏感になりすぎているだけだろうか。そうだと思う。たぶん。


 ウォークマンを停止して、両耳からイヤフォンを外すとポケットに突っ込んだ。僕は気を取り直して、自動ドアを抜け店内に入った。


 店内の様子は、恐らくいつもと変わらないのだろう――蛍光灯によってまんべんなく明るく照らされ、奥に見えるエスカレーターは元気に稼働し、のんきなイージーリスニングが館内スピーカーから流れている。人がひとりもいないこと以外は、たぶんいつもと変わらないのだろう。


 ショッピングモールを支配する〈王さま〉の知人に連れられたりして、(ある意味)無人のショッピングモールに行ったことはこれまで何回かあるけれど、いつになっても慣れない。人もいない広い空間にひとりでいると、広いがゆえに心細くなり、息が若干詰まりそうになる。


 僕のこころやからだが、この大きな建物に徐々に溶けてしまうんじゃないかという気がしてならない。


 もちろん、そういった奇妙な酩酊感覚を楽しむ連中もいる。まあ、その人らの話はまたいつかする機会があると思う。


 僕は誰もいない受付カウンターに置かれているフロアマップをひとつ抜き取り、店内の構造とテナントをざっと確認した。巨大な店ではあるが、ららぽーとやイオンモールといった大手チェーン系ショッピングモールのように、何十ものテナントが入っているわけじゃない。各フロアに主要テナントがあり、そのまわりのスペースに百円ショップだったり丸亀製麺だったりマッサージ店が入っている感じだ。


 ユザワヤは三階だ。僕はエスカレーターに乗る。やや黒ずんだ、赤い色の手すりにつかまった。


 二階にはジョーシンがあった。店頭に展示された複数のテレビには、アルプスかどこかの荘厳な山々が映し出されていた。


 僕は思わず降り立ち、巨大な液晶テレビのまえまでふらふらと進んでしまう。


 美麗なモニタに映し出された、白い雪と険しい岩肌がのぞく山々たち。テレビは完全に消音されており、館内スピーカーから流れるゆったりとしたイージーリスニングが、気持ちをどんどん弛緩させていく。


 まずい、このままだとずっと環境映像を見続けてしまう。


 僕はテレビのまえからそそくさと離れた。


 三階にたどり着く。ゆっくりと、深呼吸をしながら、ユザワヤのテナント敷地内に足を踏み入れる。


 毛糸玉や生地などがところ狭しと置いてある店内を進んで行き、カーテンコーナーを目指す。


 ふと、僕の耳に店内有線放送とは違った音が流れ込んできた。なにやらカタカタと軽快な音だ。むかし聞いたことのある音――懐かしい気持ちになる。


 カーテンコーナーに近づけば近づくほど、その音は大きくなっていく。


 さまざまな柄のカーテンが置いてあるコーナーの真ん中には、凡庸な事務机が置いてあった。そしてその上には、やや型式の古い電動ミシンが五台ほど横に並んでいる。ミシンを操作する人間はいなくて、それらは勝手に動いていた。


 カタカタ、カタカタ――とミシンは動きつづけ、その針先からは糸がつむがれている。それぞれのミシンから宙空に放出された糸は意思を持っているかのようにたゆたい、お互いのからだを寄せ合ったりねじりあったりして生地を形成していた。


 僕はしばらく呆然と、その奇妙で神秘的な光景を眺めていた。


「なにかご所望ですか」


 背後からの声に、ひぃっと情けない声をあげながら飛びあがる。振り返って確認してみると、そこには割と大きな――運動会の大玉ころがしで使えるほどに大きな毛糸玉が転がっていた。


「すみません、驚かせてしまったようですね」


 自身を形成する大小様々な毛糸を虹色に光らせながらそう言って、毛糸玉は前方にほんのすこし転がって、また元の位置に戻った。


「あ、いえ……」


 僕は口ごもる。〈王さま〉にはもちろんいろんなやつがいる。とはいえ、基本的に人間あるいは人のかたちをしているやつが大半だ。さっきの〈君臨号〉以外では、人ではない〈王さま〉と出会うのは久々だった。


「えっと、あなたはこちらの〈王さま〉でしょうか?」


 僕の問いに「王さま……」と毛糸玉はつぶやくと、横にすこし転がった。毛糸の表面を行き交う光の速度が増している。もしかして考えているのか? 毛糸玉は「ああ」とひとりで納得したような声を出し、「そのような感じですね」と言った。


「正確には店長です」


「ここの?」


「そうです」


 肯定すると、またまえにすこしだけ転がって元の位置に戻る。どうやらこれが頷く仕草らしい。


「えっと、ユザワヤに雇われているの?」


「ええ。“上層部”の意思により任命されました」毛糸玉はまたもや肯定すると、やや考え込むようにしてから「ご不安ですか……? ご安心ください! まだ勤続は二百年と浅いですが、お客さまがお探しの品を必ずや見つけだしてみせますよ」と自信満々に言う。


 ……この球体に敵意はなさそうだ。おまけにとても友好そうだ。だから僕は正直に〈星のカーテン〉について尋ねてみた。


「ええ。ええ。あのカーテンでしたら、いまそこで取り寄せさせている布が終わったら、すぐにお取り寄せいたしますよ」


 僕はミシンから紡がれ、宙空を漂うきらびやかな糸と布を指差す。


「取り寄せって、これ? いま取り寄せてるってことですか?」


「そうです。まっこと不思議で、便利なミシンですよね」


 毛糸玉は感心しているのか自慢したいのか、「便利なミシンですよね」の「ね」の部分を胡散臭いテレビショッピングのナレーションのように「ンねへぇえ~」と発音した。


 いったいどこから取り寄せて――ミシンをとおして出力しているのかは僕にはさっぱり見当もつかないけれど、別にそれでいいような気もした。どこかの宇宙のどこかの星とか、どこかの亜空間からできているのかもしれない。いま出力されている布は、もとはといえばガス雲かもしれないし、ほろんだ星なのかもしれなかった。


〈星のカーテン〉とやらも無数の星々からできているのかもしれない。毛糸玉に尋ねてみると、星そのものからできているわけではなく、一種の投影スクリーンらしい。




 チンッ――




 ベルの音が鳴った。おっと、取り寄せが終わったようですね。毛糸玉は宙空を漂う布に自身から伸ばした毛糸を伸ばし、くるくる丸めて束ねる。布を抱えた毛糸の触手は店の奥に伸びて行った。本体はここにいる。便利そうだ。


「さて、ではお取り寄せいたしますね」


「時間かかりそうですか?」


「およそ五千時間ほどですかね。もっとも、私にもお客さまにも時間なんてあってないようなものですが」


 僕は先に支払いを済ませ、伝票を受け取ると「またあとで」「ええ、それではまた」と互いに言い、店をあとにした。


 駐車場のまえには〈君臨号〉が待っていた。僕は再びイヤフォンを耳に装着する。


 仕上がるまでに五千時間だってさ。ここを統治するのも面倒だし、ちゃちゃっと連れて行ってよ。僕がカロリーメイトを差し出しながら言うと、〈君臨号〉はふむと頷きカロリーメイトをぺろりとたいらげ、国道へと向かう。僕もそれに追従する。


 カロリーメイトをあげれば未来にも過去にも違う宇宙にも連れて行ってくれる神さまだなんて、やっぱりちょっと可笑しいなと、左右に揺れる尻尾らしきものを見ながら改めて思った。


 国道の真ん中に立つ。


 はるか遠くの道がゆっくりとせりあがっていき、天へと伸びていくのが見えた。


〈君臨号〉がこちらに視線を向ける。僕は頷く。


 僕らは再び走りはじめる。

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